4/11 みんなの党の評価
多摩市議会議員選挙の補欠選挙があって、昨年夏の選挙で非常にお世話になった大野まさきさんが当選したとのうれしい報せ。
同時に行われた市長選挙では、民主・社民・生活者ネットが支援する候補が、みんなの党推薦候補を僅差で破る結果。首都圏ではみんなの党の猛威に注意が必要。自民党・公明党推薦の候補は惨敗。
●職場以外の政治的接点のある人たちから、時々みんなの党に対する見解を求められる。
穏健な保守vs穏健な社民主義という先進国の標準的な対抗軸が形成されるまで、日本の政治は不安定な二大政党制におかれる。その中で、第三勢力以降は多様な価値観で彩られ、連立や合従連衡で、二大政党の政治的スタンスが修正されていくことが望ましいと私は思う。イデオロギーチックな(新自由主義的なのになんで大きなカブのような社会主義的な名前をつけたのかが不思議だが)みんなの党があることは悪いことではない。民主党の初期のさきがけから流れ込んだ議員たちと良く似ている。首長新党や、たちあがれより意味がある存在だと思う。
ただしそれが自分が応援できるかとなると、全然違い、みんなの党の新自由主義的スタンスが先鋭化されているところが私とは考え方が全く相容れない。彼らの政策、国・地方両方の公務員を減らして規制緩和を推進して地方分権を進めて、あとは何とかNPOが、というワンセットの改革を提案していくと、つきつめれば小泉構造改革の繰り返しになるし、組織がうまく肥大化できれば小沢氏が乗り込んで来る前の民主党の失敗を繰り返すだろう。そういうやり方はかえって財政赤字を拡大して時間を浪費しているだけという感じがしている。私の考え方とは対極にあると思う。
また、党首については、党首が政権与党にいたときに、公務員制度改革を推進していたときに、労働組合と協調的な関係であったのに、全く関係のないベクトルから、公務員制度改革を妨害しているのは連合、というようなことを雑誌に寄稿しているところが信用できないと感じている。公務員制度改革の趣旨は、キャリアは能力主義的な制度に置き換え、ノンキャリやキャリア下積みの公務員は民主的労使関係におきかえていくというものとして大臣であった彼は推進したはずだが、公務員の賃金水準を権力的に抑制するかどうかの話を雑誌等で書いているところにずるさを感じている。
●新党を作る政治家たちが、安易に伝統だとか保守主義だとか標榜するのが、どうも解せないでいる。改革派とか市民派とかも同じような問題を抱えている。
そういうものが一票にでもなるのか、中身に意味があるのか、私ははなはだ疑問で、ボクはブサヨではないよ、という自己暗示にしか感じない。
票にもならないイデオロギーを掲げることにどうして意味を持ってしまっているのか、考えなくてはならない。
本来なら票になるはずの社民主義も、今の日本ではマルクス・レーニン主義者が自称社民主義をやっていて、旗色悪い。国際的基準にのっとって社民主義を標榜してもらいたいと思うところ。社会主義インターあたりが商標登録してくれないものだろうか。
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コメント
はじめまして。以前からよく読んでおります。
「みんなの党」が公務員攻撃をするのは、簡単に言えば、少数派だからだと思います。
公務員の数は北欧などでは労働人口の30%を超えますし、欧州でも20%以上はザラ。「小さな政府」を標榜するアメリカですら10~15%を占めます。
公務員が大票田ですから迂闊な公務員攻撃はできません。
一方日本では5~6%に過ぎません。すでに世界に例のない「小さな政府」になってしまった社会では、少数派の公務員はさらに叩きやすい存在となったというスパイラルにあります。
また経営の傾いた日航、リコールのトヨタなどにも「給料を減らせ」という言葉がぶつけられます。
政治家はこの嫉妬体質のふたつを利用しない手はありません。
「みんなの党」は小政党のうちはこうしたポピュリズムで人気取りをできるでしょうが、規模が大きくなったら、実現性の乏しいマニフェストとどう整合をつけるつもりなんでしょうか?
投稿: 飛び入りの凡人 | 2010.04.12 12:18
公務員バッシングは数の論理なんでしょうか?私は公共に対する信頼感がものすごく低下しているからだと思っています。保育所を利用してみて思いますが、社会の変化についていけない公共サービスのお寒い現状など、公共サービスに対する信頼感が形成されないことが大きな原因だと思っています。
全員民間人の親族から、職業教員や公務員の妻が出てきて、わが家系は急激にスウェーデン並みの20%ぐらいの公務員比率になっていますが、しかしそれでも公務員バッシングに同調する民間人の親族はいます。
みんなの党のような政党は、共産党のように、新自由主義者の政党として徹底してやって国会論戦を盛り上げてくれれば存在価値があると思います。
しかし、残念なことに日本の保守系の政治家は思想や理想で共同行動ができない人たちなので、彼らが新自由主義のイデオロギーに染まってあれこれやろうとしても、支援する有権者はそれで応援しているわけではなくて家父長制的な配慮を要求するし、そういう明確に要求をしてくれる人でないと政治家の後援会を支えてくれないものなのです。
小泉純一郎がそうであったように、やり玉的な民営化やリストラをいくつかやって、後は大いに利権と妥協するみたいな話になってしまうわけです。公務員バッシングに同調していた有権者が、つまらないサークル活動の数万円の助成金を市にたかったり、息子の交通事故のもみけしを政治家に頼んだり、珍しい光景ではないのです。
そんな政治風土のもとで新自由主義を標榜する政治勢力はいつも中途半端な改革をやらざるを得ず、抵抗勢力がいるのだ、あいつらがいけないと攻撃の先を必要とすることになります。その標的として国民の間の嫉妬を利用します。
※ここまで書いて、そういう政治スタイルってかつての共産主義と同じだなと。革命はいまだ成就せずと言って、粛清(時には公開処刑)をやったりして。
投稿: 管理人 | 2010.04.14 00:52
ご返答ありがとうございます。
私も新自由主義思想には反対ですが、存在自体を否定することはしません。ただ「みんなの党」の手法が非常に扇情的な公務員バッシングを人気取りに利用しているのは気に入りません。
行政への不信感というのがどこから出ているのか、私にはどうにも分からないのです。
仰られるように、官公庁に不満点はあるでしょう。しかしそれは永遠のテーマではないでしょうか?
私には幼い子供がいますが、現在のところ医療費は無料で、定期的な検診・予防接種の無料サービスの通知が欠かさずくるなど、行政サービスは昔に比べ格段に向上していると感じるのです。
区役所と併設する保健所の職員の方々も非常に親切ですので、不満が特に見あたりません。私の周囲の保護者の方々も同じことを言います。
ところがマスコミを通しての公務員評となると、突然「市民のことを考えもしない利益者集団」となってしまい、多くの市民もそれを鵜呑みにしているところが不可解なのです。
投稿: 飛び入りの凡人 | 2010.04.14 21:59
公務労働者を擁護していただいてありがとうございます。
しかしなんですね。
元気な有権者向けに●●無料化というような政策はいろいろ打たれていても、失業したときにどうするかとか、家族が難病で寝たきりになってしまったときにどうするか、とか、そういう政策はまだまだ不足して、より弱い立場の人が黙って我慢しているようなところがあります。そして窓口では、あんたが悪いんでしょ、といわんばかりの態度が取られます。
税収が少ないことが原因で、全国民が安心して何かにチャレンジできるような社会になってはいないと思います。
そういうところに公共サービスや公務労働者を大切にしようなどと思えない社会風土ができてしまうのだと思います。
投稿: 管理人 | 2010.04.16 23:59