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2009.12.29

12/29 禁煙の飲食店が、非喫煙人口に比べて少なすぎる

世の中の非喫煙者の割合が高くなっていて、公共施設、職場、道路など、人が集まる場所の禁煙化が進んでいるのに、飲食店だけが全然進まない。

神奈川県で禁煙条例を提案したのに、飲食店が後ろ向きな対応をし続けているという話が紹介された。

今日も、志木駅前のデパートの飲食店街に行って、全面禁煙だったのはとんかつ店のみであった。
子ども連れの客にアピールしているような類の店が軒並み、全面禁煙が14時まで、それ以降は密閉されないかたちでの禁煙席、喫煙席の分離となっている。しかも、どこも良い席ほど喫煙席になっている。
ファミリーレストランが看板にあわせた対応をしていない状況もひどい。ファミリーレストランに行ってたばこくさくなく帰れたことは少ない。子どもができてからファミリーレストランに行かなくなった。
家族と禁煙席もないような飲食店にうっかり入ったときに、食事中に喫煙されたりすると、途中で食べるのをやめてその店を退出しなくてはならない。
未だにスターバックスしか全面禁煙の店がない状況は何とかならないかと思う。安心して行けるのは、スターバックスと、近所の日本茶の喫茶店しかない。最近まで泡盛バーがあったが閉店してしまった。
結局行くところなくて、家族連れでは自宅で食事することばかりになった。

家族は呼吸器が弱いために、たばこのにおいをさせて帰宅すると、居間に入るまでに服をすべて脱ぎ、体を洗っている。

もう非喫煙者は男性でも半分を超えている。とくに首都圏では非喫煙者の割合は日に日に高くなっている。全ての飲食店が禁煙をやるべきかどうかは議論があるが、もう少し社会の状況にあった割合で、全面禁煙の店が増えてくれないかと思う。

●ヘビースモーカーの友人や信頼できる友人は多いが、私も呼吸器が強い方ではなく、昔の職場のように会議でモウモウと煙がという状況に本当に耐えられない。
運が良くて、最初の就職した職場で、同時に赴任してきた部長が即日、頭ごなしに禁煙令。コンピュータに煙は良くないということと、部長がたばこをやめた人物で、たばこをやめられない人間に大きな仕事ができるか、と言い張っていた(暴論だと思うが)。次に転職した今の職場も、私の入った年かその前ぐらいに分煙が実施された。労働界は喫煙者天国みたいな世界で、職場以外の仕事の場では煙だらけだったが、それも徐々になくなっていった。今では、飲み会の席も一次会までは禁煙となっている。

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12/29 リアルな労働組合づくりの現場レポート

濱口桂一郎さんのブログの引用ばかりだが、今日の記事「『電機連合NAVI』2009年11/12月号」で、電機連合の加盟組合が労働組合づくりの現場の声を紹介していて、なかなか面白い。

気を遣い根回しをして核になる人を探していく過程、ある程度の数になって説明会を開けば組合に加わってもらいたい人々の突き放した皮肉、それが組合を作る話になっていく過程、描き方がとてもよい。

>・・・こんな場合は罵声のなかでじっと毅然とした態度で我慢し、2分程度言わせておくと急に静になる瞬間がくる。知らない人間に失礼をしている自分に気づく瞬間が同期する。その後、「みなさんがいろんなことを言いたい気持ちもわかります。網羅的な質問を受けても話が進みませんので、私から先に20分ほど説明させてください」と言い、1時間ほど経緯や法律的背景、大義をイッキに話をするのです。そして最後に自分の『想い』である「労働組合は絶対にあった方がいい。みなさんも私と同じように感じているはずです。どうか私にみなさんの力を貸してください」と熱く述べると、その後の質問は一件も出ない。

>説明会の場で『想い』を語る場面を一度見せると、同じように『想い』を語りたがる変な連鎖反応が起きることがある。

組織拡大オルグにくっついて臨時職員の組合加入のよびかけの説明会に行ったときの情景にぴったり。

こういう現場の体験談の積み重ねがなくて、組織化をやったことのない人間が過半数の役員会で、組織化は必要だ、必要だと言い合っているなかで、組織拡大の手法は、マーケティング的な戦略論か、オルグ道という精神論にとどまっているところに、スキルの蓄積が行われていないように思う。

この引用は、組織化の現場で先兵になってやらなくてはならない活動家にとって、どの間合いで何をすればいいのか、次にどんな展開が待っているのか、感覚的にがちっとつかむ内容を持っている。

●世論調査をすると「組合は必要だ」という人がたくさんいるのに、実際に組合づくりに入ると、この紹介記事のようにためにするような文句を言って拒絶されることが多い。
同じことが増税の議論でもそう。増税で社会保障を張り巡らせてくれという世論が強いが、実際の投票行動では増税を主張することは不可能に近いし、減税を主張するとどんなにメチャクチャなこと言っていても前向きなことを言っているように受け止められる。
世論調査というところでは正しい判断をしようとする自分、組合づくりでは組織化される人間として流されないための自分とペルソナを使い分けているのだろう。
世論調査にも、現実の現場にも流されてはいけない、ということと、それに立ち向かっていく根気と場数、ダメもとという達観が必要なのでしょう。
現実に流されやすい実生活を送っていて、自分の戒めとしたいところだ。

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2009.12.28

12/28 補足・年金積立方式に対する違和感私史

羽田空港の軌道系交通の整備について、「三原則氏」と意見が合っているみたい。

喜んだらいいのか、不吉な予感。

●濱口桂一郎さんのブログで過日の記事の傍論が、トップに取り上げていただいた。

年金の積立方式に不信感を持つのは、私の祖父の体験があるからだ。
私の祖父は中国・青島でリベラル派経済人としてある程度成功したらしい。事業家でもあった祖母の実家の支援もあって、持ち前の堅実な感覚や経理の知識が生きたようだ。本当は事業家よりも教養人になりたかったみたいで、大学や東亜同文館に行きたかったようだが、大工の子には無理ということで、商業高校出てから、文学や漢文などに親しんでいた。本人は嫌々経営者をやっていたようだが、そうした姿勢が幸いしたのか、中国人に手ひどいことはしなかったみたいで、それでいろいろ助けられてきたようだ。
1937年、新聞懸賞論文で日華友好を書いて銀賞をもらい、当時大陸で野郎自大に増長してきた右翼に追いかけられるハメになり、数年、中国大陸を転々としていたようだ。
その後青島に戻ることができたが、戦争は負けるとみていたようで、大連港までの逃亡ルートを確保して隠れ家まで用意していたぐらい慎重な人であった。

流動資産は日本系の銀行や郵便局の貯金として残して持ち帰ったが、戦後の預金封鎖とインフレで事業資金として活用することができなかった。もちろん生活資金もカツカツで、やったこともない小作農をしなければならなかった。私自身、2回ほど、いとこたちとともに祖母に連れていかれて、その小作農をしたときに住んだ蚊だらけのあばら家に連れていかれたことがあった。当時の農民にはなんてことはないだろうが、商家の娘として育った祖母には、しんどい生活だったようだ。それでも、本土の親戚に冷たくされ、ようやく小作農として使ってくれたこの農家に恩義を感じていたようだし、いつかこういうこともあるんだ、ということで私たちを連れていったのだと思う。

終戦の混乱というものが、ドイツと比べてでさえ幸いな決着だったのだろうと思うが、それでも頼りにしていた預金はパァになるし、政治はもちろん全然変わってしまうし、契約なんて何の意味もなさなくなることが、非常事態には起こりうるんだ、ということが、大正デモクラシーの残影を残す中国植民地で育った当時30代後半の祖父母にとっては、相当なカルチャーショックだったことは想像に難くない。毎年夏休みに帰される大分県で、祖父母の会話からは、先の戦争と切っても切れない話が多かった。

そういう祖父母の話を聞いてきたところでは、歴史の流れに委ねることについて、個人責任を問うような制度を設計するのはよろしくないだろうという感覚が私にはある。
年金制度などという加入者1人の単位でみても60年~70年のスパーンで考えなくてはならないものを、今の社会のルールや常識が未来永劫続くことを前提に、たかだか10年程度流行した経済思想や、金融業者の営業活動のためのバイアスのかかった理屈で、「改革」しようとする積立方式論者の視野の狭さを感じてしまう。

●また積立方式が成立するには、年金の運用を自己管理できる金融リテラシーが必要。
この世には、そういう知識を獲得することができない人や、能力はあっても、例えばお金が入ればギャンブルにつぎ込んで次に育つお金の使い方ができない人が必ずいる。そういう人たちが無年金になっても構わないんだ、生活保護で面倒みてやるんだ、という割り切りが必要。
また、仕事をし、生活をし、休養をし、睡眠をする一日の生活の中から、年金の運用管理をし、年金を運用する金融業者に指示をしたり文句を言ったりする時間が必要ということだ。そんな時間があるなら、もっと生産的な活動をした方が老後のためにはよいと私は思う。

●積立方式に対する違和感に、労働問題として裏打ちしてくれたのが濱口桂一郎さん、社会保障財政の面から裏打ちしてくれたのが慶大の権丈善一教授。お二人ののホームページの記事ならびに著書によるところが大きい。さらに、貨幣や政府の歳入・支出に対する感覚は、阪大大学院教授小野善康教授の著書から得た。濱口さんにお礼を申し上げたい。

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2009.12.27

12/27 金融資本の問題は錬金術ではなく他産業の利潤の搾取である

民放にしては比較的良心的な番組だと思うが、TBS「サンデーモーニング」で資本主義の説明の中で、金融資本主義の問題を「錬金術」と説明していたことがどうも違うのではないかと感じている。そして社会が破局に向かっている、資本主義が終わるかのような報道をしているけども、これまた過剰な不安感を煽るだけではないかと思っている。

金融資本がのさばっていることの問題は、金融資本が非道徳な錬金術をやっていることよりも、物・サービスの実物経済を提供しているあらゆる産業を隷属させて集中し、金融・不動産業とつるんだ産業以外が儲からなくなってしまう構造に問題があり、分配の問題ではないか。
カリフォルニア州の公務員年金組合のために、リストラばっかりさせられた企業で解雇された従業員が路頭に迷うなど、本末転倒のような話になる。

そうであるなら、金融・不動産業の規制強化と、労働の市場取引のルールの確立、社会保障制度の再整備をやることが先決で、強欲な人間のためにこの世が終わる、という宗教的な主張の仕方や破局を強調するような言い方がどうもズレている感じがしている。

●民放のビジネスモデルこそ、環境や経済の行き詰まりそのものではないかと思う。CO2だとか環境だとかテレビが絶叫する前に、午後の電力ピーク時間帯だけでも放送を止めれば、環境問題に大きく貢献する。一般家庭のCO2の大口消費は、クルマ、テレビ、パソコン。一人ひとりの意識というなら、マイカー、テレビ、パソコンの使用を抑えるしかない。環境以外にも、生産物の剰余価値を横取りするような高い広告料収入のため、大手企業か、ブラック企業、あとは化粧品をはじめ過剰な利益率が取れる商品の広告ばかり。また日本の最大手の広告代理店が戦時統制経済で設立された経緯から市場独占の問題もあって、民放に出てくる発言者が小泉政権と親和的な評論家、芸能人ばかりであったことなど、自民党政権時代には情報機関、謀報機関としての役割もあったことも何とかしなければならないだろう。

