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2010.10.31

10/31 監視カメラは30人に1台

クローズアップ現代の監視カメラの回の録画を見る。

国内で330万台も監視カメラがあるという話で、国民30人に1台監視カメラがある勘定になる。こんなにたくさんのカメラを誰がモニタリングしているのか、実にあやしい。カメラの監視のためにこの国の労働力も経済力も消耗していくような危機を感じた。
とにかく安全のため、という危機感の煽り方で、カメラを設置することに反対したり、カメラに異議を挙げること自体がしにくい中で、いけいけどんどん太平洋戦争、という感じで進められている。

番組中で、成城警察署が監視カメラの設置の営業に同行しているシーンがあった。また、ふつうの民家に監視カメラを付けているというのが驚きである。

問題は写されている側がどのように使われているのか、撮られているのか把握できないで民間活力と警察当局の奨励で増設され続けていることがおかしいという番組は正しい姿勢だろう。

●330万台となると、もはや警察が設置を奨励しているというのは国民監視が中心(もちろんその目的もある)ではなくて、主目的はカメラ屋の利権がらみというにおいがして逆におもしろい数字でもある。

●他人の細かいところを監視してチェックばかりする、粘着質で性格の悪い人がのさばりやすい社会というのはなんだかいゃなものだ。

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10/31 迷惑なTJライナーの増発

東武鉄道の中期経営計画が出て、座席保障(指定ではない)の東上線の通勤特急TJライナーが増発されるという。暗澹たる気持ちである。

私は座席が保障されている通勤電車があることは歓迎している。高齢者や荷物の多い人、子ども連れ、そういった人に必要だと思う。地方の道路や空港ばかり作ってきた政権は、納税者が利用する通勤電車を冷遇して独立採算で経営させてきたが、そのツケは満員電車であった。それをささやかながら緩和するものだからだ。

ところが、先のダイヤ改正でTJライナーを入れたときに東上線がやったことは、TJライナーを運行した分、既存の準急や急行を減便し、かつTJライナーに誘導するために、夕方のラッシュ時間にもかかわらず前後の急行、準急を長時間運転せず、さらには速度を落として、はるか前に出た電車までTJライナーに追い越しされるようにしている。

結果として、TJライナー発車前後の池袋駅は人であふれかえり、身動きがとれない状態になっていて極めて危険なことになっている。また途中駅も、やはり特定の急行、準急に乗客が集中し、遅延が常態化している。

またTJライナーに使っている車両も、ふつうの4ドアの通勤電車の筐体に、向きがタテになったりヨコになったりするいすを付けているだけで、座席をヨコにして特急にするには座席数が少なく無駄。
座席をタテにしてふつうの通勤電車として使うといすが大きすぎて車内が狭い。通勤電車として使われているときにやってくると、その狭さ、足の置き場に困ることに不快だ。

いすも向きを変えられるように作っているせいか、安定性に欠け、座ったり立ったりすると席がガタガタと揺れる。

現状のようなままのTJライナーの増発はやめてもらいたい。

●座って帰宅したいという人と、帰宅に速度を求める人と、明らかにニーズが違う。だから、無理してTJライナーだけを速くしたり、急行を遅くしたりする必要はない。TJライナーの前後に急行が走っていても、TJライナーを使う人は使う。小田急線のロマンスカーも、西武線のレッドアローも、夕方のラッシュ時間は、前後の急行と同じ時間をかけて走っている。あまり速くしていない。
今のようにTJライナーの前後の急行を間引くとか、急行をわざと遅くしてTJライナーに誘導する必要はない。

●それにしても最近の東上線の急行は遅い。かつて、床が板張りでウンウンうなって走る電車を使っていた時代の急行が、池袋・志木で17分だったのに、加速度も高速性も高い電車が入っている今、日中でも21分かかっている。関西の新快速なら12分の距離だ。昔、急行を使い、池袋乗り換えで新宿まで30分で着くという感覚があったが、今はランダムな間隔のダイヤになったせいもあって、待ち時間も入れて1時間をみなければならない。

●電車が遅いと思っている私に、スローライフみたいなことを言う人がいる。しかし遅い電車は乗客が滞留し、混雑がひどくなり、乗客たちが殺伐としてくる。スローライフどころか、イライラとバイオレンスが溢れる空間になる。水の少ない川で船運ができるようにするには川を元以上に蛇行させて水を滞留させる技術の逆の話だ。

●この計画の中で「保育施設などの生活支援事業の検討」という言葉が入っている。中期計画の中で実施もせずに検討ですか・・・。遊休地や高架下などスペースを持っている公益産業が保育事業に参入することは、土地取得などの参入のハードルがなく、本業があるので事業放棄の危険性も少ない。沿線の生活水準を高めるために、沿線住民が公的サービスをめぐって醜い足の引っ張り合いをしない風土を作るために、期待している。

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10/30 牛久市役所が県議選候補者の政策に介入

スローシティーを標榜している牛久市で、たまたまスローライフを公約に掲げた県議候補に市役所がいちゃもんをつけたらしい。

「スローライフ」で摩擦…市と県議選出馬予定者 地方行政

牛久市役所のしていることがよくわからないしいやな感じ。
市政が推進していることを公約に掲げる候補者がいてありがた迷惑という気持ちがあっても、それがダメという権利がどこにあるのかわからない。クレームの発端になった相手陣営も、直接批判せずに、市役所に圧力をかけさせるやり方がせこいし、空気を利用してチャレンジャーの口封じをするやり方がいなかくさい。
第一スローシティーとスローライフって違うんでしょう。天使と天国の意味が違うように。ますますクレームつける意味がわからない。

選挙で言ってはいけないことがたくさんあるようだ、というムードを利用してしかできないこと。行政権が法律的根拠もなしに政治活動の自由に口出ししてくることは悪質だと思う。

まぁ、今でこそこんなことは茨城でしかないのかも知れないが、55年体制下やその残滓にあっては、こういうどうでもいいクレームを非自民系の選挙立候補者陣営につけてくることは珍しくなかった。

●こんなことがこの時点でまかり通っているのは、政治が行政権の能力を超えていないで、「政治主導」が恥ずかしくなるような判断ばっかりやってきたからだ。

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10/30 TPP参加がどうして国内農業を守るのことになるのか

菅首相は日本の農業が行き詰まっているからTPP参加するなどと因果関係も理屈もない暴論を言っている。まったく許し難い発言だと思う。

TPPがどうして日本の農業を改革して守ることになるのか全く理解できない。関税を課せられないのだから、輸入可能な農産物は価格においてすべて圧倒させられていくことになる。
価格の下方圧力が強くなり、農業が採算に合わず、伝統芸能としてしか残らなくなるだろう。

TPPに参加するなら、他の利益のためと国内農業を切り捨てる不退転の決意をすべきだし、国内農業を守ろうとちょっとでも思っているならこんな馬鹿な話に乗るということにはならない。

●最近の菅首相の発想の中に、どうも因果関係をよく理解できていないのではないかと思えることが多い。状況に飲み込まれて政策を推進し、その犠牲になる問題についてはテキトーな後付で議論を展開して、それが何の論理性もない話だったということばかり。

●菅政権で打ち出されるものが、日本人の将来をあまり幸せにしないものばかりが続く。小さな政府イデオロギーに染め上げられた美辞麗句に弱い。最小不幸社会とか言っていたが、最小不幸のための技術や判断力がないために、最大不幸産出国家になりつつある。子どもたちを亡命させないと幸せにならないような気がしている。

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2010.10.28

10/27 高橋はるみ知事がメシ食べている時間は生命と安全を守る責務の一環なのかね

子育てをちゃんとやっていたらこんなこと言えないだろう。

イクメン知事にチクリ、ママ知事の高橋さん

仕事を抜け出して育児の作業をやってまた仕事に戻るとか、やっていないと不自然だ。すべてを公務に捧げるなんて、高橋北海道知事が子育てをしていた時代の保育環境からは、子育てを夫が全面的に担ったか、誰かに押しつけたかしか考えられない(今でも新宿区の繁華街でもなければ同じ)。

また、24時間国民の生命と安全を守る責務などという言葉を安易に使い、公務員の特殊性をやたら強調する人には眉唾をつけて聞いた方がいい。公私混同の第一歩でもある。メシ食べたり、うんこしたり、そういう私的な時間は何なんだと聞いてみたい。一見禁欲主義的に見えながら絶対にできやしないきれい事を言うのは、偽善であり、嘘である。
24時間国民の生命と安全を守る責務などと言って育児休業を認めないなら、もっと私的な友達づきあいなんか知事である限り絶対にするな。無所属で立候補しているのに特定政党の支援などと私的な政治信条の吐露のために集会なんかに出るな。そう思う。

公選職の公務員も、役に立つ仕事をしてもらえればいいのであって、それと両立できれば育児に時間を使ったって何したっていい。その人が必要なときに必要な職務をしてもらえればそれでいい。

そういう意味ではむやみに登庁しないのにいろんなことをしている石原東京都知事はまともだと思う。

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2010.10.27

10/27 和光の松本市長が男性育休へのエール

和光市の松本市長が、育休取得する首長への批判に、意見を書き、男性の育児、男性の育休を、自らの育児しながら働いている現状を報告しつつ、擁護している。

広島県知事の「育児休業」に批判続出というけれど

マッチョな価値観の持ち主が多い政治家の中で、首長を中心に育児に責任を持つ人が増えて、意志決定の場に参加していることは、うれしい傾向だ。
行政を民間企業と同じにしたがる人が多いが、行政は非効率かつ必要なことをしている人々を相手にする仕事でもあり、育児や介護など、非効率だけども必要なことを体験した人がやるというのは大切なことだと思う。

●民間企業にコンプレックスを抱き、営利活動みたないことばかりにちょっかいを出す自治体首長が最低。

●政治家の休みに寛大ではない日本。ロシアの大統領は2ヵ月も休みを取る。

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10/27 TPP参加を画策する菅首相をいつまで生活クラブは応援するのか

国難をもたらすかも知れないTPPに勝手に参加しようとしている日本政府。

法人税含め、自分たちの利益だけをやりたい放題押しつけてくる財界は、国賊ではないかと思ったりする。

これで明らかに日本の農業は崩壊する。関税で価格調整してようやく年収200万円というのが日本の農業従事者の収入である。

高度成長期の価値観のまま、食べること、生きることを犠牲にして、輸出ばっかり、加工貿易にばかり価値を置くことでよいのか。もっと大きなパラダイムの変更が起きているのではないか。

●TPPの参加は菅首相をずっと支えてきた生活クラブ系の政治運動への背信だろう。生活クラブ系の政治運動は、いつまで菅派の片棒を担ぐのかと思う。政治が大事なのか、政策が大事なのかはっきりすべきだ。

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10/26 生産活動だけが人類の営為ではない

広島知事の育休取得表明、8割以上が批判的意見

これを読んで、自動車産業が盛んな地域というのはこういうものかと改めて認識した。

実は、最初の就職の前、宮崎県の都井岬に旅行に行ったときに、とても親切にしていただいた広島県の熟年夫婦に出会ったのだが、その親切をうち砕くようにその夫が「有給休暇を平気で取る社員がいる」と言い出して、話を聞き進めると自動車産業の下請け会社の社長さんであった。

そういう感性からすると、社会的な育休取得という意義より、こいつ男のくせにさぼりやがって、という感覚の方が強いんだろうと思うし、その逆を許容する文化を持ちうる北海道とか、沖縄県とか、そういうところで自動車産業は成立しにくいのかなと思ったりした。

成立しにくいと言うだけでは身も蓋もないので、早く、ジャストインタイムみたいな文化の強い地域でも、仕事だけではない、人類の営為のために必要なことにおいて、仕事をオフする発想を持ち得て、寛容な社会ができるといいなと思ったりしている。

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2010.10.26

10/25 現代の文化大革命・名古屋市議会解散請求

自分たちの解散請求の確認が遅れているからと、市の選管の事務局で2時間も騒ぎたてる名古屋市の河村市長派の市民。

権力者の意をくんで、法的手続きを混乱させるのは、暴力革命のもっとも野蛮や権力者発のそれに他ならない。まさに名古屋で文化大革命が起きている、と言っていい事態だと思う。

●またこんな平日の昼間に市役所におしかけて騒げる市民というのは、ほとんど納税者ではないのだろう。減税政策が自分に利益もないのに、腹いせで大騒ぎしているとしか思えない。

●また機会があれば映画「芙蓉鎮」を見たい。

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2010.10.24

10/24 必然性がいまいちわからない一人一票実現国民運動

趣旨はその通りなのだが、どうもすんなり賛成できない「一人一票実現国民運動
今においても選挙権に不公平があると、1票あたりの「人口」の不均等さを問題に挙げているが、今更、そんなに深刻な問題なのだろうかと思う。

