3/21 在宅療養は地域に根付くか
私が所属する朝霞市の地域福祉計画推進委員会が開いた「在宅療養」のシンポジウムに参加した。
小山市の開業医の太田さんが講師。
委員会で満足死というテーマで議論を始めた結果のシンポジウムで、150人の会場を埋める参加者があった。朝霞市で福祉などという地味なネタで人が集まるのはおどろき。嬉しい。
なぜこのテーマになったかと言うと、満足な死に方をするためには、生活の中で死ぬことができなくてはならない、という問題意識があったからだ。そのために朝霞市はあまりにも課題が大きい。ベッドタウンなので二世代、三世代同居は少ない。往診をしていくれる医師はほとんどない。介護と医療をきちんとしなければ、マイホームで孤独死か、病院での孤立死しかない。孤立死、孤独死が格好良いというゲージュツ家的価値観が蔓延することでもなければ、満足できる死があるという安心感を作らないと、あんまりよい地域という評価は確立できないだろう。
病院以外で死ぬためには、在宅療養が可能な地域社会にしなければならない。しかし、介護保険の議論でも、高齢者福祉の議論でも、医療の分野の話は保健行政にとどまり、医療についてはアンタッチャブルになっていたきらいがある。在宅の医療をどうつくり充実させていくのか、そんなテーマで、小山市で20年前から実践されてきた太田さんの講演をお願いすることになった。
太田さんは、一分一秒生きながらえるためにがんばっちゃうことによって、死までの人生がぼろぼろになってよいのか、幸せな死に方をしたいという人に寄り添う医療だったのか、という問題提起をしていた。患者の幸せのために医療が何ができるのか、という組み立てをして医療をやって、在宅医療という方法に至ったという。
話の中で、診療所の医師や看護師が、「久しく●●さん来なけど、病気でもしていないかな」というシーンを紹介して笑いを誘っていたが、元気な人にしか使いにくい医療になっていやしないか、というのは、私も常日頃感じている。
先生は、医療が必要なところに医療があればいいことで、患者を客として呼び集める方法しかないことに問題意識を持っているようだ。そのもっともラジカルなものとして、難病の子との旅行の話が何度か出てきた。
車いすを載せられない航空機、酸素吸入器を積めない航空機であった時代に、難病の子が高知県のアンパンマンミュージアムに出かけるのに付き添った話もよかった。日本ではこうした話は過剰な福祉、我慢しろで片づけられる話だが、先生は、自民党訪中団が医師を連れて行った話を引き合いに出し、金と権力のある人は昔からやってきたことだと指摘したことは良かった。
生と死が生活の中からなくなり、生活の中で生命を感じることがなくなった、という最後の問題提起も良かった。死の最期の風景は、生活の中でありたいと私も思う。
講演の後の会場から市内の開業医の発言があった。
在宅療養の勉強会は重ねられているようだが、大都市圏は開業医の後継者の若い医師はみな都内に転居してしまっており、24時間対応は難しく、なかなか在宅療養を実現するのは難しいという。
当面、病院や施設で高齢者が死ぬことが当たり前という状況は変わらないと思うが、何か地域社会に別の選択肢もあるんだという気づきが与えられて、いつかこうした社会になってほしいという希望が出てくることを期待したい。希望より高い現実はやってこないから、希望が高くあることは大切だ。
●太田さんが話しておられたが、1971年以降の医師養成数の倍増によって、専門医でなければ医師は食べていけなくなるという脅迫観念が根付いてしまったということは知らなかった。
●一分一秒の人生より、死んだ方がいいんだと取られる危険性があって、十分に注意しなくてはならない。大事なことは満足な死に方ということである。当然、本人の意思が優先されるべきだし、運命論的にそんなことまでして生きる必要はないなどとイデオロギー化すべきものではない。
この考え方は、医療費抑制という副次的作用があるにしても、医療費抑制のためにそうした方がいい、という議論をするのには反対である。
●先々月、職場でお呼びした権丈善一先生の「必要な人に必要な医療が提供できる体制」という言葉をかみくだく。
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