●年金積立方式が成り立たないということが経済学者の中で常識になりつつあるが、私たち世代の中ではまだそういうことに期待する人が少なくない。
積立方式というのは年金の積立金運用益のために、金利、キャピタルゲインを追い続けなくてはならない経済になる。カリフォルニア州公務員年金組合がやったように、現役時代45年間の働き方が、株や借入金の利息や配当、キャピタルゲインに最大限配慮するような職場を作らなければ、老後25年もの生活費を出す基金は作れない。日々どんなに努力しても、金融資本に隷属する働き方を強制されることになる。奴隷労働が待っている経済体制である。世代間不公平が、年金だけの問題から、日々の労働の問題に展開されることになる。

●なんてことを書くと、左からは修正主義と批判されて、右からは社会主義(彼らの定義では共産主義と同義)と批判されて少数派に追い込まれるなぁ、なんて昨日、社会民主主義者と会話したなぁ。

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12/27 周囲がしっかりしろ

鳩山首相が「憲法改正議論を」と発言。

こういう不用意で、政治的には何の意味もない発言を軽々に行うから、指導力のなさを言われる。
信念とか、「職を賭して」などの言葉について、何言ってもいいと思っている節を感じ、それが現実主義とぶつかった途端に、二転三転するところがある。そして政治的に意思決定が混乱している。

今の日本社会において、9条以外に憲法を変える論点があるのだろうか。まして地方分権など、地方自治法の問題ではないか。

連立政権という枠組み、オール非自民の共闘政権であるという限界をとらえず、政治的に優先順位の低い課題や、障害になる課題をここで持ち出すことが首相として言うべき、やるべきことなのか吟味された形跡がみられない。首相の周囲は何をやっているのだろうか。
今、何すべきか、秘書たちとじっくり意見交換したり、秘書が進言できる体制があるのだろうか。

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12/26 支出予算は妥当、歳入予算に問題だらけ

結婚しない宣言をしていた友人が急転直下結婚することになり、パーティーに出席する。

大学のゼミの関係で、亀山郁夫外語大学長がお見えになっていた。愛読書の訳者であり、先日のNHKの爆笑問題の番組出演がよかったので会ってみたかった方である。

パーティーの後、同席した社会民主主義者仲間と意見交換する。

●政府予算案が決定する。支出予算については1年目にしてはまずまずの内容ではないかと思う。高速道路無料化や、ガソリン税半減など、生命や健康の維持に直結しない政策を後回しにしたことは評価したい。
問題は収入予算である。赤字国債の量を問題にする人は多いが、赤字国債よりも、税収の少なさと埋蔵金の吐き出しが問題になりそうである。
税収を上げるのは、景気が回復することと、増税しかない。景気が回復しても、得られる税収はせいぜいのところ50兆円ぐらいではないか。埋蔵金も来年はない。増税は不可避なように思う。
来年以降の支出予算がしっかりし、その内容も国民への財の再配分に重点がおかれていれば、増税への軌道修正は許されるべきことではないかと思う。

●社会民主主義者仲間と議論したのも、少し大きめの政府にもっていくだけでも相当苦労しそうだ、ということ。世論調査では、安心な社会保障のために増税はやむを得ない、という回答に支持が最も大きい。
しかし、これが選挙運動や投票行動に影響の大きい政治談義になると、増税が絶対に悪いことだ、という世論に変換されて、冷静な議論がまったくされなくなる。これについては特にマスコミが悪い。
日本の社会民主主義系の政党(日本社会党と民社党)が、インフレ時代にサラリーマン減税を求める立場を長くとってきたことも、給与所得者にとって政治とは減税要求である、という先入観を作ってしまった。
そこに輪をかけて、フリードマンの小さな政府の考え方がご都合主義的に活用されて、支出は大きめ、歳入は小さな政府、あとは誰かさんの努力ということを要求される。結果として赤字国債が大量に発行されることになる。

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2009.12.26

12/26 学校がらみの子どもの死亡事故は謎だらけ

モンスターペアレントが話題になることがある。事実認識ができない保護者による学校に対するハラスメントに至っている事例はともかく、最近は学校に対する異議申し立て、苦情がすべてモンスターペアレントと解釈されているようだ。

学校に苦情や異議申し立てしている人の話を聞くと、最近の学校というところは全く人の話を聞かないところらしい。企業も市役所も苦情に敏感になって、取り入れるべき苦情は対応していこうという時代なのに、学校だけは昔より利用者・ステークホルダーとのコミュニケーションが全然できていないらしい。

苦情申立や異議申し立て→無視・却下・政治的処理(いずれも黙らせる)→さらに大きなところに苦情・異議申し立て→問題がこじれはじめる→苦情や異議申し立てがさらに強くなる→モンスターペアレントというレッテル貼りになっていくようだ。

ひどいのは昨日、地裁判決があった名古屋市の小学校での子どもの死亡事故。学校は事実と違うことを言い張って、子どもが勝手に死んだことになっている。
学校での子どもの死亡事故について、学校当局から正確な情報が出てくるということはなく、子どもが勝手に死んだんです、ということで処理されていくことが多いようだ。この近所の新座市のある中学校での子どもの自殺事件でも、背後に教員によるハラスメントがあったようだが、そのことは隠蔽され、市議会にまで持ち出されたものの真相は学校にフィードバックされることがないまま、政治的問題として尾を引きずっている。

●閉鎖された環境、人質商法、そういう学校の体質が、北朝鮮のこと笑えるかと思ったりもするものだ。官僚支配を打破するという新政権にここのところを改める方法を考えてもらいたいもの。学校内権力闘争としか思えない、生徒指導にばかり血道をあげて、学力低下を続けている公教育は、その資源配分が絶対に間違っているし、それについては外科手術が必要だと感じている。

●先日、仕事の知識習得で、経営者として社員をどう教育すべきか、ということも学ぶセミナーに出席した。日本企業にはまだパワハラなどの悪習が残っていてるところもあるが、社員教育というと、あの学校教育のような、統制、統治を手法とするものはなくなっている。役所にも、研修の必要性が認められ、研修をやっている自治体では、企業での社員教育を行っているようなところに研修を外注していることもあって、最初から統制、統治ではないやり方での研修が行われている。残るは学校教育だけという感じがしている。
もちろん、学校教育は知識を子どもに持たせることに最大の目的があるから、社員教育とやり方は違うが、しかし統治、統制にあまりにも労力と目的がおかれている今の学校教育のあり方はムダが多い。単純比較できないが学習塾と比較するとそれがよくわかる。生徒指導をせず、短時間で効果を上げている。
なぜ統制、統治が重んじられるのか。教室の秩序を維持するということには、教育関係者の誰もが反対できない。その上、いわゆる「問題児」は必ずいるため、教室の秩序を維持すると言えば、誰もプライオリティーを下げられなくなるからである。監視カメラみたいなものである。そこに権力欲の強いだけの教員が統治、統制ができれば偉そうにできるしかけがあるのではないか。

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2009.12.25

12/25 原因をちゃんと書くべきではないか

昨日、地下鉄が東池袋に着いたところで、どこかの駅で発火があって電車がストップ。保育園のお迎えに間に合わないから、降りて池袋駅までダッシュ。余計な運賃を払い、疲れて、何とか間に合う。

この地下鉄会社、こんなことばっかりだよなぁ、なんてくしゃくしゃした気持ちでいたら、以下のような謝罪広告

【お詫び】有楽町線 発煙事故に伴う運転見合わせについて

 本日(12月24日)17時28分頃、有楽町線 辰巳駅付近で発生した発煙の影響により、長時間運転を見合わせました。
 お客様には、大変ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。
 深くお詫び申し上げます。

1. 発生日時 平成21年12月24日 17時28分頃
2. 発生場所 有楽町線 辰巳駅付近
3. 運転状況 17時29分 有楽町線・副都心線全線 運転見合わせ
17時40分 副都心線全線 運転再開
18時03分 有楽町線 池袋駅~有楽町駅間 折り返し運転開始
18時47分 有楽町線全線 運転再開


謝罪すればいいってもんじゃないでしょう。乗客が原因でもない火災事故なんだから原因をちゃんと書いてもらいたいところ。
運転再開で話が終わっているのもどうかと。その日一日、ダイヤが大混乱したんでしょ。運休になったり、乗り入れ打ち切りになったりして、小竹向原や和光市で途方に暮れた人も多かったんでしょう。

羽越線の事故や、福知山線の事故と比較してもアンバランスな感じがしてならない。

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2009.12.24

12/24 児童養護手当が父子家庭にも

所得の低い母子家庭に支給される「児童扶養手当」が来年度から所得が低ければ父子家庭にも支給されることになった。性別で差別する政策でありながら、母子家庭を支援する側が「男は稼げるはず、予算が足りないから父子家庭の支給は反対」という主張もあって、なかなか実現できていなかったことである。

ここのところ、社会の労働の非正規化が進み、父子家庭が対応できる正社員の仕事が見つかりにくくなっている。そのような中、新政権のこの決断は評価したい。

私の住む朝霞市は、弁護士の小山さんが市議会議員になって、この問題を取り上げ、決議案を提案し、野党提出議案として初めて可決(反対したのは自民系の進政会8人と、民主系の明政会3人)させ、今年の7月から市の独自政策としてスタートさせている。12万5千人の人口の朝霞市で400万円もあれば実現できる政策だった。市職員も後ろ向きではなかったと聞く。
小山議員のホームページでは朝霞市の影響で新座市も始めるということがまた朗報。

この地域が初めてニッチの福祉ニーズに応えたと言えるが、少し早く時代のセンスを捉えたことも評価したい。

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12/24 西武鉄道が有楽町線との共通定期券を発売へ・東武はまだか!

