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2011.01.25

1/25 やっぱり代議士は国家公務員宿舎の建設を推進しているんじゃないか

民主党の神風ひでお代議士が、朝霞基地跡地利用市民連絡会が配布したビラをめぐって、その内容がウソを書いたと言わんばかりの文章の内容証明を送りつけ、法的手段に出ると恫喝したことがあった。その内容証明本文では、神風代議士が国家公務員宿舎建設を推進した事実はない、国家公務員宿舎建設がどうなったのか事実確認しただけだ、と反論しているが、これが事実ではないと裏付けるような話が飛び込んできた。

朝霞市商工会の新年賀詞交歓会のあいさつので、神風代議士は、市長、市議会、商工会が一緒に推進する国家公務員宿舎建設については協力したいと言う発言をしている。

法的行為で脅かされた「朝霞基地市民連絡会」の事務局長ホームページにその内容が掲載されている。
神風英男議員 宿舎事業を全面的に応援したいと賀詞交歓会で挨拶 -朝霞基地跡地-という記事の中で、神風代議士は

 富岡市長の方からご要請がありまして、このキャンプ跡地はいったいどうなるのか、市の方でもいろいろ検討している項目があるから、なるべく早くその行く末をはっきりしてもらいたいというご要請がありまして、富岡市長と一緒に財務省の方で政務官の方に要請をしてきたのであります。その結果おかげさまで今回、事業が継続するという、予算がつくという形になったところであります。
 この事業に関しましては賛否両論あろうかと思っております。ただそういう中で富岡市長あるいは朝霞の議会の皆様方が総合的な判断の中で事業継続するというご判断をいただいているわけでありますので、私の立場としてはこれを全面的に後押ししたい、応援したいと思っております。

神風代議士は基地跡地市民連絡会の事務局長を名誉棄損なり何なりで法的手段に訴えたら良いと思う。こうした事実がある限り、訴えれば誣告罪である。またそういう覚悟がなくて法的手段などと脅かすような文句を入れて内容証明を送りつけたなら、半ば脅迫罪である。まさか有権者とのコミュニケーションとは言えまい。

●代議士のあいさつの中身にウソがある。神風代議士は朝霞市議会が公務員宿舎建設を推進する立場にいることになっているが、朝霞市議会は1回も基地跡地に国家公務員宿舎建設を推進するとは確認していない。市議会は、市民からの建設反対の請願を、市長の専権事項だからという理由で価値判断をせず、権限外として請願不採択としただけである。

●この問題では菅vs小沢でねじくれている象徴である。もともと事業仕分けで基地跡地の公務員宿舎の建設を止めたのは菅系である。復活を画策したのは、神風代議士、吉田泉政務官ともに小沢系である。
ところが菅首相がぶちあげた新成長戦略でがらっと変わった。基地跡地に無駄な国家公務員宿舎を建設することが「新成長戦略」の一環に位置付けられ推進事項となった。それ以降、緑は守られるんですね、と宣言した枝野代議士は何も発言しなくなってしまった。
一方、菅内閣が消費税増税を推進する立場となったことから、今度は無駄一掃で国民のの生活第一というのが、小沢系の政策理念となった。ところが小沢系の神風代議士が推進しているものだから、国民の生活改善に直結もしなければ、無駄でしかない国家公務員宿舎は菅系、小沢系、両方が推進する政策となってしまった。
まぁ、どうでもいい民主党内の政局分析だが、大事なことは朝霞市では民主党が、菅系であれ小沢系であれ、何の価値があるのかわからない国家公務員宿舎の建設を推進する側に立っているということである。

●新しい公共がらみのNPO関係の集会の案内をもらう。しかし、民主党の有名政治家●と●が来る、という呼び込み方に、違和感というか、既視感というか。
違和感はそんなに政治色出さなくてもいいじゃないかと感じる部分。民主党と仲良くするのはいいとは思うのだが、政治家で釣られて参加する活動家ってどうよ、と。既視感はそうしたことについて、私の日常の生活の中で感じていることです。政治(正確に言うと政治業界)が上位概念になってしまって、私たちと同じ失敗はせんかね、と。わが業界は15年前に政治を上位概念とする発想をやめましたが、いまだにその転換がやりきてれいなくて、苦労している。
まだそれぐらいなら可愛いが、日本のNPOは行政の支援や、行政の委託業務と密接不可分な関係があったりして、政治と仲良くしすぎると、変な利権に付け込まれるんじゃないかと心配になるときもある。
もちろん選挙と政策を取引するようなことはあってもいいが、個所付けみたいな話になってくると、おかしくなっていくんだろうなぁ、と思う。

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2011.01.24

1/24 東上線が3月にダイヤ改正

東上線が2年半ぶりにダイヤ改正する。パターンダイヤが復活しないので不満だが、今のダイヤ、本数の枠組みの中で、少しだけ使いやすくなるようだ。

日中は、急行がきれいな12分間隔の運転になる。その間、準急がきれいな20分間隔で発車する。帳尻をどういうふうに合わせるのかわからないが、改善なのだろう。

また通過駅に停まる各駅停車の接続が一切ない急行が日中、1時間に1本あったが解消されるみたいだ。真夏の炎天下、あるいは寒風ふきすさぶ冬、志木駅で接続する急行がなくて10分近く待たされている人をよく見かけていたので救いだろう。

不満はやっぱり、昔のような20分や15分サイクルのパターンダイヤが復活しないこと。時刻表を持ち歩かないと、乗客が無駄に待ち時間を浪費するダイヤが続く。それと急行は12分間隔できれいになるかも知れないが、準急が20分間隔ということは、論理的には、鶴瀬以南で急行(急行接続含め)・準急あわせて10分来ない時間帯があり、副都心線直通以前の急行(急行接続含め)・準急あわせて7.5分間隔の時代より不便な時代のサービスを超えないということになる。

また、上りに多いが、志木で急行に追い越された各駅停車が、和光市で急行に追いつくという、輸送力を抑制するために、急行の速度を落としたり、待ち時間を過大に見積もる理解しがたいダイヤは何とかならないものだろうか。

TJライナーの増発も不満。増発自体はいいのだが、TJライナーだけ優遇するから池袋駅が混乱状態におちいっているし、ほかの電車が低速走行を強要されている。昔、床が板張りの急行で、池袋と志木間が17分だったのに、今は23分もかかることがある。

