9/23 自治体の非正規職員の問題はコピー取りが難しい仕事をさせられているという問題より福祉国家のマンパワーを直視しない問題だ
自治体の臨時・非常勤職員の問題で、積極的に取り組んでいる共産党の山下よしき参院議員。そのHPで臨時・非常勤職員の課題について職場訪問した記録を残している。
その中で、
「芳野さんはいいます。「以前は臨時職員の仕事はお茶汲みやコピーなど補助的なものでした。しかし、いまは正規職員が大きく減らされた分、その仕事を臨時職員にやってもらっています」。非正規職員の仕事の質が変わってきているというのです。
実際、ある自治体で非正規職員として働く皆さんに直接声を聞かせてもらいました。全員女性です。
出生届や住民票などを扱う「市民課」の臨時職員の方は、市民からの問い合わせや苦情の電話対応、市役所に届く郵便物の内容を確認し仕分ける仕事などをこなしています。市民には「臨時なのでわかりません」とは言えずものすごいプレッシャーがかかるそうです。研修もないなか自分で責任を持ってマニュアルを作り、様々な法制度の改正にも対応できるよう勉強しているといいます。個人情報の扱いにも気を遣います。その彼女の時給は731円。「せめて800円台にしてほしい」というのが要求です。
別の課で嘱託職員として働く方は3人の子どもを持つシングルマザー。嘱託なので月給制ですがその額は15万円。「嘱託では銀行は住宅ローンを組んでくれない。不動産屋は物件を貸してもくれない」「子ども3人育てながら民間では働けないと市の嘱託職員になったのに…」と嘆きます。」
認識として間違いではないが、臨時・非常勤職員の増大とその職務の基幹化について、こういうわかりやすい説明では、あまりにも断片的で、構造的な問題をとらえていないのではないか。また、お茶くみコピー取りが正職員並みという表現は、どうかと思う。これでは、官僚型公務員制度に統合するかたちでの「正規職員化」のスローガンを掲げるけどもできませんでした、という振り出しに戻る議論にしかならないように思う。
個別自治体によって差はあるが、臨時・非常勤職員が増大している分野を全国的にとらえると、保育所・学童保育などの児童福祉、病院、図書館、各種相談など、福祉国家の内実を整備する中で増大してきたところが多い。元々お茶くみやコピー取りがあった職場は予算削減のあおりでむしろ減少傾向にある。
官僚型公務員モデル(厳格な定員管理や職務明示しないで24時間365日身分拘束するような制度)ではとらえきれない職務が発生してきたから。福祉国家がスタートして自治体現場に清掃収集を皮切りにその内実を整備する業務ができてきた時期には、幸い、この国は高度成長期にあたって、税収の増大、インフレによる債務の後年度負担の軽減、稼働人口の増大が教育や福祉予算の増大を上回る少子化プレミアムで、そうした問題が回避され官僚型公務員制度に統合するかたちで解決してきた(この現象は、民間企業でも同じ)。
さらに福祉国家の内実を整備すべき高度成長期に、日本は専業主婦モデルの家庭を基礎にした社会構造を安定化させたことで福祉を企業と家庭内におしこめ整備を怠ってきた。ようやく1995年以降に、あわただしく保育所や介護を整備すべきことが認識されたが、時は低成長になり、経済も税収も伸びない中、福祉社会の内実を補う自治体職員を増やすために、予算面でも、勤務時間や人材確保など制度面でも官僚型公務員制度との整合性がとりにくくなってしまった。実際に、需要に波動性があり、変則勤務時間の職場を中心に非正規化が進み、人材確保では民間パート労働者を取り合うような状況も生まれている。
そうした構造的なとらえ方をしない限り、統治機構ではないところで働く公務員の職務の安定、そこから導き出される雇用の安定や生活できる賃金の保障はありえず、いつまでたっても、生活保護基準以下の官製ワーキングプアを作り出し続けることになる。