西武池袋線が、練馬から有楽町線を使っても、池袋まで西武線で行って有楽町線に乗り換えても、追加料金のいらない定期券を発売することになった。

西武鉄道HPより

東上線も同じような定期券を発売してほしいと思う。もっと言えば、どちらのルートを使っても不利益のない運賃制度にしてもらいたいところ。
とくに、副都心線が開通してからというもの、年がら年中遅延、毎週のようにダイヤの乱れが発生し、接続や乗り換えがまったく無視され、パターンダイヤもなくなり、時刻表とにらめっこしなければ使えない電車になった。最も効果的に電車が使えるようになるためには、どちら経由でも使える定期券や、共通運賃制度が不可欠だと思う。

遅延やダイヤ乱れで違うルートを使わないと保育園のお迎えに間に合わないことが多くて、そのたびに鉄道会社の責任なのに追加料金を求められることが癪にさわっている。

●金融業者出身の社長の東武は、営業努力が足りない。

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2009.12.23

12/23 子どもの保育園に苦情解決委員会が設置される

私の子どもを預けている保育所から、苦情解決の制度が整備されたという通知をいただいた。おそらく、朝霞にある子育て系の福祉施設で最初の制度整備になったと思う。

今回の苦情解決委員会の設置は、福祉に市場原理が入り始めたことで、社会福祉法が福祉事業者ならびにそれを支える自治体などに求めているものだが、首都圏で制度整備されているのは東京都の福祉施設などに留まっている。

私が朝霞市の地域福祉計画づくりをしたときに、社会福祉法にのっとり、苦情解決委員会の設置や、福祉サービスの第三者評価の実施を盛り込んだ。朝霞市は人口12万5千人に対して市職員が700人余りしかおらず、「小さな政府」。公立保育所以外の福祉サービスのほとんどを民間事業者が提供しており、市役所はそれら福祉事業者にお金を出して、サービスの内容について口だししたり評価することもないため、必要だと思ったからだ。しかし、全然前に進まなかった。

そういう中で、最初に始まって、よかったと思っている。そういうところの先取性について、この保育園を評価しているところがある。

●背景事情に、この保育園の運営している会社が都内に進出していて、認証保育所をいくつか運営していることもあるのだろう。東京都で保育サービスを事業とすれば、苦情解決委員会の設置と、児童福祉サービス第三者評価を受けなくてはならない。そんなこともあって苦情解決委員会を設置したのだろう。

埼玉県内では、認可保育所であっても社会福祉法が努力義務としていることは実行されないでいる。一方、東京都は認可外保育所であっても自治体の公費を受ける福祉事業者であれば、社会福祉法の努力義務とされていることは実施しなければならない。
もっとも「質が低い」とレッテルを貼られている東京都の認証保育所といっても、園庭の有無以外は埼玉県内の認可保育所とほぼ同等の面積基準、職員配置数を適用されていて、スタート時点が違うようなところがある。

福祉制度を見ていると、東京都と埼玉県の自治体の能力や努力の格差を痛感する。

保育所の制度のあり方が地方分権の議論の中で乱暴に扱われて、関係者に波紋を呼んでいる。自治体ごとの上に向かった競争ならよいが、やって当たり前だろうと思うようなことすらサボタージュされている状況で、発言力のない人たちへの社会サービスから真っ先に分権の対象とすることに問題がある、ということの証明でもある。

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12/23 「増税」ではなく「控除から給付へ」ではないか

今朝の朝刊のマスコミが税制改正について「増税」と国民からの収奪が増えるような雰囲気を漂わせて見出しを打っていることに、そういう報道の仕方でいいのかと思う。本質は「控除」「政策減税」から給付へ、という改革だろう。

税制改革について、減税であるべきという先入観が漂う見出しである。すべての納税者に増減税が一致するような税制改正はできない。税制改正は必ず損する人とトクする人がいる。税制改正はその中身が問題にされるべきだろう。

今回の特色は、増減税と財政支出とを一体にした予算編成の一環として行われる。
財政支出というと税金の無駄づかいと非難され、減税というと税金が効率的に使われているみたいな誤解がはびこっていてそれでいいのかと思う。良いか悪いかの価値判断は改めて行うが、日本経団連の御手洗会長が繰り返し国に求める輸出産業向けの細かい政策減税要求は、企業への財政支出と同種のものである。NPOへの寄附減税の要求も、NPO業界への間接的な財政支出の要求に他ならない。
税金だけを取りだして、増税、減税と言い立てるまえに、税制改正の損得と、財政支出の損得を一体的に評価すべきである。今回は、増税された以上の金額が子ども手当と農家への所得保障として、子どものいる家庭や農家に支出され、所得を潤す。したがって単純な「増税」とのレッテル貼りにとどまらないと思う。もちろん、その際、減税以上のものを手にする制度である、子ども手当と農家への所得保障制度のスタートをどう評価するかは問われなくてはならない。

また、増税がいけなくて減税がいいことのように報じるために必要な増税ができないでいる。その制約のもとで行われた今回の予算編成のように、何をするにも財源不足で、国民に不足している公共サービスやセーフティーネットの整備が中途半端な制度いじりで終わっているものが多い。
私は繰り返し書いているが、増税で国の資産を増やし、その資産を利用できる特権階級だけ肥やすというのなら論外だが、増税によってセーフティーネットを張り、さらには国民の生活保障、自立支援のための公共サービスを整備していくのなら、税収はすべて国民の所得または公共サービスの担い手の雇用拡大として返され、景気には中立または政策効果によってプラスの効果を生む。増税による国債償還については、増税によって金融業や資産家に現金を渡すことが景気や雇用にどのような影響を生むのか、その観点で、そのときどきの経済情勢に応じた評価になろう。

●日本経団連が要求し、自民党政権のもと租税特別措置などで制度化されてきたさまざまな政策減税こそ整理すべきときではないかと思う。制度が複雑すぎて、公平に利用できる制度になっているのだろうか。政策減税が複雑すぎて本当に企業が言うように高い法人税を払っているのか疑わしいし検証不可能である。減税によって政策誘導をするのは、法人税などを払える儲かっている企業をさらにのばし、法人税を払えない儲からない企業には何のインセンティブも生まない。したがって、産業のますますの集中を生み、チャレンジャーを不利に追い込む。

●しかし経済界も、法人税が高いという批判を政府になげかけていいのかと思う。長時間労働、家庭事情による欠勤などを認めない日本の企業風土のツケは、専業主婦の存在か、同居または近居する親か、公的サービスにしわ寄せを押しつけている。スウェーデンのように残業がない国であれば、多くの保育所は17時に閉められる。産学協同で、国立大学は企業のためによく働くようになった。大学教員は企業・団体に営業活動のために時間をさかなくてはならなくなった。そうしたことの負担を企業は考えずに、国の屋台骨を支えているんだから自分たちには減税しろ、減税しなければ事業所を閉鎖してやる、という態度で本当に良いのだろうか。
税金を払っても、この国で生産活動をしたい、そういう政策展開をしてもらいたい、と要求すべきなのではないか。

●大手新聞社の社員だと、所得税率が高いので、控除から給付へとなると、あまりメリットを感じないのかも知れない。しかし、年収200万円の母子家庭にとっては、所得控除など月3500円程度のメリットしかなく、給付による支援は大きな意味を持つ。そのことの実感がないのだろうか。
さらに効果的な使い方は、現金給付ではなく、現物給付なんだけどもなぁ。どんなことがあっても子どもの居場所が失われない、そんな社会にしなければ。

●子ども手当の所得制限の話で、首相が不要な人のために寄附制度を作るなどと言っているらしいが、子ども手当の支給対象は親であっても、本来は子どものために使われるべき給付金であり、子どもの合意なく親が自らのイデオロギーのために受給を返上するなどということがあってよいのかと思う。寄附制度を作るにしても、一般的な寄附ではなく、保育所を運営する法人や、地域の子ども関連の事業を展開する団体など、子どもの関連の事業に使われるところに限定すべきである。

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2009.12.22

12/22 小泉政権下で遅延電車が1.5倍

200912226063461n読売新聞の記事から「鉄道遅れ4万本、半数超が自殺原因・・・首都圏」。

少しの遅延でイライラするな、という言説があるが、やはり最近の電車はよく遅れる。全体数で2002年に比べて1.5倍になっている。

そのうち、飛び込み自殺は倍増。本当に何とかした方がいいが、小泉純一郎が首相になってから自殺者の急増しているこの国の仕組みに問題がありそう。それと同時に、安易に公共交通を使った自殺をするものではないと、公共交通を復権させることが重要だと思う。鉄道自殺は酷いし、片づけをする鉄道員、現場検証する警察官、遅延の損害請求をする鉄道会社の人と、損害賠償をする遺族、そして当然のことながらその鉄道を利用している人たち、それらのみんなにかける迷惑が半端ではなく、中には精神疾患を患う人も出てくるので、自殺そのものをやめてほしいが、自殺するにしても他の方法にすべきだろう。

また、グラフから読みとれるのは、自殺の倍増とともに、鉄道施設(信号などの障害)を原因にしたものも急増している。ダイヤ改正のたびに頻発する信号故障を体験したり、信号故障のダイヤ復旧がなかなか進まないことなど見ていると、ダイヤ入力からポイントから信号まで連動する今の信号システムよりも、かつてのアナログ式のシステムの方が遅延や事故は少ないのではないかと思うところがある。東京メトロの信号システムなど、昭和初期に入れた機械式のものの方が事故ゼロで、遅延もなかった。

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12/22 子ども手当の地方負担分の考え方を修正します

子ども手当の地方負担分について、事実認識が誤っていたので、考え方を軌道修正したい。

子ども手当の地方負担がけしからんと過日ここで書いたが、予定されている子ども手当の地方負担は、今の児童手当の地方負担分の範囲ということで、もしここで児童手当を廃止して子ども手当の地方負担をなくやれば、児童手当の地方負担分はまるまる自治体が丸儲けということになる。

そういう観点から、児童手当の地方負担分をそのまま子ども手当の地方負担分に振り替える範囲では、私は必ずしも反対とは言うべきではないと思う。
地方負担金というネガティブな響き、国策動員という本質に対する批判に便乗して、今負担しているものまで、まるで新たな負担をさせられるかのような発言をする自治体首長は、あまりにも政治的である。

それでも、やはり子ども手当という政策の性格上、地方負担分を中途半端に混ぜるのは制度として不純だと思うことは変わりない。すべての公的支出について、国と地方との財源分担の見直しを行う中で、軌道修正を図ることが望ましいのだろう。

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12/21 暫定税率、子ども手当の所得制限の判断は妥当

鳩山首相が、ガソリン税の暫定税率の引き下げを撤回し、子ども手当の所得制限を設けない判断をしたことは妥当な判断だと思う。

ガソリン税の暫定税率をこの時期に廃止することのばからしさはこれまで何度も書いてきたので割愛。

子ども手当にはいろいろ考えるところがあるが、とりあえずやるという方向性の枠内で考えたときに、今回首相が決断した所得制限をしないという方針は妥当だろう。もちろん、経済学の消費性向の考え方をもってくれば所得制限を本来やった方が効果的だ。しかし所得制限をかみあわせると実務に耐えられないように思う。
民主党が最終段階で検討した所得2000万円の世帯から払わないというのでは、総額数十億円程度の支出削減効果しかなく、発言力の大きい高所得者が子ども手当に異論をはさんだり、社会保障そのものを否定するような議論を始めるデメリットを考えると、支給してしまった方が良い。
一方、やるならという国民新党の所得1000万円以上の世帯から払わないというのが微妙で、低所得者に対する所得再配分としては効果的になるが、2000万円で線引きしたときと同様に中の上ぐらいの階層の人が所得再配分そのものに否定的な世論を形成する弊害がある上、クロヨン、トーゴーサンと言った、サラリーマンと自営業、農家との所得の捕捉の格差がちょうど問題になってくる水準でもあり、もめる要素になる。

