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2011.05.08

5/8 未成年者の選挙アルバイトの問題から

hamachan先生が、未成年者に選挙運動のアルバイトをさせた落選候補の事件を取り上げて、選挙運動に労務を提供した若者がなぜ労働とみなされないで、選挙運動とみなされるのか、と疑問を呈しておられます。もちろん先生は公選法の文理解釈は織り込み済みで、そんなことになっている意味と、実際に票と取引した金でもない事件を事件として扱っている意味を問うています。

おそらく、問題は「選挙運動」と「選挙運動のための労務」の定義にあるのだろうと思うのですが、少なくとも上の新聞記事から想像するに、当該学習塾に通う未成年たちは、割の良いアルバイトという気持ちで「選挙運動のための労務」を提供したに過ぎないのではないかと思われるのですが、それが未成年者に禁じられた「選挙運動」とみなされて候補者の逮捕という事態にならなければならない理由は那辺にあるのか、よく理解できないところがあります。

まあ、政治ってのは労働基準法上の「公衆道徳上有害な業務」だと言われると、そうカナという気分もないわけではないですが、まあそれは冗談として、駅前で候補者の名前を連呼するという至極単純な労務に従事したことが「選挙運動のための労務」ではなく「選挙運動」に該当するというのは、(少なくとも労働法的感覚からすると)いささか違和感があります。

本件では、彼らに1日数千円の「報酬」を支払っていますので、「運動」の参加者として無償の役務を提供しているのではなく、まさに報酬を対価として労務を提供しているとしか解釈できないのですが。

候補者の名前を連呼するだけでも「労務」じゃなくて「運動」だとすると、スーパーの売り出しの宣伝で店の名前を連呼することも「労務」じゃなくて「運動」だから賃金を払わなくても良いとか、そんなことはありませんからね。それこそ見え透いた労働者性の否定であって、バカ者と言われるはず。

では、会社の社長さんが選挙に出るからといって、その会社の社長さんの名前を会社の名前とともに連呼するのは、労務なのか運動なのか、とか。

いずれにしてもよく分からないので、納得できる説明がどこかにないかと思っているのですが。


と書かれています。先生は行政法の先生に教えてほしい、と言うことなのですが、おそらく、社会を超越した公正・中立・無謬の権力としての行政を前提としている(決めつけ過ぎですが、行政訴訟の判例を見ると、攻める側も守る側も、勝った側は、そう行政の位置づけてそうあるべきと主張した側がほとんどなので)行政法の先生たちも、下俗な公選法について、質問されている意味はわからないのではないかと思います。

また、故杣正夫先生と「市民政調」の公選法廃止プロジェクトのメンバーと、かつての自由法曹団の弁護士と、私とこのブログの愛読者以外は、生まれてもない戦前を懐かしんでその時代に戻そうとする右翼から護憲護憲のサヨクまで、買収と脅迫と集計不正以外のことについて事細かに規制する異様な日本の選挙運動規制を当たり前だと思っています。選挙管理委員会に上げられてくる苦情は、規制緩和ではなくて、これはやってはいけないと思いこんでいることを候補者陣営がやっていて、それを公選法が規制していない、という類の苦情が大半なのではないかと思います。

スーパーの店頭での大声での呼び込みと、選挙運動での名前の連呼と、働く質で何が違うか、と聞かれると違いはありません。私も同じような問題意識を持っています。しかし日本人の選挙に対する特別な感覚は、見事にこの違いに反映されていると思います。同様のことがマンションの集合ポストへの政治ビラ投函が逮捕されるという法解釈です。いらないものを投函されていたなら棄てて我慢すればいいことを、政治的自由を規制してもよいと考えて行動してしまう感覚です。政治活動の自由の大切さを痛いほど知っている国では考えられない現実ですが、日本の選挙に関する特別な感覚からは、マンションという神聖な別世界に俗なるものを持ち込んではならない、と解釈されるわけです。
候補者に成り立ての人が、選挙カーでガンガン名前を連呼するだけの候補者になりたくない、と言っていたのに、公選法の○×をだいたい理解して公示日が近づくとにつれ、だんだんいかにもな候補者になっていって幻滅した経験を何度もしてきたので、私にはいよいよその思いが強く感じています。

しかし一方で、キャンペーン活動で人を使うというのが最もお金がかかり、そのことで候補者間の資力の差が選挙結果に影響することを極力排除しようというのが表向きの理由で、したがって直接票に関わる作業については、お金を払ってはいけない、と公選法は解釈することになっています。そういうなかで、公職選挙法は特別刑法として独特の解釈の進化をたどり、労務の提供の範囲がどんどん狭められてきたということが言えるのではないかと思います。
※ただしやっぱり選挙の現場で人をタダで使おうとすると、選挙のときに使っているお金以上の労力が普段に出ていると感じます。手伝っている人に金を配るということではなくて、タダで働いてもらえる人のご機嫌を取らなくてはならないわけですから(そういう人が離反するとほんとうにネガティブなエネルギーになる)、もっといい仕事をする時間を、そういう人たちとの親密な交流に割かなくてはならないし、いろいろ仕事を進めるときにも、そういう人たちに何でもなくてもお伺い立てなくてはならないし、金では表せないようなコストというか手間がかかっているように傍からは見えます。金で解決できたら、と思うことも多々あります。

