9/26 大手マスコミは検察特捜のシステムの問題ととらえたくない態度見え見え
大阪地検の証拠偽装問題が、案の定、マスコミでは前田容疑者の個人的資質として報道されている。
朝のテレビでも、政治評論家の岸井氏が「巨悪とたたかう検察にあってはならないこと」などと批判していたが、政治評論をやっていてインサイダーや当事者の情報と接する機会があれば、社会の悪とたたかう検察特捜はその目的のためなら証拠や事実と違う供述書を作っているというのは常識中の常識で、しらじらしいこというなぁと思っている。佐藤優氏の著書を読めば、事実より高い方にも低い方にも調書で話を作り上げていく過程が記述されている。それは今回の容疑となった一件と境目のないことである。これはシステムの問題であるし、政治家クラスを捕まえるんだ、という組織の使命においていることに問題があるのだろう。
しかし、検察の捜査情報の漏洩をネタに取材活動をしている大手マスコミとしては、システムの問題ととらえて正面から検察特捜批判をしたくないという態度が見え見え。
●検察の取り調べを受けてきた人たちの証言記録などを読むと、検察特捜は、組織的犯罪について、組織の看板に一定傷つければいい、という処理をしてきていて、組織的犯罪なら本来は一網打尽にやるべきということになるのだろうが、特定の悪人を指定して、その人に司法的責任を集中させ、マスコミを通じた情報リークとメディアスクラムで組織の社会的影響力を削という手法を使って制裁を行う。さらに捜査を徹底せよという人たちからすると、トカゲのしっぽ切りということになる。あれだけマスコミが騒いだのに懲役刑は数人、それも執行猶予付という判決で終わったものが少なくない。
白なら白、黒なら黒ということでいえば、そのことについて司法手続きとしてはまずいのだろうが、容疑段階で犯罪者扱いをされるこの国において、その程度に手加減することは、必要悪なのかも知れない。
今回は、捜査の適正性を問われ、またリアルな権利機関である検察特捜の事件ということであり、そうした処理ではまずいし、検察特捜という、日本の司法システムではイレギュラーなぐらい超越的権限を持っている機関が民主主義社会にきちんと調和して存続していくためには、徹底的な組織的検証が必要だと思う。何より今回の事件の捜査過程をすべて公開して検証することが不可欠だろう。
●夕方の番組でヤメ検事の河上氏はミスだというが、発覚したことがミスなのか、偽造がミスなのか不明確にしてコメントしている。また、特捜のそもそも存在意義にについて、「政治家のさばらせていいのか」という言い方をしている。
世論に右顧左眄す程度の権力しかない存在を「のさばらせる」という位置づけて、行ったことの検証不可能、是正不可能、補償不可能の検察官僚が監視するなんてシステムがそもそもいいのかと問われている。のさばるかのさばらないかという存在は、コントロール不可能な検察特捜の方ではないか。
この河上という人は前からこうしたところではとんでもない発想をする人だと感じている。政治家がのさばっているかのさばっていないかは選挙で判断するもの。憲法に不逮捕特権があるというのも、よほど明白な犯罪でなければ、政治家を逮捕するということは行政権力の横暴を招くという戦前などの反省から生まれたもの。政治家は選挙を通じて国民が辞めさせることができるし旬も短いが、検察官僚・警察官僚は国民が罷免させることはできない。どちらが実際的な権力があるかということは明らかで、のさばる危険性があるのはどちらだ、ということだ。
また政治家の逮捕という事件を知るたびに、真っ黒な政治家もいるが、その人が多少なりとも良い仕事をする政治家の場合、その容疑である汚職を取り締まって彼の本業が断たれる弊害と、汚職が介する政治への害毒のバランスをとらえた場合、人によって感覚は違うと思うが、私は明らかに後者の方が害毒が少ないように思う。そこも最終的には有権者が判断すべきことである。
動的な民主主義のシステムからは、検察がスタティックな正義を持って政治家を監視するなんていのうは、時代錯誤ではないかと思う。
●こんな人物を、のさばる政治家にしたあほな政党もあったなぁと。
●河上、堀田と、検察が社会の絶対的な正義ともてはやされた時代の検察官は何かゆがんでいると思う。
●政治家がのさばっていると表現する国と、総選挙を通じて信頼関係を強化している国があるのと落差だ。
スウェーデンについての研究をしておられる方のブログだが、スウェーデンテレビの世論調査の結果を公表している。
政治家に対する信頼が大きく上昇
19日投票の総選挙を通じて政治家に対する信頼感が上昇、すべての既成政党の支持者で信頼感が上昇、右翼政党の支持者で信頼感がないという結果。
「のさばらせて」と権力機関の退職者(政治家経験あり)までが何やってもいいんだろと開き直っている国との違いを感じる。
●世界でも奇異なほど独特な規制だらけの公職選挙法で育ち、政治家の生殺与奪を握っている検察にスキャンダルでひっかけられないようにすることばかり注意して育った政治家が、ガラパゴス島の動物のような独特の進化をしていると感じる。維新の志士をまねして大声でどうでもよい天下国家を論じるか、公選法や政治資金規正法の違法合法の境目の技術論しか話のできない政治家ばかりという感じがしている。
尖閣諸島の処理の仕方でそれを感じる。清潔さとキャンペーン技術だけで政治家としてのし上がってきたから、利害調整や見えない本音とどう折り合いつけて話し合っていくのか、ということが身についていないと感じる。領海侵犯=逮捕、人質とられればこちらも解放すれば返してもらえる、というおめでたい判断を行う。旧ソ連の漁船拿捕をまともに見てこなかった太平洋ベルト地帯の政治家の幸福というのか。旧共産国の人質外交はほんとうにしんどいものだ。
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