●よくも致命的なダイヤの欠陥を3年近く放置したものだと思う。有楽町線との直通が始まったときもそうだが、中途半端に急行を増やしてパターンが崩れ使いにくいダイヤが数年続いた。東上線はダイヤの大改正をすると、3年程度は使いにくいダイヤを覚悟しなければならないのか。

●東京メトロの有楽町線と副都心線はどうするつもりだろうか。

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2011.01.22

1/21 統一自治体選が近づき・マンションへのビラ配布が話題に

統一自治体選挙が近づいていくる中で、マンションへの政策ビラ投函が話題になり始めている。

立川反戦ビラ事件や、葛飾区の政党ビラ配布事件の摘発とその後の最高裁判決が尾をひいていて、マンションには政治ビラは投函しない方が無難という、候補者側の態度が起きている。この最高裁判決は読み返せば読み返すほど不思議な判決で、自由権の根幹にあるビラ配布程度の政治的自由より、住居不法侵入という受忍限度とも言えるような「迷惑行為」の防止を優先したものと言える。

マンション住民が3分の2を超える朝霞市のようなまちでは、それだけの市民が地域の政治情報を手に入れられないでいる。結果として、有権者数が65000人の30年前から、100000人を超えた今に至るまで、市議選の投票数は37500人前後で固まってしまっている。市民の過半数が何の情報もなく市議選、市長選に挑まざるを得ないのだ。

つくづく、共産党や新左翼を警察・検察・裁判所が一体となって摘発するために、法律の応用を効かせすぎたあの一連のビラ配布に関する判決の弊害を思い知る。先進国どころか開発途上国でも、ビラ配布自体が迷惑行為として取り締まっている国なんて聴いたことがない。自由のない国ではビラ配布自体で逮捕されるじゃないか、と言われる人もいるだろうが、そういう国が取り締まっているのは、ビラ配布自体の政治行為やビラの内容と、明確に政治弾圧として取り締まっていて、日本みたいに政治ビラの配布が立ち小便と似たような犯罪として扱われながら実体は政治弾圧しているというのもおかしな話である。

背景にある日本の政治文化も問題だと思っている。合法の政治活動や選挙運動をしても、有権者から「違法だろ」って食ってかかられることが少なくない。政治に関わっている人がやっていることは違法行為に違いないと思わせるような文化や、それに支えられている、およそ一般国民には何が合法で何が違法か明確に理解できないような公職選挙法の選挙運動規制に問題があるし、源流をたどると、昭和初期の普通選挙の導入に対する内務省が音頭を取って始めた選挙粛正運動に源流がある。

ところで、現時点で最高裁判決をもとにビラ配布の可能な範囲について再確認すると、
○マンションに政治であろうがそうでなかろうがビラを配布するのは自由。
○ただし「ビラ投函目的の立ち入り禁止」と書いているマンションにビラ投函をすれば「住居不法侵入」で摘発されるおそれあり。
○「立ち入り禁止」札があっても、知り合いの人だけにビラ投函するなら問題なし。
ということになろう。

しかしこんな違憲判例を守ることが、社会を良くするコンプライアンスなのだろうか。国民が権力をコントロールする民主主義の基本原理に抵触するようなものを悪法も法として済ませていいのか疑問である。

●一方、近隣の中堅デベロッパー(リ●ンとか●)が開発したマンションに多いが、竣工時から「ビラ配布の立ち入り禁止」という札を管理組合名で掲出しているところがある。これは管理組合運営のデベロッパーによる私物化だろう。住民の合意なしに住民の合意を装って情報を遮断していることは、住居不法侵入以前の、妨害行為である。

●配布されたビラが迷惑と思う感覚はわかるが、だからと言ってビラ投函禁止となってしまう考え方が理解できない。もらったらすぐごみにして処分すればいいだけで、精神的ダメージを食らうようなものでもない。
有益なビラしか受け取りたくない、というのはずいぶんなエゴではないか。どこまでがビラでどこまでが有用な情報なのかは受け取る側の趣味の問題。
また、他の配布物のどこまでが違法なのか。たとえばマンション管理組合が配布するニュースもビラの一種だが、違法にならないのか。不動産屋の「マンション斡旋します」、ピザ屋のちらし、同じ会社から同じ日に違う担当者名で毎日のように投函されていることが珍しくないが、こうしたことが逮捕されたり裁判になったりした事例を聴いたことがない。日本郵政が市内や町内一斉配布郵便を受け付けているが、これはビラの全戸配布同様のことを郵便配達員にさせているサービスだが、同様にマンションに配布したら住居不法侵入になるのだろうか。

●不動産屋やピザ屋のちらしにクレームつけている奴を見たことがない。ぶつくさ言いながらごみとして処理しているのが普通だろう。それらのちらしも有用か無用かは、配布する側が判断できないし、受け取る側で判断していくしかないものだろう。しかしなぜ政策ビラだけが、ビラの内容ではなく配布したこと自体にクレームをもらうわ、配布する側にあまりにも過大な配慮の要求が求められわ、そうなるのがわからない。不動産屋やピザ屋の情報以上に大事な情報のはずなのに。

●最高裁判決は、自分の家のポストの管理もしたことない、近所つきあいもしないような人たちが下した、矛盾だらけの判決だとしか思えない。

●また公選法や政治資金規正法が変な法律で、選挙運動期間前の政策ビラの全戸配布は自力でやっても他力でやっても違法ではないのに、郵便で無差別配布を行うと、郵便代が有権者への寄付とか何とかで摘発要件になるらしい。

●政治活動の自由をできるだけ保障して、運動のやり方について重箱の隅をつつくようなことではなく、言論には言論で対抗する政治風土を作らないと、まともにならないという感じがしている。菅・岡田が雇用はじめ政策そっちのけで小沢を必要以上に追い詰めているのも、そういう政治風土の延長の行事みたいなものでしょ。

●余談ですが、地域主権とか、自治とか声高に言っている人が、統一地方選挙という言い方をするのは矛盾です。統一自治体選挙と呼びましょう。

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2011.01.18

1/17 正社員とは何かの談義から

上部団体のつながりで、民間の全国企業の労組の人と、家庭責任と仕事の責任の両立に関して話しているのを聴く機会で違和感を感じることがいくつかある。

一つは正社員要件に転勤の有無を含むかどうかを入れるもの。もう一つは、最近、きわめて安易にノーワーク・ノーペイという言葉を使うこと。とくに両立支援がらみでこの言葉を聞くと、違和感だらけだ。

