9/30 伊田広行さんが京都市の空き缶拾い禁止条例に怒る
京都市が、空き缶を拾って収入にすることを禁止する条例を作ったことについて、伊田広行さんが怒っている。
まったく私も同感。最近、政治や行政関係者は、新しい公共とか、きれいな言葉を使い、みんなのために働く人をやすくこき使おうとしている。それはそれで一つのイデオロギーだと思う。
自らごみを拾い、資源化して、生計を立てている人たちこそ、私は古くからこの国にある新しい公共であり、リサイクル業者。彼の多くはまさに低所得者であったり無年金者であり、そうした人が、ごみを拾って自ら生きていこうとすることを封じるのは全くの愚策としかいいようがない。
役に立つ仕事をして、報酬を与えるどころか迫害し、生活保護受給者になるようにし向けている。人間の自立の尊厳や、社会につながって自らの価値観を見いだそうとする力を、行政が奪っているとしか思えない。またそうしてやっと生活している人の生活保障とか、職業斡旋とか、雇用創出とか、京都市がやっているのだろうか。
以前、プチプルタウン杉並区(現在は自民、民主、社民党籍の議員大集合の大政翼賛会会派がある議会を持つ)が、ゴミステーションの古紙回収の抜き取りを条例で禁止したのを皮切りに、貧困問題を考えない自治体がこぞって右へ習えでこうした条例を作っていった。プルジョワタウン世田谷区(かつて自民党から共産党まで反対派なしの連立政権区政だった)では、区が抜き取り業者を告訴して有罪判決が出た。
そういうふうに人のいらないというものを使ってやっと生活している人々を迫害することについて公権力を使って迫害できるような社会になるのはごめんだと思う。
もちろんごみステーションからの抜き取りで散らかされてはかなわないという意見があるのだろう。しかしそういうのこそ、日本の行政がお得意の民間コントロールの手法、同業者組合を作らせて、自主的にマナーを徹底させることが大切なのではないか。
●市ヶ谷駅の地下で、ホームレスっぽい人たちが回収した雑誌を販売しているが、どうも東京都建設局が弾圧している。彼らは古着ながらも身なりを正し、たえず地下道の清掃を行い、見てくれに難があっても、余分に迷惑になるような商売の仕方をしていない。
もちろん公共用地を勝手に使って商売をすること云々の議論があるのはわかっている。しかし、やはり彼らがこうしてできる手段で社会とつながろう、自分たちで生きていこうとしていることを、行政は応援しこそすれ、迫害するのは好ましくないように思う。
●結局新しい公共というのは、お金が余ってヒマがあって、夫や親にステータスがある人が、行政の下請けを労働組合も作らず安く素直に受けてくれて、行政関係者や政治家たちが自らの施策の評価をあげるための助剤ということなのだろうか。
行政が好むと好まざると、それぞれがどこかで役に立つことだと認識しながら、自発的に作っていくのが新しい公共イデオロギーではないのか。国民を支えることなく、安上がりの行政のための奉仕者ぐらいに思っているなら大間違いである。
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