まずつっこみから。
一票の平等は「有権者数」で数えるべき。人口ではない。
人口といっても国勢調査だったり、住民基本台帳だったり、さまざまな数字があり、国勢調査の回収率の低下という問題をあわせても正確なものではない。したがって、票というからには登録有権者数をベースにやらないと票の平等なんて言っても正確な話ではない。これは、この問題では数少ない書籍で、今から35年も前にこの問題に取り組んだ宮川弁護士の論文を読めばわかること。

私は高校のときにこの問題について論文を書いて、実際にシミュレーションしたが、今程度の定数と有権者数の均衡よりもう少し前に進ませることができても、ほぼ1対1にしていくのには比例代表制の全面導以外にないと結論づけた。
しかしそのことは、選挙における候補者決定権を政党にゆだねることになり、日本人の政治感覚からは違和感あるだろう。第一西欧のように、政党が社会の財産として認識されていないし、党員数も少ない中で、政党が全権的に政治を支配してしまう制度にはいまいち躊躇がある。

そうすると選挙区制度が残らざるを得ないが、開発途上国で採用されているような職域代表制を採らない限り、地域代表制とならざるを得ないし、そうであれば機械的に区割りすることなどまずもって不可能で、公選法に規定する郡市を単位に選挙区を構成するという考え方や、住民感覚が近い地域で選挙区を組み合わせていけば、自動的に定数不均衡は発生する。また都道府県境というやっかいな問題もはらむ。市の形が長い千葉県柏市など、選挙区組みの作業においていつも混乱要因になって、松戸市や市川市の選挙区分割まで影響が及んでいる。市を割れというのも、松戸市や市川市などで見られるように、今の衆議院議員選挙区で市が分割されているところは混乱気味だ。
完全な公平性を実現することで捨てるものを考えれば、許容限度というものを設けていくべきだと思う。

またこういう形式的に不公平を主張して、他の様々な価値を無視して簡素さやわかりやすい運用の一切、バイアスをを否定しようとすることが、新自由主義イデオロギーと類似していることを言い添えたい。

かつては農村(自民3社会1)と県庁所在地(自民2社会2)と大都市圏(自民2・公明・共産)で政党支持の構造が全然違っていたので、定数不均衡の是正をすると政党間の勢力比が大きく変化する問題もあったが、今日的には、ほとんど変わりはなくなり、メディア選挙が支配するようになって、定数不均衡による民意のバイアスはなくなったし、むしろメディア選挙と小選挙区制のバイアスの方が問題になっている。民主党やみんなの党のように候補者選定の党内手続きが簡素な政党の場合、候補者自身も、選挙区を選ぶ基準があまりなくなり、平気で簡単に引っ越しをしていく。

そういう時代になっている今、政治をきれいにする手段は定数不均衡は重大事ではない類の話になっているのではないかと思う。

●この国民運動の作った選挙区割りは丁目まで徹底していてすさまじい。郵便番号帳みたいなものなしに、有権者の紹介など受けられないことになる。

●何か今になって出てきている話がうさんくさい。本気で思っているなら1980年代にこういう運動をやっておくべきだったのではないか。しかも賛同人は宮内義彦とか、奥谷礼子とか、堀田力とか、多くが小泉構造改革系の文化人というのもうさんくさい。彼らはその頃、研究者か何かの時代で、政治や選挙なんてばかばかしいと突き放して自分のことしかやってこなかったんでしょうに。

●これは革新系の人の小選挙区制批判に対しても言ってきていることだが、選挙にもとづく民主主義というのは、投票集計の公正さは大事だけどももっとも価値を置くべきことではなくて、参加や意見表明権、政治を動かしているという実感、そしてそのためのわかりやすさということだと思う。そう考えると、集計マシーンとしての民主主義の機能は大事だけども矛盾してくる問題が出てくるときには、民主主義にとって何が大事かという観点で問い直すべきで、集計が公正でないとか、1人0.6票とか言うべきではないと思う。

●小選挙区制を採用する以上、理論的には最大3倍(平均有権者数の1.5倍~0.5倍)の格差はどうしても出やすい。つまり0.3333票までは格差がつきやすい。今は議員の選挙区の既得権益がなくなり、かなり柔軟に選挙区の線引きを直せるようになったから、プラスマイナス33%で何とか2倍以内に抑えられる(実際には各県基礎数1があるので2倍を超える)。0.6票なんて、かなり努力している方だと思う。さらに比例代表で選ばれる議員も4割近くいて、定数不均衡は投票率と惜敗率の論理でそれなりに緩和できている。

●ではもっと柔軟に定数是正のできそうな中選挙区制時代には、選挙区の線引き変更が同じ政党の議員どうしの殺し合いにつながることから全然見直されず、平気で5倍近い格差があった。私の住む朝霞市なんか、もともとが荒川の向こうで地域的連帯感のない浦和や大宮と同じ選挙区でスタートし、1976年の定数是正で分割され、当時の現職自民党議員たちのエゴで、和光、新座、志木とともにどういうわけか、飛び地の大宮や上尾、鴻巣などと同じ選挙区とさせられた。飛び地であったため衆院選もどこか大宮や上尾の人たちが決める話でしょ、というようなさめたところがあって、地域の政治文化が未だに成熟できない原因だと思う。

●一人一票ということをしつこく言われると、大学時代の民青同盟系の自治会を思い出す。何でそんな基本的なことをしつこくいうのか、政治的意図をいぶかしがったものだ。私は自治会の役員選挙こそ民青同盟の批判する小選挙区制にほかならず、比例代表制にして党派を明らかにして民意に正しく代議員が選ばれるようにやれ、と批判したこともある。

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2010.10.23

10/23 学童保育の事故数

厚生労働省が学童保育の事故を公表したが、その件数は同様の調査をした国民生活センターの数字より大きく下回るし、公表した事例は、どれも学校でありうる子どもの事故の延長のものばかり。

学童保育は、施設の面積基準も職員配置基準もゆるゆるで、朝霞市でもその定員は過剰収容と言ってもよい現状。そういう現状から起こりうる事故があるはずだが、今回の公表した内容では、遊具の転落とか球技中の事故とか子ども自身の不注意に起因するような事故が大半で、過剰収容にともなう事故が全くない。

本当の内容を公表すると、学童保育予算を大量に確保しなくてはなにらない厚生労働省の立場が現れたものか。今後の検証が必要だと思う。

●朝霞市の須田義博市議は、保護者の責任論から繰り返し学童不要論を言っている。高額なマンションを購入し、公的な子育て施設を利用してローン返済をしている朝霞台地区の保護者は、地主の家系にあるこの市議が言っている事実を、心してふまえておくべきだ。詳細は朝霞市の会議記録の中の、外部評価委員会の議事録を参照してほしい。

●お母さんといっしょの「どこの子きのこ」が不気味だという話題になっている。そうかなぁ。本を読んでいない人の感覚じゃないか。古典的童話なんかもっとグロい。

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10/23 日本全体は少子化だから待機児童問題だけで保育政策を左右してはならない

先日、議員視察の報告者なんか無意味だからやめろと書いたが、一度思いもよらぬタイミングで意見交換をさせていただいた武蔵野市議の川名ゆうじさんの視察報告がブログでアップしていて、読み応えがあってよい。こういう議会報告を書いて読ませる内容であればありがたい。

武蔵野市議 川名ゆうじの武蔵野blog 認定子ども園モデル事業の結果は?  (視察報告)

少子化が進行中の中で、保育園と幼稚園の機能を地域社会にどのようにして残すかという選択として認定子ども園を選択した登別市の視察の報告。

・幼保一体型の施設の社会的寿命があるのではないか、特に少子化は避けられない中で地方都市で維持し続けられるのか。
・保育施設では少子化は止まらない
・民営化を実施したが、少子化の中で事業維持できなくて撤退や破綻ということはないのだろうか。
・職員の定着についてどのように考えているのか。

非常にバランスの取れた報告である。

日本社会全体では少子化が進んでいる中で、大都市部の待機児童問題だけがクローズアップされて、当事者そっちのけで経済学者や行政学者、一知半解の政治家たちの政策研究のおもちゃにされている。
しかし全国の多くの自治体では深刻な少子化の中でどのように保育事業を継続していくかということに苦悩している。また地方は共働き率も高い。そういう苦悩を知らずに、待機児童問題の処方箋を書くことがいかにおろかなことかと、改めて川名さんの報告を読んで感じている。

●それでも人権という観点や社会構造の変化という観点からは、待機児童問題が保育関連の政策課題で優先順位が高いということは間違いない。問題なのはそれしか見ないで評論するのこと。。

●クソみたいな埼玉県と朝霞市の財政報告。
保育定員を1人増やすと170万円財政支出が増えると先日、埼玉県(上田知事)が公表。朝霞市も153万もかかると公表。これは国負担分、県負担分、市町村負担分の合計。
一方で、幼稚園も小学校も中学校もそれぞれ国分、県分、市町村分をバラバラに公表して、金額を抑えている。さも保育所だけが突出してお金を使っているかのような印象操作をしている。
そしていつも筆頭に保育所の経費を挙げることをなぜするのか、意図的なものを感じざるを得ない。保育所利用者ばかりコスト意識を持てということか。役所に文句を言えない人を標的にしているのがミエミエ。やはり埼玉県は共働き家庭の住む地域ではない。男女平等度が最低ランクだったというのも、共働き家庭が迫害されているという結果が指標に現れたからではないか。
一方、上田知事が何の目的があってか延伸を推進している埼玉高速鉄道なんてものすごい税金投入がされてきて、そのことで沿線の地主は不労所得を得ているのに、そのことが乗客や沿線の地主たちに知らせるべきなのに、そういう数字は載っていない。

●先日、都内に事業展開した県内の保育事業者と意見交換したが、埼玉県内の自治体の保育・福祉政策に関する理解の水準の低さ、不勉強さを痛烈に指摘していた。

●会館でも福祉でも教育でもハコモノを作らないと公を有権者に意識させることができないこの国の水準に問題がある。少子化社会のもと大学が巨塔のようなビルを建て続けているのに、奨学金にあれこれハードルを付けるという現象や、保育の制度いじりばかりして新設の施設ばかり作らせるのに保育士の人件費はムダだと議論するやり方もその現れである。

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2010.10.22

10/22 政令指定都市市長会が生活保護受給者に社会奉仕せよと

今度は政令指定都市市長会が、生活保護受給者に社会奉仕しろって。

生活保護も医療費負担・社会奉仕せよ 指定市市長会が国に抜本改革案2010.10.20 12:10産経

こういうことが、天下の政令指定都市の市長ならびにその事務方の総意として厚生労働省に提出されてしまうことに、この国の支配階層はいったいどうなってしまったんだと思わざるを得ない。税金で食べている政治家が生活保護受給者をいたぶって、何かそのまちが良くなるのだろうか。政治家になるのはシューカツです、と言っている時代に、生活保護受給者のことをこんな風にしてよいのだろうか。

また社会奉仕、社会貢献活動とすぐ挙げるバカ政治家、彼らは絶対に社会貢献活動なんかやっていないと思う。やっていたとしても、人の役に立つ活動としてではなく、自分の心の浄化としてやっているのが関の山だろう。やったことがあれば、こういうかたちで修身のための道具にされることがどれほど迷惑か感じるはずだ。

そういう社会貢献活動への参加は、利用価値はあっても、実は貢献を必要としている人をひきまわし、大変迷惑である。

●消費税を上げたくないけど国や自治体の財政が心配だ、と思っている憂国の士が増えると、こうした弱者をいたぶる論理が横行するのは小泉構造改革で経験済み。しかし何度経験しても学習効果がないのがダメなところ。
竹中平蔵が何かやってくれる、長妻昭が何かやってくれる、蓮舫が何かやってくれる、とか、そういう無責任思考をやめないと同じことを繰り返す。

●選挙をやってみるとわかるが、政治家は地域の有力者たちに、日常的に足の裏を舐めろみたいなこと言われ続けているから、弱くて言い逃れできなさそうな人を見つけると、こういう風にいたぶる人も多い。素直に貧困者は苦手だ、失業者は嫌いだ、奨学金をもらっている田舎の貧乏学生は嫌いだ、と言えば済む話を、その人のため、なんて偽善が入った修辞をするから、社会奉仕を義務づけとか、自衛隊で鍛えろとか、嫌らしい形で出てくる。70年前後に左翼が相手のためを思って仲間をリンチしたのと思考回路は大して変わらない。

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10/21 首都圏の親元でぬくぬくしている学生ばかり甘やかす文部科学省