ここまで社会に非正規雇用が増えると、パート労働者を準正社員にしていこうという話になっていく。その際、どうして準なのかという切り分けが、転勤の可否、というのが大きな条件になっている。またこれは2007改正パート労働法での正社員との均等待遇の要件でもある。

しかし、転勤というものが、社内での人事の柔軟性や、社内の人的スキルや業務ルールの統一化・標準化のため、社内の事業の構造改革を行う際の失業防止のための手法となっているというメリットがある一方、恐ろしく転勤におびえさせ正社員の精神的自立を奪い、また職務による雇用という考え方の定着を奪っているような感じがしてならない。
また、力のある企業の従業員が転勤に行ったり戻ったりするため、全国企業の拠点となりやすい東京圏や大阪圏に住みたがる(あるいは住まざるを得ない)現象をもたらし、高い質の地域雇用を奪ってしまっていると思う。
簡単に転勤をなくせとは言い難いが、地方で良質な雇用を創出したり、若者定着のためには、正社員は転勤して当たり前、という前提を何とか変えられたらいいのではないかと思う。

またノーワーク・ノーペイというのは当たり前にしても、しかし育児中とか、やむを得ざる休業に対して、何の前提もなくこう言い放つのはあまりにも乱暴だと思う。赤木智弘氏が指摘しているが、育児や介護の場合「ワーク」でないと言うのか、という疑問もある。また病気の場合は、ペイがあってこそ治療に専念できる面もある。
育児責任、介護責任がある労働者を追い詰める論議の前提を作っていくと、ますます少子化や、介護放棄みたない話が進んでいくと思う。
もちろん最終的には、中小零細企業まで視野に入れれば、働かない時間に対して企業が賃金補償することは難しく、育児や介護など公共性の高いプライベートな休業に対して、公的な負担にもっていくという方向性が必要であるが、それまた、税や社会保険の負担増ということを社会全体で引き受けていかないといけなくて、今の日本人の政局がらみの消費税談義しかできない風土の中で、またもやそれが暗澹たる気分になってくる。

●菅首相がいくらいけないからと言っても、消費税増税によって政権を全面否定する「おたかさんブーム」&「みんなの党」みたいな乱暴な論理が最近横行しはじめている。本来大きな政府をめざすべき左寄りの人にも少なくない。菅政権の中での国難をもたらし否定すべき政策と、必要な政策とを峻別して厳しく褒めたり批判したりしないと政治がまた10年20年同じことを繰り返すのではないかと思う。
この財政状況のもと、先進国にふさわしい現物給付中心の社会保障や、それを通じた雇用開発による需要創出をしていこうと思えば、増税は避けられない。そうした前提を否定し、引き続き自己責任による新自由主義的な社会を継続したいなら、消費税増税に反対し続ければよい。まぁ、国の財政収支、国債費以外の支出70兆円に、景気が悪ければ35兆円、良くなっても50兆円程度の税収しかない国で何ができるのか、と。

●朝、富裕高齢者がお金を使わずカップラーメンを食べてばかりいて貯金をしながら孤立しているという報道がされていた。相続税課税によって財産が失われるリスクが少ない一方、高齢者の医療や介護の本人負担コストが高いから、老い先短い人が貯金することが実に人生をムダにしているか、という検証もなく流動性の罠よろしく高齢者がお金を貯め込んでしまう。新自由主義の猛威がふるったこの10年、そうした傾向が余計に加速した。
慶応の権丈先生も書いておられるが、高齢者がお金を貯めなくても済むような現物給付中心の社会保障を構築することが景気回復や、世代間再配分の要ではないかと思う。なお権丈先生が世代間再配分というは、若者にお金をばらまく話ではなくて、社会保障を通じて雇用を作り、有効需要を発生させ、そのことで現役世代を豊かにすることだ、と指摘したことは、おおむね賛成である。

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2011.01.16

1/14 香里団地の保育所づくり運動を学ぶ

土曜の深夜は板橋茶寮の学習会に出る。テーマは「地域民主主義って何だ?!―1960年代・保育所づくり運動の経験から考える」として、1960年代の大阪府枚方市の香里団地の保育所づくり運動の話を、研究者の和田悠さんから聴く。

板橋茶寮の人たちと意気投合して流れ流れて26時まで板橋区でしゃべりあう。

●香里団地の保育所は団地族のインテリ共働き層のサロンの議論から始まり、松田道雄の思想的支援を受けながら、自主保育の開始、その公営化と進んでいく。古い地域社会とふれあい変えながら、実現していくことになるが、そのことを通じて①住民自治の発見とシチズンとしての成長、②徹底的な話し合いから生じた人間的信頼関係、③プライベートなことも社会的なことであるという認識づくりが形成された。
保育所づくりを通じた、知識人による民衆啓蒙とも、国家に対する抵抗運動とも違う、住民による市民的公共の発見ができた、という報告であった。

●終了後、意見交換をしながら、時折、板橋民主党の渋谷修氏の話題になる。

●団地という大規模開発がなかった朝霞市は、新住民が集団化して政策を変える運動がなかった。実際の行政サービスの水準についていろいろあるが、市民参加の立ち遅れや、市役所と市民運動とのつきあい方の不器用さ・コミュニケーション能力のなさは、和光市や新座市と比べても格段にあるし、市議会でのパワーバランスなどにも現れてきた。
かつては、町内会に新参者が少しずつ入れられ、恭順させられ、やがて旧住民になっていく、という歴史が市内各所で小さく小さく繰り返され、町内会長たちの同意をとれば市政のコンセンサスとして形成できた。また初期市政で長期政権が続き、市政運営は、閉鎖性や新しい課題への無頓着さ、徹底した行政主導の意思決定などに現れているのではないか。
1995年からマンションブームによって大量のマンションが供給され、集合住宅は戸数ベースで6割を越えている。新住民が町内会に入らなくなってきた。団地と違って、団地住民の自治会が形成されるわけでもなく、団地という共通の課題で連帯できるわけでもなく、町内会のような組織もなく、旧来型の市役所と市民組織とのつきあい方では網羅できない市民が半分を超えている。そうした中で、朝霞市の市政運営は大きく変更させられなくてはならないが、市民の政治的関心のなかでの地方自治へのニーズの低さ、財政問題ばかり語らる語られ方の水準、市役所が役に立っている実感のなさなどから、まだまだその体質が変わるのには時間がかかるだろう。

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1/15 国家公務員宿舎建設に一言も言わないみんなの党の候補者

県議選に出るみんなの党の候補者のビラが投函される。

「成せば成るの精神で
病院を誘致!
医療問題の解決の鍵は、公設民営病院の設置です。
朝霞市付近を始めとして県内に数カ所設置したい!

