2/28 素人によるつまんねぇ技術論の横行の問題
日本の政策談義の特徴について、dongfang99というブログの「わかりやすい説明」という記事で解説しているのが興味深い。
自分の印象では、日本の有権者は「わかりやすさ」に安住しているようには見えない。テレビやネットなどを見ていても、国債とか消費税とか年金とか、専門家にとっても難しい専門的な話を、非常に真面目に考えようとする意欲的な姿勢が強いように思われる。だから、むしろ逆に、この生真面目さこそが、現在の日本の政治的混乱の大きな背景にあると考えたほうが自然ではないだろうか。例えば、財政政策で言えば、まず「緊縮財政」か「需要創出」かという、「わかりやすい」話からはじめるべきところを、消費税の逆進性がどうのこうのとか、そういう難しい話にいきなり入ってしまう傾向がある。そんな専門家ですら容易に決着のつかない問題で国民に頭を使わせるよりも、再分配において「大きな政府」か「小さな政府」か、政治哲学において「リベラル」か「保守」かといったぐらいの、中学生にでも了解可能な、単純で「わかりやすい」対立軸のほうが、政治的にははるかに健全で生産的である。
まったくその通りで、生産的でざっくりした話ができないで、素人が細論や技術論に入り込んで、政治家を巻き込んで揚げ足取りみたいなことを始めるので、長妻昭のような無能な人間が「首相になってもらいたい人」として政治業界ではびこってしまうし、小沢一郎が相矛盾する連合と減税日本を手玉に取って、社民主義にルーツを持ちながらアメリカ帝国主義の手先になっている菅直人を叩いているようなわけのわからない状況が生まれる。
また、そうした細論での揚げ足取りを始めるから、結局は何か既得権益を守ろうとしている魔物がいる、という話になって、公務員バッシングをしたり、有権者でもない在日韓国・朝鮮人を敵視してみたり、日教組や自治労をことさら悪者のように描いてみたりして、一時の溜飲を下している。しかしその下した溜飲というものは全く意味も効果もないので、大きなざっくりとした国民がすべき判断のところでは、ぐるぐる同じところを回っているだけで一向に進歩しないでいる。
一方で、善なると決めつけたものには一方的な思い入れを抱き、考え方が違うのに坂本龍馬気分になって、しきりにくっつけようとしたがることも政治や社会の停滞の原因でもある。むかしテレビに出ている政治家がみんな改革派のように思えて、イデオロギーも立場も考えもせずに、テレビに出ている政治家が糾合して社会改革をしてほしいみたいな議論があったように。
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