文部科学省が、奨学金の受給資格に社会貢献活動への参加を追加する方針を固めたという。
バカのバカであいた口がふさがらない。
この政策はどうも私の階級的憎悪を呼び起こす。

①奨学金のいらない学生はのびのび4年間過ごせて、奨学金の受け取った学生は4年間、授業にアルバイトにシューカツに社会貢献活動までしなければならない、ということ。

②現在問題になっている、教育の地域間格差がさらに拡大する。奨学金を受け取るのにさらにハードルが高くなれば、大学の多い東京や大阪近辺に実家のある子と、そうでない子の間の教育にかかる費用格差はさらに広がる。そのことで地方の優秀な人材を埋めてしまうことになる。

③受け入れ側の問題。社会貢献事業とは何か。その指定を受けた業者が、タダ同然で学生を働かせることができるということ。そのことはしいては外国人研修生問題と同じようなことにつながるということ。文部科学省や奨学金の支給を司る機構の指定をめぐって利権が発生する。

④いやいや社会貢献事業に参入する学生が増えることで、受け入れた社会貢献事業が腐る。

⑤逆に奨学金を受け取らない学生に対して社会貢献事業をしなくて良いという免罪符を与える。

⑥親のすねかじって、東京近辺の実家から大学に通学する学生ばかりをますます優遇する。こういう属性がニート問題の温床ではないか。地方から東京や大阪の大学で勉強している学生がアルバイトに社会貢献と、戦時中の学生や北朝鮮の学生みたいに疲弊させられていく。これは明らかに差別政策である。

⑦奨学金にお金がかかっていると言うが、日本の奨学金は単なる学生ローンである。返済された奨学金が必ず機構や国庫に入っているはずなのに、それが国民に知らされず、新規貸与額ばかりが知らされ、こんなにお金がかかっていると宣伝されている。

⑧奨学金財政が肥大化しているという問題意識の前に、文部科学省が少子化になっているのに私大の増設、学部新設をつい最近まで認め続けてきて、大学全入というバカな状態を作っていることが問題ではないか。最近問題になっている法科大学院も同じ。教育施設数ばかり増やして、質を低下させてきた。学生数は水ぶくれしていくわけだから奨学金が必要になるのは当たり前だろう。

⑨新設大学や学部新設というのは文部科学省の利権ではないかと思うことがある。学費抑制のための補助金を受け取っているにもかかわらずデフレ経済でも学費を上げ続け、学部を作るからと、その資金で超高層ビルを造ったり、バブル基調の建築物の新築に明け暮れている大学経営が、利権と言わなくて何だろうか。補助金の使途に厳しい制限がかかる社会福祉法人や混合医療を禁止されている医療などと比べると、公費を受け取ってやりたい放題不動産屋まがいのことをしているのが学校法人と印象を持たざるを得ない。事業仕分けが必要である。

⑩若者を社会貢献事業に漬ければ何とかなるという発想は、徴兵制で鍛える論者と同じ次元にいる。教育をそういう水準でしか理解していない人が、教育政策を決定しているというこの国のとんでもなさ。精神教育なんかやろうとする前に、学校にいる大学生には勉強させることを考えろ。

民主党が本当に政治主導などというなら、こういうことを考えて公表し固めたバカ官僚はクビにすべきだろう。業者選定にまつわるつまらない汚職をする政治家や官僚よりも社会に害毒を垂れ流す。こんなことやれば必ず日本国内の知的能力はどんどん低下する。

地方の優秀な学生が大都市部学ぶ機会を奪い、アルバイトと社会貢献事業への「奉仕」に明け暮れる状態にするなら、優秀な人材の供給源は明らかに細る。東京や大阪などの周辺だけの富の再生産が繰り返され、地方の優秀な学生は埋没し、地域社会の疲弊はどんどん深刻になる。国全体としては知的能力はどんどん低下する。あたかも、ピョンヤンに住む高級幹部の子どもばかり優遇される北朝鮮と同じような問題を抱えることになる。

●身分制度である激しい年功序列賃金をやめようというのが最近のあるべき賃金の議論になっているが、激しい年功序列賃金のニーズは子どもの学費を保護者が負担しなければならないというイデオロギー。激しい年功序列賃金がまずいというなら、西欧のように大学を絞って社会が負担するか、英米のように奨学金で大学に通い将来の本人による自己負担する、という方向に舵を切らないと、優秀/優秀でないということより、親の資力で教育が決まってしまう、つまり国力が低下する。そういう観点から、奨学金を絞ろうなんて発想はナンセンスである。

●奨学金という学生ローンが無利子だからと文部科学省が威張っていることについて、赤木智弘氏はtwitterで、デフレ経済の下では返済額を減額しないと利子が付いているのと同じ、と指摘している。その通り。

●取り立て能力も満足にないらしい奨学金の機構が、社会貢献事業への参加なんかチェックできるのか、という問題がある。そんなヒマあるなら、ちゃんと取り立てに必要な人を揃えろということだろう。

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10/20 議員の視察旅行は社員旅行として残せ

議員視察の報告書が盗作だという問題。盗作という点では問題だが、そもそも公費をかけて雇っている議員が、誰も読まない報告書を書くなんてことがばかげている。

議員視察というのは不可解なものだ。議員がぞろぞろ徒党を組んで、近隣自治体でも調べられるような内容について遠隔地に出かけていく。そして、遠隔地は迎え入れる自治体議員・職員がぞろぞろと粗相のないように歓迎する。どう見ても社員旅行でしかない。そう考えたら、地方議員が社員旅行の報告書を書くなんて自己目的化の三段重ねみたいなことはやめるべきだろう。

視察なんて正当化するから話がおかしくなるし、本来の視察は、議員として必要な人がやればいい。調査活動と呼べばよい。批判の高い議員調査費だが、そういう議員のためにあるものだ。

それでも数の論理、違う意見のつきあわせを生業としている議員どうしが旅行をすることに意味はないとは思わない部分もある。それなら議員視察旅行は、そもそも懇親旅行と名前を変え、一般の大企業の社員旅行のように年1回に絞って存続させたらどうかと思う。税金使って旅行するうしろめたさを隠すために視察なんて呼んで、相手先の迷惑になることはやめることだ。その代わり、同僚の腹の中をさぐりあうというのは政治家としてもっとも基本的な仕事なのだから旅行して遊ぶことはあながち無意味ではないので、社員旅行として一晩じっくり議員どうしでほどほどに遊んで腹の中をさぐりあうべきだと思う。もちろん今時の社員旅行みたいに拒否する権利も認めて。

●自治体議員になりたいと思ったこともあったが、4年に1度の選挙のほか、衆院選、参院選、県議選、知事選、市長選に応援にかり出され、また仲間の選挙の応援にかり出され、年4回視察に行くのとその準備、議会中は質問原稿をあげることと数の論理に追われ、議会のないときにはまた日本の有権者の殺し文句「聞いていない」という言葉に振り回されて何の利害関係もないのに偉そうというだけの人にまで「話を通して」おかなくてはならない労力、そんなことをかいま見ていくにつれ、意欲がなくなっていった。

●20代にシューカツとして議員を薦めている人がいるが、私はあまり感心しない。まずは問題意識と運動だろう。シューカツだけで入っては同世代の議員どうしで群れているだけの非生産的な人生を送る。当初はどこにでもあるような怒りに燃えることと政治力のなさのバランスとれてうまくやれると思うが、だらだら3期を越えていくと、自分の固定観念に凝り固まった中での思いつきしか話せない頑固で困った人になるような感じもしている。一方、だらだらしていない人も、逆に根拠のない変な可能性を信じて、より広域の選挙を早々と狙い、自爆する。
そうならないというのは、少し精神を病んだホームレスにさえ対等に謙虚につきあえるぐらい、自分を客観化できる人や、困った人の相談を利権に頼らずこつこつと解決していっている人ぐらいだ。

●議員の視察旅行を廃止せよとか言い出すのかも知れないが、私は上記の理由で全廃は反対。議員年金の廃止だけを声高に叫ぶ人もいるが、厚生年金に加入したり、他のサラリーマンと遜色のない保障が行われない限り反対。理由は、民間中堅企業以上のサラリーマン並みの条件を整えておかなければ、地主と専業主婦と高学歴ニートしか議員にならないし、現に今の地方議会に現役世代からの参入がほとんど行われないから、近所の悪口の言い合いレベルの議論しか展開できない。

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2010.10.21

10/21 橋下発・イクメン首長へのバックラッシュ

ほら始まったイクメン・バックラッシュ。

橋下知事、首長の育休は「世間知らず」 

イクメンがお気楽男のやること、みたいな印象ができてしまっていることのツケとも言える。

しかし橋下の言うことは間違っている。育児の体験もないような首長や公務員より、育児をした首長や公務員の方が信用できる。福祉政策を議論したり、児童福祉を論議しているときに、専門職でもなければ、妻に育児を任せきりにした公務員、首長で理解しあえる議論ができる人は少ない。育児体験もないような人が福祉政策をコンサルタント会社と勝手に作っているといのうでは自治体政策が良くなるはずがない。

また、育休はじめ生活にまつわる負荷を働きながら担っていくということを、競争にさらされ、日本のように労働者の労働条件を企業内組合との交渉で決める民間営利企業の労働者が先行してやっていくことはまず不可能。モデルケースを作って社会に普及していくという意味では、男性の育児休業などは公務員からやらないと始まらないだろうという気がしている。その辺は、公務員を優遇するための賃金労働条件の改善や権利取得とは話が違うと思う。休息権としての休暇・休業とは違うのだから。

そういう意味で、橋下がどういう子育てするかは勝手だし、その橋下の家族が不満なら家庭内階級闘争でもすればいいと思うが、何もしていない橋下が、育児に対して、首長はこうあるべし、公務員はこうあるべしというのは、この福祉を必要としている社会においてあまりにも問題が多いと言わざるを得ない。

●追記・赤木智弘氏のtwitterが冴えている。
育休は「仕事を休むこと」ではなく、「賃労働ではない労働を担うこと」です。世間を知る前に、男性が社会の中でちゃんと働く社会を整備するのが行政の仕事。:橋下知事、首長の育休は「世間知らず」: http://bit.ly/bpKbi8
23分前 YoruFukurouから
「世間の常識」で知事が勤まるなら、楽でいいな。というか、タレント知事の大半は世間の常識を見方に付けて、社会を停滞させ貶めているのだろう。
21分前 YoruFukurouから
では、男性が育休を取らないとして、その労働は誰が担うのか。女性でしょ。「女性が子育てするのが日本の現状だ。世間を知らなすぎる」と橋下は言っているわけだよ。
18分前 YoruFukurouから
全くその通り。

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2010.10.18

10/18 仕込みの街頭インタビュー

テレビの街頭インタビューが仕込みだったという事件で、キー局が謝罪。

最近、多用されている報道番組やバラエティー番組の街頭インタビューに不自然さを感じていたので、そうなんだろうと思う。

難しい質問であれば、仕込んでおくのだろうし、回答しやすいものであれば街頭で数集めてテレビ局のチョイスにあったものだけが放映される。小沢一郎の一件や、当初はそんなに反発のなかった菅首相の消費税発言などは、そうした演出によって世論が形成されていったように感じざるを得ない。

結局、あれはチョイスする側のテレビ局職員が世の中こんなもんだ、と見ているバロメーターと言ってよい。そのときに法や人権感覚、ムラ社会的な先入観に満ちている発言ばかり流れたら、この番組の制作者はその程度の視点で報道番組を作っていると理解すればよい。

また、テレビで街頭インタビューが流れたら聞き流すことが必要。NHKは特に。

●先日、医療ツーリズムに違和感を書いたら、医師の友人からメールをいただきました。
私はたらい回し医療を想定しておぞましく感じたにとどまっていましたが、医師の友人いわく、「医療は、どんなに先端でも、水と電気と、専門家がいれば、どこでもできてしまう代物です。医学教育は、ほぼ世界でほぼ同じ水準。これは、先進国だろうが、発展途上国だろうが、同じで、あとは、材料が手に入るかどうかの問題です。材料が手に入れば、同じ内容を、物価の安い国の方が安く提供できるために、メディカルツーリズムが成立します。物価の安い発展途上国にとっては、先進国からの患者からふんだくって、医療施設を整え、スタッフを確保することができます」ということで、先進国の人々が発展途上国が手塩にかけて育てた医療資源を経済力で奪うということを意味すると教えてくださった。
まったく、そういうことだなぁと思いました。
これが純粋な新自由主義者の手にかかると、医療で落とした金で発展途上国の経済力が上がり次の医療資源が・・・などと言い出すのだろうけど、発展途上国の医療人材の育成ペース5全体の国力の向上ペースが追いついてなにければ、専門家養成が追いつかず、資源の収奪という結果にならざるを得ないのだとも思います。日本国内でも地方大学の医学部を出た人が東京でしか働かずに大問題になっている話と同じことです。

