8/29 書類と現実の差があっていけない社会の息苦しさ
戸籍や住民票に残っている行方不明の高齢者の問題について。
この問題を評論したがる人の言い分は、「高齢者を見捨ててひどい、役所は何をやっているんだ」ということが多数意見だ。どうもこの非難の仕方が、私にとって違和感を感じ続けている。所詮と言ってはいけないが、書類の上でのことだろうと思うところもないわけではない。
そういうことを言いきって役所を非難できるのは、書類が現実と必ず合っていることが当たり前という、きわめて特異な環境の中に生きていることが当たり前だと思う。情報管理というのは、現実におきていることにそのまま必ず直結しないことは、トラブルシューティングをやってきた人ではないとわからないのかもしれない。
野垂れ死んだ人を誰が発見し、誰が葬儀にかけ、誰が死亡としていくのか、そういうリアリティーが実感できない人が、書類があっていないと、200歳のじいさんがいるではないか、と非難できるのだろう。すべてがその結果ということではないが、不明の死人「行旅死亡人」は2010年7月官報掲載分で51人もいる(
。外国人もいるから、ただちに戸籍や住民票の不備に全県結びつくわけではないが、これだけの人が行方不明者として確定しているということである。
また、今回浮かび上がっているのは、死亡した事実を隠し続ける家族の存在である。これは役所の問題なのだろうか。役所の業務が徹底していない、という課題が浮かび上がるが、死亡届を出さない家族に「死んでいるかもしれないから確認させてください」と踏み込む制度を作れるかどうかは国民合意にかかっている。またそれを察知するほど公務員を増やさなくてはならないだろう。
今回の一連の事件はマスコミ的には面白おかしく書きたてるネタなんだろうが、やはり最初に戻るが、死亡というプライベートなできごとを、役所がすべてにわたって確実に把握し書類に記録するということが、大変な仕事ではないにしても、完全性を要求することはできないということである。
●ただし、これを機に介護保険制度を充実する方向に見直しされることを期待したい。
●余談たが、朝霞市の外部評価委員会の第5回の委員会の議事概略が掲載されているが、保育は「改善」、介護と「改善」としか書いていない。何が改善すべきなのか議論したのであろうから、端的にでも書かないと、無意味な情報公開である。
●朝霞市のこうした委員会・審議会の議事録の公開が全体的に停滞し、遅くなっている。物事の意思決定にあたって、何がどう議論されたのか後日の検証に耐えうる意思決定となるためには、こうした情報の公開は不可欠である。政策決定に関与した人たちの作為、不作為の責任を明らかにすることなしに、公的な価値など創りえない。また、ベッドタウンという昼間を共有できない市民が多いのだから、その点からインターネットに会議の情報というのは公開されるべきでもある。
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