もっとも昔は、金を介在させて企業や町内会ぐるみの選挙の弊害があって、さらには中選挙区制という独特の個人主義の選挙を強いられる選挙制度のもとで、企業の社長や労組の幹部、自治体では町内会の幹部でないと立候補できない仕組みが機能していて、そうした弊害から解放したのも、この規制の効果として否定できないと思います。

しかし、メディアの多様化や広報戦略の進化、有権者側の情報チャンネルの多様化などを考えると、そろそろこういう因果関係の不明確で、定義不可能なばかばかしい選挙運動の手法に関する規制は緩和して、資力の問題があるなら、選挙運動の支出総額の規制だけを設定する方向に切り替えるべきだと思っています。

また未成年者が選挙運動することが話の本題ですが、これもそろそろ緩和すべきものではないかと思います。想定される弊害は大人が子どもをだまして有権者である大人の投票を拘束するか、ということでしょうが、そんなことの現実的なのでしょうかね。前首相が40歳代末、商店街のねり歩きで高校生ばかりに名刺を配っていましたが、せいぜい親や学校の教員に「昨日さぁ、Hさんが来てたよ、名刺だよほら」ってぐらいなもので、運動の広がりを作る下地づくりしかできないと思います。
また未成年者も様々な行政サービスを受けたり、非常時には政治の影響を受けるわけですから、意思決定権はまさに議論されている最中ですが、選挙運動に加わって、世の中を知ることぐらい悪いとは言えないことだと思います。

●実際には労務に過ぎないことを運動員にさせて報酬を払うために、候補者陣営は涙ぐましい努力をしている。
もっとも合法的なものは、運動員をただ働きさせるための努力。サヨク政党ならイデオロギーでたばね、党員組織や会員組織で縛るもの。ただしそれも日本共産党や公明党のような、党員どうしでの生活物資の共同購入や、仕事の斡旋などの機能が十分に働いていないと、日本社会党のように気に入らない候補者なら党員であっても選挙をサボタージュするということになる。民主党の場合、労組役職員や親しい業界団体から休暇を取らせて働く人をかき集めてもらう他は、私設秘書以外の「スタッフ」「ボランティア」などが中核となって選挙をするが、その報酬は選挙区内での自治体選挙での候補者とすること。しかしこれも党勢が右肩上がりならうまくいくが、今回の統一自治体選挙やその前のいくつかの自治体議会選挙のように下降気味の支持率のときには、乱立する候補者を調整することもできず同士討ちみたいなことになって、落選したら、ごくわずかの因縁の深い人だけ薄給のこしかけ私設秘書に戻されたり、組織的支援のある人はその組織が引き取る以外は、はいさようなら消えてくれ、という結果になる。

●一方で、選挙カーの乗務員、いわゆる「ウグイス嬢」というのには登録すれば報酬が払えることになっているのも変。インターネットからビラから看板から幟旗まで、言論で行う選挙のツールをことごとく規制しておきながら、みんなが迷惑だと思い、政治家がバカになれるかどうかを試すかのような障害物競走とも言える選挙カーだけは、むしろ奨励策が採られている。選挙が政策で選ばれず、人脈と、「よさげ」という空気的評価で決められる制度になっている。選挙カーを使わないと、事務所以外何も看板を出せないから、歩きや自転車で演説会をやっても誰の演説会なんだかさっぱりわからなくなるようにできている。
さらには、あの奇妙な行動様式を保存している「ウグイス嬢」の派遣会社まであり、地域の人が手弁当で選挙を応援している現場で、派遣ウグイス嬢が、現場の人にマニュアル的な行動をするように指導して軋轢を生んだのは何度も体験した。

●先の統一自治体選挙で、選挙カーをやめよう、という運動があったらしいが、迷惑だから、震災があったから、というのは動機としてまぁいいが、しかしそれが理由なだけでは、政治活動の自由や、広報活動の多様化、市民の情報収集チャンネルの多様化という現実の前においての、選挙がどうあるべきかという議論の水準に到達していない。議員報酬を下げろ、議員を減らせという我慢比べの政治家あるべき論の域を出ない。
より効率よく言論戦をやるための他の選挙ツールを解禁させ、効率の悪い選挙カーによる運動を駆逐するんだ、という論理でなければ、単に選挙カーをやめたとき、ますます政策主張を伝える手段を失って、翼賛選挙みたいな状況になってしまう。

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