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2010.10.16

10/16 埼玉県議会自民党が6年も合併市の選挙区を放置すると決定

来春の県議選 選挙区・定数とも現状維持へ

来年春、埼玉県議会議員選挙があるが、現職の自民党県議どもは自らの利権を守るために、いびつな選挙区制度をそのまま放置することを決定したようだ。

問題が大きいのは、2005年には市町村合併しているふじみ野市と、春日部市。今回、初めて合併後の選挙となる久喜市、加須市、行田市も問題が大きい。
すでに合併後の2007年にも、旧市町村のまま選挙区を放置したまま選挙を行った。今回も放置して選挙となる。

一体感とかいろいろ問題があるが、同じふじみ野市民や春日部市民なのに選挙区が違うとなると、候補者が知人の紹介や名簿の提供を受けても、その名簿が選挙民かそうでない人なのか、地域事情の詳しい人しかわからず、普通の人の政治参加、選挙参加を阻む結果になる。結果、旧市町村ごとのなわばりやコネを知っている人だけが選挙を優位に進めるというバカなことが起きてくる。

市町村合併はさまざまな混乱を市民や市職員などに押しつけることになる。それでもメリットがあるということでやっているはずで、議員たちだけがいつまでも、何度も旧市町村のなわばりを後生大事に守ってシューカツしているなんてふざけた話がよく通ると思う。埼玉県の民主主義が低レベルな証拠である。

それから市町村合併で、合併に必要な施設建設などを行うと、交付税の増額という、本来の地方交付税の趣旨をねじ曲げるような裏補助金がおおりてくる。関係者はそういうものにたかって市町村合併を推進したわけで、おいしい話は推進して、にもかかわらず自分のシューカツだけば例外にしてくれというのは虫がいいようにしか思わない。

有権者に混乱を押しつけ、新参候補を圧倒的な不利に追い込むような、今回の埼玉県議会自民党の対応の悪さは痛烈に批判されるべきだろう。ふじみ野市や春日部市の当該選挙区の自民党候補を全員落選させるような有権者の厳しい審判が必要だ。

●身近な生活関連の政策決定に仕事のある市議会はともかく、県議会って必要なのか。市議と違って、政党活動が仕事の大半になっている県議会議員を月60万かけて雇う価値ってあるのかと思う。

●阿久根市議会で議場を実力で閉鎖した市長派の議員に処分、そのうち2人は除名という厳しい判断。あほ市長のためなら何やってもいい、と考えているような彼らに厳しい制裁したい気持ちはわかるが、すでに市長解職もほんど決まり、あとは少数派市議でしかなくなる彼らに除名はやりすぎだろう。反対者を安易に排除するということを議会はすべきではない。
小室直樹が民主化後のロシア国会の混乱を、「議場で争うというのは議会に価値があるからだ」と表現していた。

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2010.10.15

10/15 大村秀章衆院議員、思いとどまれ

名古屋の河村市長が、大村秀章衆議院議員に知事選挙の立候補を要請。それに対して大村氏は即答を避けている。

河村氏と友人であろうがなかろうが、年越し派遣村で汗をかき厚生労働関係に造詣の深い大村議員が、減税が第一の公約の政治勢力から立候補要請を即座に断らないというのは、自己否定につながらないのか。
社会保障、労働関係の施策は、企業福祉、家庭内福祉を多用して小さな政府路線をとってきた日本で、行き詰まりを見せている。多少なりとも社会保障について知識がある政治家なら、減税はできるわけがないと知っているはずである。

減税するなら、社会保障の大幅な縮小をやるしかない。それが誰もがやりたがらない厚生労働関係の細かいけれども当事者には生死を分ける大事なことである政策調整に携わってきた大村氏の政治家としての価値をどれだけ落とすことになるのか。河村氏の要請による立候補など、ぜひとも思いとどまってほしい。

●少し遅れた話になりますが、吉野川河口堰反対運動のリーダー的存在であった、姫野雅義さんが登山事故で死亡という報せ。徳島県知事選挙のときに、いろいろ話を聞かせていただいたが、穏やかな方でした。本当に残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。

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2010.10.14

10/14 今日的公務員問題を凝縮した権丈善一教授「総定員法の弊」

東洋経済コラム「経済を見る眼」に慶大の権丈善一先生が「不磨の大典「総定員法」の弊」という文書を書いている。

総定員法に基づいて各省から定員要求の査定を行う総務省行政管理局に期待されていることは、「社会経済状況の変化に対応して、スクラップ&ビルドの原則の下、行政需要の減退しつつある部門を廃止、縮小して、新しい行政課題に対応した組織を新設する」ことであろう。しかし、府省間の仕事の軽重を計る作業は「言うは易く行うは難し」であることは容易に想像がつく。いきおい府省間の人員配置は「現状」が強い基準となり、スクラップ&ビルドは各府省内に任せる傾向が生まれる。
 結果、行政需要が増えゆく府省の人員は余裕を失っていく一方、行政需要が減少する府省では人員が余り、仕事を求めて活発に動き始める。そうした力学を強く働いていることを感じるのは、この6月に医療ツーリズムをはじめとする医療の営利事業を提案した経済産業省『医療産業研究会報告書』を眺めたり、かえって同省、その前身の省が年金の民営化や基礎年金の租税方式化を唱えていたことを思い出すときである。
 さらに、総定員法による国家公務員の定員制限は、国の業務を地方に押し付けるという形で、地方にシワ寄せが及ぶ。そうして、国は総定員法の縛りを受け、地方は財政の縛りを受け、ともに人件費が「物件費」に計上される非正規雇用を増やし続けた。今やハローワークの職員の6割が非正規労働者となっている。しかも非正規の公務員は、私企業を対象としたパート労働法の適用除外である。ゆえに、民間の非正規労働者よりもひどい待遇になりがちであるため、官製ワーキングプアが生まれ、現代の貧困の温床ともなっている。
 総定員法は不磨の大典と化しているようで、行政需要に応じた人員配置という視点など永遠にありえないのがこの国らしさなのであろう。

「官僚たちの夏」のような働き方のなくなった官僚が余計な仕事をし、厚生労働省のような官庁がめちゃくちゃなサービス残業をして袋叩きにあった上に、世論を利用した検察特捜によって犯罪集団に仕立て上げられるのでは、世の中良くなりようがない。
機械化、システム化、海外移転でコスト抑制できる製造業のビジネスモデルだけが喧伝される中で、コストや人員の数値目標による削減ばかりが可能かのような夢物語が公務員やサービス業全般に適用されて、仕事の内容や質や変化を全くもって無視してサービスを供給し続けている。政治家や、サービスを受け続ける国民によって、そのしわ寄せがとんでもないところに行っている。

まったく。

●先日、医療ツーリズムという言葉を聞いて、ぎょっとした。
長期入院が必要なのに追い出されたり、リハビリがあればもう少し自立できるのに中断されている人は、日々、医療ツーリズムである。
転地療養ならともかく、ほうぼう訪ねまわって医療を受け散らかすものなのだろうか。たとえ受けられない医療があるからと移動するにしても、ツーリズムなんてものではないように思う。

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2010.10.13

10/13 鈴木亘氏の再評価は中止。相変わらず改革勢力vs抵抗勢力の新自由主義神話

文芸春秋の鈴木亘・学習院大教授の保育所の論文を読む。

少しはまともになったかと思ったが、やはり勧善懲悪物語。東京の公立保育所にお金がかかりすぎるという話をむりやり待機児童問題に結びつけ、世間のルサンチマンに呼びかけて、自らの経済イデオロギーを押し込むパターン。

とにかくこの人の頭にあるのは民=効率的、公=非効率という決めつけと、世の中改革勢力対抵抗勢力という単純な社会に対する理解。
民と公は統治・被統治の関係しか思い浮かべられないのかも知れない。それぞれ一長一短あって、その時々にその目的に応じて使い分けるべきものだと私は思うのだが。

儲かりもしなくて、労働集約型産業で、ガバナンスが容易でない保育所事業は、公費の積み増しがなければ儲からず、人件費が高騰すればたちまち経営方針を転換しなければならない。規制緩和したからと、バウチャー制にしたからと、容易に公立保育園以上の質の保育事業者が参入するとは思えない。
いきがかりに思い入れがあったり、脈略のある人が経営していない限り、長続きしない。
下手な小細工をして、制度を複雑難解にしたり、収拾のつかないトラブルに備えながら民間参入を無理矢理促すことがどうなのかと思うところもある。
規制ゆるゆる民間参入促進路線をいくらやっても効果がないと私は思う。あまりやりすぎると、劣悪事業者を招き入れる危険性が排除できなくなる。
それより、待機児童問題が問題なら、保育所が増えるかだけを考えるべきだ。いくらやっても事業者が出てこないなら、明治期の鉄道建設や製鉄事業ではないが、東京都内では公立保育所を肯定して公立保育所の新設を求めた方が問題解決が早いのではないかと思っている。そもそも23区全体では税金が余っており、保育所が思うように増えないのは、コストの問題より、土地取得や、開発とのバランス、住民の専業主婦率の高さなど、もっと別な複雑な問題があると考えた方がよい。

鈴木氏のような勧善懲悪物語を信じて改革やってみて、今の保育所にまつわる諸問題、特に、最大の問題となっている待機児童問題が解決するんですかということ。この問題、そんなに甘い問題じゃないというのは、いろいろな話を聞くとよくわかる。

●また鈴木氏が取り上げる事例が、分権のゆがみというか、保育料2万円で保育コストが50万円などと指摘するが、これは東京の自治体の独特なやり方のせい。それを厚生労働省の周辺に圧力団体が暗躍しているというような評価の仕方は、保育制度について全く理解していないとしかいいようがない。厚生労働省はこのような極端な保育料とコストのアンバランスを認めるような路線は敷いておらず、むしろここ10年は逆方向の施策を打っている。平均所得が300万円ぐらいの自治体で、月5万円以上の公立保育所の保育料を徴収するよう指導している。東京の極端な話は、地方分権的な文脈のなかで形成されてきたもの。

●鈴木氏が保育所不足で苦しんだいわれが書かれて、それはそれでよかったが、どうも話の内容から武蔵野市ばかり出てくる。
富裕層が住み、専主婦率が高く、安価に保育所を整備できた高度成長期に十分に整備してこなかった自治体。そういうところが急に共働き率が高まり、保育ニーズが急激に発生して困っている。認可外保育所などの緩和的なシステムも十分に地域に育っておらず、ひどい思いをするのは当たり前という状況。つい最近まで、給食もなかったという。
共働き+子育ての人が住むべき街と住んではならない街とがある。

●鈴木氏を再評価できるかと思ったが、やはりダメ。もっと役に立つ議論をしてほしいものです。

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10/13 何か起きているんではないか

チリ鉱山の救出、いいニュースだが、どうしてこんなに報道されているのか、疑問に感じる。

今回の話はおめでたい話ばかりではなくて、チリで鉱山の規制緩和が行われ、安全対策の不十分な中小事業者がたくさん参入したため事故が頻発しているという話もある。そうしたことが伏せられて、今回のおめでたい話ばかり。不自然である。

白装束事件のときもそうだったが、何かあるんじゃないかと穿って見てしまう。

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2010.10.10

10/10 そりゃ高級官僚がみんなの党をあからさまに応援するようなことをしていれば

どう考えたらよいかは人それぞれ。

もの言えば…月内退職迫られる 政府批判論文の経産官僚

この経済産業省の官僚は、例の高橋洋一なんかと連んでいる人でしょう、ということになると、やっていることはみんなの党への援護射撃となる。

私は、日本の公務員制度が政治から一定の独立性を持つことを求められている制度になっており、そうした制度設計の根幹には官僚型公務員が想定されている。明らかに従業員的な事務職公務員ではなく、まさに政策決定に関与する高級官僚としては、当然そういうことをありうることとして覚悟しておくべきものではないかと思う。

政策決定に何の関与もない事務職国家公務員が、高級官僚と同じルールで同じ水準のモラルを求められて、業務に何の影響もない休日に選挙を支援しただけで裁判沙汰になったり、ときには有罪判決を受けたりしている。今回この記事を書いた記者は同情的だが、過去アエラ誌上で公務員労組の政治活動が云々批判したことなどと比較すれば、なお高いモラルを求められる高級官僚が諭旨免職的な扱いにされることはとりたて不当とも思えないように思う。

●一方、しかし、公民問わず、エリート従業員に一定の言論の自由を与えてフリーに会社の未来を話せる雰囲気を作っておかないと会社がつぶれてしまうという現実もある。

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2010.10.09

10/9 長野・熊本県議会が議員選挙でのマニフェストの配布解禁を求めて決議

武蔵野市議の川名ゆうじさんのHPからの情報。長野県議会と熊本県議会が、選挙期間中のビラ(マニフェスト)配布とHP更新を可能にするよう意見書を可決したという。

自治体の首長選挙でマニフェストというかたちであれ、有権者と文書によるコミュニケーションが再開されたことは良かったと思うし、それを見て自治体議員が自分たちも情報を伝えたいということになったのは良いことだと思う。

今の選挙のままでは、選挙期間中には街頭演説会と電話かけしかできない。結果、動員型かコネ型選挙が横行し、何か基準をもって選びたい候補者はうんざりして投票に行かないという結果になっている。

自治体議員の候補者が何を公約にしているのか問われながら選挙を進める時代にすべきだと思うところで、こうした長野や熊本の県議会のような思いは大切なことだと思う。

首都圏はちくりあいばかりでこういう動きになかなかならない。自治体がどうなっても関係ない住民が多いからだろう。

●こうした選挙を形成してきたのは昭和初期、普通選挙におそれた内務官僚が、選挙にかかるコストを抑制するという名目で、文書と戸別訪問を規制し、有権者と政治家との直接的な政策コミュニケーションを制限したからである。だから選挙の評価基準は長く、人柄、頼りがい、見た目、人格に終始し、所属する政党や政策ではなかった。選挙のスタイルも、町内会、PTAなど地域団体の幹部や、労働組合の地方幹部に必要以上に礼を尽くし票をとりまとめてもらうということをしなければならなかった。そして労働組合と農民組合以外は、自民党と役所の関係の中で支援団体のなわばりを分けて、自民党の候補者の数を適度に調整してきたのが中選挙区制である。

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10/9 鈴木亘先生が宗旨替えか?

