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2010.03.12

3/12 文京区長の育休宣言(続)

育休宣言した文京区長の反応の中に、そんなことしているヒマがあれば待機児童問題に取り組むべき、というものがあるという。

いやいや、待機児童5年目のわが家庭において、困っているのは、育児体験のない児童福祉課の男性職員たちや、保育所や学童保育の問題を後回しにする幹部職員たちの、無神経な保育政策の進め方、窓口対応の仕方。言葉が通じません。

保育に課題を背負っている人に対して、市職員は同情ないしは当事者の立場としての敬意を表してくれるが、いまいち子育てについて、教育以外にはあまりピンときていない。何で妻が無理して働くんだといわんばかりの職員さえいる。家族とはいえ、誰かがやっている育児という意識がある以上、育児の当事者の代弁者になんか絶対になれないし、当事者参加ができない保育政策の策定をやっている中で、期待するのは市職員の当事者感覚しかない。

(自分の子に限定せず)子育ては、社会を次の時代に引き継いでいく営みで、そのやり方は時代時代によって変わっていく、大切なことはどんな時代になっても子どもが誰かには愛され大切にされる社会にしておくこと、そんなふうに分かって貰えれば、今日明日の待機児童問題も大事だが、窓口の応対や代替案の提案の仕方もずいぶん変わってくるのではないかと思う。

●そんなことを先日のNHKスペシャルで取り上げていた湯浅誠さんの言葉にもあったように思う。解決できなくても、その人が自立できるための足がかりになったり、自信や誇りをつける声かけがどんなふうにできるのかが大切だと。

●そういえばパブリックコメントに書き忘れたが、市職員に子どもが生まれたら性別問わずに強制的に育児休業を取得させるということが必要だろう。生活の場が仕事場なんだから、できるだけ生活に近いトラブルを経験すればするほど市職員として成長するように思う。
強制的な育児休業は広島県三次市役所が実施している。組合対決型の市長から、職員組合の頭越しに制度化されたので、当の組合は評価を控えているという面もあるが。

●と、仕事柄、自発的かつ半ば強制的に育児休業を取得したことがあるので、仕事によるが、生活に近いサービス関係の業界は、男も女も関係なく育児休業を取得する文化があった方が、いい社会になると思う。生活に遠い産業では、仕事場に返せるものはあまりないかも知れないが。

●渥美由喜さんのように、育児休業やワークライフバランスの推進が企業の収益性向上につながる、とは思っていない。やっぱり不利、企業戦士じゃない人をたくさん抱えて商売をするのは。でも、付加価値を作るために、人命や人を育てることが後回しになる、そんな社会でいいんですか、という問題が第一なのではないかと思う。

●明治大学の労働関係の講座のガイダンスをやるハメになり、学生自治会も経験していない今の学生に労働組合を紹介しなくてはならず、どうしたものかと困って資料を漁っている日々。
「団結権」の行使がなぜ必要なのか、専門的な言葉や、感覚的には伝えられても、実感としてどういうものなのか、うまく伝える言葉が見つからずに困っている。それができないと、労働組合の必要性、労使交渉での団体交渉の必要性がわからず、労働問題の理解が個別労使紛争の域を出ない。
何とかならんかと思って、私が高校生のときに労働問題に関心を振り向けてくれた「ザ・ワーカーズ」(労働教育センター・絶版)という労働運動の入門書を古書で入手。そのわかりやすさ、焚きつけ方に、改めて感激。まだ総評、同盟、中立労連、新産別、統一労組懇があった時代で、労働分野に新自由主義がなかった頃で、かつ佐高信言うところの「社畜」全盛期のもので、いろいろ時代も感じる。

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