①医療:公設民営病院の設置
②福祉:老人介護の自治体によるサポート
③生活基盤:住宅密集地域の環境改善
④教育:教育現場の施設・心の充実
⑤安心・安全:悪徳商法からの被害者を救う(父権訴訟の実現)」

うーん。

●みんなの党はアジェンダの中で「増税の前にやるべきことがある」として、民主党の菅・前原連合をさらにパワーアップしたかたちで、公務員への待遇を大幅に切り込む政策を掲げている。本給まで切り込むと言っているのだから、もっと強い特権性を持つ国家公務員の宿舎を朝霞市に建設するなんて話には、当然反対するのだろうと思うが、一言もかかれていない。今度の県議選朝霞市選挙区の最大の争点になるにもかかわらず、だ。

●みんなの党の候補者なんだろ、と言いたくなるような政策の羅列。この候補者が公認に獲れるなら、みんなの党は民主党の10年のリプレイだと思った。民主党も初期、特権だ小さな政府だと絶叫して、党内抗争や選挙をたたかい、結果として政権が近づくにつれて現実化して、その齟齬が混乱の原因になっている。

●党の理念に反して、「大きな政府」の政策がオンパレードという感じ。
①病院の設置なんて、公設民営であろうが、かかるコストは必ずあり、その負担の議論抜きに政治家が便利なものを誘致してやる、という公約の掲げ方が今どきではない。病院が市民の幸福感を上げるのか疑問。また優秀な医師をどうやって呼んでくるのか疑問。病院はないのに診療所が山ほどあって朝霞市の国保特会の財政を圧迫している現実をどう考えているのか。
②老人介護の自治体によるサポート???。政策用語では「高齢者介護」。現在すでに「高齢者介護」は自治体のサポートどころか自治体の事業。問題はその質と量、すなわち財源問題。朝霞の場合は高齢の福祉も大事だけども、子どもや障害者の福祉が惨憺たる内容であること。
③住宅密集地の改善ねぇ。いいんだけども、最近、住宅が密集しなくなってきたから、井戸端会議とか、人と人とのつながりができにくくなってんじゃないかと思っているところがあって、ハード面の開発がいい街になるという幻想にしがみついていても仕方ないんじゃないか。
④教育現場の施設の充実も「大きな政府」。せいぜいがんはれ。心の充実って何だ。教員によけいな仕事させることが日本の教育現場が荒廃している原因じゃないのか。
⑤悪徳業者への父権訴訟って、マンナンライフへの一件を見ると功罪半ば。

●この候補者、4年前には自民党推薦無所属で出ていた人物。なんで違う党から出たのか、経緯を説明する責任があるだろう。

●朝霞市の政党公認・推薦の自治体議員たち、1人を除いて、ぬえのように公認・推薦を切り替えて使う。政党公認、推薦の候補者には指とか頬など目に付くところに「●●党推薦」とか入れ墨入れるような制度作れないか。思想とは言わないけども一定の理念があって政党に寄り添うわけで、党の代紋を一生を背負う決意が必要だろう。

●しかし投函してくれたことにはお礼を言いたい。最近、ほとんどすべてのマンションに「ビラ投函お断り」という札が立ち、なぜか政治ビラの投函だけは住居不法侵入という刑事訴訟の対象になって、あほな裁判官が有罪妥当という判決を下してしまった。鈍感な管理会社や管理組合がこうした立て札を立てることで、マンション住民は容易に地域の政治情報が入らなくなってしまっている。候補者間の政策や主張の比較ができなくなっていて、マスコミで流される全国画一の扇情的な政治ニュースに惑わされる日本の世論。有権者としての責任能力も低下している。

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2011.01.13

1/13 保育エコノミスト鈴木氏、今度保育財源の拡大がけしからんと

学習院大学の鈴木亘氏が、子ども子育て新システムを通じて、公費拡大が自治労の陰謀だ保育業界の暗躍だと相変わらず、被害妄想気味に書いている。

姑息な情報操作で公費拡大を狙う「子ども・子育て新システム検討会議」

先日、鈴木氏は、保育所への資金投入を200億にとどめたことについて少なすぎる、意味がないとののしったばかりで、言っていることがなんだかちんぷんかんぷんだ。

またリンク先のSYNODASにその珍説をさらに詳しくかかれているが、要は保育料負担がコストの4割が低いのに、さらに下げるのか、という主張をしてしている。その論拠として、実際の保育料は自治体負担で軽減されていて、ここに国の財源を突っ込んでさらに軽減する意味がわからない、というものである。

この論理そのものがおかしいのは、他の社会保障制度、医療保険などと比較しているが、税か社会保険か出所は違ったとしても、結局は政府を経由して両方が徴収され、給付に回っていく。そんなことを考えれば最終的には保育も自己負担以外をどう財源化するか、ということが問題のところ、政府の負担が多すぎると批判しているだけの話である。医療は利用者負担が3割でも多すぎると言われるし、年金や雇用保険については、全額社会保険料と税である。では保育の場合、社会保険的な財源があるのかと言われれば、現在のところはないし、仮にそうしたものを作ったとすれば、利用者の個人はともかく、鈴木氏の大嫌いな新たな企業負担が発生するだけの話である。就労と密接に関連しているだけに、そうした社会保険制度の企業負担は避けられないだろう。

また、自治体が超過負担していることが良いのか悪いのか、全く評価していない。保育財源の国・自治体・利用者の負担割合が、実際のものと釣り合わない非現実的な数字だからこそ、自治体の超過負担が大きく、結果として自治体が保育所を整備しなくなっているのではないか。待機児童を解消し、保育所を整備させるには、自治体負担について今より軽減していかなければ、とくに大都市部の「富裕自治体」が保育所整備を積極的にやるとは思えない。

バウチャー制などと非現実的なものに、社会的な価値観なき経済学者としての野望を果たそうという鈴木氏にとってそうしたことはバカの壁なんだろうと思う。

●保育所の補助金が増えることなど批判するぐらいなら、金持ちの子のため学校である学習院大学への私学助成は真っ先に切られるべきである。学費を自由に高く設定する権利を持ちながら、補助金をもらって、そのことに頬被りして、もっとましな補助金の出し方をしている保育所制度をバカにするなど、全く私には理解できない倫理観である。

