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2010.02.14

2/13 職業教育に関するいろいろな思い出

きょうの「EU労働法政策雑記帳」に、労働教育と、労働者個人の幸福についての意見の分かれについて書かれていて、とても興味深い。

ブログ主の濱口さんは、金子良次事さんの労働教育に対する批判的意見に対して「何にでもなれるはずだという幼児的全能感を膨らませておいて、いざそこを出たら、「お前は何にも出来ない無能者だ」という世間の現実に直面させるという残酷さについては、いささか再検討の余地があるだろうとは思っています」と、今の職業教育不在の状況を批判している。

その意見の違いを見て、いろいろ葛藤した14~5歳のときのことの人生選択を思い出してしまった。

私は、中学生後半ぐらいから、祖父に商業簿記の修得を求められ、商業高校に行きたかったが、保守的な両親も、両親以外に頼っていた周囲のリベラルな大人たちも、なぜかこのときは共闘して阻止され、説得された記憶がある。

自分の中では、能力なんて大したものではないのではないかとずっと怯え続けていたこともあって、早く社会に役立つ能力を身につけたいと思っていたし、自宅の近所に県の肝いりで作った職業科総合高校もあったため、職業科に進学したかったのだが、やめなさい、普通科行きなさい、大学行きなさい、と言われ続けて断念し、結局、自棄気味に選んだ普通科高校に進学した。当時、埼玉県の大学進学率は28%程度。首都圏で高卒で働くのが最も当たり前の地域だった。

その時の周囲のおとなたちの言い分は金子良事さんの論旨とほとんど同じ。労働者天国をめざすマルクス経済学の影響を受けた若者時代を送った親ほど、強く言われた。将来を固定するものではない、と普通科進学を強く言われた。

大学4年の7月、北海道の文房具販売の会社に就職できたときには、ほんとうに安心した。そこで、文具屋の丁稚として働くつもりでいたところ、高校・大学と活動事をしていた雰囲気を察した経営が、過去全共闘世代の大卒をそうしたように、社内の運動ごと(社内業務の改革プロジェクトなどのこと)に接する機会の多い職場にと思ったのだろうか、本社部門に配属になってしまった。
顧客もなく、商品もお金もほとんど現場感覚で触れることのないセクションに配属になって、いつまでも自信が持てなくて退職してしまった。採用していただいたり、期待していただいた当時の同僚のみなさんにはすまない思いがいつまでも残っている。

「自由からの逃走」という名著があるが、自分にはこの仕事をやっていくんだ、という確信というのは、無産者にとって非常に重要なもので、そういうものは、できるだけ早く見つけられたら幸せだと思うし、その逆の状態になれば社会不安が起きてくる。
極端な例は白州次郎だが、無限の可能性を見させて、なんとかうまく世渡りしていくことのできる人間に、社会の全員がなり得ない。それを全員に夢見させようとすると自己実現教のあり地獄にはまってしまい、滅私奉公的な過剰労働、それとは裏腹のどす黒い出世競争の現実にもみくちゃにされる。そういうところに、高学歴でない人たちがついていけなくて、ひどい思いをしているのがこの社会だ。
そんな不幸せを対極に考えると、高校職業科のようなものはもっと大切にされ、高い位置づけをされるべきではないかと思う。もちろん同時に、社会に奉仕する人間形成のためだけの職業教育であってはならず、本人の人生設計に資するものでなければならないから、出世競争のための教育を求める人たちより一層きちんとした労働者としての権利教育と一体でなければならないと思う。

●日本がもっともうまくいっているはずの80年代、企業城下町の管理教育があまりにもひどかったので、職業教育というと、教育を産業に隷属させる先入観があまりにも強いのだと思う。しかしそれは当時も今も教育に人格教育を求めすぎた結果、企業に役立つ人材が管理教育に耐えられる人材、という位置づけになってしまうことであって、本質的な職業教育はそういうことではないだろう。

●出張先の金沢市で疲れていたせいか、「出世地蔵」という看板を、「出世地獄」と読み違えてしまった。先輩他同僚と一緒に歩いていた中で、みんなそのことに乾いた笑いをしていた。職務給が根付かないと嘆く人は多いが、その裏腹にある職人的働き方が非正規労働でしか提供しなくなってきたこの社会のしんどさの問題は大きい。

●子どもには、私のようにストレスいっぱいの実体経済と離れたところで生きるようなことになってほしくなくて、工場労働者になって、出勤時間になったら仕事を始めて一所懸命働き、定時になったら仕事をやめ、退職する頃までには職場長になって仕事の実際的なことをとりまとめるところで職業人生を終えるぐらいが最も幸せな人生だ、と言いたいところだが、そういう仕事がみんな不安定な派遣労働になってしまい、若い人にはしんどい社会になったと思う。自治体職員なんかも同じ。専門的職種はみんな非正規労働。正規職員はみんな出世競争の人事システムに組み込まれ、3年以内の短期的な異動を繰り返し、愛着のある仕事を長期にわたって続けることはできない。経営事情による激しいリストラがないということだけが魅力になってしまっている。

●職業科教育に対する後ろ向きな意見が強いのは、本音のところで学歴差別や職業間の差別が根強いからだろう。

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コメント

はじめまして。
とても共感しながら読みました。
子を持つ親として、また採用を活動を行なう会社員として。

各地の就活イベントに参加する中で、いろんな会社の説明を眺めますが、いわゆる総合職と専門職の区別のある企業だと、心の中で学生たちに「専門職を選べよ~」と語りかけてしまいます。「将来は経営的立場に立っていただくために、現場を数年経験したあと本社の各部門で・・・・」などと、企業の担当者は話してますけど、経営層に入れる人などわずかで、少ないポストを巡って本業とは違う苦労がつきまとうこともあるわけですから。

管理人さんの実体験、とてもよくわかり、参考になりました。

投稿: とと | 2010.02.14 01:08

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