これまでオリックス宮内流の構造改革・規制緩和の残骸みたいな話しかしない鈴木亘が、今度は文芸春秋に記事を書いたらしい。

学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) 迷走を続ける社会保障改革へ怒りの提言
公立保育所の給料が高すぎる 2010/10/8(金) 午後 10:38
文藝春秋11月号に、「待機児童八十万人の元凶:公立保育所の給料が高すぎる」と題する記事を書いた。どんな雑誌でもそうであるが、タイトルをつけるのは雑誌の編集部の権利である。正確に内容を反映するのであれば、「公立保育所の運営費用が高すぎる」、あるいはもうひとつ、「認可保育所の公定価格が低すぎる」と入れるべきかもしれない。ご参考までに。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

あれ、鈴木先生、昨年の週刊ダイヤモンドの記事では、認可保育所自体が利権の巣窟になっている構造でコスト高、待機児童を発生させると書いたのではなかったのですかね。
公立の保育所か保育士かはともかく(どちらにしても保育所の経費のほとんどは保育士・調理員などの人件費のかたまりなのでほとんど同じ意味)公立園がコスト高という議論をふっかけたのはともかくとしても、認可保育所=悪の巣窟という決めつけから、認可保育園の公定価格が低すぎるという主張に変えたわけですから。
本文を読んでみないとわからないが、主張を変えたなら、過去のご自分の理論を修正されるということでよろいしいのですね。
それなら共通の議論の土俵ができたと思い、歓迎するところです。

●いずれにしても、今の認可保育所制度は、公費によって運営される事業として、民間参入を阻んでもいないし、地域社会が公営の保育所がよいと思えばそれでも整備できる、国の制度にしてはフレキシブルな制度であり、小泉構造改革派も私のような彼らのいう抵抗勢力派も共通に乗れる基盤ではないかと思う。結果ややり方にいろいろ問題点があったにしても2000~1年の規制緩和の着地点、民間参入は促すが認可保育所制度を維持して質に関する数字的規制は必要、というところが社会合意だったのではないかと思う。
今の問題はやはり需要を超えるサービス量の確保である。
認可保育所の是非をめぐって不毛な議論をしてきたのは無駄だと思うし、今の民主党政権も幼保一元化や規制緩和という自己目的化したドグマのためにまた無駄の道を走りつつあること、よくないと思う。

●コスト高でも自治体が公立保育園を運営し維持ないと、他に誰も保育園を経営したがらない、という問題をどう考えるべきなのだろうか。保育所が利潤をあげない限り民間参入などめざましくは起こらない。公費でまかなわれる保育所が利潤をあげるということは、税金で利潤を保証するか、税金で補助したものから人件費のピンハネを認めるか、どちらかになる。そんなことを認めたら、それこそ利権構造のできあがりである。それが小泉構造改革派の論理矛盾に行き着く。

●コスト論でやるなら、公立保育所の保育士の人件費が最後に問題になる。これについて、地方分権を前提にするなら国レベルの問題にすべきことではないし、よく考えると保育制度ではなくて公務員制度、とりわけ富裕自治体の公務員制度の問題である。
しかし保育士は、看護師のように専門教育と実習を繰り返して受けて就職した資格職であり、引き下げ派が大好きな同一価値労働同一賃金の職務給の原則を貫徹させて年功序列賃金をやめるか緩和したとしても、大学時代に文系大学で何勉強してんだかわからないで、シューカツしかしなかった人たちよりは高い賃金にしないとバランスが悪くなる(そうでなければ女の職場だからというジェンダーバイアスがかかっているとしか思えない)。したがって民間認可保育所含めてさらにコストは上げざるを得なくなる。そんな問題もはらんでいる。

●待機児童問題があるからこそ、首を長くして民間参入を待ち続けるのではなく、積極的に公立保育所を開くべきではないかと思うことがある。問題は財源と、ここのところ運営の官僚化著しい公立保育所のマネジメントをどうするかという課題だと思う。
コストの話では、ここのところ団塊の世代の大量退職や、非正規化で保育所の人件費コストは大幅に低下していると見込まれる。

●待機児童問題をコスト高にのみ原因を求めるのはそろそろ限界だと気づいてほしいものだ。それよりこの国の政府は先進国にふさわしいだけの社会サービスを維持するだけの財源を持っていないということだ。

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10/9 郊外型大型店の問題ではりふれ派も新古典派も同根

若手の経済学者に尊敬できる人が少ないなぁとつくづく思う。現状打破しようとしながらも、ステレオタイプな理屈におぼれすぎ。

今度は飯田泰之。

大畠章宏経済産業相が、商業の大規模化で地域社会が崩壊している現状をみて、大規模小売店舗法の復活のようなことをぶちあげたら、twitterで、

そしてやっと出た「成長戦略」は大店法復活ですか……もうなんだかすてばちな気分.
約5時間前 webから
地元商店街はオーナー家族以外の「雇用」は作りませんが,大規模店は商店主の家族以外にも雇用の門戸を開いてくれます.民主党の「地域社会」における市民は地主階級のみ.古代ローマみたい.
約5時間前 webから
規制開始時点の有力者様の支配が続いたあげくの「地域社会の崩壊」だった気がしてならねぇ.
約4時間前 webから
で寄せられたコメントを引用し
torakare 「自生的に」発展していった経緯をよしとするなら、必要なテナントを入れたり、不要なテナントはなくしたりしながら生まれ変わっていく大型店舗も、ひとつの街のように「自生的に」発展していくもの。大店法の変遷が、実際にどういう「影響」を与えたのか、その効果についての確かな研究に触れたい。
約4時間前 webから
iida_yasuyukiと6人がリツイート
そして飯田氏自身のコメントで
主業農家ではない農家を保護し,商店街のオーナーを保護する.これが何を意味しているのかみんな理解しているのだろうか.
約4時間前 webから

と。抵抗勢力と結託した民主党政権が商店オーナーや地主支配を追認している、という文脈。現実と違う。中心市街地の崩壊の理由も根拠のない、旧支配層の問題と片づけてしまっているのも安直。

大規模店が雇用を創出するというが、地域社会での需要が一定のもとでは、大規模店と旧来の大規模店、大規模店と中心市街地とのゼロサムゲームをやっているだけで、旧国鉄のビジネスモデルのように中央資本が店舗で赤字を垂れ流して、失業で寝ている人を起こすことをしない限り、経済の総量は変わらない。自営が雇用、それもサービス業につきまとう非正規・低賃金労働に置き換わるだけである。

おまけにその雇用たるや、それだけでは食べていけない低賃金、社会保険なしと、ほとんどボランティア並みの雇われ方しか生まない(この間、関係労組の努力で少しずつ是正はされているが・・・これも抵抗勢力の悪あがきなんて言われそう)。これを上場企業がやるような雇用と呼ぶのかね、と思ったりもする。

新規雇用の量が善で、質やそれによって失われる雇用や業を問わない、新古典派&りふれ派のいかがわしさを感じる。

飯田氏が決めつけているような中心市街地の商人たちがそんなに金持ちかというとそういうことでもないし、家族しか雇用を作らないという言い方も実態ではない。そこはそこの多少の従業員がいるものだ。また、小商人が生きられる社会というのは、新しい商売をやろうとしている人のインキュベーダーにもなる。インキュベーダーなしに経済の新陳代謝は起こらない。大規模店の雇用にぶらさがるしか、商業に関われないとするなら、ひどく官僚化した社会になっていくだろう。

また、郊外型大型店などの開発は、働かないで食べようとする地主たちの利権そのもの。市街化調整区域の市街化区域の編入や、農地の市街化区域への編入など、さまざまな黒い噂がたえない。さらにそこに行政コンサルタント会社が8桁のコンサルタント料を税金からふんだくって作り、公式あてはめ型の地域経済活性化の分析が自治体に持ち込まれ、3年で異動してしまう市の職員は何となく信じてし、市政の決定権を握っている人たちの野望を追認してしまう。そして土地持ちは農業をやめてノーワーキングリッチになる。

まちづくり全体の責任を負わない農業委員会が、農地を市街地に編入する決議をしてしまったことで、道路や上下水道の整備、果てはコミュニティーバスの運行開始など、自治体に思わぬ負荷がかかることにもなる。

中心市街地の価格が高いことを問題にするが、土地価格は考え方が変わって土地の収益性に比例するようになったものの、いまだにその着地点は相対的に決まるもので、商業の収益のうちどのくらいが土地代や家賃に消えることが妥当かという基準で決定しているものではない。
したがって、中心市街地の土地持ちたちの都合のために高止まりしてしまっているというのが現実だし、逆に福井市のように中心市街地の土地価格が崩壊したところでは、インキュベーダーみたいになっている商店街も出てきている。

大規模店が蔓延することは消費者者主権の改革のゆがみとかそういう議論ではなく、土地を持っている人間だけが楽して生きられる土地神話に原型がある。それはもまさしく最も壊さなくてはいけない古いパラダイムではないかと思う。働かない土地持ち不労所得者のために、低賃金雇用が蔓延したり、地域企業が低収益化することが進歩なら、社会なんか進歩しない方がいいに決まっている。

●どういうことが人間にとって安寧で幸福なのか、ということを無視して、ピカピカなもので改革派っぽいものでシステム化されたものが善、古くさくて昔からあるもので非システム的なものが打倒すべき象徴という決めつけ方をするのが、鈴木亘などの新古典派と、飯田泰之などのりふれ派の共通するダメさなのだろうと思う
経済学が何でも理解できるというおせっかいな位置づけが、各々の分野でさまざまな議論を積み重ねていることをすべて無視して、昔のマルキストみたいに理論の公式をあてはめようとするドグマ主義に陥っているのだと思う。かつてマルクス主義に依拠する活動家や大学教授が、経済理論や哲学にとどまらず、子どもの育て方(発展段階論を発達段階論にあてはめ)まで理論のパターンのあてはめをされて大迷惑した経験を思い出す。
そういう原理原則を知っている者が改革をしてやるんだ、という態度が、大粛正や文化大革命を引き起こす。

●飯田氏が引用し同感を示した投稿に、テナントが入れ替わり街をつくる、というものがあったが、そういうことをやっている郊外型大規模店は衰退している。開店当初はそういうことをやっても、やがてはテナント料を払えなくなって、全国どごにでもあるチェーンのテナントに入れ替わっている。