●大学こそ、授業一時間単位のバウチャー制でもやったらいいと思う。

●鈴木氏は、保育そのものをどうしようなどと書いたものを読んだことがない。今の保育所の問題は、保育関係団体や自治労の暗躍によるものだ、と陰謀論を言っているだけである。実際には単なる政策協議をしているだけで賄賂を贈っているわけでもない(保育の経済的側面を研究しているならこうした団体が、決定的に社会を左右できるほどの政治資金などどこにもないことぐらいわかるだろう)それで何が問題解決ができるのか、とっくりと聞いてみたい気がする。
民主党政権の待機児童対策の論議に取り上げられなかったことを逆恨みしているようにしか聞こえない。

●保育の財源は人件費の固まりである。したがって保育にカネがかかりすぎると言う話は、保育労働者がもっと低賃金にあえぐべきだ、と主張していることになる。どこかで鈴木氏は職業差別みたいな意識があるのではないかと思う。

●保育の規制緩和に安易に期待する人は、製造業や通信業における規制緩和のような効果を期待しているが、残念なことに、保育や介護や医療は、サービスを良くすればさらに人件費が増えることになる。今、公費を増やしてもないのに少しだけサービスが良くなったのは、どこかで食うや食わずの賃金で保育や介護や医療をしているスタッフがいるからだ。持続可能な公共サービスの改善ではない。
したがって規制緩和的なことをやってサービスを良くすれば保育所の問題は解決する、という鈴木氏はじめとしたエコノミストの保育談義は、現実的なものにならない。サービスの量的拡大よりも、質に対する規制を緩和した副作用の方が大きい。
保育所を良くしたい、待機児童問題を無くしたいという話は、公費の拡大と若干の増税が不可避である。

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2011.01.10

1/10 有権者の運動を恫喝する民主党神風代議士

民主党の神風ひでお議員が、米軍朝霞基地跡地に国家公務員宿舎の建設に反対する市民運動に内容証明を送りつけたという知らせが入った。

神風議員の送ってきた文書の全文は以下のとおり。

 冠省
 貴会の活動の中で頒布している文書および電子文書内において、朝霞基地跡地の利用に関する事業につき、あたかも私自身が国家公務員宿舎建設事業再開を国に要請しているとの記載があります。私が朝霞市幹部と財務省を訪問した本旨は、朝霞市の要請文にあるように、朝霞市が宿舎に付帯して設置を予定している諸施設および地区計画の推進への影響が懸念されることから、整備事業の進展について、早期の結論を求めることであり、貴会の認識は、重大な事実誤認があり、私は著しく名誉を傷つけられ、政治活動に重大な支障をきたすおそれが多分に考えられます。
 私は貴会に対し、事実関係を精査したうえで、事実認識に関する部分の訂正と謝罪を求めます。万一、この要求を無視するような行為が行われた場合は、法的手段も辞さない所存であることを申し添えておきます。
                 草々
 平成二十二年十二月二十八日
  朝霞市三原一丁目六番一号
      衆議院議員 神風 英男〈押印〉

●国家公務員宿舎建設反対運動を繰り広げている基地跡地利用市民連絡会のビラ
基地跡地市民連絡会ニュース№1012号をダウンロード

●何が事実と違うのかわからない。「推進するとは言わずに結論を早く出せと言っている」、「推進していないが便宜を図ってやった」と言いたいのだろうが、そんなわけのわからない卑怯な言い回しがこの社会で通用すると思っているのだろうか。
富岡市長が神風議員を使って、財務省に国家公務員宿舎の建設を再開したことは市議会等で報告されている。さらに文中では、推進しているのではなく早期に結論を求めたのにつきあっただけだ、と書いているが、「諸施設や地区計画の推進」ということは、国家公務員宿舎抜きの諸施設や地区計画の代案がない限り、これは事業仕分けで凍結されたはずの建設再開にほかならないことだ。

●また、「朝霞市幹部」の陳情を取り次いだだけと言いたいのだろうが、朝霞市民の最低7000人(強制力のない厳密性のない署名が行われたときであれば30000筆あった)が反対や見直しを求める米軍基地跡地の開発について政治問題化していることは、たった4市だけで構成される選挙区の議員なら知らないわけがない。国家公務員宿舎建設に反対する市民に対しては、何ら陳情の斡旋も仲介もしてこなかったのに、建設推進側の陳情だけ取り次ぐということは、明らかに国家公務員宿舎建設の側に立場をおいたということだろう。

●政治家は政治課題については、街頭演説やビラによって自らのこの問題に対する見解を表明すべきだろう。意見が違う人と公開の場で議論をたたかわせて、結論を得るのが民主主義の手続きであろう(私はこの文脈で、合意形成をしなにければならない問題について、よっぽど追い詰められて他に選択肢がないのでもなければ、行政訴訟を乱発するような運動や政治手法は間違っていると思う)。

●神風議員が、選挙区内で問題になってきたこのことについて明確な立場を聞いたことがない。説明もしたことがない。いつも駅の階段下の薄暗いところで、この地区の課題にはほとんど関係のない天下国家の壮大なロマンと、茨城のどこかの自民党の大物を相手に選挙で挑戦したことだけ書いていないビラを配っているところしか見たことがない。これが私には騙しにしか見えない。この地区の民主党の連中が地域社会について考えていることが全く明らかにならない。
国家公務員宿舎という国と地方自治体、地域社会がこじれにこじれている問題について、朝霞市長に次いで国会議員として責任ある立場にあるのに、ほおかむりを続けてきたことは無責任だと言わざるを得ない。

●気に入らないことに対して、内容証明を送ってよこすセンスというのが、不動産屋の所有地ばかりにポスター掲示板がある埼玉4区の民主党の体質というか。法匪というべきか。立法府にいる人間が、政策論で司法を頼るな、と思う。

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2011.01.08

1/8 TPP推進するなら、まずは政治家の国際競争を導入せよ

菅政権は国民に相談もなしに、明治維新気取りで「第三の開国」としてTPPを推進している。

国民を「開国」などという美名のもとに、農業に限らず、労働や社会保障に関わる業種も含めて、国民全員を境目のない競争社会に突き落とそうとしながら、それを推進している政治家どもは、国籍要件に守られて、限られた人材の中でしか競争しないでやってきている。

