5/1 市民派がみんなの党を応援するには説明責任が必要ではないか
新自由主義を徹底せよという主張にしか見えないみんなの党に川田龍平氏が入党し、さらに地方選挙、次の参院選で小泉構造改革を批判してきた市民派無所属の人たちがみんなの党から立候補している。兵庫ではみんなの党の候補者の人間関係から、新社会党に関係も深い市民派の人たちも、みんなの党を応援するようなことにもなるようだ。
理解しようと思えばできるが、筋論としてどうなのかと思う。
みんなの党の新自由主義的なところと、批判してきた小泉構造改革的なものと、何が違っているのかきちんと説明なしに選挙をすることは、民主主義の質を下げるのではないかと思う。
民主党もそういうところを逃げて、ムードづくりだけで乗り切って、今日のような混乱状況が起きているのだと思う。二大政党に対抗する第三勢力論では、自民党に対抗する第二勢力、民主党と何も変わらない。きちんと理念や思想の方向性は統一して明示して選挙をしないと、第三勢力は民主党の二の舞になると思う。
●第三勢力も必要だが、政治的スタンスや思想が混沌としている中で、第四勢力、第五勢力も必要だ。
新自由主義の経済学者以外の多くの研究者、言論人が大きな政府論を有力な未来の方向として議論しているのに、それを未来のビジョンとする政党が全くないという政治状況では、政治の場でまともな論理が議論されないまま過ぎていく。
増税反対の共産党も含めてどの政党も、ムダゼロ・めざしの土光さんのスタンスのまま思考停止して、廃物利用みたいな節約術の政策しか打ち出していない中で、青い鳥をいつまでも模索することになる。
大きな政府にして、公的な施策が目詰まりして質が下がっていたり、国民に私費負担を押しつけているようなチャンスを奪うようなことがないことをめざす政党が必要。大きな政府論の政党と、今流行の小さな政府論の政党が論争して、政策決定していくべきだ。
世界標準では社会民主党がそういう役割を負うはずなのだが、マニアックな運動と党内コミュニケーションにばかり力を注いで、アウトプットが全然なっていない。
●労働や生活に疎い運動漬けの市民派の政治家に対するセンスを確認するには、役所で働く臨時・非常勤等職員に対する考え方である。彼らを地域の公共を現場で支える戦力とみるのか、ヤミ公務員的な存在と見るかで見えてくる。自らも雇い主の一員であるという自覚があるかどうかがよくわかる。
●みんなの党の政策の帰結は、生活保護給付や、保育所の待機児童問題や私費負担、障害者福祉の抑制、教育格差など、自助努力として目を瞑れということにならざるを得ない。日本政府の財政状況、収支均衡の原則を崩せない地方自治体の財政の限界を考えると、増税なき財政再建をやれば、小泉構造改革で行われた社会保障政策の切り下げを回避することはできない。
●みんなの党が躍進したのは、小泉構造改革のどこがまずくて、どこを修正すべきか、きちんと政策的議論を積み上げてこなかった民主党の問題が大きい。
●鳩山氏の指導力の欠如が今さら批判されているが、かつて党首をしているときと同じ状況ではないか。その歴史を忘れて党首にしてしまったことが問題だろう。人は良いし嫌われない、党が割れない、それが誰よりぬきんでていて、ひがみっぽくて、まとまりのない民主党で最も選ばれやすい党首であった。
今に小沢批判をしている民主党議員についても問題がある。彼らは民主党に小沢氏が入るときに、マスコミは金や党運営について今日のような状況になることを予測していたはずなのにきちんと反対していたのか。反対していたのは枝野氏ぐらいだろう。前原氏は、京セラの稲森氏を介して迎え入れた側ではなかったか。また、小沢氏を迎え入れなければ、世論調査に振り回された党首の使い捨てと、政局的な党内抗争に明け暮れていたのだろう。永田氏という犠牲者もある。問題はあるにしても小沢氏が党を自滅させなかったことだけのことを、小沢批判派の議員たちはできるのだろうか。
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