●郊外型大規模店を展開するようなナショナルチェーンのスーパーの納入業者のおかれた状況を知っているのだろうか。経済学者様は個別分野のことなど知る必要はないのかも知れないが、こんな問題がある。
日経ビジネス 公正取引委員会が牽制する「センターフィー」問題
納入業者は、商品の円滑な納入の責任にとどまらず、改装時や繁忙期の労働力の供出までさせられ、商品納入がやむを得ない事情で滞れば損失補償を求められ、不公正取引の巣窟と思ったことがある。それでメーカーや問屋のスーパーに納入する部門は、値付け加工など手間のかかる作業をさせられたり、商品管理のシステムを買わされ、市場占有率の維持のためだけの赤字取引となっている。
メーカーや問屋は、地域の商店に供給している限りは、今回はごめん、次から気をつけてくれよな、で済んできたが、大型スーパーが支配する消費社会になって、取引関係がギスギスした信賞必罰の関係に置き換わる。営業マンは休暇がなくなった。
それでも最後にスーパー自身が儲かって、地域社会に税金を納めたり、賃金として分配するなら多少救いがあるが、大して儲かっていないというのだから、それが社会進歩と決めつけるのも、何だかなぁと思わないものなのだろうか。
郊外型大型店に関わって働く人々の何ともいえぬ荒涼とした感覚は、その周辺で働いてみないとわからないものだろう。
※「公正取引委員会 スーパー」と検索するとびっくりするくらい事例が出てくる。

●次の世代がクルマを買えなくなったり、ガソリンがペットボトルの水以下の安価で手に入らなくなったり、次善の策の原発増設&電気自動車の普及がうまくいかなくなってしまえば、郊外型大型店のビジネスモデルは崩壊する。やむなく郊外型大型店にとぼとぼ歩いて買いにくるおじいさんおばあさんの姿が普遍的な姿となれば、あの買い物は多くの人にとって苦痛でしかない。

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2010.10.08

10/8 国会内の写真撮影を問題視しない小池百合子はまとも

蓮舫参院議員の国会内でのファッション雑誌の撮影を突っついた片山さつきが、同じことをしていたという。

イチャモンみたいな批判をして、実は自分もやっていたなんてことは、忍法ツバメ返しそのまんま投げた本人に大当たり、万年野党体質の第一歩だと思う。

●こういう問題に関して「外国ではコンサートだってやっている」と突き放した小池百合子の感性は正しい。

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10/7 開かれた国会のため、しばらく選挙のない蓮舫が国会で商業雑誌の写真撮影して何が悪いのか

日頃、あまり興味のない蓮舫参院議員をかばわなくてはいけない。

蓮舫大臣、国会でポーズ…ファッション雑誌用?

蓮舫参院議員が、ファッション雑誌の撮影に国会を舞台にしたということが問題になっている。参院事務局が「商業目的なら許可しなかった」などと言っているのも何か変。日本社会での公私の峻別の議論があまりにも下らない水準で行われているというような話だと思う。

私は、国会内でファッション雑誌の撮影をやることの何が問題なのかよくわからない。国会が開かれた場であるなら、選挙を意識した時期でなければ、そこで撮影されたものがどこに掲載されようと、問題無いのではないかと思う。こんなつまらないことで駆け引きやっているヒマがあるのかね、と聞いてみたい。本筋の話で与野党ギリギリやれと。民主党もこんなつまらないイチャモン突っぱねろ。あわせて自民党が同じことをやっても許容しろと。

日本での公職にあたる人に対する、小学校の学級会の反省会みたいなこうした議論の幼稚さにはほんとうに辟易するものだ。そういうことを通用させている国民世論も成熟しなければならないのだろう。

●こういうイチャモンレベルのことがまじめに議論されているから、本当に大事なことを議論する時間がない。

●政治業界は、地域では町内会から始まって国会野党に至るまでこういうイチャモン体質が染みついていて、イチャモンの避け方交わし方と公職選挙法のくぐり抜け方と坂本龍馬のまねの仕方しか知らないバカ議員が改革派として威張るような業界になってしまっている。もったいない。

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10/7 カタストロフィー的ローコスト社会理想論の陥穽

愛読している「公務員のためいき」というブログで、自治体の現業職員の職場環境の変化と組合活動の変化について書いた記事に対して、こんなコメントが載っていた。

国の機関に勤めるものです。毎週、拝見させていただいています。久々にコメントさせていただきますが、今回は現業職員のお話でしたが、本質的なことを言えば、公務コストの限りない削減の一つの現象に過ぎないと思います。今後、グローバル競争に対応できず、税収や個人所得が増えないと予測され、小子高齢化が急激にすすむ日本においては、ローコストで生活できるようにすすめていくしか選択の余地は無いのかなと個人的には考えています。実際に、名古屋市長のようにそれを徹底的にすすめようとしている首長も出現しています。その流れで言えば、警察や防衛、医療関係を除き、今後、公務労働者は少数精鋭になっていくのかなと思います。もちろん議員も含めてですが。高齢者等を活用したボランティア職員も遠い話しとは思えません。残念ながら、社会的に必要性が高い職種というものは、時代とともに変遷するものであり、公務員と言えども同じではないでしょうか。
投稿: syouganena | 2010年10月 6日 (水) 02時54分

このコメントには、今日の緊縮財政論者のエートスみたいなものが詰まっていて、このコメントに対する意見をまとめると、今日的な行革談義的なものに対する違和感を整理できると思った。
まず、文体全体がていねいで、一定のソフィスティケイトされた階層のコメントと思ってよいのだろう。

しかし、グローバル競争を自明のものととらえていること、グローバル競争がゼロサムゲームという前提をたてているということ、内需と外需のバランスをつかんでグローバル競争の意味をとらえていないことに問題があるコメントといえる。
名古屋市長を評価するとなれば、財政が立ちゆかなくなってるのに、減税で金持ち市民から税収をばらまいてしまうことを評価してしまうのも理解できない。
公務が少数精鋭になるとすれば、それは国家官僚モデルしか公務員がいないということになり、福祉国家からの逆行になる。それは先日記述したが、泣き叫ぶ子どもを背負って仕事しろ、とか、要介護の親は姥捨て山に捨てろという論理にしかならない。なぜなら月給取りで地域社会に返すものがないような大多数の今の日本人にとって、世田谷区のような有閑マダムと資産家がいて、その上でボランタリーが恵まれた地域に住まない限り、仕事を辞めなければこうした公的サービスの支えなしには生きられないというのは明白だからだ。公的サービスがなければ自前で福祉をやらざるを得なくなり、結果として働く意欲や能力のある人を生活保護受給者に転落させていく。それは働かない公務員を作るようなものであり、公務員を多めに配置して多くの人の自立を支えるよりもっと非効率な選択だろう。
またとんちんかんな公務員絞り込み縮小均衡経済論は、正規職員になれる公務員が絞られ、その身分が希少価値化することから、結果として自治体の雇う非常勤職員をより増やすだけになり、正規職員公務員の官僚化を促進することになる。

また小野善康阪大教授の主張する経済学説によれば、人が効率よく社会生活を営めるような仕事を新たに作るのであれば、不況下において公務員が多い社会は経済を圧迫するどころか、経済の安定、デフレ解消に役立つと言う理論もある。

大局観的なローコストで生きられる社会というのは、今の民主党の言う「無駄は必ずある」に近い夢物語で、それを無理矢理実現しようとした暁には、そのしわ寄せはサービス業など労働集約型産業に集中的に現れ、労働者の非正規化がさらに進み、結果として福祉ニーズを誘発して社会的な負担を増大させる結果となる。

●「公務員のためいき」は、いずれの立場でも感情的な議論になりがちな公務員の労働問題を、格調高く丁寧にかかれていることに毎回敬意をもって読んでいます。
個々の自治体の公務員の労使関係に関心があって、労働組合側がどんなこと考えながら組織を運営しているのか、考えるのに非常に参考になっています。

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10/7 また鈴木亘が厚生労働省官僚陰謀史観の展開

学習院に、鈴木亘という同年代の困った経済学者がいて、いわしの頭も信心というか、小泉構造改革的なものを崇拝し、それに抵抗するものは問答無用で抵抗勢力だと、およそ学者らしからぬ先入観丸出しの評論を繰り返し書いているので、このブログでさんざん批判してきた。

最近また、朝日新聞社の論座のウェブサイトで、長妻昭前厚生労働大臣が続投できなかったのは、官僚を中心とした抵抗勢力のせい、みたいはバカなことを書いている。厚生労働省の官僚が悪いと書いていれば何でも許されると思っているらしい。学者・研究者としての資質はわからないが、政治評論としてはそれで成り立つのだろう。しかしレベルが低い。そんな内幕話なら、政治評論家や政治家周囲からいくらでも話を聴けるし、正確な情報があがってくるが、政治の当事者でもない鈴木亘という若手学者が書くべきことか、私には違うように思う。第一、証拠がない。

今回長妻昭が厚生労働大臣を続投できなかったのは、単に官僚を統制することしかやっておらず、社会保障に関しての発展的ビジョンを作成する作業を怠ってきたからだ。また社会保障制度は、人権を保障するものであり、その制度の背後には、空気や水のように制度を必要としている人々がいて、ぬくぬくと学者をやってこれたような人間には理解できないような切実な課題があり、長妻昭の考えるような乱暴な改革提言など、およそ社会不安を引き起こさざるを得ないものだったのではないか。

また厚生労働省の官僚をこけにするような言い方をしているが、長妻昭や行革系民主党国会議員なんかより、はるかに厚生労働省の官僚の方が、現場に足を運び、ときには官僚を手厳しくののしるようなインディーズな受益者団体とも意見交換をしている。それだけのことを民主党の国会議員や、秘書、事務局がしているのか、と思ったりする。

それが官僚が圧力団体におしまける抵抗勢力、無知な長妻昭が改革勢力なんてバカな図式を学者ともあろうものが信じ込みプロパガンダするなど、愚の骨頂としかいいようがない。

●こんな政治的策動にしか興味のない若輩学者に給料を払うために、政府は、私学関係団体の圧力をうけながら私学助成補助金を、憲法違反の疑義を指摘さなれがらも私大に垂れ流している。しかも傾斜配分など差別的取り扱いをしながら。鈴木亘氏はまずそのことを自己批判したらどうだろうか。

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2010.10.06

10/5 イクメンへのこんな持ち上げ方をしているといつかバックラッシュにあうのではないか

NHkクローズアップ現代のイクメンを見る。

私は男女平等論者なので、出産・月経・母乳の授乳以外は男性も平等にやるべきだと思っている。そういう視点から、イクメン運動が設定する目標、ダイバーシティー社会がめざす方向というのは異論がないと思う。男どもの意識を変えろというのも当然だと思う。

しかし番組に違和感だらけ。まずはイチャモンレベルのもの。

男が育児をするということはいいことなんだけども、うーん、事例がどれもこれも専業主婦家庭で夫が仕事をペースダウンするという構図。その前提がダイバーシティーとか、男女平等とか、育児が男性という価値の前提からするとどう?と感じざるを得なかった。
また、なんか選べる立場の人のオプションのような感じがして、綱渡り育児をしているところからはずいぶん違うイメージ。うらやましい。それから働いている人がコンサルタント会社のような個人プレーや、仕事場を選ばないで済む仕事ばかりだったような。

この番組で出てきたゲストの渥美由喜氏がイクメンは生産性か高くなる、という言い方をしていたのに、実体験からカチンとする。

なんだかんだ言っても、育児する従業員というのはやはり非効率な存在。納期の調整を労働力の調整で解消できる従業員とそうでない従業員との格差は、いかんともしがたい。その格差に悔しい思いを何度もしている。いくつもの仕事が重なると、出社帰宅時間が制約されるので、時間切れで許される部分から犠牲になるから、どうでもいいような品質低下が避けられない。集団プレーの仕事ではやはり育児していない同僚にしわ寄せになることが避けられない。
時間管理をきちんとして働くというのは、職種によっては17:00になったら窓口を容赦なく閉めたかつての公共機関の窓口業務のようなことを容認すること。それが効率化かといわれると、今の日本社会ではおそらく通じない議論だろう。

育児を効率化と結びつけたダイバーシティー推奨論は、いつかバックラッシュを受けそうな気がしている。

問題は企業利益至上主義の価値観で、企業利益のためにこの社会がつぶれても仕方がないんだ、という高度成長期以来の思想の転換ではないかと思う。また、身分丸ごと職場に張り付けるような雇用関係がどうかという議論も必要。職場にもっともっと労働組合があって、労働時間を規制することが必要。
育児と生産性を無理やり結びつけて、若い人を労働と育児に酷使させる発想をするよりも、権利ばっかりとか言われても、古くからあるオーソドックスな課題をきちんと実現させていかないと長続きしないブームで終わるような感じがしている。

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2010.10.05

10/5 民主党のエートスを理解できる「民主党政権への伏流」

仕事でお世話になっている編集者兼ジャーナリストの前田和男さんから「民主党政権への伏流」という本を送っていただく。

実は、先日メールをいただいて買おうかどうか迷っていて、前田さんが硬派から軟派の本まで書いているので、軟派な民主党本なら買わないでおこうと思っていたので、申し訳ない思いで手にする。

民主党の設立に何らかのかたちでかかわった、非議員、落選などで議員として関われないまま政治生命を終えた人たちのルポルタージュで、私がずっと読みたいと思っていたものだった。