TPPを推進するなら、技術や経済面だけではなく政治も外国人に開放したモンゴル帝国のように政治家自身が国際競争にさらされるべきだ。常識と固定観念で否定してきた、外国人に参政権を全面的に開放したり、国内にしかない選挙区制などというものを廃止して、経済において外国人の支配が何ら不幸にならないと言い切れるなら、政治家自らがもっと厳しい国際競争にさらされるべきだろう。いいことやってくれれば何人でもかまわない。比例代表の国会議員の定数を減らすとか、政治家の報酬を多少下げて範を示すなんて、範としては小さな話である。

●自治体では首長や、副市長、市職員に至るまでその自治体外の人が携わることができる。そのことのプラスの面は民主党が連携したがる田中康夫などの事例で証明されている。

●日本政治の国際開放をやらない理由を百も並べるなら、TPP参加がどういうことかリアリティを持って考えていない証拠である。被害は農業だけではない。明らかな人身売買はともかく、人的取引の貿易障壁が問題にもされて労働の諸規制も対象になる。自らの労働力をタイマンで取引できるような有資格者やエリートはいいが、単にまじめに働くことを提供して生活の糧にしている多くの人を地獄につ突き落とす可能性を持つ。民主党の現体制の明治維新趣味につきあわされるのはごめんだ。

●現政権は政治とカネ、政治とカネとしつこい。そもそも検察が立件できない問題を、議員辞職まで求めるような灰色と決めつけた対応をすることがよいのか、疑問だ。小沢氏の政治責任は、党首や幹事長時代の党運営にのみ求めるべきではないか。本来もっと大きな問題であったはずの、山岡氏をめぐる民主党の組織対策費の使途も公開しないで、小沢事務所の政治資金を公的に問題にするのは話が飛躍しすぎている。
政治とカネをことさら問題にすることになった源流をたどると、1920年代後半、(男子)普通選挙の導入時前後に至る。普通選挙に抵抗していた内務官僚が、引きかえに、治安維持法の強化と後に大政翼賛会になる選挙粛正運動を導入する口実に、政治とカネの問題をしつこく提起した。

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1/8 社会民主主義者との再会

先日、社会民主主義者の同志たちと食事会をした。

●1964年から1976年まで続けられた旧社会党のなかで原理的な社会主義者と、社会民主主義者との論争は、1976年の江田三郎の離党で社会民主主義側の完敗となって終わった。

一方、世界的には日本での社会民主主義者正統派とてし名乗ってきた民社党は、非マルクスの社会主義政党という性格から高度成長を経て、右手にナショナリズムを掲げる党人派と、左に民間大手労働組合の政治代表として機能を特化するようになった。その過程で欧州社民が取り組んだ課題から取り残され、家父長制的な倫理をベースに、減税や配偶者や扶養家族への所得控除の拡大など、企業内福祉や家庭内福祉に依存を深める社会構造の強化を求め続けた。

結果として1970年代後半から日本において社会民主主義をきちんと伝承する政治勢力は社民連と社会党の密教的なところしかなくなり、その伝統は、江田三郎に死亡する直前に花を持たせたプリンス(本人は「若武者」と言われた方がよろこぶのだろう)菅直人に再生を託さざるを得なかった。イタリア民主党の源流、イタリア共産党がソ連から離れ、議会主義路線に転換する「構造改革論」を同じような状況におかれた日本社会党に移植することを始めた理論家、貴島正道さんを長く菅氏の後援会長におられたのも、そんなことを託されたからだろうし、北海道大学山口二郎教授も、そんな文脈の中で、ここ十数年菅氏に近いところで助言を続けてきたのだろう。

※もちろん日本社会党も1985年に、社会民主主義的な新綱領的文書「新宣言」を採択し、独裁的な革命路線を完全に放棄するに至るが、欧州の社民党に一回りも二周りも遅れた議論をした挙げ句に、そうした人たちが高齢化して後進に道を譲り始めた90年代、社民主義的な価値観を小馬鹿にしたまま、フェミだ環境だというところに一気に進んでしまったために、今日、平和運動以外に何がやりたいのかわからないような政党になってしまっている。また、その間も西欧社民が許さなかったソ連や中国や北朝鮮の人権問題など看過し、北朝鮮との不透明な関係も整理されないまま放置したため、多くの社民党関係者に何の責任もないにもかかわらず、小泉訪朝で一気に信用を失ってしまった。

その後継者が今日、アンバランスな権力主義、経団連寄りの政策姿勢、アメリカへの急傾斜(それも軍事的国際関係にとどまらず、アメリカの金融資本がやりたい放題国内でできるような方向)などを見ると、これらは西欧社民を理想とする人たちの求めてきたものとは全然違ったものになったと、ため息をつくばかりである。

TPPなどマスコミは農業だけが犠牲になって、1980年代のようなバラ色の未来が待っているようなことを言うが、あらゆる貿易障壁を多国間で同時に撤廃することになるから、人の取引まで至る。今も不完全にしか機能しない労働基準法が全く機能しないか廃止されることも考えられる。

この間民主党や民主党政権に助言してきた宮本太郎氏や、社民主義とは思わないが、それに近い政治理念を実現しようとしている神野直彦氏なども、どう考えているのかわからないが、菅政権に違和感を持ち続けていることだと思う。

「最小不幸社会」と言いながら「雇用のミスマッチ論」を展開するような菅氏個人のセンスの問題もあるが、それだけでどうこうということではなく、日本の中で社民主義が橋頭堡を築くということはかなり困難な状況なんなだろうと感じている。
社会合意とか、協議とか、そうしたものは定着せず、相変わらず日本的なムラ社会の家父長制的な政治文化と、人と人との対立関係だけを前提とする新自由主義的政治文化との二者択一しかなくなっているし、社会的弱者に共感しその人たちをステップアップさせていくための社会改革をしようとする理念に共感が広がらない。税金のムダ遣いにフィーバーしつつも、より有効な使い道を発見しようとすることに何の熱意も無くなっている。マスコミを通じてしか国民が連帯できず、みんなが幸せになることよりも、努力をしない人間をこの社会からあぶり出して淘汰しようとする政治風土が強い。

しばらく社会民主主義者は背を低くしてその理想を抱えていくしかないのだろう。本当は今のこの社会で、最も役に立つ理念を持っている人々である、という自負を持ちながらも。