また所得制限を行えば支給事務に所得調査が入り、事務コストが跳ね上がる。本来、児童虐待の対応や保育園開設のための準備など児童福祉で創造的仕事をすべき自治体職員が、子ども手当の支給事務に拘束されることになる。

子ども手当をどうしても実施したいなら、所得での線引きをしない方が政治合意をまとめるにも、自治体の効率的な業務のためにもよい。
高所得者対策は、累進税率の見直しをはじめとした税による増収策で調整すべきだろう。

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2009.12.21

12/21 多くの人には「本当の学び」より人権を蹂躙されない教育が大事

濱口桂一郎さんのブログを読んでいると、私が20年以上前に高校で主張したことがだんだん実になってきていることが見えてきて、世の中前には進んでいるんだと感じた。

私の入った高校は、当時大流行した管理教育に対するアンチテーゼが売りだったが、管理教育に対置するものが戦後の「民間教育運動」の流れの末にある、左翼版の教養主義に他ならなかった。

教育者と学校を信じている生徒は「本当の学び」をしていると信じ、ちょっとでも学校に背を向けている人には困った人だという扱い方をした。よくも「本当の学び」などと断定できるなぁ、と冷ややかに見ていたときに、私が仲間とやろうとしたことが、労働法の学習会だった。あと当時脚光を浴びたフランス社会党の自主管理とか。
結局、この高校を信じても信じなくても、運良く大学に進学できても、多くの同級生はやがて一度は社会で働くことになるから、「本当の学び」なんかより役に立つことを勉強できそうだ、と思ったからだ。
いくら太平洋戦争の本質を勉強したって、歌や踊りで民衆を感じ取ったって、その後社会に出て職場で人権を蹂躙されてしまったら、「世の中きれいごと言ってられないんだよ」って、現実主義に日和見するしかないってものでしょう(大学院進学と豊かなフリーターとゲージュツ家があまりにも多いのが出身校の特徴です)。

結局、私の集金能力と意志力が弱くて、企画倒れで終えてしまったが、この企画を考えるために読んだ労働組合の作り方に関するテキストは、当時は、高校に対抗する自主組織づくりのモデルを労働組合に求めて検討したし、そのベースは今も役に立っている。

時は今に移り、小泉構造改革以来、いいように労働者が働かされ、(今も続く)労働組合が抵抗勢力である(ときには陰謀組織まで高められる)というプロパガンダが展開され、働く環境がズタズタにされている中、多くの人が労働組合が必要だと思いながら、そのほとんどの人が労働組合を作ろうともしなければ入ろうともしない現状は、労働教育の不在にあるのだろうと思っていた。そこに、2006年前後から、北大の道幸先生の「職場の権利教育ネットワーク」の発足や、日教組の教研集会で労働者の権利の教育が必要だという議論が出てきたり、本田由紀さんなどの労働者として自立していく人のための教育が必要だ、という議論が出てきて、まだ定着していないが、労働者を力づけるための教育は必要だと社会が認識するようになって、よかったと思っている。
※余談。若年労働者の課題は、まだ働く人の主体性の問題が大きいという感覚が強くて、労働者としての権利教育よりも、ニートの自立みたいな支援ばかりが先行して行われ、社会の制度になっていっている現状について、事業仕分けではないが、アンバランスなのではないかと感じている。

今日の濱口さんのブログにも、『非「教育」の論理-「働くための学習」の課題』(明石書店)という本を通じて、教養主義の教育だけではダメなんだと紹介しています。

●昨日、事情があってあるショッピングモールに行き、フードコートのようなところで食事をした。三浦展ではないが、徒歩で買い物や食事をする生活に慣れていると文化が違うと痛感した。
それはともかく、フードコートのある店で、アルバイトがなっていなかった。
まず、どんくさい。列ができているのに手際が悪く、手際を良くしようという努力が見えない。食べ物を扱っているのに、客に出す食べ物を投げて出す、客との受け答えの言葉がだらしない、そして注文後30分も食べ物が出てこないので問いただしにいけば、注文をどっかにやってしまった様子。謝るのは苦情を言われた子だけ。注文をちゃんと伝えなかった人、注文に聞き耳を立てて本来作っているべき人、みんな我関せずの態度で、客の方も見ない。
「ゆとりー」って叫びたい気持ちになったが、よく考えれば彼らは生まれてから雇用にいい話を聞いたことがない世代。10代前半には、そこにあった有名な自動車工場が突然撤退して何も無くなっている。働くことに、当座の小銭稼ぎ以外の将来展望が見いだせないと諦めている結果なのかも知れない。私たちの世代のように社会に出る準備体操みたいには捉えられないのだと思う。

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12/21 阿久根市長、社会ダービニストを宣言

いよいよ、阿久根市長の竹原信一氏が社会ダービニストであることを宣言したようだ。

障害者への差別記述問題で謝罪して削除したにもかかわらず、「活力ある社会を作るために命の定義をしなければいけない。刈り取る作業をしなければ全体が失われる」などと、障害者や病人は一定、死んでもらった方が社会のためなのだと言わんばかの発言をしていたという。

そんなことで得られる活力とは何なのだろうか。活力のために、切られるべき人とはどこまでのことを指すのか。健全で健康な人だけで構成される社会の不気味さを考えたことがあるのだろうか。

先日も書いたが、障害者を公的に全面的に支援したところで、国全体では大した財政負担にはならない。障害者の福祉を充実させて、彼の言うところの「幹が腐る」なんてことはない。

あまりにも悪質な人物である。これでも護憲派なのである。

●何人か仲間が入っているので書きたくはないが、「開かれた議会をめざす会」でわざわざ阿久根市長を呼んで講演してもらったようだ。

いくら日本の多くの自治体議会が腐っている現状があるからと言って、腐っているかも知れない議会以上に人間として問題の多い市長をヨイショするのもどうかと思っていた。議会改革は、立憲主義や民主主義の基本的な課題をふまえた上で、制度論や技術的な議論が多いのに、そういうビジョンも構想もなく、感情的に自治体議会は民主主義の敵のような発言を繰り返す市長を呼ぶのは、議会改革をめざす政治運動をするグループとしてどうかと思っていた。市長と違い、議員どうしの議論やかけひきがあって議会の議論は動いていく。その前提をもとに公正な決定がされるような改革をすべきで、議論やかけひきによる合意そのものを否定するような乱暴な思考回路は、議会改革には百害あって一利なしと言える。なぜなら複雑な利害の調整を否定した議会であれば、民選首長がいればよくて、議会がそもそも不要だという議論にしかならないからだ。竹原氏にそういう思想がないと言い切れるだろうか。

公務員叩きや議会との対決が今どきの改革風なのかも知れないが、裁判所をも無視するような彼の公務員の叩き方などを見ていて、こりゃ応援するのも危ないんじゃないか、と思わないのはどうかと思う。事実、今回、障害者差別をしたり、障害者や病人に対して社会の足手まといだというような考え方の持ち主をヨイショして、改革談義をするなら大いに問題だろう。
「開かれた議会をめざす会」が責任ある組織なら、民主主義の基礎に必要な基本的な人権感覚ない人間をヨイショしてしまったことの見解が必要なのではないかと思う。

●憲法学の中で、民主主義は多数決原理だが、多数決が必ずしも人間を大切にするとは限らないから、硬性憲法で人権や自由の保障について、民主的な政体のもとでもタガをはめるということを教わる。そういうことを無視した議論が多いことにほんとうに危機感を持つ。

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2009.12.19

12/19 飛び込んでみろなどと説教する前にお前がやれ

きょう開かれた厚生労働省の介護人材を集める説明会の記事に関連して、11月29日の毎日新聞の社説を発見して、なんて偉そうな、とため息が出てしまった。

社説:雇用対策 介護起業のすすめ(毎日新聞11月29日)リンク

「介護を敬遠している」のは「全産業平均の6~8割程度という給料水準の低さ」、「たしかに楽な仕事ではないが、介護を通して得られる感動や専門性に魅力」などお決まりのフレーズが並ぶ。

全産業の6~8割の給与水準というのは正規職員の介護士。この中には、訪問介護ヘルパーのほとんどの時給労働者は入っていない。所得税ベースでの給与所得者の給与平均が450万円前後と聞いたことがあるから、訪問介護ヘルパーを統計に入れたら、給与水準は全産業の5割を切ると思う。

介護に夢物語を語るのはいいが、介護にお金を出すのは社会保険か税金。市民税10%カットを言う市長に拍手喝采を贈ったり、あるいは介護保険料が高すぎるということばかりに報道の焦点を当ててきたマスコミの報道と、それを喜ぶ市民感覚の前で、いつになっても介護労働者の待遇改善は進まない。介護保険が何兆円なんて報道されると、介護にムダがあるとフィーバーするのがマスコミではないか。
そういう因果関係がもう見えすぎているから、若い人はいつまでも介護の仕事を踏みとどまることができない。そういうことをきちんと伝えないで、失業するよりマシだろ、食わず嫌いしているんじゃねぇよ、みたいな説教垂れるんじゃないって。

だったらこんな駄文を書いている毎日の幹部記者も同じではないか。将来性があるだとか、食わず嫌いをするんでないとか偉そうに書くなら、まずあんたがやってみなさい、と思う。職を辞して、退職金を元手に介護事業でもやってみればいいんじゃないかと思う。

介護にとっていいだけではない。これを書いている記者が退職し、毎日新聞の職員の席を一個空けてくれるだけで、若い有望な人材が1人多く毎日新聞に入社できる。

それこそ「発想の転換」ではないか。子どもの教育費が、とかごちゃごちゃ言うなよ。今現に働いている寡婦のヘルパーたちは、自分の子どもを高校に行かせるぐらいまでしか教育のこと考えてやれていないんだから。

●どうも福祉業界の生産性について、マスコミも研究者も、冷静に見れば単純な構図を見落として、希望的観測みたいなことを言う人が多くてびっくりする。民主党も衆院選まではいいとこまで近づいていたんだけどもね。選挙後、有権者の審判を受けずに当選した藤井裕久氏が財務相になり、事業仕分けでフィーバーしているうちにそうした課題は忘れて先祖返りしてしまったもの。

単純なことだが福祉業界は、対人サービスによって成り立っている。したがって、コストは対人サービスの密度×人件費水準ということでしかない。コスト負担はそれを利用者の利用時間数で割返したものである。
機械化もなかなかできなければ、効率化も簡単にはできない。流れ作業でない、ほどほどのケア水準を維持しようとすれば、製造業のようなムダ排除みたいなこともできない。
製造業のように、生産性が飛躍的に改善してコスト改善につなげるようなことは、ある程度の質を維持する前提がある限りできないと断言できる。
経営資源がどのようにインプットされて、それが商品としての福祉サービスにどう返ってくるのか、その入りと出を考えれば、わかる話である。
そして、原資はサービスの受益者にすべて負担してもらうことはできずに、支援の必要のない人たちとリスク共有してもらい、税なり社会保険なり、社会連帯によって負担してもらうしかない。
したがって、福祉業界を魅力ある職場にしたり、参入したくなる魅力ある市場にするとなれば、結果的に税なり社会保険なりのみんなの負担を大きくしていくしかなくなる。
そこの議論を避けて通って、人材確保や新規参入について、個々の福祉事業者や福祉労働者の努力に犠牲を求める考え方は間違いであり、社会にとって害毒をまき散らしているというしかない。