民主党は政権をとるまでさまざまな変化をしてきたが、民主党という言葉の裏側につくエートスみたいなものは、まだ旧民主党のものが核になっているように感じている。おっちょこちょいで、統治能力に何度も疑問符がついている菅直人や鳩山由紀夫がいつまでも人的シンボルとされているのもそれだろう。やがて彼らも引退する時期がくるにあたり、理念を表す綱領や、組織論が確立しない限り、民主党がいかなるエートスを持つ集団なのか、とらえて行動せざるを得ないし、それが失敗した暁には、民主党は新進党のように崩壊することになろう。

しかし読み取るべき旧民主党のエートスは、有から無を経て有を作った設立の経緯から、何か読み取るのは本当に複雑で困難である。最大多数派であった社会党の理念も組織論も否定したし、さきがけのような青臭さだけでもない。生活クラブ生協系の政治運動も入っていてるし、政府の役割もリベラルからソーシャルまでなんとなくごった煮になっている。しかし一定の空気や行動様式の塊みたいなものはあり、それが民主党らしさを形成し、党が危機になる都度、そうではない解決策を選択してこなかった。

そうしたものを探るのに、今までそれを明瞭な言葉で読み取れるのは、横路孝弘や高野孟の自著、菅直人のインタビュー、新聞記事など限られたものしかなかった。選挙で責任を負わされる政治家が当事者として当時のことを無用に書いて混乱を生じさせることはできないだろう。そういう意味で、今回、落選したままの元議員と、政党や政党の準備段階の裏方のみなさんの証言を集めたことは有意義な作業だったのではないかと思う。

取り上げられたのは、元議員で錦織淳さん、松原脩雄さん、研究者で高木郁郎さん、住沢博紀さん、政治の裏方として金成洋治さん(細川元首相の側近)、三浦博史さん(平成維新の会、現選挙アドバイザー)、仲井富さん、河野道夫さん(村山首相秘書官)、若尾光俊さん(オリーブの木運動)、松本収さん(リベラルフォーラムアドバイザー)。

私の関心のあるところでは、仕事に近い、リベラルフォーラムの政策アドバイザーから民主党結成にかかわった裏方の松本収さんのルポルタージュ。松本さんは、私の先輩同僚ともいえる北海道庁の組合雇用の職員から、90年代の政界再編の渦中に東京に連れてこられて、旧総系労組や社会党を開かれた党にしようとした運動をベースにした新党運動の事務方を始める。旧民主党の設立に中心的な裏方として奮迅し、横路氏や、仙谷氏とのかかわりを中心に、民主党の結党までの経緯をまとめてある。

●もう一つ、市民運動をコーディネートしていた須田春海さんの採録集が届く。東京を中心に市民運動をタコツボ化させないために努力された須田さんの過去の著述を読むのが楽しみである。

●連合のシンクタンク、連合総研の月報「DIO」に小野善康阪大教授が取り上げられる。経済学になれない人には2~3度読み返しながら読み進めるような内容になっているかもしれないが、文章自体はわかりやすく、ロジックは難解ではない。雇用創出と景気、増税と財政について非常に容易に理解できる文章である。
濱口桂一郎さんも紹介しているが、最後の文章が良い。

増税による税収を使って雇用創出を行えばよいということに対して、これまで「私には何の得にもならないのに、なんで失業者の雇用のための税金を取られなければならないのか」という反応がたくさんありました。
 こういう考え方になるのは、目先の分配のことしか頭にないからです。好況で生産能力がすべて使われているなら、これ以上物やサービスを増やすことができないから、財政政策によって購買力が自分から他人に渡れば、その分だけ自分の消費できる分は減って、他人が消費できる量は増えます。だから損だという主張が成り立ちます。しかし、現在は生産能力が余っている。それを少しでも活用することができれば、経済全体で提供される物やサービスの総量が増えるから、国民全体の便益は必ず上がります。
 具体的には、失業者を雇用して介護や保育、耐震化などの社会資本整備を行えば、その分国民生活の質は上がります。それに失業者に払った給与はさまざまな必需品の購入を通して就業者に戻ってきます。さらに、雇用状況が改善すれば、いつ肩たたきにあうかと思っていた就業者も安心しますから経済全体の消費も所得も増えて、経済が活性していきます。
 日本は使い切れないほどの生産力があって不況になっているのだから、国民全体がこうしたマクロ的な視点で考え、いまある生産力をフル稼働させるだけで、十分に幸せで安心な社会を実現することができるのです。

問題は菅政権の中枢部がこうしたことを聞いておきながら、どうも理解できていないと思える節が多いことだ。

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2010.10.04

10/4 公的医療保険が無駄だという米国民を笑えるか

よその国をみると我が身を振り返るのによいこともある。

アメリカの上院議員選挙で、民主党が苦戦しているというニュースの中で、公的医療保険制度の導入が負担増だと反対する意見が強いという話がアメリカの保守主義と結合していると紹介される。
曰くそんなことできるわけがない、国民を甘えさせる、自主独立の精神・・・。

不完全とはいえ公的医療保険制度にほぼ多数の人が入っているこの国から見れば、滑稽にすぎないが、消費税を20%払って、保育でも失業者対策でも十分なケアが受けられている国の人から見れば、何かにつけてモラルハザードだの自己責任だの言って議論がストップし、社会保障の整備がたちおくれ、待機児童問題、ほんとうの失業者が受けられない失業給付、そうした問題も滑稽に見えるのだろう。アメリカも日本もどうでもよい経済学ドグマにはまって、経済再生も、社会の紡ぎ直しもできないで、蓮舫が拳をあげる行政改革程度の話をありがたがっているだけ。全然歴史は進んでいかない。

●NHKニュースが伝えているこの報道が大笑い。
小さな政府+右翼的扇情的な若手女性候補を応援しているのが、アメリカの高度成長期に独力でいい思いをしたと信じてこられた退職中間層。企業年金でいい生活しているんだろうって。
その光景を見ていると、日本の地域社会に急に戻ってきた大企業退職者たちが、政治家の集会や市役所の主催する行政改革や基本計画などの説明会で、保育所は無駄だ、介護保険のサービスを受けている人は努力不足、と意見ご開陳して、自らが出世競争で同僚たちを社外に追いやったように政治家や市職員に「改革」を迫っている光景によく似ている。
年寄りからしてアメリカナイズされているこの国がアメリカ以上のやり方を見つけることはなく、アメリカ以上に豊かになることは、しばらくないと諦観するしかない。

●体系だった思想のない二大政党制のいきつくところというべきか。感情に結びつきやすいイデオロギーか、目先のニンジン的利益誘導でしか評価されない。西側世界で社会民主主義勢力が唯一自滅したこの国の不幸だ。

●名古屋市議会解散請求の首謀者である河村たかしの記者会見、なめている。

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10/4 右翼が申し立てれば起訴相当で、日教組が申し立てれば不起訴相当

右翼が審査を求めた小沢一郎は起訴相当で、被害者の日教組が申し立てた詐欺的行為をした悪徳企業プリンスホテルは不起訴相当って、検察審査会はいい加減なものだと思った。

小沢氏の一件で、裁判で真相を明かせと不起訴という処分そのものが問題になったのに、同じ刀で不起訴相当と議決するのは本当に理解できない。

4億円をやりとりしたことの何が違法なのか私には何度聞いてもわからない。わけがわからないから怪しいと言っているに過ぎないように思う。

政治家どもがお金のやりとりをしていることの違法性より、宿泊を約束してイベント組んだのにドタキャンしたホテルの方が人々の被害に直結しているはず。こっちの方が裁判で真相を明かしてもらいたい。

●小沢氏の一件で、検察特捜の報道がほとんどどうでもいい位置に。いかにマスコミが検察庁の手先かがわかる。
国民も国民である。有罪か無罪かわからないし、4億円が有罪無罪もさることながら、そのことで政治をゆがめて国民に実害を与えたかどうかなんて証明不可能なことの報道、つまりはマスコミ的政局談義にばかり関心を持って、権力が無実の人を犯罪者に仕立て上げ、その人の能力も人権も身柄も人生の希望も奪おうとしたことについて、あまりにも鈍感すぎる。
検察審査員はそういうことに一枚手を貸したと私は思っている。

●NHKが有罪を印象づけるコメントを次から次に紹介して、小沢一郎=クロという印象操作をしている。平均年齢30.9歳の検察審査員が市民感覚なものか。印象で汚い人のことを汚いと言って突き放していられる年齢ではないか。必要悪なことをやって悪者にされたような先輩の話をとことん聞いたことがある人間が5人も10人も集められるとは思えない。

●ニュース9の大越キャスターのコメントはあまりにも主観的で法的理解のない不公正なものだとここのところ何度も感じる。さわやかに語っているがその趣旨は小沢さえいなくなれば政治がきれいなるという政局談義でしかない。

●政局談義をすれば、もう少し小沢氏周辺が、自分たちが思うようにならないときに民主党を壊す恐怖感さえ与えなくなれば、いいのにと思うが、有罪と言い切れないようなことで有罪にして政界から追放すればいいという考えは、相手が選挙で選ばれている人である限り、間違っている。意志決定はそう思わないが、権力の人事こそ三権分立が徹底されるべき。でないと、常勤で身分保護のある行政権、とりわけ国民の自由を剥奪する権利を持つ権力機関にある行政権が暴走することが目に見えている。
不法行為なら、まだ暗殺の方が筋が通っている。昔、NHKが流していたBBSの制作した「野望への階段」を見たい。英語がわかれば日本語のないDVDなら売っているのだが。

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2010.10.03

10/3 選挙の基本を再学習

最年少選挙コンサルタントの松田さんが代表を務める「ダイアログ」の選挙入門講座を聴きに行く。

もうかれこれ20年以上、選挙に関わり、選挙を手伝ってきた私に行く必要はないように思えるし、当の講師である松田さんからも、「今日、最も緊張した受講生でした」と言われたが、やはり20年の経験だけで身につけたことと、業者としてセオリーや戦略を持って選挙をとらえている人との認識の違いを把握して、自分なりに整理をしたいと思って参加した。

そういう私の期待どおり、タダだったので奥義はないものの、今日的な選挙のやり方の中で何を大切にしなければならないのか、という大事なところはきちんと確認できたと思う。何より大事なのは、立候補の動機と何をしたいのか、ということ。そのストーリーを持って説得できない人は候補者になっても苦労するし、当の松田さんたちもコンサルタントの発注を受けても断る、と言っておられて、そうなんでしょうなぁ、と思った。
準備すべきものとして、人脈やスタッフの数というのがだいぶ順位が下がっていること、コストでは事務所家賃というのがだいぶ圧縮して選挙ができるというのが、今時の選挙なんだと、逆言うと、有権者の政治家に対する嗜好の変化ということなのだろう。

私が教わった最初の選挙は、市民運動発の候補者も徹底した組織選挙をしていた時代のもの。したがって名簿の数を作ること、名簿の集め方、票の点検、組織への仁義の切り方、それが運動の中心であった。しかし時代は徐々に変化し、友達みんなが応援しているよ、という組織を介在させていく選挙スタイルよりも、候補者と有権者の直接的な接点が重視されるようになっている。
最近関わったある選挙では、選挙が終わったとたん候補者が名簿をシュレッダーにかけ、「前回もこうしていたから。持っていることによるコスト負担や精神的負担を考えるといらない。この名簿は選挙運動用はがきにしか使わなかった。議会報告は直接投函と街頭で配布すればよい」と言っていたのには印象的だった。彼だからできることで、凡人がまねすると落選するだけだと思うが。

●帰宅すると、9月まで財務副大臣をされた峰崎直樹さんが、内閣改造で副大臣を降りられ、非常勤職員の内閣官房参与になったことのあいさつ状が届く。1994年札幌京王プラザのランチを食べながら、自社さ政権の存在そのものの矛盾へのいらだちから自治労の政治参加をめぐって大論戦をして、逆に説得され自治労の価値を見直し、のちにそこの職員になろうという意識の変化につながったきっかけの方。2期目の選挙は私の転職のちょうどすき間の時期で応援させていただいた。その際、PRビデオの撮影で追いかけまわらせていただいたこともある。配偶者の生子さんが、生活クラブ生協の活動に熱心でおられたり、DV被害者のシェルター運営に尽力されたり、おもしろいところもあった。
峰崎さんがインテリ過ぎて、個別分野の利害調整に役割を期待される労組の組織内議員としてやや間尺にあわないところが出てきてしまったようだ。逆に民主党が苦手とする金融制度や経済政策についての凝った知識があり、そうしたことがこの間財務副大臣として活躍するステージを持ったのではないかと思う。
あいさつ状の二段落目で、「初当選の1992年から今日に至るまで、日本経済はバブルの後遺症とともにデフレ経済の進展に悩み続け、失われた十年どころか二十年になりそうな」と書いている。この18年、本当に経済政策が空回りし続けたなぁと思い返す。

