1/8 社会民主主義者との再会
先日、社会民主主義者の同志たちと食事会をした。
●1964年から1976年まで続けられた旧社会党のなかで原理的な社会主義者と、社会民主主義者との論争は、1976年の江田三郎の離党で社会民主主義側の完敗となって終わった。
一方、世界的には日本での社会民主主義者正統派とてし名乗ってきた民社党は、非マルクスの社会主義政党という性格から高度成長を経て、右手にナショナリズムを掲げる党人派と、左に民間大手労働組合の政治代表として機能を特化するようになった。その過程で欧州社民が取り組んだ課題から取り残され、家父長制的な倫理をベースに、減税や配偶者や扶養家族への所得控除の拡大など、企業内福祉や家庭内福祉に依存を深める社会構造の強化を求め続けた。
結果として1970年代後半から日本において社会民主主義をきちんと伝承する政治勢力は社民連と社会党の密教的なところしかなくなり、その伝統は、江田三郎に死亡する直前に花を持たせたプリンス(本人は「若武者」と言われた方がよろこぶのだろう)菅直人に再生を託さざるを得なかった。イタリア民主党の源流、イタリア共産党がソ連から離れ、議会主義路線に転換する「構造改革論」を同じような状況におかれた日本社会党に移植することを始めた理論家、貴島正道さんを長く菅氏の後援会長におられたのも、そんなことを託されたからだろうし、北海道大学山口二郎教授も、そんな文脈の中で、ここ十数年菅氏に近いところで助言を続けてきたのだろう。
※もちろん日本社会党も1985年に、社会民主主義的な新綱領的文書「新宣言」を採択し、独裁的な革命路線を完全に放棄するに至るが、欧州の社民党に一回りも二周りも遅れた議論をした挙げ句に、そうした人たちが高齢化して後進に道を譲り始めた90年代、社民主義的な価値観を小馬鹿にしたまま、フェミだ環境だというところに一気に進んでしまったために、今日、平和運動以外に何がやりたいのかわからないような政党になってしまっている。また、その間も西欧社民が許さなかったソ連や中国や北朝鮮の人権問題など看過し、北朝鮮との不透明な関係も整理されないまま放置したため、多くの社民党関係者に何の責任もないにもかかわらず、小泉訪朝で一気に信用を失ってしまった。
その後継者が今日、アンバランスな権力主義、経団連寄りの政策姿勢、アメリカへの急傾斜(それも軍事的国際関係にとどまらず、アメリカの金融資本がやりたい放題国内でできるような方向)などを見ると、これらは西欧社民を理想とする人たちの求めてきたものとは全然違ったものになったと、ため息をつくばかりである。
TPPなどマスコミは農業だけが犠牲になって、1980年代のようなバラ色の未来が待っているようなことを言うが、あらゆる貿易障壁を多国間で同時に撤廃することになるから、人の取引まで至る。今も不完全にしか機能しない労働基準法が全く機能しないか廃止されることも考えられる。
この間民主党や民主党政権に助言してきた宮本太郎氏や、社民主義とは思わないが、それに近い政治理念を実現しようとしている神野直彦氏なども、どう考えているのかわからないが、菅政権に違和感を持ち続けていることだと思う。
「最小不幸社会」と言いながら「雇用のミスマッチ論」を展開するような菅氏個人のセンスの問題もあるが、それだけでどうこうということではなく、日本の中で社民主義が橋頭堡を築くということはかなり困難な状況なんなだろうと感じている。
社会合意とか、協議とか、そうしたものは定着せず、相変わらず日本的なムラ社会の家父長制的な政治文化と、人と人との対立関係だけを前提とする新自由主義的政治文化との二者択一しかなくなっているし、社会的弱者に共感しその人たちをステップアップさせていくための社会改革をしようとする理念に共感が広がらない。税金のムダ遣いにフィーバーしつつも、より有効な使い道を発見しようとすることに何の熱意も無くなっている。マスコミを通じてしか国民が連帯できず、みんなが幸せになることよりも、努力をしない人間をこの社会からあぶり出して淘汰しようとする政治風土が強い。
しばらく社会民主主義者は背を低くしてその理想を抱えていくしかないのだろう。本当は今のこの社会で、最も役に立つ理念を持っている人々である、という自負を持ちながらも。
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