10/9 鈴木亘先生が宗旨替えか?
これまでオリックス宮内流の構造改革・規制緩和の残骸みたいな話しかしない鈴木亘が、今度は文芸春秋に記事を書いたらしい。
学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) 迷走を続ける社会保障改革へ怒りの提言
公立保育所の給料が高すぎる 2010/10/8(金) 午後 10:38
文藝春秋11月号に、「待機児童八十万人の元凶:公立保育所の給料が高すぎる」と題する記事を書いた。どんな雑誌でもそうであるが、タイトルをつけるのは雑誌の編集部の権利である。正確に内容を反映するのであれば、「公立保育所の運営費用が高すぎる」、あるいはもうひとつ、「認可保育所の公定価格が低すぎる」と入れるべきかもしれない。ご参考までに。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
あれ、鈴木先生、昨年の週刊ダイヤモンドの記事では、認可保育所自体が利権の巣窟になっている構造でコスト高、待機児童を発生させると書いたのではなかったのですかね。
公立の保育所か保育士かはともかく(どちらにしても保育所の経費のほとんどは保育士・調理員などの人件費のかたまりなのでほとんど同じ意味)公立園がコスト高という議論をふっかけたのはともかくとしても、認可保育所=悪の巣窟という決めつけから、認可保育園の公定価格が低すぎるという主張に変えたわけですから。
本文を読んでみないとわからないが、主張を変えたなら、過去のご自分の理論を修正されるということでよろいしいのですね。
それなら共通の議論の土俵ができたと思い、歓迎するところです。
●いずれにしても、今の認可保育所制度は、公費によって運営される事業として、民間参入を阻んでもいないし、地域社会が公営の保育所がよいと思えばそれでも整備できる、国の制度にしてはフレキシブルな制度であり、小泉構造改革派も私のような彼らのいう抵抗勢力派も共通に乗れる基盤ではないかと思う。結果ややり方にいろいろ問題点があったにしても2000~1年の規制緩和の着地点、民間参入は促すが認可保育所制度を維持して質に関する数字的規制は必要、というところが社会合意だったのではないかと思う。
今の問題はやはり需要を超えるサービス量の確保である。
認可保育所の是非をめぐって不毛な議論をしてきたのは無駄だと思うし、今の民主党政権も幼保一元化や規制緩和という自己目的化したドグマのためにまた無駄の道を走りつつあること、よくないと思う。
●コスト高でも自治体が公立保育園を運営し維持ないと、他に誰も保育園を経営したがらない、という問題をどう考えるべきなのだろうか。保育所が利潤をあげない限り民間参入などめざましくは起こらない。公費でまかなわれる保育所が利潤をあげるということは、税金で利潤を保証するか、税金で補助したものから人件費のピンハネを認めるか、どちらかになる。そんなことを認めたら、それこそ利権構造のできあがりである。それが小泉構造改革派の論理矛盾に行き着く。
●コスト論でやるなら、公立保育所の保育士の人件費が最後に問題になる。これについて、地方分権を前提にするなら国レベルの問題にすべきことではないし、よく考えると保育制度ではなくて公務員制度、とりわけ富裕自治体の公務員制度の問題である。
しかし保育士は、看護師のように専門教育と実習を繰り返して受けて就職した資格職であり、引き下げ派が大好きな同一価値労働同一賃金の職務給の原則を貫徹させて年功序列賃金をやめるか緩和したとしても、大学時代に文系大学で何勉強してんだかわからないで、シューカツしかしなかった人たちよりは高い賃金にしないとバランスが悪くなる(そうでなければ女の職場だからというジェンダーバイアスがかかっているとしか思えない)。したがって民間認可保育所含めてさらにコストは上げざるを得なくなる。そんな問題もはらんでいる。
●待機児童問題があるからこそ、首を長くして民間参入を待ち続けるのではなく、積極的に公立保育所を開くべきではないかと思うことがある。問題は財源と、ここのところ運営の官僚化著しい公立保育所のマネジメントをどうするかという課題だと思う。
コストの話では、ここのところ団塊の世代の大量退職や、非正規化で保育所の人件費コストは大幅に低下していると見込まれる。
●待機児童問題をコスト高にのみ原因を求めるのはそろそろ限界だと気づいてほしいものだ。それよりこの国の政府は先進国にふさわしいだけの社会サービスを維持するだけの財源を持っていないということだ。
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