2/16 幼保一元化の意義と待機児童問題の解決を混同すべきでない
私の「2/2 改善された内容・週刊ダイヤモンドの保育所記事: きょうも歩く」にはてなブックマークで
「子ども手当のために、保育所増設の資金を失ったという議論はナンセンス。幼稚園の廃園が相次ぎ保育園が不足するというミスマッチを解消させればいい話。保育園建設は建築業者が儲かるだけ。」
というコメントが寄せられている。「だけ。」では解決しない。
保育所待機児童がいて幼稚園の廃園が相次いでいるというのは、東京都心部や地方の県庁所在地ぐらいの地域だけの話。もっと事態が深刻で保育所も幼稚園も余って閉園している、というのは地方の市町村。
待機児童問題が最も深刻な大都市周縁部、東京23区でいえば、江東区、江戸川区、葛飾区、練馬区、板橋区などは、幼稚園も不足している状況。今この時代に入園願書を届けに早朝から並ぶなんて、知らないだろう。埼玉県南部、千葉県西部なども。
そもそもの原因は社会インフラと無関係にマンション乱造を許してしまった自治体と法体系にある。こうしたところでは上記のような観念論をふりかざされても問題は解決しない。
保育所単独でも、東京大阪周辺(+沖縄県)と、それ以外の地域のアンバランスをどう解消していくかということも大問題になっていて、国というグロスで考えれば、今でも、保育所の定員は充足しているという数字になっている。熊本県の保育所を埼玉県に移転させればいいという話にならないのと同じで、幼稚園を保育所化して子どもをシフトさせれば待機児童問題が解決する、と言い切ってしまうのは、同様の見間違いをしていると言ってよい。
待機児童問題が発生している地域は、幼稚園から保育所にシフトしているということよりも、圧倒的に子育てを始めたばかりの世帯がよそから流入している、あるいは発生している、ということである。
また、市の審議会委員会に参加してよくわかったが、幼稚園経営者は長く業界団体によって保守的な価値観に培養されてきているため、通常の17時までの保育でさえも抵抗感が強く、さらに通常の延長保育などには極めて否定的な意見の持ち主が多い。障害児保育や外国人児童の保育などには、積極的に取り組む園に対して取り組まない園が批判するなどアレルギーまで起こしている。
専業主婦の協力による園運営なども定着しているので、幼稚園の保育所化というのは、事業者の主体性を尊重すればほんとうに限られたところでしか行われないだろう。関東は公立幼稚園が少ないので、幼稚園を保育所にしていくのは事業者に対する相当な苦労と説得が必要だ。指摘されるような建設業者を肥やすことより労力がかかりすぎ、今いる待機児童を解消できずに時間ばかりが経過していくだろう。
建設業者にお金がまわるだけ、というが、仕事のある人を救済しつつ、仕事を創ることになるのだから、不要なものを作るのでもなく、社会の効率化に寄与しないことでもなく、国レベルでは推進する価値はあると考えるべきだろう。本当に社会に必要なものを作るなら建設業者が少しは肥えたらいいと思う。
●幼保一元化というのは、就学前保育をどう公的なものにするか、という理念にもとづくものであって、理念としては皆保育のような思想である。就学前に集団保育が必要だと考える人には否定できない魅力があるし、私も究極はそうあるべきと考えるが、その魅力が幼保一元化という言葉に全能感を持たせ、さまざまな就学前児童をめぐる問題解決のための具体策を遠ざけているように感じてならない。
待機児童問題の解決の方便に矮小化すべきことではない。そういう議論の仕方をすると、幼保一元化の場合、保育の必要度が高い困難な家庭ほど施設に逆選択されるという問題にぶちあたる。きちんとした理念がある政策を方便として使い出すと見直し後の介護保険のように「うまくいくはずだったのに」という結果になる。
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