●製造業中心の時代のものの考え方に慣れきっていて、所有権が移転しない、サービス業中心の社会における産業のあり方などあんまり考えられていないんだなぁってやっぱり思う。

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12/18 小沢支配になってしまうのは当たり前

ガソリン税などの暫定税率維持を小沢一郎民主党幹事長が決断。評価したい。

この顛末に、世は小沢支配とか言うのだろう。しかし、政権の中で誰が今、まともな判断ができているというのかを考えるとにき、こうして決断が必要なときに、小沢氏が出てこざるを得ない状態である、という問題点を指摘せざるを得ない。

深刻な財源不足のときに、嗜好性が高いガソリン消費を減税することは、やめるか先送りしていいだろう。

小沢氏はあわせて高速道路の建設や新幹線の建設というムダを押し込むことを忘れてはいないが、しかし、そうであってもバランスのある決断をしなければならないときにきちんとしたということは評価したい。

一方で、鳩山首相は誰にでもよい顔したがるという悪癖が指摘されていて、しかもその価値基準がはっきりしていなくて、俗論に流されやすい(著作権ビジネスの業者しか喜ばない著作権の70年延長に賛成したことなどその象徴)。したがって、財政のバランス、政策の優先度などほとんど考えられないし、補助金のバラマキと政策減税のバラマキの違いがよくわかっていないで、政策減税を維持したりばらまこうとするようなところがあって、そこに財源不足という事態が重なると、何をやりたいんだか、何に価値をおいているんだか、全く分からなくなっている。

鳩山氏の自己統合ができていないリップサービス、つまらなくて意味のない決意表明、そうしたものが普天間でも国債上限でもガソリン税減税でも混迷を深めている。総合な国益の判断ができない藤井財務相などが増長してわけのわからないことになったりもしている。

小沢氏が出てきてガツンと言うのも当たり前というところだろう。

●ただし、今日の財源不足はともかく、マニフェストの政策実施に対する財源不足は、小沢氏が党首のときに増税論を葬り去ったことにある。増税を言わなければ選挙に勝つという選挙業界のセオリーがある限り、政治はこんな結果になるのだろう。
名古屋市長などの減税政策に注目が集まっているが、そういう政策がファッショ的に評価されるような政治風土である限り、必要な財政支出に手当する税収を確保することすら認められない政治風土である限り、いつか100%の国債保有税でも実施しない限り、ずっと財政的制約に社会保障政策が整備されないままある。そうなれば日本社会は思い切った努力ができなくなり、成長は止められることになるだろう。

●事業仕分けであれだけ切って、埋蔵金を引っ張り出して、保育所も整備せずむしろ財政支出を切って、どうして財源不足かと言えば、子ども手当の財源が必要だから。子ども手当が必要だと思うのなら、若干の消費税増税か若干の所得税増税を我慢すべきなのではないか。現金給付は、ゼロから1を生み出すのではなく、死んだ1を生きた1にする所得再配分にしか意味がないのだから。

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2009.12.18

12/17 下落合のたぬき山、復元できるか?

私の祖母宅の近所でマンション建設による森林破壊があって、ずっと問題になってきたが、今回、まったく別の理屈でそのマンション建設ができなくなったという判決が確定。

マンションが新宿区の森林の中にあり、そこへ行く道の整備があまりにも貧弱だったということで、建築許可を裁判所が取り消したというもの。

どうも自治体は不動産屋に弱く、また日本の憲法解釈も不動産乱開発は財産権の自由と言いながら、マンション建設の副作用で憲法25条などが制限されるような結果になっても、まったく止められない。まして、今回の新宿区のように、建築許可のおめこぼしみたいなことをして、マンション建設業者に有利なように有利なように運ぶ自治体が多い。朝霞市もそう。

そうした開発する側に有利な権力、それを支える法体系にいっていの歯止めとなる判決だと思う。

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12/17 動物より人間を大切にしよう

動物との主従関係など言いたくないが、平和的手段に訴えない捕鯨反対など、意味がない。平和のために人殺しをいとわないテロリストと変わらないではないか。まして、環境破壊になる高速艇などを使って、ほんとうに環境のこと考えているの?と思う。

そういう法理論的なことをしても、やはり人間としての倫理というのか、人間は何かの生き物を殺して食べて生きているのであり、鯨だけが別格というシーシェパードの考え方はよくわからない。

●同様のことが、保健所に放し飼いにしていた愛犬を捕獲されたからと、厚生労働省の高級官僚を殺した人物。

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2009.12.17

12/16 中身の劣悪な雇用を増やしたことだけで威張るな

保育所や社会保障、セーフティーネットの政策で国家戦略会議が何も機能せず財務省や行政刷新会議の茶坊主議員にいいようにやられてここのところ菅直人氏に厳しいことを書いたが、敵が明確になるとまともになるようだ。

竹中平蔵氏と経済政策をめぐりバトルをしたようだ。来客は竹中氏、来ていただいたのは菅氏という関係性はひとまずおいておいて、小泉構造改革がいけなかったと断じた菅氏の態度を評価したい。

小泉政権下で社会も公共もずたずたになった現状に対する竹中氏の開き直りの口実は、雇用を100万人増やしたというもの。だから、規制緩和はじめとした小さな政府の構造改革が正しいと言い張る。
しかし、雇用が増えても、その中身として低賃金労働、不安定労働が蔓延し、それを守る労働組合に対してネガティブキャンペーンのプロパガンダをはって、労働者をズタズタにしてきた。
国民は先進国に住んでいる実感は日に日に失われ、労働力を安価に、テンポラリーに切り売りする生活しか選択できない労働者が、労働を奴隷感覚でしか捉えられない状況に陥っている。それが雇用が増えたからと言ってよいことなのだろうか。質の高い幸福な社会と言えるのだろうか。
出張先で出会ったUIゼンセン同盟の幹部から女工哀史の話を聞かされて「見てご覧なさい、今あの時代とほとんど同じ状態ではないですか」と言われてハッとしたことがある。

倫理の話としては、寝させられているより働けることはいいことだと思うが、しかし、労働力の最低限の再生産すらままならないで働かされるのは、奴隷である。それはたこが自らの足を食べているだけで、経済成長には何のつながりもない。
そんな働き方を増やしたからって威張るなと思う。

小泉構造改革後、景気が良くなったと竹中氏はこれまた言い張っているが、菅氏はたまたまそこで輸出が増えたから景気が救われたんだ、と喝破したが私もその通りだと思う。

●すぐ低賃金容認論者は、低賃金だから雇用が確保されているんだ、と開き直る悪い癖がある。最低生活水準以下の賃金で働かされるというのは、繰り返すが、奴隷労働である。
最低生活水準を割り込む賃金での労働は、労働力の再生産に必要なコスト負担を本人が赤字でやっている(過去の貯金などを切り崩す)か、本人をとりまく家族などがその分の生活費を負担している(パラサイトシングルや家族からの仕送り)のか、いずれにしても、雇い主が、労働者に経済的に寄生している状態といっていい。
生活費に15万円かかる人に12万円しか賃金を払わなければ、労働者は時間が拘束されているのに3万円が黙って赤字になる。これは貯金を切り崩すか、親からの支援を頼らなければ破綻する。

最後は、そうした人は貯金を使い果たすか、親族が働けなくなったりして、生活保護など税金で養ってもらう状態にならざるを得ない。

小泉政権時代に正職員として就職できない学生だったワーキングプアは、まだまだ親が働いている人が多かった。今度の不況は、小泉政権時代に正職員として就職できなかった若者が、いよいよ親が年金生活に入っている状況で進んでいる。竹中平蔵みたいなお気楽なことは言えない状況である。

その上、竹中平蔵的な構造改革を支持してきた日本経団連をはじめとした企業経営者は、こうした国家財政のもとでも、減税(つまり企業に補助金をくれ)という要求を続けていることに呆れかえる。
自分たちのまき散らした財政コストをまったく考えようともしないで、税金を払わないでいこうなどふとい態度である。

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12/16 監視カメラより増発を

痴漢防止に、埼京線に監視カメラをつけることになったJR東日本。

痴漢対策に監視カメラなど何の有効性があるのかわからない。しかもカメラを付けるなどという姑息なことをやらずに本来は混雑率を下げることをやるべきで、埼京線があまりにも本数が少なすぎることに問題があると思う。朝はともかく、大宮への速達列車が30分近くない時間帯もある夕方など努力の余地が大きくあると思う。

また、新宿も、渋谷も、急ごしらえで駅を作ってしまったために、他路線や私鉄の乗り換えができる階段が最も北よりの階段のみ。したがって最も北側の車両ばかりに客が集中することになっている。そのことも混雑率が数字以上にきつくなっている原因。
新宿駅を全面的に作り直しているが、そうしていびつな埼京線ホームの位置についてはまったく手つかずらしい。後から改修している中央線は、最も便利な位置を陣取っていて、改修してもやはり便利な位置に陣取っている。これは差別としか思えない。差別するなら運賃を下げろと思うのだが、運賃は中央線の方が京王線とのかねあいで安くなっていることも納得できない。

●監視カメラを支持する人は女性で6割とか。痴漢を何とかしてほしいというのは分かるが、カメラと痴漢防止の因果関係もわからず感情で反応しているようにしか思えない。カメラさえあれば安全という発想が最も犯罪にとってすきだらけの発想である。

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2009.12.15

12/15 国債発行残高が問題ではなく税収の落ち込みが問題

政府予算案で国債発行額が多すぎるとマスコミは問題にしている。
しかし、私は国債発行額よりも、そもそもの税収が先進国にしては少なく、その上に税収の落ち込みが激しいことが問題だろう、と捉えている。

国債発行額が落とすことで景気を冷え込ませてしまえば、さらに税収が落ち、来年は37兆円どころではない税収になる。国債発行額が増えると長期金利の上昇するということばかりが心配されるが、景気がもっと冷えて、さらなる税収が落ち込めば、デフレが加速し、実質的な金利は長期金利の上昇よりももっと上がる。そうすれば誰も物を買わなくなる。

問題はその国債で確保したお金の使途であろう。存在するはずの国家戦略会議が本来はその使途を戦略的に考えるべきだが機能しておらず、無能の府と化しており、行政刷新会議と財務省がやりたい放題やっているから、自民党政権と似たりよったりの思いつきのアイディアで雇用も何も生み出さないようなところばかりに補正予算がつけられている。