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1/8 紅衛兵がやってきて勝手に落書きしていく

阿久根市のトンデモ前市長が解職されたものの、仙波という職務代行者がひきつづきめちゃくちゃなことをしている。

写真に見る阿久根市の現状

もともとは市内のシャッター通りになった商店街に、市長が連れてきた芸術家が絵を描き始めたのが、商店街だけでは飽きたらず、公共施設の壁に、市の職員が恫喝まじえて施設長の許可を取り付けて、強引に描いているという。

その絵たるや、美しくも何ともなく、著作権なきアニメキャラクターの盗用など、阿久根市政の病んだ状況をそのまま表している。

●17歳のとき、読後三日三晩夢にうなされた「凍土の共和国」の中で、祖国訪問した在日朝鮮人が金剛山の景勝の岩壁に革命スローガンが彫り込まれていたことに衝撃を受ける場面を思い出した。

●こんな市政にした前市長・竹原氏を自治体改革の旗頭だとして、いまだに講演に読んでいる行政改革系の市民団体がいる。そういうセンスの延長に、今日の阿倍政権から菅政権に至る混乱があると考えられない人たちが政治に影響力を持ち始めていることに、本当に危機感を持つ。

●オンブズマンっぽい団体が竹原なんていう法も人権もふみにじり続ける人を呼ぶということは自己矛盾にほかならない。

●日本では、子どもとか患者とか、特定の擁護すべき課題や救うべき対象への使命感を持たないで、不正告発合戦にうつつを抜かしている行政オンブズマンは、ほとんど政治運動だと言い切ってよい。だいたい地方議員がやっているのが自己矛盾。田舎の新興政治勢力が旧勢力に対して「あいつら汚ねえことばかりやっている」とつまらない不正をあげつらって選挙戦を展開するパターンの都会版だとみてよい。それが日本の行政監視オンブズマンが克服できない問題だろう。東村山の●とか●とか、枚方の●とか。その醜悪なパターンである。

●市議会の改革は、強烈なカリスマや絶対的な真理が議会を破壊することではなくて、自分たちのより近い政治家をできるだけ手作りしていくことが、法的ではないが民主主義社会においての市民の責務のようなもので、これ以外に社会を良くしていく方法はない。市民が行政権と手を結んで、行政訴訟や、選挙違反告発合戦や、選挙も通じないで政治家に外部規制をかけるやり方は、絶対にいいことにならない。
また少数の駄目議員を放逐したところで、自分たちの手作りでない人を送り出したところで、結局わけのわからないまた害毒をもたらす人たちによって議席は占められる。

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1/7 来年度予算の地方交付税を学習

午前中、職場内の来年度予算の地方交付税の学習会に出席する。地方の財源確保についてはよく努力された予算だということがわかる。ここだけ聞いていると民主党は善政をしたように感じる。

和光市の松本市長がよくおっしゃっているが、交付税全体が手厚くなる中で、メリハリをつけているため、不交付団体については恩恵が少ない。さらにそれが強化される。制度の趣旨からは仕方ないのだけれども、この不況のもとでは、生活保護や保育所など不交付団体こそ出ていく予算が多く、また不交付団体であるからこその企業からの税収が落ち込みがち。

また、子ども手当関連では、前身の児童手当から反対しない限り、地方負担分については仕方がないような絵姿となるほど、地方負担分は刈り込んでいる。ただしこれは自治体にとって非常にわかりにくい財源構造になっている。

中長期的には、福祉関連の自治体支出に関する交付税財源がどのくらい手当されるのかが焦点。国は消費税増税で福祉の財源需要をまかなおうとしているが、地方負担分については、全く検討がされていない。消費税増税の一部を地方消費税にするか、交付税特別会計に突っ込まない限り、国が福祉や医療に関して補助制度を作ってセーフティーネットを張り巡らせた気になっても、今の保育所待機児童問題のように、自治体が財政負担をおそれてやらずに、社会保障の傷口を広げることになりかねないとも思った。

来年あたりから多くの自治体で財政が好転するという話も。景気対策で地方財政を動員した時代に大量発行した地方債の償還が一段落つき、自治体のプライマリーバランスは大幅に好転する見込みだという。自治体破綻は回避されつつある。

●他の自治体が朝霞市より人口比で多くの職員数を抱えながら自治体財政を少しずつ健全化させている中で、朝霞市はわずかだが赤字を広げていっている。また大型開発で市の持ち出しが400億円とも言われる基地跡地の開発に手を出そうとしている。他の自治体が財政が楽になって、少子高齢化に備えた事業を積極的に進められる余裕を手にしつつある中で、朝霞市が時代遅れの土建開発行政に手を出し、財政悪化をすれば、とたんに住民福祉が見劣りするものになり、政策的フリーハンドも小さくなるため、どつぼにはまっていくように感じている。

●国は破綻するときは民族もろともに破綻するときだから、国債発行はある程度までできる。戦前戦中のひどい借金財政もそれ自体で破綻したことはない。国の敗戦という破綻→借金財政のツケを整理する、という順でことが進んでいる。
しかし自治体は、借金でクビが回らなくなって見劣りした行政しかできなくなれば、余裕のある住民から先に逃げられる。そういう意味で、大型開発なんかに手を出している場合ではないだろう。

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2011.01.06

1/5 永田町方面を警戒

帰農運動をしている先輩が職場にやってきて「どうだ、最近永田町方面は行っているのか」と聞かれたので、「恐ろしくて近寄らないようにしています」と答える。

●菅首相の小沢一郎の追いつめ方はあまりにも品がない。カリスマを失った元ガキ大将を、学級委員がいじめ抜いているような雰囲気。しかも論理も、過去の言葉との整合性も全く気にしないでやっている。小沢が好きとかいいとか言うつもりはないが、こういう政治手法は、絶対にどこかでツケが回ってくるように、過去の経験から感じている。

●予算編成でもし菅首相がこけたり、クビを差し出すことになったら、反小沢派として次は前原だという話を聞く。八ッ場ダムの処理、尖閣問題、対露関係、日韓軍事同盟、最初の口だけ勇ましく副作用を全く想定できない首班が誕生することになる。地獄への道だな。日本は。

●朝霞のことで言うと、事業仕分けをして国家公務員宿舎の建設と抱き合わせの公共工事を止めようとしたのは反小沢の枝野。復活させたのは小沢系の神風びでおと、財務省の政務三役の吉田泉、五十嵐文彦。そしてその復活を正当化させたのは、菅首相と玄葉国家戦略相。どっちもどっちの人たちだ。

