3/15 師匠の引退
私の政治の師匠とも言える、山口たかさんが政治家を引退されることを表明された。とても残念で、悲しく思っている。
1995年の統一自治体選挙で出会い、人と人とを結びつけて元気にしていく能力に引き込まれ、以後3年間、札幌を離れるまで、いろいろな行動をともにした。当時は生活クラブの組合員を中心に支持を広げていた市民ネットワーク北海道という地域政党に属しておられて、生活クラブ系の人脈だけでは運動が広がらないと、外の人とも連携を作っていた。NPO法ができたばかりの頃で、市民運動系の政治運動をする若者もそうそういなくて、労組でもない(当時)のに左派系の私をとても大事にしてくれた。
たかさんのもとで選挙の勉強もしたし、頼まれてサラリーマンという立場をさしおいて市議会で市民参考人として話したこともある。市民ネットワーク北海道の路線論争があったときも、夜遅くまで私を引き連れてその渡り合いの場面に立ち会わせていただいたこともある。機会が人をつくっていくというのを最も自分自身に感じた頃である。
何よりご恩に感じているのは、ネガティブで引きこもり的行動パターンに陥っていた私を励まし、前向きにしていただいたこと。そうなったのも1995年前後の人間関係全体のおかげだが、その中でとりわけ政治という面では山口たかさんの影響は大きい。迷う今の職場への転職を勧めてくれたのも山口たかさんであった。
選挙での行動力と、思想やイデオロギーの違う人と話をしていくタフさをつけていただいた。
当時は私は社会党の熱心な支援者で、組合関係者以外に選挙運動の中心的な担い手の門戸を開いていなかった社会党の選挙では学べないことを限界に感じて、市民ネットワーク北海道の自治体議員選挙で身を粉にして働くことで勉強させてもらおうと飛び込んだところだった。
たかさんはよくそういう私をまだ「社会」という言葉にこだわっているの~なんてからかいながら上手に使ってくれた。
その後、札幌の政治に近いところにいる市民運動家たちのいきちがいで、山口たかさんは2003年の札幌市長選に担がれ、その担がれた人たちに引きずりおろされかけ、いろいろなボタンの掛け違いがかさなって、市民ネットワークを離れ、社民党の北海道の地方組織を背負う立場になっていた。私と看板のポジションが入れ替わってしまったところがある。社民党というしんどい看板を担ぎながら、しかし以前よりすっきりマイノリティーの人権によりそう政治姿勢になったと感じていた。
理想を失わず、現実を楽しむ、山口さんの政治姿勢には、いつも励まされてきた。
その後、衆院選をたたかい、3年前の参院選比例代表では行動力で凌駕して、知名度のある上原公子前国立市長より票を取り、議席まであと一歩のところに迫ったが、社民党そのものの党勢の衰えで残念なことに惜敗した。参院比例ならまたがんばれるのではないかと思っていたが、急転直下引退宣言で、びっくりしている。
選挙に出る出ないにかかわらず、政治の現場で、奮闘していただけたらと願っている。
●雨で塩吹いた靴は洗うといいと聞いて、靴を水洗いして乾かしている。洗ってみたらしっとりした肌合いになるし、シューズキーパーで支えると、靴の形もきれいになった。乾いてクリームを塗るタイミングを待つ。
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