話を戻すと、国債発行額をどう抑えるかというのは結果論でしかない。どのように税収を上げていくのか、そのことを考えるべきである。そのためには、どのように雇用とそれにともなう内需を作っていくか、将来不安を無くしていくか、そのことが考えるべきことだと思う。そういう意味で民主党のマニフェストはまぁまぁ今までの政治よりましなことを書いているので、それをきちんと実行するべきだろう。

●小さな政府→景気の落ち込み→税収の落ち込み→借金の増大→小さな政府を要求する世論→小さな政府という悪循環をどこかで断ち切らないとならない。

●自民党が「余計なことをしない政府」と標榜しているらしいが、八ッ場ダムとか、問題になってきた地方空港の乱造とか、どう総括するつもりなのだろうか。社会保障のことだけを「余計なこと」などと言うのでは論外である。先進国の政権を担う政党として学習すべきことをほとんど学習せず、分野ごとの族議員任せにしているところが後進的である。ヨーロッパの保守政党を見学してこい、と思うところだ。
民主党を中心とする政府が、財務省にふりまわされて景気も雇用も社会保障もかなぐり棄てて、当事者関係者を無視して前に進んでいる今だからこそ、自民党はやるべきことがあるんじゃないかと思うが、今さら小さな政府だとか余計なことをしない政府だとか言っているようなセンスの政党はもう終わっちゃっているような気がしている。
民主党一党支配が続くことも問題なんだなぁ。首相が大事な問題についてテキトーなコメントを軽々しく右顧左眄して混乱を招いている。自民党が弱りすぎて、一党支配的な危機感のなさによる。

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12/15 財務省主導の帳尻合わせに閣内・支持者がフラストレーション

藤井氏がまともな選挙の洗礼も受けていないのに内閣一大きな顔をして、他の大臣に対して「要求大臣」だとかバカにしてきたことの問題点がそろそろ出てきた。

農水省が基金返納を一切せず予算編成の足を引っ張っているなどと書いた文書を閣僚懇談会で配布し、赤松農水相が怒ったらしい。

この間、藤井財務相の専横によって、民主党はマニフェストをないがしろにし、ひたすら新進党や自由党のような政策を突き進んでいることに危惧を示してきた。

●同僚の応援で「保育所運営費の一般財源化を考える緊急集会」に出る。衆議院第二会議室に溢れるほどの人が入る。議員会館のロビーにも入れない人があふれていたようだ。社民党の議員が2人、民主党の議員が10人ばかり来ていた。民主党は非労組系の保守系議員の出席が多かったことが特徴だと思った。

子ども手当の地方負担分の負担が問題になり、バーターで保育所運営費がすべて地方負担金でやれという話が急展開で進んでいるということに対する抗議の動きである。この間、もっと保育を大切にするかと思っていた民主党政権が、地方分権を大義名分にした規制緩和、事業仕分けでの保育所運営費と保育料負担を標的にした動きなど、保育所関係者、保護者を無視した改革談義にあけくれるフラストレーションが表面化した熱気だったと思う。

今回のテーマ、保育所運営費の一般財源化(全額地方負担化)について、私は最終的なところでは反対ではないが、一般財源化の最初の標的が保育所運営費ということであることに異論がある。
今、保育所がおかれている状況は、大都市部の待機児童問題の解決が前提である。その解決を滞らせることにつながるからである。

今の状態での一般財源化では、大都市部には保育所を運営するデメリットしか出てこない。財政力の弱い地方の自治体はその大半が地方交付税の増額として受け取れるが、大都市部の自治体のほとんどは地方交付税をもらっていないから、一般財源化されても自治体は何の収入増にもならない。したがって、保育所を整備する意味は大都市部では持ち出しばかり増えてまったくなくなる。

財政の地方分権に対して保育関係者だけが地方分権に反対しているように言われ続けているが、保育所ばかりがターゲットになるのは、とにかく声が小さくではぎ取りやすいからというのが見え見えである。
自治体財源と国の財源がごちゃごちゃ入り交じっている道路や新幹線、空港整備などは、ガソリン税などの目的税があってはぎとるには感情的な反対論が強い。それに比べて保育所の補助金ははぎ取りやすい。その上、民主党を含めて政財界の偉い人たちの生活は専業主婦によって支えられ保育所の恩恵など想像もできないから、なくなったら困る、整備されなくなったら困る、というリアリティーがない。同じく規制緩和の議論も、保育所運営費を事業仕分けの俎上に平気で上げる感覚も、そういうことなのだろう。

今の保育所の最大の問題は待機児童問題。高めだった大都市部の専業主婦率は、今後も下がり続けることは必至で、保育所ニーズは当面、減ることはない(住宅の建て替えやエコカー購入促進する補正予算が通れば、建て替えやエコカー購入が進み、家計が圧迫され余計に共働きが加速される。余談)。
その中で、具体的に財源を確保して待機児童問題を解決しないままに、分権だ規制緩和だと当事者の異議申し立てがくだらないんだという偉そうな態度で保育所の制度をいじったところで、入りたい子どもの数と、入れられる子どもの数のアンバランスはほとんど改善されない。改善されない以上、どんな制度になったところで入れない子どもが出てきて、誰を選び誰を排除するかという問題は無くならない。生活保護ではないが、そのうち水際作戦とかしなくてはならなくなるだろう。景気対策、雇用創出にもなるのだから、ぐちゃぐちゃ前提をつけずに保育所を整備していくことしか保育所に関する問題解決はない。

●待機児童がわんさといた朝霞市でも15年かかって市立保育園(看板だけ。中身は民間)が2園整備された。1園5億円もかかると我慢させられ続けた。その間に、私立認可保育園が県からの市の頭越しに一本釣りみたいなかたちで5園無認可から転換して整備された。それでも待機児童がわんさといる。
ところがよさこい踊り関連の道路整備だの、市役所はじめ市のありとあらゆる施設を基地跡地に移転させるの、話題になった国家公務員宿舎建設関連で、朝霞市は200億円はかかると見込まれるこれらの事業を、予算の裏付けなしにたった2年もかからない間に市民にも諮らず、議会にも諮らずどんどん既成事実を積み上げて「決まったこと」にしてきた。

そういう市政の責任者とつるんできた民主党の言う地方分権や地方主権が信用ならないという気持ちは大きい。住んでいる自治体の問題だろと言えばそれまでだが、私のような保育所を利用している保護者など、そうめったやたらに市役所に行けないで、意見を言う場もつくられないので、入所申請などの数限られた機会に嫌味や文句を言うしかない。退職老人たちがやっている環境運動なんかと比べると、公的なものを必要とさぜるを得ない状況と意見反映できる場のアンバランスを感じざるを得ない。(退職老人と書いたが、同じ高齢者でも福祉を必要としている高齢者は意見を言わせてもらえていないんだということも地域を歩いていろいろ話を聞くとよくわかる)。
当事者参加の場がまともに与えられていないのに主権も分権もないだろうと思わざるを得ない。

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2009.12.14

12/14 サミュエルソン氏亡くなる

経済学者のサミュエルソン氏が亡くなる。

私が高校生、大学生のときに、近代経済学をわかりやすく学ぼうとするとサミュエルソンの経済学のテキストが使われ、どこの書店でもどこの図書館でも置いてあったが、今では古書でもなかなか見つからなくなった。私自身も大学生のときに、マルクス経済学が原論の大学にいたため、非マルクス経済学は独学で勉強せざるを得なかった。(マル経も、共産圏の崩壊期だったので私自身の態度で勉強をあまりしなかった。反省。一方、授業に出てみたり、担任と意見交換すると、教える側も、終戦直後の学校教員みたいに何教えていいのかわからないような状態でもあった)。
極貧生活をしていたので、サミュエルソンの経済学を古書店で安く見つけ、それで勉強させてもらった。

90年代後半から新自由主義が隆盛し、努力と価格競争以外のあらゆる人為を否定するその単純なメカニズムが受け、サミュエルソンの経済学が影をひそめるような状態になったのが残念である。

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12/14 おごれるものはひさしからず

中国の副主席と天皇を無理に会見させたとして、民主党が批判されている。

日本国憲法の文理上の解釈では小沢氏が言うような民主党側の言い分は正しいと思うが、しかし、そもそも立憲主義にもとづく政府の外交に天皇を引っ張り出すことそのものに問題がないのかと思うこところがある。民主党が言うような本当の民主主義が貫徹されるなら、そもそも外交の場に天皇を引っ張り出すことはナンセンスである。

宮内庁の羽毛田長官に辞表を出せなどと恫喝するのはもっての外である。政治主導が非常に下品なかたちで展開されていて、驕りではないかと思うことが多い。支援してきたことが恥ずかしくなってくる。

安倍晋三がここぞとばかりに騒ぎ出しているが、これまた筋違い。報道に対する介入の疑惑、その報道に対する訴訟の乱発など彼のしたことも、天皇の政治利用と批判する問題点とそんなに変わらない。

●新政権は、支持率の急激な低下をきちんと謙虚に受け止めるべきだろう。
普天間基地の問題で社民党のせいにして、そこそこそれが成功しているが、そもそも無理して沖縄で議席を取るためにマニフェストで普天間基地を県外移設すると公約したのは民主党である。社民党がごねているからとマスコミが宣伝することに助けられていいのかと私は思う。

●半藤一利の「昭和史」など読むと、昭和天皇が戦前は立憲君主制を貫徹するよう慎重に政治と関わったこと、それでも政治利用された戦前を省みて戦後は政治利用されないために慎重に振る舞ったことがわかる。
現天皇も昭和天皇になぞっていると思う。政治的中立を保つためには、自らが政治的に利用されても利用されていると言えない立場におく危険性をはらむ。羽毛田長官はそうしたことに対する防波堤となる仕事があり、今回それを果たしたと思っている。そういう安全装置としての役割を、官僚支配か政治主導かというみたいな卑俗な議論にすり替えるべきではないだろう。

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2009.12.11

12/10 久しぶりに労働組合に入っている人の割合が上がる

労働組合の加入している人の割合、「組織率」が久しぶりに上がったという嬉しいニュース。
昨年、労働組合の加入者数が久しぶりに増加したという朗報があり、ただし分母の総被用者数が増えたために割合は下がったという結果。

何より貢献しているのは、UIゼンセン同盟やサービス流通連合など、小売サービス業のパート労働者の組合員化が効いている。

労働組合は、労働力市場を労働者によって集団的に占有することで(賃金や休息の権利を)安く買いたたかれないようにするための仕組み。したがって、労働者が保護される社会になるためには、同業の労働者ができるだけ多く労働組合に入るかが、その力を決める。
北欧諸国で最低賃金が無いか、最近まで無かった国が多いのは、労働組合に入っている労働者の割合が9割前後で、職種別に中央の産業別労組と、業界団体との集団労使交渉で、職種横断的な賃金が決定されるからである。

労働組合の組織率が2割を割り込むほど下がると、いくらでも労働力を売りたたく労働者がいて経営者が買いたたくので、、守ってきた権利を今いる組合員の間で死守するためにいろいろなしわよせを追認していくようになる(まさに派遣労働問題や非正規化という現象)。リストラと非正規化が悪循環のように続く。そして非正規労働者にしわよせして残った労働組合員は既得権益などと罵倒され、新自由主義のエコノミストや金融業者に「彼らの特権があるから雇用が拡大しない」などとデマ宣伝をされ、卑屈になって生きていかなければならなくなる。