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2011.01.03

1/2 派兵なしにありえるのか前原の日韓安保同盟構想

前原外相が「日韓安保同盟」と。

この考え方が日米安保と根本的に違うのは、日本が相手国の武力行使を容認したり協力したりするにとどまらず、海外での日本の武力行使が前提にならざるを得ないこと。朝鮮半島有事において、同盟関係があって武力行使を目的に派兵することがないなどと考えられない。

小泉純一郎がイラク派兵について苦し紛れに非戦闘地域とは、自衛隊の派遣されているところ、と強弁したことより悪質である。
日本に何のメリットがあるのかわからないし、この緊張関係の中で、北朝鮮に日本が与しないなどというレベルにとどまらず、助けを求められて出兵する側は日本になることから、非常に危険なにおいがしている。

●仙谷官房長官が問責決議をつきつけられたのも、そもそも前原の勇み足が原因だったわけで、自らの野望というか無謀というか、そうしたものを省みることせずに、次から次に、びっくりするような話を出してくることが、なんとも言えない。

●「坂の上の雲」を読み過ぎの外相らしい。そんなことを認めている首相もひどいものだ。昔なら外相罷免になるような話だと思う。

●統一自治体選挙では民主党を一人でも多く落選させたいと思うことばかりが続く。

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1/2 通販おせちのトラブルから

新年おめでとうございます。よろしくお願いいたします。
しかし新年なのにまた社会のネガティブな問題からですみません。

●通販のおせちをめぐるトラブルが起きているという。納期が間に合っていないとか、中身がしょぼいとか、批判されていることは、どうもいたくごもっともなのだが、そもそものところで少し考えてしまう。

いろいろな事情がある人がいるので、おせちを通販で買うな売るなと言うつもりはないが、こうした問題は業者に問題はあるにしても、通販というものがどういう仕組みで成り立っているのか考えれば、消費者も、おせちという商品は相当にリスクの高い買い物だと認識して、それなりの覚悟をして買うべきではないかと思う。

通販おせちにあまりにもリスクが多い原因として考えられるのは、
①品物となって届けられるのは、大晦日から正月という、最も連絡がしにくく、返品、再送ということでも運送業者からしてスローペースになりがちな時期。また一斉に届けられるので、業者の苦情対応窓口がパンクしやすい。
②おちせという商品がトラブルを起こしやすい特性を持つこと。保存が効かない上、たくさんの材料、たくさんの食べ物の組み合わせで成り立っており、工程管理や商品管理でつまづきやすいこと。肉や魚など、流通量に限りがある材料で構成されること。
③通販という手段を取ることで発注量をコントロールできないリスクも大きい。過剰受注をしてしまっても、断りが完全にできない可能性が高い。
④消費者側と生産者側の間で、納品された商品と注文した商品とが同一なものか確認する手段がなく、発注イメージと納品イメージが水掛け論になりやすい。また、②に関連するが多品種を構成する商品であることから一部は完全にできない可能性も高く、その場合の消費者側の損害について許容限度なのか、瑕疵なのか、不明なままであり、事後処理しかできないこと。これは購入する側も、売る側も、相手に対してのリスクを抱えるということ。ずさんな納品と、この程度と思えるミスとの境目が不明確である。
⑤年に1度のイベントごとで必要なもので、買う側に過剰な思い入れがあること。
⑥ジャストインタイムみたいな仕事が当たり前になってきて、ジャストインタイムができない商品特性を持つものへの許容力がこの社会に失われていること。

ではないかと思う。一度でもおせちづくりに挑戦し、それを見ず知らずのインターネット経由の客から注文が来ただけ売るとシミュレーションして考えれば、他の通販商品との違いを想像できるのではないか。信頼する店でもおせちを購入するなどという危険を冒せない私は、とてもとても通販では、と思ってしまう。

札幌に海鱗丸という鮮魚の居酒屋があって気に入っていたがなくなったので、なぜ閉店をしたか追っかけているうちに通販おせちの失敗が原因だったことを知った。
海鱗丸を経営していた冷凍鮮魚の会社が、インターネット通販でおせちを始めた。しかし何かで紹介され有名になってしまい、インターネット経由の過剰受注を止められなかったために仕入れも製造も何もかも追いつかず、徹夜作業をしても納期が守れなかったし完全な品物を届けられなかった。結果、インターネットで叩かれ、補償と謝罪に追われるうちに、本業の冷凍鮮魚の仕事も傾いて経営に行き詰まってしまった、という事件があった。小泉政権下で努力する地方企業として表彰されたほどの技術を持っていたのだが。

納期を守れなかったこの会社に非があるものの、しかしそんなことで事業を傾けるほどの問題かと思ったものだ。通販でおせちを発注した人が、納期までに届かないことで何をもって窮地に追い込まれるのかがかわらない。会社に苦情を言い、事後処理を確認し、家族と苦笑すれば済む話ではないかと思う。
正月におせちが無いことについて、発注した人が家族の中で肩身の狭い思いをするような封建的な家なら、そもそも自分で作らないことの非が問われているはずだろう。

●また先日読んだブログ「コデラノブログ4」の「クリスマスの夜に」も似たような話があった。こちらは通販ではないが、人が落ち着きを失うよなうアニバーサリー関連の商品を売ることは怖い、と思う。
話はずれるが、もっとささやかで、手作りのアニバーサリーのあり方に戻すべきではないかと思う。アニバーサリーに過剰な思い入れを持つ感性は合わない。

●季節感も伝統もないと言われかねないが、私の家はおせちをやめている。いろいろな事情があっても立派にやり遂げているご家庭がいくらもあることは知っているが、苦行のようにやるのはやめた。年末年始をできるだけ静穏に過ごすために、最初に断念した部分である。

●何人かの友人と価値観を共有させているが、人々の幸福感を高めるためにも、年間行事的なアニバーサリーに負荷をかけすぎる生き方はやめよう。ケーキは近所の店のものをふだんから食べよう、日本の伝統色はふだんから少しずつ食べよう、そう思う。

●今回、問題起こした企業、外食産業の企画プロデュースで食べている会社らしいが、飲食店にこういう手合いが噛みすぎなのではないかと思う。全くいらないとは言わないが、小資本で起業できる見本の飲食店が、こうした何もかもシステム化していくような商売のやり方に変わることで、消費者は没個性的で無機質な関係しかない飲食店ばかりに取り囲まれていくし、新規参入の飲食業者が出にくくなる問題がある。

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