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2010.05.30

5/30 拘束力がないから議員は安心して仕分けできる

サンデーモーニングで、事業仕分けに法的拘束力を持たせられないかという議論がされていた。

怖いこと言うなぁと思った。選挙も試験もない事業仕分け人が公正に選ばれている保障は何もない。偏っていないといくら言い張られたとしても、仕分け人をどういう理由で選んだのか、ほとんど情報公開されていないのだから、有権者としては、「偏った人選かもしれなくてもあえてやる」という政府の意思があると捉えるべきだろう。

推進している民主党の小さな政府派の人たちにしても、拘束力なんか持たされたら逆効果だろう。
おそらく、政治的効果を考えると、法的拘束力を持たせない方がいいのだろうと思う。一つには、官僚が抵抗してくれた方が、事業仕分けの手順な質の粗さが一切免罪されるからである。官僚が抵抗できず、仕分け結果が政策決定に直結したら、仕分け結果が中途半端なときに責任を転嫁する相手がいなくなる。仕分け人やそれをまとめている民主党の議員たちに、仕分け結果について問題が発生したときの責任が問われる。
例えば、前の事業仕分けのときに、保育所の利用料について夫婦年収900万円以上の人の保育料を上げろと仕分けされた。実行すれば、30代後半以降の共働き正社員夫婦は事実上の保育費用の実費負担(公費なし)を求められる。事業仕分けに拘束力を持たせれば、そうした人たちの反発は、厚生労働省の官僚ではなく、民主党議員に向かっていくことだろう。

実際に政策決定というのは、複雑な利害がからみあっていて、悪役とされる側にも一分の理があることが多い。その一分の理をあえて無視したり切り捨てて整理するのが事業仕分けの機能の一つなのだから、事業仕分けで決定しても、現実そうはならないぜ、という話も少なくない。そういうときにも、拘束力を持たせたら、民主党議員の責任が問われることになるのだろう。

●この手の節約型財政政策談義の中では、何の証拠があるのか「氷山の一角」という言葉がよく使われる。氷山の一角と捉えている以上、いつまでも本当の改革を阻害する敵を探し続けることになる。自らの政策決定の失敗も「本当の改革ができないから」という言葉で覆い隠すことができる。
これらは、でたらめな政治運営を棚に上げて、本当の資本家と富農がいるから革命ならずと、社会のあらゆる少数派を政治的・暴力的に弾圧しつづけた文化大革命と同じ理屈である。

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