個々の働く人にとっては労働組合に入る、労働組合側の問題とすれば労働組合に入る人を増やす取り組みを続ける、それを続けていかなければ、お上頼みの労働条件改善を百万年待ち続ける情けない状況が続く。

そういう状況を変えるには、組合に入っている人の割合が上がったことは良い結果だったと思うが、UIゼンセン同盟やサービス流通連合のパート労働者の組合員化がなければまたじり貧の結果となっていたことを考えると、これまた背筋は寒くなる。また、うちの組合も、その2産別労組と業種は違っても社会の変化でニーズの高まっているサービス労働者の組合であるから、やらなきゃいけないことはたくさんあるなと思いつつ、組合員を増やすということにどこまで全組織的に体全体が切り替わっているのか、と、自分への反省も含めて考えることが多い。

●非正規労働者への対応については、うちや連合に限らず労働界全体が、土壌改良(本工主義への固執の解除)、水源開発(組織化の誘導策)、肥料撒き(教材開発や研修)はやったんだけどもなぁ。ここ30年の政策闘争(出稼ぎ)にあわせた組織になっていることに加えて後継者不足(これはそのまま後継者不足)などで、日々の種まき(非正規労働者への声かけ)、畑の見回りや草取り(非正規労働者への説明や教育)、刈り取り(組合に入ってというクロージング)をやってくれる人が少ない。他人(ユニオンや政党支持の違うような他労組)が自分たちの畑で作付け・刈り取りを初めてあわてて放置していた自分の畑の価値に気づくことが多い。自民党政権での農林水産行政を見ているみたいだ。

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2009.12.09

12/9 阿久根市長の社会ダービニズム・実はリベサヨの一面も

阿久根市の竹原市長が、医療が高度化しすぎて障害者が不幸な人生を長らえなくてはならない、というようなことをブログに書き、問題になっている。

わたしもとんでもないと思う。

事実として、医療が高度化(高度化だけではなんだけどもね)して、かつては生きられなかった障害者が生きながらえるようになっている。そして、一方で生活支援すべき福祉が不十分なために、生きながらえた障害者は、家族関係に恵まれない限り、不幸になっている。ここまでは竹原氏と私の認識はだいたい同じである。

しかし、私はだからきちんと福祉を充実させて、家族が過剰な負担にならないかたちで、本人が幸福感を実感できる社会にすべきだと考えている。
竹原氏は、だから高度医療につぎこむお金が無駄ではないか、と話を展開している。そして障害者が長生きすることが幸せなのか、と、優生思想一歩手前のようなところまで話をもっていってしまっている。

毎度思うが、断片的な真理をつなぎあわせてとんでもないことを言うのが、この市長の得意技のようだ。だから断片的な真理に共感してしまうと、その論理を現実社会で展開するとどんな恐ろしいことになるのか、想像できない人たちから、ただ言葉の勢い、やっつけている相手の顔を思い描くだけで、万雷の拍手をもらう構造になっている。

二流の政治である。

●今回も、竹原氏のブログをのぞけば、全国からの共感メッセージが書き続けられている。しかもそれは障害当事者やそのご家族だったりする。
障害者福祉がダメなのは一自治体(しかも富裕自治体とは対照的な阿久根市ではなおさら)の財政的責任ではないのに、阿久根市の財政状況から障害者福祉の支出の心配をするものまであって、冷静に考えれば、財政事情が悪ければ障害者が長生きしなくていいなんて話にはならないだろう、ということすらわからなくなっちゃうみたいだ。

障害者福祉の予算がどのくらい必要かは証明が難しい。
すべての障害者数もその障害の内容も表に出ていないからだ。厚生労働省が時々、ある特定の地域のすべての家を訪問して、障害者数の割合を割り出す調査をしているようだが、これとて正確とは言い切れない。
ただし、障害者といっても、介護保険の対象になる高齢者を除けば、社会全体からすれば微々たる割合で、障害者福祉をやって破綻した政府も自治体もない。他の福祉、例えば、高齢者や子どもの数と障害者の数を想像するだけで、対象者は圧倒的に少ないから少ない金額で福祉を提供できるといえる。まして、高齢者介護がある程度充実してきた最近では、共通のサービスを利用できる部分もある。
で、具体的な金額の算定。障害者の福祉が、措置費制度(完全な行政処分)→支援費制度(疑似的な契約制度)→障害者自立支援制度と移行してきた。もっともニーズがはっきり出てきた支援費制度から現行の障害者自立支援制度に移行したときに財政が1000億円浮いたと言われている。事業仕分けの10分の1、今回の補正予算の50分の1もあればそこそこの障害者福祉が提供できる。倍にしても5分の1、補正予算の25分の1で実現できる。

財政問題とトレードオフで障害者福祉をさぼり、かつそれで障害者が生きながらえることがいけないみたいな、一見哲学の顔を装った、とりとめもない政治的な議論はすべきではないと思う。

今や障害者福祉は当事者の自己決定権の保障や、人権侵害への救済策を議論している時代なのに、いまだに障害者=社会の足手まとい論にとらわれていたり、1940年代のそれこそ竹原氏が嫌悪しそうな社会主義思想の闇の部分である優生思想の残滓みたいなところに議論を振り回されていることが残念でならない。

●竹原氏の言っている発想は笑い事ではなく、優生思想そのものではないかと思うところがある。
私を含む社会民主主義者は、1940年代から1970年代まで北欧社民政権が行った障害者などへの断種手術という人権侵害に向き合わなくてはならない。その中で、断種手術の背景になった優生思想を調べていくと、日本では単純に屈強な軍人育成の理屈として利用されたが、本場のヨーロッパでは、銃後が障害者ばかりになる(割合が増える)、という平和主義者たちの危機感から推進されたようだ。竹原氏の考え方は、本場ヨーロッパの優生思想に近いものを感じている。

●意外に思うかも知れないが竹原氏は護憲派である。そして公務員叩きをしている。社会保障的なことに対するビジョンはなく新自由主義的改革に肯定的である。エコロジーや陰謀談義も大好きだ。竹原氏の言説には、多分にリベ・サヨ的思想が多い。左派的市民派の地方議員に竹原氏に共感する人が多いという話を聞いたことがあって、市民派左派もこんな状態では、いつ戦前みたいに翼賛体制に組み込まれるかわからん、危ない社会だなぁと思っている。

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12/9 名古屋市の住民税10%バーゲニング

名古屋の河村市長の提案した10%減税の条例案が修正の上通った。

しかし修正が不満として、市長は議会も解散もちらつかせて再審議を求めるというが、政治ゲームもほどほどにと思う。

市長は、10%減税で市民を増やすと息巻いているが、市民税が下がったからって移住する人は少ないだろうし、移住しても、あまり質の高い市民とは思えない。

日本国中人口減に悩んでいる中で、珍しく人口増加している自治体に住んでいるがろくなことはない。
全国が人口減なのだから、国や県からの新規事業に対する財政的支援はほとんど見込めない。そこそこ人口がいて市民税も固定資産税も入るので、地方交付税不交付団体になり、他の自治体では地方負担分についてすべて持ち出しとなる。そうした環境の中で、保育所や小学校などの新住民に対する基礎的なインフラを作ったり、再配置しなければならない。また、住民が増えればドッグランを作れとか、郊外型スーパーを誘致しろとか、よさこい踊りをする場所をくれとか、娯楽としか言いようのない市民ニーズに税金の支出が求められる。
そうしたことすべてに自治体が多少無理して投資すればすべて市債となってのしかかる。高度成長期のようにインフレでチャラにはならない。

で、自治体が住民税を下げたらどんなことになるか、だ。
今の民主党政権が増税という選択肢を取れずに、景気対策もできない、新しい社会にあわせた社会保障の作り直しもできない、中小企業の支援もできない、農家への所得補償もコメにとどまり食管制度の再現に留まっている、子ども手当の実現もあやしい、など限界が来ている。
まだ国は外国で国債を売らなければ、借金して受益した国民のほとんどが国外逃亡できないために、青天井に近い借金をすることができる(あくまでもできるという話)だが、自治体が財政悪化して借金して始末できなければ、住民は勝手に逃げ出して借金だけ残り、そこには軍事力も何もないために踏み倒すこともできずに、夕張市のように、残された引っ越しのできない社会的弱者ばかりで借金を返すハメに陥る。

したがって、自治体の税金のバーゲニングセールはあまり良い結果にはならない。

バーゲニングセールして、急増した人口がギスギスして暮らす街にするより、自治体の長は、無意味なことに使われている税金をできるだけ少なくし、自治体の税金を最も効果的に使うことを考えるべきではないかと思う。

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2009.12.06

12/6 順番が違うんだよ

長妻昭厚生労働大臣が、介護労働者の不足に対して、職業紹介のためのイベントをやるという。

介護の資格を持っている人は十分に溢れている。どうして介護の仕事につかないのか、そこのところをきちんと解決しないで、次から次に人を集めていては、人を使い捨てにする問題企業と同じように見られてしまう。
厚生労働大臣がやるべきは、介護の資格を持っている人が介護職場に戻りたくなるような条件整備、とりわけ低賃金労働の解消が先決で、そのためには厚生労働大臣自身が努力したり決断すべきことが多いはずだ。

その順番を逆転させて、人集めばかりやっていると、ますます労働者に敬遠される。順番が間違っているんです。しょっちゅう人材募集をかけている企業には就職するな、と言うではないか。

●こんなことになっているのも、介護保険がスタートしたときに、有償ボランティアがジャブジャブ事業に参入して、ただ働きもいとわないようなことを言ったからだ。そうした状況を利用し、介護労働者には労働基準法や最低賃金法の適用除外にしろ、などとさわやかな顔して恐ろしいこと言ってのけた、NPO業界のお偉いさん(元検事)もいた。
結局、そうした安価な公共サービス言説が流行し、なんとかなるような幻想を見せてため、介護だけできちんと仕事にしていこうという若者は、介護している高齢者より貧困な生活に喘ぎ、次々に同僚が去ったために長時間労働にも喘ぐことになってしまった。
業界が育つべきときに、人が働くということが何もわからない小泉純一郎が首相だったことも不幸だったと言うべきか。

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12/6 党利党略で沖縄をふりまわして怒るのは当然

岡田外相が名護市の民主党の会合で不満が噴出して、逃げるように帰ったという報道。
民主党の沖縄に関する戦略がまったくなっていないことの矛盾が出てきたのだろう。

今の民主党の外交・安保政策では、沖縄問題の対応は容易ではないことは明らか。先の衆議院議員選挙のマニフェストでは、マッチョな民主党には無理があるのではないかと思うような普天間基地の県外移設を公約に掲げた。そのことで、元々社民党が持っていた名護市を含むこの選挙区に民主党が独自候補を立て圧勝したことから、県外移設には責任が生じたと言わざるを得ない。にもかかわらず、どこの工作員に注射されたのか、アメリカの顔色ばかりうかがう対応に終始しており、結局は名護で受け入れてくれ、となれば、沖縄の人が怒りのボルテージを上げてしまうのは当たり前である。

