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2011.01.18

1/17 正社員とは何かの談義から

上部団体のつながりで、民間の全国企業の労組の人と、家庭責任と仕事の責任の両立に関して話しているのを聴く機会で違和感を感じることがいくつかある。

一つは正社員要件に転勤の有無を含むかどうかを入れるもの。もう一つは、最近、きわめて安易にノーワーク・ノーペイという言葉を使うこと。とくに両立支援がらみでこの言葉を聞くと、違和感だらけだ。

ここまで社会に非正規雇用が増えると、パート労働者を準正社員にしていこうという話になっていく。その際、どうして準なのかという切り分けが、転勤の可否、というのが大きな条件になっている。またこれは2007改正パート労働法での正社員との均等待遇の要件でもある。

しかし、転勤というものが、社内での人事の柔軟性や、社内の人的スキルや業務ルールの統一化・標準化のため、社内の事業の構造改革を行う際の失業防止のための手法となっているというメリットがある一方、恐ろしく転勤におびえさせ正社員の精神的自立を奪い、また職務による雇用という考え方の定着を奪っているような感じがしてならない。
また、力のある企業の従業員が転勤に行ったり戻ったりするため、全国企業の拠点となりやすい東京圏や大阪圏に住みたがる(あるいは住まざるを得ない)現象をもたらし、高い質の地域雇用を奪ってしまっていると思う。
簡単に転勤をなくせとは言い難いが、地方で良質な雇用を創出したり、若者定着のためには、正社員は転勤して当たり前、という前提を何とか変えられたらいいのではないかと思う。

またノーワーク・ノーペイというのは当たり前にしても、しかし育児中とか、やむを得ざる休業に対して、何の前提もなくこう言い放つのはあまりにも乱暴だと思う。赤木智弘氏が指摘しているが、育児や介護の場合「ワーク」でないと言うのか、という疑問もある。また病気の場合は、ペイがあってこそ治療に専念できる面もある。
育児責任、介護責任がある労働者を追い詰める論議の前提を作っていくと、ますます少子化や、介護放棄みたない話が進んでいくと思う。
もちろん最終的には、中小零細企業まで視野に入れれば、働かない時間に対して企業が賃金補償することは難しく、育児や介護など公共性の高いプライベートな休業に対して、公的な負担にもっていくという方向性が必要であるが、それまた、税や社会保険の負担増ということを社会全体で引き受けていかないといけなくて、今の日本人の政局がらみの消費税談義しかできない風土の中で、またもやそれが暗澹たる気分になってくる。

●菅首相がいくらいけないからと言っても、消費税増税によって政権を全面否定する「おたかさんブーム」&「みんなの党」みたいな乱暴な論理が最近横行しはじめている。本来大きな政府をめざすべき左寄りの人にも少なくない。菅政権の中での国難をもたらし否定すべき政策と、必要な政策とを峻別して厳しく褒めたり批判したりしないと政治がまた10年20年同じことを繰り返すのではないかと思う。
この財政状況のもと、先進国にふさわしい現物給付中心の社会保障や、それを通じた雇用開発による需要創出をしていこうと思えば、増税は避けられない。そうした前提を否定し、引き続き自己責任による新自由主義的な社会を継続したいなら、消費税増税に反対し続ければよい。まぁ、国の財政収支、国債費以外の支出70兆円に、景気が悪ければ35兆円、良くなっても50兆円程度の税収しかない国で何ができるのか、と。

●朝、富裕高齢者がお金を使わずカップラーメンを食べてばかりいて貯金をしながら孤立しているという報道がされていた。相続税課税によって財産が失われるリスクが少ない一方、高齢者の医療や介護の本人負担コストが高いから、老い先短い人が貯金することが実に人生をムダにしているか、という検証もなく流動性の罠よろしく高齢者がお金を貯め込んでしまう。新自由主義の猛威がふるったこの10年、そうした傾向が余計に加速した。
慶応の権丈先生も書いておられるが、高齢者がお金を貯めなくても済むような現物給付中心の社会保障を構築することが景気回復や、世代間再配分の要ではないかと思う。なお権丈先生が世代間再配分というは、若者にお金をばらまく話ではなくて、社会保障を通じて雇用を作り、有効需要を発生させ、そのことで現役世代を豊かにすることだ、と指摘したことは、おおむね賛成である。

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コメント

我々は、ともすれば、消去法で意見を述べようとする。ああでもなければこうでもない、と話す。
消去法は、無哲学・能天気の人に見られる。不満はあっても、主張はない。
結局、不満の主張ということになるのか。
否定文だらけで不毛の内容となる。無為無策でいる。
自分の意見は、自分の哲学で話そう。上手い話を現実の中で辻褄を合わせることが出来れば、建設的な内容となる。

我々は、無いものねだりはできない。
つたない政治家であっても、捨てるわけには行かない。
我々は、助け合って、現実対応して行かねばならない。
指導者は、遠い未来に我々の行き着き先の内容を明らかにする必要がある。
そうすれば、自己の協力者を得ることが可能になる。

だが、未来時制のない日本語を使用していては、それも難しいことなのであろう。
日本語脳の持ち主は、未来の内容を受け入れることが難しい。
激しく離散集合を繰り返しながら、現実の世界を迷走する。
この国の意見発表がまともにならなければ、この国の政治音痴も解消しない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011.01.22 10:03

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