2/3 広田照幸「教育論議の作法」の痛快
広田照幸「教育論議の作法」を読む。とてもおもしろい。
教育談義には、実体のない思考停止させる言葉に満ちあふれている、教育政策に慎みが必要、教育改革にゾンビとエイリアンがいる、日教組に入れ、組合に入らない利己的な公務員が問題、など私の常日頃思っていることを書いてくれた本だと思う。
うちの知事は「親学」だのを主張するわけのわからん教育者が大好きだが、親の教育力があった時代など高度成長期の一時期だけという過去の研究結果を紹介してくれてなるほどと思う。就職するにあたって電話のかけ方を中学校が教えてくれたなんて話しも出てくる。
教員免許更新制やPDCAサイクルの過剰な氾濫の問題も指摘していて痛快。
以下おもしろい言葉から。
●うちの知事→「いうなれば、『教育力の低下』という言葉は、味噌もクソもいっしょにしてしまうような概念なのである。品のない喩えで言うと、味噌とクソとの作られ方の違いや、成分や味の違いなどを無視して、粘り気だけを単一の尺度にして比べるようなものである」
●インテリ層にとっての少子化の原因でもありそう→「あまりにも単純な要求のリストが果てしなく広がってしまうのが『○○力』の困った点です。そんなにあれもこれもと求められても、決して生身の親や生身の子は、その通りに生きられるわけではありません。親の個人的な努力の問題として、改善できる部分は限られています。下手すると、最後には『子どもを産んで、育てようとしてきた、私の人生の考え方そのものが甘かった』と絶望的な気持ちになりそうです」
●ゾンビ→「上に立つ者が権威や威厳を持ち、下で指示や命令に従う者がその権威を受け入れているような状態を、好ましいと考えます。だからあらゆるメンバーが対等な関係で社会や集団をつくる、といったあり方は「行き過ぎた平等」と考えます。…こうした人たちは「昔はよかった」とすぐに口にします。昔のムラや昔の家族を理想化して賛美します。また、まるで、昔のムラは、差別も人権蹂躙も、無知も因習もなかったかのように考えている」
「『今の個人主義の蔓延は、日教組の教育が悪い』という人がいますが…とんちんかんな議論です。共同体の解体-個人主義の広がりは、先進諸国で共通に進んでいて…経済変動の結果として生じている現象だからです」
●「町村派…しかし、まぁ、彼らが考えている『ニッキョーソ』って何ですかね?こんな発言や思考をする人たちは、はるか大昔の冷戦時代のイメージから脱却できない『旧時代の遺物』のような感じを受けています。こんな人たちが教育改革をガンガン進めちゃっているもんだなぁ、と悲しくなってしまいます」「もしも日教組がなかったら、あの人たちは、途方に暮れていたかも知れません」「時代の変化を受けて日教組自体もまったくその役割や方針を変えているわけですから、日教組にしてみると、右翼からの攻撃は一方的な迷惑そのものですね」
●「ヨーロッパ諸国の教職員組合は、多かれ少なかれ、中央・地方レベルでの教育政策の協議や決定の場に影響力を持っています」…塩谷立元文科相(当時)は…「文科省としてはそんなことは考えていない。日教組は一九九五年に方針転換し、それ以降は、お互いに日本の教育のために努力するという関係になっている」と述べています。
●「それにしても『日教組の組織率の高いところで学力が低いことを実証しようとして、全国学力テストを導入した』という中山元文科相の発言には改めて驚きます。もしその導入意図が本当だったら、ひどい話です。与党の政治的な狙いのために膨大な税金が使われてしまった上、全国の子どもたちはウソの理由づけで学力テストを受けさせられてきた、ということになります。ひどいですねー。ウソはいけませんよ。もっと道徳を勉強してください、中山さん。」
●ニッキョーソを悪役にする理由→「現実の教育がさまざまな問題を抱えているとすると、誰かがその『犯人』役にしたいという、単純な思考法があるからではないかと思います。…誰かのせいに違いない、という思いこみです。少年による凶悪事件が起きたら「ニッキョーソの教育が悪いから」。いじめや不登校も学力低下も、何もかもニッキョーソのせいにすれば、話は分かりやすい」→①埼玉県は全国でも日教組の組織率が最も低い部類の県だと思うが、青少年問題はないかというとそんなはずないからね。②同じような仕組みで役所の問題をすべて自治労のせいにしたがる、右翼、マスコミ、一部のNPO業界人、自民党町村派と半分ぐらいの民主党地方議員。NPO業界人と民主党地方議員は私の肩書きを知ると引いた顔したり、敵意むきだしの会話を始める人も多いね。
●「『非行を防ぐために道徳を教え込め』などという政治家の方には、ぜひ一度、教育困難校あたりの教壇で手本を見せてほしいものです」
●「私に言わせると、組合に加入しない先生の方が問題だと思います。だって、もしも職場の労働条件や環境を、労働組合として教職員組合が守ってくれている部分があるとすると、数千円のお金を惜しんで組合に加入しない人は、ちゃんと組合費払っている人の善意にただ乗りしている格好になるからです」
●「『今の社会は、お互いを助け合う気持ちが希薄化している』などと保守政治家がもしも言うのであれば『ニッキョーソ、フンサーイ』などと叫ばず、『教員はもっと教職員組合に入れ』と言うべきですね。『組合費を払うよりは、そのお金を自分の趣味に使った方がよい』という先生がもしもいるとしたら、それは保守政治家が嫌いなはずの、社会的関心も連帯意識も欠如した、利己的な個人主義者に違いないからです。」
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