8/15 終戦の日、美しい言葉しか出てこない集団に注意
終戦の日。毎年書いているかも知れないが、子どもの頃は、ちょうどこの時期、九州の父の郷に帰り、祖父から戦争の経験を聞かされた。
戦前の商人で、リベラリストだった祖父にとって、戦前・戦中のあの時代はほんとうに嫌な時代だったみたいで、よくよく戦争の失敗と、そんななかどうやって生きてきたかについて聞かされた。ただただ戦後の引き揚げのところだけが聞かせてもらえず、空白の歴史になっている。
●NHKスペシャルドラマ「15歳の志願兵」を見る。時代が戦前、エリート高校での少年志願兵集めがテーマ。いくつか考えていることにひっかかる。
1つは、大正から昭和初期のリベラリズムが急転回して全体主義の社会に移行していったが、やはり志願兵になるべきか否かという葛藤はエリート校だからこそのテーマだったんだなぁと。戦前にエリートでない人は弾丸にさせられていたんだと。そういう観点で、やはり戦前のリベラリストと、今の日本のリベサヨの弱点は、赤木氏「希望は戦争」について理解できないことだと思う。
もう1つは、舞台のエリート校の生徒が全員志願兵に志願したという栄誉を讃える新聞記事が出てきて、美しい言葉しか言わない集団というのは危険だと。この社会では、汚らしいもの、ネガティブなことについてマスメディアに出ることを嘆くようなところがある。しかし、戦争中に変なことばかりやっていたときの新聞は、味方の栄誉を讃える記事しか新聞には載らない。東南海地震すら伏せられた。
他人に嫌なことをおしつける策動は、美しい言葉をたくさん並べて、端的には反論しにくい雰囲気を作ること。学校を愛しているだの、会社を愛しているだの。北朝鮮がそうではないか。批判が適度に口をつき、そのことで改良される社会や組織が安全である。
組織の中で組織自体を愛することは、めったに口にすべきではない。それより一つ一つの行為を評価しほめれば十分なことだと思う。機能していれば十分な組織を、自己陶酔の対象にしている人が幅を利かせている組織は本当に危険だ。こんなことばかり言っているから私にはどこの社会でも政治力がつかないのかも知れない。しかし危険な組織、危険な社会にいるよりずっといいと思う。
●今の勤務先、社会にろくな言われ方をしていない。実態を相当超えるかたちで、社会の悪役にさせられている。一歩誤ればウヨクからもリベサヨからも非国民扱いである。そういう意味で、変なこと書くが、組織としては健全でいられると思う。
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コメント
その意味では、ナショナリズムとか国権思想を克服するのにパトリとか愛郷心とか持ち出すのも危うさがありますよね。要は入れ子型の全体主義のトートロジーにしかならないのだし。
正直、かの梶山清六が「愛郷無限」とか口にしたお陰で、地元を批判することが何か悪役にされているんですよね。(;´Д`A
投稿: 杉山真大 | 2010.08.15 22:48
>舞台のエリート校の生徒が全員志願兵に志願したという栄誉を讃える新聞記事が出てきて、美しい言葉しか言わない集団というのは危険だと。
このフレーズにぴったりな業界が野球を異様に持ち上げるマスコミのような気がします。
投稿: リッケン | 2010.08.18 09:23
ルサンチマン左翼として自己を社会的に必然的な存在して打ち出す勢力というのが大切だなと思いました。サブカル的なものとのすれすれの差異という微妙なバランス感覚が必要とされますが。ルサンチマンを非非生産的な方向性に昇華するために。
ルサンチマンは本質的な気がするので否定しては意味がないですね。
エリートの人や非常に恵まれてる人はそもそもその存在すら気がつかないのかもしれませんが。。
投稿: 赤いたぬき | 2010.08.23 15:47