●かく言う私も公職ではないが、おとといから有権者180人程度のある選挙で信任投票の審判を受けている。多くの有権者が受けたがらない役職につくための選挙なのでよもや落選するほど不信任をくれることはありえないが、前回初当選の際の不信任票が少なかったので、この一年、不十分だなぁ、と思える反省点も多く、今回、不信任票がどのくらい伸びるかが、正直どきどきしている。中途半端に伸びるなら50%を突き抜けてくれと思うところもある。

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2010.10.02

10/3 枝野氏が中国を悪しき隣人と発言

「中国は悪しき隣人、法治主義なし」枝野氏

社会にほとんど影響力のない信仰告白だけのネットウヨが言うなら言論の自由だが、小沢一郎と熾烈な党首選を争い、菅政権、菅党首をもっとも支えるべき立場の人間が、こういう発言をすることは明らかによろしくない。

元々親台派と聞いていたので、驚くものではないが、首相が信頼する部下がこうした発言をし、さらにマスコミの確認にダメ押しするようなことを言うのか、と驚いている。

経済力が上がり、いやでもつきあっていかなければならなくならない隣国のメンツを壊すようなことを軽々に発言するのはいかがなものか。まして尖閣諸島をめぐって日中関係が混乱したこの時期に、こんなことを言って、また中国につけ込まれることをするものかと思う。

隣国と交戦関係に入る覚悟なしに、具体的な問題でもないことを批判し、メンツをつぶすということは、政治家は避けるべきだ。

今、枝野氏は参院選の敗北と、その責任の取り方が親分たちの指示で中途半端にせざるを得なく、結果、地位はともかく、実質的に不遇の季節を送っている。枝野氏が誰にも嫌われないように注意してきたことは、この10年、直接にも間接にも彼の政治行動を見てきたからよくわかるが、そういう彼にとって、民主党内のスケープゴートにされたことは、しんどくて平常心でいられないのかも知れない。しかしこういうときこそ、言っていいこと、言ってはならないことの分別が試されるのだと思う。

自戒も込めて。

●余計なこと言うが、枝野氏には、中国よりたちの悪い上田清司のことをどう考えているのか、聞いてみたいものだ。
中国なら何言っても許されて、上田氏の批判は生々すぎてできないというのなら少しずるい態度だと思う。

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10/1 検察に自浄作用なんか期待できるか

大阪地検特捜部の幹部が逮捕。

これに対する菅首相のコメント「自浄作用に期待したい」というコメントに日本政治のダメさ加減が現れていると思う。

菅首相のコメント自体がなっていない。このような不正行為に自浄作用も何もないだろう。だから官僚依存などと悪口を言われてしまうのだ。検察に弱みでも握られているのか、と思ったりもする。
政治と検察との関係は、自浄作用ではなく、食べるか食べられるか、食べる側に加担するかの関係が続いてきた。取り調べられる政治の側にとって、検察特捜の捜査が上にも下にも不公正さの伴う話がつきまとってきた。そういう中で、公正な捜査機関としていくための数少ないチャンスにもかかわらず、自浄作用だけで変わるのかと思う。

また、そうした菅首相の態度とは違う意見を持つ政治の側も、民間人を入れろとか、検事総長はクビだ、とか、人気取りのくだらない行革談義の延長のような対応策をぶちあげているだけで、本質的なところから、民主主義に対する凶器としての能力を持つ検察特捜をどうするべきか、というマネジメントの話が全く出てこない。人質司法をどうしようか、というまじめな議論が政治から全然聞こえてこない。

検察トップに民間人を入れて正しくなるのだろうか。システムが同じまま、法律も知らない、権力の危険性や統治の論理も知らない人間が入ってきたら、余計に暴走して恣意的な捜査が行われるに決まっている。検察の力を最大限利用したのが小泉政権で、あのときのようなことが官僚内部の自己規制がなく繰り返されるのかと思うとぞっとする。民間人といっても、その文脈からは政治好きの企業経営者か新古典派経済学を信奉している学者を選ぶ。そうした人が検察権力を使って何をするのか。労働組合があって賃金が下がらないから失業が無くならないとイデオロギー的に信じている彼らは、イデオロギーの敵である労働組合、医師会、社会福祉法人などを標的にやりかねない(逮捕・死刑などとすることはないが、とるに足らない不正経理とか、証拠隠滅とか言いがかりをつけて、微罪でも組織看板を再生不能にまで傷つけることはたやすいことだ)。そこまでの悪意はないにしても、23年前の国鉄改革の民間人神話ちちんぷいの無思考である。そういうことを言うバカ政治家の再選を許してはならない。

●日本社会、金儲け以外の話では、どこ行っても、トラブルが人事問題に矮小化されるから、公的・非営利な仕事が全然よくならない、ダメなんだと痛感。

●菅首相のこの間のコメントが全然なっていない。
尖閣諸島問題で、細野氏が中国行ってしまったことも、「私は知りません」と突き放してしまった。もっとうまく言いつくろうことはできなかったのだろうか。細野氏を統制下におけないことがバレバレになってしまったし、中国に対しても日本の政治家による外交は隙だらけというメッセージを与えた。首相のコメントを調整する人間はないのだろうか。官房長官は何しているのだろうか。

●大阪地検の事件に限らず、テレビニュースが街頭インタビューを垂れ流すことが不適切に思う。
顔出しでテレビカメラを突きつけられた一般市民の大多数は、悪いんだ、悪いんだと囃し立てる役割しかできない。そこで拾うコメントは、コメントする側の姿勢も、コメントを選ぶ側も、分かり切っている話ばかり流すことになりで、みんなはこんなこと言っています、と言ってあおり立てているとしか思えない。それは、文化大革命の人民裁判や、旧ソ連の思想犯の裁判のやり方と同じである。行き着く果てに危険なものを感じざるを得ない。日本社会のしっとりとした環境を考えると、みんながこう言っているから、あんたも同調しなさい、という稲作ファシズムを感じてしまう。
そんな無駄な危険な放送をするぐらないなら、放送時間を短縮してCO2削減に取り組んだり、同じ放送でももっと専門家の意見をきちんと伝えてもらいたい。
街頭インタビューの濫用は、昨今批判になっている世論調査の乱発より危険だと私は思っている。

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2010.10.01

9/30 毎日新聞の皮相的な臨時非常勤職員問題のとらえかた

毎日新聞が、東京都が、2ヶ月更新で20年も更新し続けている臨時職員の存在が問題だという記事を書いている。

東京都:20年以上「臨時職員」 2カ月ごとに契約更新

自治体の臨時・非常勤職員の問題に関わると、出てきたセンセーショナルな数字的実態にびっくりしてこういう皮相的な批判をするジャーナリズム、労働運動家に困った思いをしたことが多い。もちろん20年も雇うなら最初から常勤にすべきというのは正しい。しかし、結果として20年になってしまった存在そのものを、問題だ、問題だと騒いでしまったらどのようなことになるか考えて言っているのだろうか。
雇う側は制度改革などせず、問題ある雇用を厳正にやめます、という対応になろう。その帰結として、当該のこの職員が次の更新で雇い止め、事実上の解雇にされるだけである。そして新しく別の人を2ヶ月雇用の臨時職員が補充され、今度は1年とか3年で雇い止め、事実上の解雇がされるようになるだけである。

必要なことは、この記事の中でもっとも問題と指摘しているように、社会保険を付けたり、賃金を上げて均等待遇に近づけたり、つじつま合わせの休職期間をなくすことで労働者を使い捨て労働力にしないことである。結果的に20年以上も雇った人の雇用関係の保護である。けしからんけしからんというだけでは、ますます使い捨て雇用になっていくだけなのが実態だ。

マスコミががんばってくれたおかげで、そもそも「公務員を増やすな」と絶叫する馬鹿政治家をもてはやされている今、自治体で必要に応じた正職員雇用ができない。そういう時代に自治体は、社会構造の変化や福祉国家の内実を整えるマンパワー確保のために臨時・非常勤職員を使っていくしかない。ところがこれらの法律を、裁判所や雇う側の行政当局が解釈するように、民間の雇用契約とは違う行政処分の任用と前提した上で厳格に解釈すると、東京都のような雇い方が本来の法律に適っているやり方となってしまう。

入り口で正しい雇い方を問うことは大切だけども、公務員が定数の限られた身分として位置づけて十分な時代はともかく、常に供給量が変動し、不規則な時間勤務を必要とするこの福祉社会で、簡易に人を確保する方法として、不安定な雇われ方をする自治体職員はどうしても発生してしまう。禁止しても統制しても、もぐらたたきのように出てくるだけ。重要なことはその人がどのような雇われ方でも不利益を被らず、結果としてその間、実質的にどのように雇われたかによって雇用や賃金が保護される仕組みを考えないと、自治体の非正規労働全体がアングラ化したり、劣悪業者に委託されたりすることになる。

●コメントを寄せた「労働問題に詳しい弁護士」の実名が出ていないのもおかしい。当事者は守られるべきだが、これが正義だと言う第三者の個人名を隠す必要はないだろう。
「法律家からは「労働者の権利を守る多くの法を無視した行為だ」と批判の声が上がっている」と言ったのは誰か。法を無視した行為と断定するのは、法律家として現実の公務員関係の法律に無知もいいところだ。裁判の判例をはじめ、主流の法解釈が東京都のやり方が合法とされているから、自治体の臨時・非常勤職員の課題に取り組んでいる当事者や支援者は困り果てているのが現実なのだ。そこに公務員バッシングがあいまって、いつまでも問題が放置されている。

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9/30 伊田広行さんが京都市の空き缶拾い禁止条例に怒る

京都市が、空き缶を拾って収入にすることを禁止する条例を作ったことについて、伊田広行さんが怒っている

まったく私も同感。最近、政治や行政関係者は、新しい公共とか、きれいな言葉を使い、みんなのために働く人をやすくこき使おうとしている。それはそれで一つのイデオロギーだと思う。

自らごみを拾い、資源化して、生計を立てている人たちこそ、私は古くからこの国にある新しい公共であり、リサイクル業者。彼の多くはまさに低所得者であったり無年金者であり、そうした人が、ごみを拾って自ら生きていこうとすることを封じるのは全くの愚策としかいいようがない。
役に立つ仕事をして、報酬を与えるどころか迫害し、生活保護受給者になるようにし向けている。人間の自立の尊厳や、社会につながって自らの価値観を見いだそうとする力を、行政が奪っているとしか思えない。またそうしてやっと生活している人の生活保障とか、職業斡旋とか、雇用創出とか、京都市がやっているのだろうか。

以前、プチプルタウン杉並区(現在は自民、民主、社民党籍の議員大集合の大政翼賛会会派がある議会を持つ)が、ゴミステーションの古紙回収の抜き取りを条例で禁止したのを皮切りに、貧困問題を考えない自治体がこぞって右へ習えでこうした条例を作っていった。プルジョワタウン世田谷区(かつて自民党から共産党まで反対派なしの連立政権区政だった)では、区が抜き取り業者を告訴して有罪判決が出た。

そういうふうに人のいらないというものを使ってやっと生活している人々を迫害することについて公権力を使って迫害できるような社会になるのはごめんだと思う。

もちろんごみステーションからの抜き取りで散らかされてはかなわないという意見があるのだろう。しかしそういうのこそ、日本の行政がお得意の民間コントロールの手法、同業者組合を作らせて、自主的にマナーを徹底させることが大切なのではないか。

●市ヶ谷駅の地下で、ホームレスっぽい人たちが回収した雑誌を販売しているが、どうも東京都建設局が弾圧している。彼らは古着ながらも身なりを正し、たえず地下道の清掃を行い、見てくれに難があっても、余分に迷惑になるような商売の仕方をしていない。
もちろん公共用地を勝手に使って商売をすること云々の議論があるのはわかっている。しかし、やはり彼らがこうしてできる手段で社会とつながろう、自分たちで生きていこうとしていることを、行政は応援しこそすれ、迫害するのは好ましくないように思う。

●結局新しい公共というのは、お金が余ってヒマがあって、夫や親にステータスがある人が、行政の下請けを労働組合も作らず安く素直に受けてくれて、行政関係者や政治家たちが自らの施策の評価をあげるための助剤ということなのだろうか。
行政が好むと好まざると、それぞれがどこかで役に立つことだと認識しながら、自発的に作っていくのが新しい公共イデオロギーではないのか。国民を支えることなく、安上がりの行政のための奉仕者ぐらいに思っているなら大間違いである。

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