10/3 選挙の基本を再学習
最年少選挙コンサルタントの松田さんが代表を務める「ダイアログ」の選挙入門講座を聴きに行く。
もうかれこれ20年以上、選挙に関わり、選挙を手伝ってきた私に行く必要はないように思えるし、当の講師である松田さんからも、「今日、最も緊張した受講生でした」と言われたが、やはり20年の経験だけで身につけたことと、業者としてセオリーや戦略を持って選挙をとらえている人との認識の違いを把握して、自分なりに整理をしたいと思って参加した。
そういう私の期待どおり、タダだったので奥義はないものの、今日的な選挙のやり方の中で何を大切にしなければならないのか、という大事なところはきちんと確認できたと思う。何より大事なのは、立候補の動機と何をしたいのか、ということ。そのストーリーを持って説得できない人は候補者になっても苦労するし、当の松田さんたちもコンサルタントの発注を受けても断る、と言っておられて、そうなんでしょうなぁ、と思った。
準備すべきものとして、人脈やスタッフの数というのがだいぶ順位が下がっていること、コストでは事務所家賃というのがだいぶ圧縮して選挙ができるというのが、今時の選挙なんだと、逆言うと、有権者の政治家に対する嗜好の変化ということなのだろう。
私が教わった最初の選挙は、市民運動発の候補者も徹底した組織選挙をしていた時代のもの。したがって名簿の数を作ること、名簿の集め方、票の点検、組織への仁義の切り方、それが運動の中心であった。しかし時代は徐々に変化し、友達みんなが応援しているよ、という組織を介在させていく選挙スタイルよりも、候補者と有権者の直接的な接点が重視されるようになっている。
最近関わったある選挙では、選挙が終わったとたん候補者が名簿をシュレッダーにかけ、「前回もこうしていたから。持っていることによるコスト負担や精神的負担を考えるといらない。この名簿は選挙運動用はがきにしか使わなかった。議会報告は直接投函と街頭で配布すればよい」と言っていたのには印象的だった。彼だからできることで、凡人がまねすると落選するだけだと思うが。
●帰宅すると、9月まで財務副大臣をされた峰崎直樹さんが、内閣改造で副大臣を降りられ、非常勤職員の内閣官房参与になったことのあいさつ状が届く。1994年札幌京王プラザのランチを食べながら、自社さ政権の存在そのものの矛盾へのいらだちから自治労の政治参加をめぐって大論戦をして、逆に説得され自治労の価値を見直し、のちにそこの職員になろうという意識の変化につながったきっかけの方。2期目の選挙は私の転職のちょうどすき間の時期で応援させていただいた。その際、PRビデオの撮影で追いかけまわらせていただいたこともある。配偶者の生子さんが、生活クラブ生協の活動に熱心でおられたり、DV被害者のシェルター運営に尽力されたり、おもしろいところもあった。
峰崎さんがインテリ過ぎて、個別分野の利害調整に役割を期待される労組の組織内議員としてやや間尺にあわないところが出てきてしまったようだ。逆に民主党が苦手とする金融制度や経済政策についての凝った知識があり、そうしたことがこの間財務副大臣として活躍するステージを持ったのではないかと思う。
あいさつ状の二段落目で、「初当選の1992年から今日に至るまで、日本経済はバブルの後遺症とともにデフレ経済の進展に悩み続け、失われた十年どころか二十年になりそうな」と書いている。この18年、本当に経済政策が空回りし続けたなぁと思い返す。
●かく言う私も公職ではないが、おとといから有権者180人程度のある選挙で信任投票の審判を受けている。多くの有権者が受けたがらない役職につくための選挙なのでよもや落選するほど不信任をくれることはありえないが、前回初当選の際の不信任票が少なかったので、この一年、不十分だなぁ、と思える反省点も多く、今回、不信任票がどのくらい伸びるかが、正直どきどきしている。中途半端に伸びるなら50%を突き抜けてくれと思うところもある。
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