先の党首選で明らかになったが、公務員バッシングにしか関心のない与党議員が多い中で、国会議員がこの問題について足を運び勉強してもらうことは非常に有意義だが、もっと本質的な問題について理解してもらえたらと思う。もっとも自治体の臨時・非常勤職員に関して雇う側の一方的な法解釈が横行する中で、ライバル労組が支援する議員で相いれない立場であるが、山下よしき議員の国会質問の内容は非常に質が高く、時の大臣に重要な法解釈の変更を引き出していることは言い添えておきたい。
●1950年に、一連の労働分野の戦後改革に逆行するかたちで制定された今の地方公務員法の中で、福祉国家の実業務に従事する臨時・非常勤職員についてきちんと位置付けられておらず、「お茶くみコピー取り」と、災害救助、顧問医みたいなものしか想定していない。その上で、継続的に働く臨時・非常勤職員に対して、ボーナスを支給してはならないのかもしれないとか、昇給は禁止されているのかされていないのか、とか、1年以上の契約期間はいけないのかもしれない、とか、3年以上の契約更新はいけないらしい、とかおよそ合理的ではない法解釈論ばかりが横行し、時には当事者や当事者を支える活動家でさえその神学論争に興じてしまうきらいがある。
こうしたところに官民の制度格差や感覚の格差を生んでいる。そこにある仕事に対応する賃金と雇用をどうするかを雇われる側と雇う側の納得性と関係性の倫理の中で合理的に決定されるという、自律的で簡素なシステムを、非官僚型公務員に適用させるような考え方に至っていく必要があるのではないか。
●1950年時点での地方自治体は、学校給食以外はほとんど現場サービスがなかった。その後1960年代半ばに東京オリンピックの開催にともなう街の美化のために自治体による清掃収集が開始し、戦前からの工業都市にしかなかった保育所がどの自治体も開設されたところから、自治体による公共サービスが本格的に整備され始めている。そのときにも、当初は臨時職員ばかり雇用した自治体が少なくなく、そもそも制度当初から、福祉国家における公務員制度がどうあるべきかという課題を抱えていたといえる。
●以前、高梨昌さんとの学習会で、公務員に関して統治機構型・福祉医療教育などの福祉社会に必要なジョブ型・水道や電力や交通など独立採算の収益事業型3類型(名称はレジュメを紛失し不正確ですが)の整理が示唆になっているし、濱口桂一郎さんのジョブ型正社員という言葉も示唆になっている。ちなみに地方公務員法が成立した1950年当時は、公務員の3類型でいうところの統治機構型と収益事業型について、前者は地方公務員法、後者は地方公営企業関係労働法で整理され、後者については雇用関係の特殊な任用制と、労使関係でのストライキ権以外はほぼ民間に近い労働法制が適用されるよう整理されている。その時になかった仕事につく公務員について想定がないのだろう。
●現状、介護や医療の公的責任を放棄しない限り福祉国家にならざるを得ないという現実を直視せず、大きな政府か小さな政府かという議論にばかり興じて、どういう雇われ方したところでそのマンパワーの確保のための制度や財源に不備があることを理解しない一部の与党議員にいらだちを感じざるを得ない。
今ある官僚型公務員制度を心から信じ切って、その制度の上で「いけなんいだ、いけないんだ」と公務員バッシングばかりに興じて、福祉国家を支える公務・公共サービスの労働問題を放置するような議員は、アメリカの小さな政府派のように、一方の受益者である有権者に対しては公務員や公共サービスに従事する人たちの人件費が無駄だからと「税金の無駄遣いをなくすために昔の農民のように子どもを背負って職場に出ろ」とか、「動けなくなった高齢者は姥捨て山に連れて行け」と演説すべきだろう。サービスはもらいたいのにお金は出したくないなんて、何も勉強していないでもできるような主張は公職に就くものとしてあまりにも無責任だと思う。
●このHPで山下よしき議員がヒアリングした相手が、先日書いた問題人物でした。
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