2/5 行政訴訟の乱発は地方自治の放棄
国立市の住民基本台帳接続をめぐって、接続しなかった市長は市の行政に損害を与えた、となんだかイチャモンみたいな行政訴訟があって、住民基本台帳の接続に抵抗してきた市長が敗訴した。
住民基本台帳接続に関して法律のどっちが正しいか、というのは私は両論とも一理あると思うので、ここでは軽々に意見するつもりはないが、こうした住民訴訟を起こすことは正しいのかどうなのか疑問だと思う。
住民訴訟は、法の正義にのっとって国や自治体が行政を行わせるために与えられた制度。しかしもう一つ、自治体を縛るものとして、自治体の政治があり、選挙や議会を通じて意思決定を行っている。自治の文脈から言うと、本来的には、選挙や議会に意思決定プロセスができるだけ集約した方が、民主主義のダイナミズムが動き、市民が責任や帰属性を認識しながら、話し合い、合意、納得性の高い自治体運営が可能になり、より強い社会統合が実現できる。
ところが住民訴訟のように、裁判官というどこかの第三者が白黒決着付けることが出てきて、今回のように利害関係が不明確な訴訟が起こされると、自治体は良く言えば政策判断が慎重になるが、悪く言えば官僚主義の組織運営に陥っていく。そのことは、お役所仕事とか、公務員体質とか、今のこの社会で批判されている問題をより強めてしまう結果になっていく。違法行為と思われかねないことは絶対に近づかない、という行動になるからである。
また市長や市議会議員は、思い切った選挙公約は実現できないかも知れないと、創造性を全く出せなくなってしまい、そのことで政策は大きく制約され、人柄や人脈だけで行われる選挙が再び横行することになる。
政治的な行動をしたい人間たちにとって、やはり住民訴訟は自己規制し、選挙や議会を通じた意思決定に関わっていくべきなのではないかと思っている。そうしないと、自治体の政策決定が、地域社会で住民合意に関わったこともなければ、政治的体験もないような、転勤ばかりを繰り返してきた職業裁判官に地方自治をゆだね放棄することになりかねない。
●もちろんごく少数派で放っておいたら権利侵害されっぱなしで、実生活に影響を受けるようなひどい行政が行われているなら、行政訴訟は起こすことは問題ないと思う。しかし、この国立市の場合は、住民基本台帳ネットワークに接続してほしいと思うような人たちが束になって選挙をやればひっくり返せる程度の与野党の差でしかない。誰だか分からない裁判官に自治体の運営について意思決定させるよりも、選挙による言論を通じて意思決定すべきものだろうと思う。また原告たちもそれなりに地位のある人たちで、住民基本台帳ネットワークに接続されないからと言って、ただちに生活に困るような人たちではないはず。
●自治体が何でも国の官僚にお伺いを立てて行政を進めていた時代が終わったが、今度は住民自身から何でも裁判所にお伺いを立てるような時代になってしまった。
●私がこの問題を痛烈に感じたのは、枚方市の非常勤職員のボーナス・退職金を、どうも経歴を見ると労働者経験が全くない浪人市民が、違法支出と訴え、返還させようとした訴訟を見たとき。社会的弱者を叩く行政訴訟を起こす馬鹿がいるものかと思ったことにある。自治体が雇う非正規労働者をどうするかは本来、自治の領域で始末すべきことだろうと思った。
●この原告の方は、私が唾棄している明和マンションの市の対応をめぐってやはり「市に損害を与えた」と市長を訴えた原告でもあった。
●市役所が違法で無駄な仕事をしたから損害が出た、なんて訴訟が成立するのは疑問。まず原告には損害がないはず。その程度の無駄で市役所は倒れないし、行政サービスは低下しない。また、市役所の仕事からいっさいの法律を超えることと無駄な行動をなくすということができるという証明ができないとこの訴訟は成立しないはず。理屈はわかるが、何のために、というところが政治的意図以外、全くわからない。
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