6/15 形式的法治主義による政治家の質の低下
関西のある都市の知人の市議が落選した。非常に残念である。
昨年の衆院選で、彼の所属する地方政党が、衆院選の立候補者を推薦するという内容のチラシを配布したら、選挙違反で逮捕され、現在係争中。それまで結構な票を集めて、地域社会にも支えられ、中位当選を重ねていた彼から、一気に地域の支援者が引いて、仲間うちの地方政党の議員たちによって選挙は支えられた。
彼は、そのまちの大企業の工場が吐き出す噴煙問題に取り組み、地域社会にとっては不可欠だった議員にもかかわらず、地域社会は、選挙違反者という名目があるために支援を差し控えられた。
こういうことが、違反は違反、法治国家などということになるのだろうか。
そもそも選挙の際に、自分がどういう候補者を応援しているんだ、それはかくかくしかじかの理由だ、という説明書を配ること自体が違法などというのは、民主主義社会の選挙の姿としてどうなのだろうかと思う。そして、自由主義社会として妥当なのかと思う「選挙違反」のために、公害に苦しむ人の問題解決が遠のいたと思うと、この国の最近の「法治国家」的議論のやり方というのは問題が多いと思わざるを得ない。
●佐藤幸治「日本国憲法と法の支配」を拾い読み。
「法治主義」と「法の支配」の違いを論証し、規制緩和や官僚支配からの脱却、分権自治社会の中での法のあり方を形式的な法治主義から、いきいきした自治の論理による法の支配にしていくべき、という。
いささか異論はあるが、しかし、不安社会のなかで形式的法治主義の議論に傾斜し、悪法が市民社会の成熟を阻害していることに何ら疑問を持たない最近の雰囲気に対して、きちんと論立てしていると思う。
そして選挙違反の取締りなんかは、まさに形式的法治主義。成熟した民主主義なら、そろそろルールを全面的に変えていく段階に入っているように思う。
●そういうことを乗り越えられる政治家というのが、鈴木宗男や田中角栄や小沢一郎みたいなタイプしかいないというこの国の政治家の厳しさというのを改めて感じる。
| 固定リンク
コメント