防衛大臣と外務大臣はそれぞれの立場でまったく別々の考えをあちこちで発表し、まとめるはずの首相は発言を二転三転、その内容たるや民主党の錦の御旗であるはずのマニフェストなどかなぐり棄てられて(最近、藤井財務大臣と事業仕分けにばかり注目が集まって、マニフェストなど守らなくてもいいという雰囲気が出てきているのも問題)、現地の当事者たちが怒るのは無理もない。

ここまで来ると、文京区や四日市市など、閣僚や民主党大幹部の選挙区に日米同盟の迷惑施設を受け入れない限り、沖縄も納得しないだろう。

●ネットウヨが典型的だが、沖縄の反基地闘争を、本土の「サヨ」と同一視するむきもあるが、全く別物だと指摘しておきたい。もちろん運動では常に同一歩調を取っているが、現地の反基地闘争の支援者たちを見ると、どちらかというと、沖縄の伝統を守ろうとする人、言葉をもっときつく言えば愛郷運動や保守的価値観を大切にしている人たちである。私も仕事で沖縄に行ったことがあるが、現地の人から、平和を説く古老の前では、重く礼儀ある態度を求められた(本土の気むずかしい平和運動家の文化人とは重みが違う)。
彼らは、伝統ある沖縄、日本の中の沖縄がどうしてこんなにアメリカにいいようにされているのか、ということを、個々の具体的な事件に結びつけて怒っているのであり、その怒りを終わらせるための努力をしない限り、いくら国際情勢を説いてみたところで、怒鳴られるのは当たり前である。
逆の立場が、橋本内閣、鈴木宗男、野中広務である。彼らは基地撤去などと一言も約束しなかったが、アメリカに対して基地問題を認識させ、状況を打開するためのSACO合意をまとめた。おかげで沖縄県の保守の威信は高まり、その後しばらくは沖縄の選挙では保守が勝ちやすくなる。
そのSACO合意の具体化に段になって、後の小泉政権下で適当に処理されて、今の問題を起因している。

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2009.12.05

12/5 当事者参加を貫く

職場に入ったときには誰より民主党支持だったように思うが、みんなが成長するにつれ、みんなは政権与党を熱狂的に支持し、私はだんだん冷めていく。不思議な感覚である。

●国の事業仕分けが荒っぽい、事業選定は雑だし、やり方が感覚的に受け付けないし、一部には理屈にならない決定もしている、と書いてきている(議事録は公開されていないし、仕分け結果のペーパーが議論の内容を半分以上反映せず財務省の問題意識の範囲しか書いていないものもある)。
しかし、そんなこと批判してどーすんだよ、国民の7割はあれを支持してんだぞ、と複数の場所で言われる。もちろんいくつかほんとうにようやく整理がついたかと思うような裁定もあったが、しかし、社会的に役に立って、それなりに意味のある仕事をしていて、単に公金をもらっているからということで、本題の議論よりも落とし穴にはめるような質問ばかり投げかけてやりこめられて、その上でそれなりに社会的意義のある仕事をしている人が失業したり、社会サービスが削減されて生活に困ったり、ということになれば、どうも本末転倒だと思わざるを得ない。
「批判してどーすんだよ」の論理が小泉構造改革のときに何もせずあとで何やっていたんだと言われる態度。政治的熱狂なんてものは5年もすればその半分以上の人がいい加減なもんだったと気づいて軌道修正が図られる。そのときに恥ずかしいことはしたくない。

●私が民主党を支持したのは、政治の師匠から「参加と改革」であり、2000年から家の玄関に貼っている政治家のポスターの政策的理念は「当事者参加」であったから。それに最も近い政党、逆に言うと家父長制から最も遠い政党が民主党だったからだ。
国の事業仕分けについて「「利害関係者」はいかなる理由があろうとも「議論に関与すべきではない」っていう前提が支配している状況。それは必ず自分の「既得権益」を守るために(いや実際には「既得」なんかじゃないケースだって多いんだけど)議論を歪める存在である、っていう前提」(Blog「もどきの部屋」・「ステイクホルダーの所在,あるいは「構造改革イデオロギーの文明化作用」の問題」)ということが、この間、福祉でも何でも当事者参加や当事者による意思決定という考え方をひっくり返し、個々の政策決定の主権者は誰であるべきなんだ、という議論をおかしくしていくような気がしている。
今はその主権者が当事者たちではなく、藤井財務大臣か仙谷行政刷新会議議長に集中しているということでもあるし、実質的にはそこに取り入った財務省出身の茶坊主議員たちということなのだろう。

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12/5 議会改革は議会が市民参加で進めるべきこと~名古屋の新条例を通じて考える~

名古屋市長の河村たかしが提案した「市政改革ナゴヤ基本条例案」が修正されて可決される見込み。

修正に対して河村市長は反発しているらしく、リコール請求をする動きもあるようだが、おかどちがいも甚だしい。

この条例案は、市政の改革と、議会の改革がごった煮になっているものだが、定数や報酬の半減、連続3期を超えた在職の自粛、政務調査費廃止、議員の自由な意思に基づく議会活動の実現(党議拘束の禁止)などの議会の改革は、市長が提案すべきことではない。

とくに、党議拘束の禁止については、一方で有権者は政党名で投票している人も少なからずいる上、地域コミュニティーの希薄化、ビラ配布禁止や二大政党制の定着などで、今後も政党名によって投票する有権者が増えることから、党議拘束の否定は、有権者の投票判断と議会行動が全く異なることを容認する可能性がある(例えば埼玉県議会の民主党の半分ぐらいの議員たちのように、改革を絶叫して八ッ場ダム建設中止を求める世論の票を集めておきながら、議会内では政党の政策を無視して推進活動をしているようなケースは党議拘束が機能しないことの弊害だろう。もっとも彼らは「上田党」の党議拘束に盲従しているだけだが)。また政党活動の自由を否定するもので、憲法の結社の自由にも抵触しかなねない。圧倒的な行政権が権限を持っている中で党議拘束をやらなければ、政党の政策を掲げて審判を受けた選挙の結果を、行政が議員にちらつかせる政策的エサによっていとも簡単に態度変更されることが避けられないだろう。

その他定数などについても議会自身が有権者とともに進めるべきもの。報酬についても、安くすることよりも、議会開会日数を広げて、議会の市民参加を進めるなど、もっと働かせることを考えるべきではないか。

したがって、河村市長が提案したことが変わったからといって、安易にリコール請求を煽ったり、骨抜きだと批判すべきものではない。

とくに、河村たかし個人に入れ込んでいる名古屋大学の後房雄が見苦しい。彼はもともとマルキストではなかったのか。そして、イタリアのオリーブの木、旧左翼民主党の研究者として、もっと多様性のある民主主義を理想としていなかったか。
それが、思想も教養もない河村たかしの言うことに従うものはyes、そうでない者はリコールでも何でもしよう、という、ファシズムの一歩手前みたいなことをしているのが、何だか情けなくて、力の抜けた笑いしか出てこない。

●ただし河村たかしがこの条例を通じて疑義を呈した、首長公選制への疑問はきちんと受け止める必要がある。最終的には各自治体の判断にすべきと思うが、やはり、地方議会の無責任体質(自民党だけじゃなくて、民主党や共産党や市民派議員もそう。)は、地方議員の自分の選挙が首長の資質や責任と無関係に存在するから、議員選挙が市政をどうするということでなくて、町内会や市内の各種団体・市民運動グループ間のいすとりゲームに終始してしまう。その結果、つまらない口利きみたいな仕事しかしなくなっていく。
ヨーロッパは、市長は市議会議員から選ぶ国が多い。余談を言えば、市議会議員選挙でも比例代表制を採用している国も多い。議員が、市内全体に目配りした責任ある政策を訴えるようにするためには、本来はこうした制度が望ましい。
日本はいつもそれに逆行して、党議拘束が無くなれば、無所属がいい、という一般的な議論が出やすい。しかし、少数の多数派に対抗している無所属議員がいた方が議会にとってはいいが、それ以外の多数派のあるいは多数に流れやすい旧来型政治家が、無所属を掲げるのは詐欺に近いことだと思っている。きちんと旗色を鮮明に掲げ、政策に責任を持つ仕組みが必要だ。

●また議会改革は議会の責任といっても、議会が自分たちの都合だけで勝手にやるというものではなくて、市民に対する責任ある議会をどう作るのか、という観点がなければダメ。改革は市民参加のもとで行われ、選挙できちんと審判するに値する情報公開がされているかは最低限に検討されなくてはならない。また、行政が市民参加を進めているのと同程度に、議会への市民の直接参加の道を検討されなくて、ますます議会の権威はなくなっていくだろう。

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2009.12.04

12/3 配偶者控除を残しながら保育所補助を切って共働き家庭を迫害する政権

政府税調が、子どもや障害者に対する所得税の扶養控除を廃止する一方、専業主婦のいる夫しか利益のない配偶者控除は存続するという。

明らかにおかしい。

かねてからここで書いてきたように、税控除は高所得者ほど有利に働く。その中で、高所得者の専業主婦をもつ夫を優遇する意味なんかあるのだろうかと疑問に思う。高所得でありながら専業主婦を持つというのであれば、応分の負担をすべきではないか。

一方、先日の事業仕分けで゜、保育所の政府支出をが標的にされた。いわく月8万円の保育料負担は少なすぎる、いわく延長保育に一般財源を使うのはおかしい、と。補正予算でも、まったく待機児童問題を解決するような使途が書かれているわけでもなく、共働き家庭に何のメリットもない政権である。

この政権は明らかに共働き家庭を否定的にとらえているとしか考えられない。

共働き家庭のために、サラリーマン階層のために、役に立つ新たな政治勢力の出現を期待しながら、しかし、労働を馬鹿にする政治風土の中では、なかなか夢がかたちになるのは遠いように思う。

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2009.12.03

12/2 額は大きいのになっていない景気対策

デフレを受けての政府の補正予算がまとまったが内容がなっていない。

雇用が創られない財政出動はあまり意味がないと何度も書いたが、この中で多少評価できるのは雇用調整助成金のみ。これが辛うじて失業者の増加ペースを緩和する効果があるだけ。国の借金が増えて、デフレ経済と低い税率のもと、誰かの懐に入っておしまいである。

エコカー減税やエコポイントも特定業種の雇用維持に効果はあるが、しかし結果として需要の先食いに過ぎないようなところもある。ハイブリット自動車の開発競争を促すならまだメリットありか。

大学生や高校生の職業支援みたいなところにジャブジャブお金をつぎ込むのは全く愚策。そもそもの雇用を増やさないのに職業紹介みたいなことに力をいれたって、景気は回復しない。

やはり公的支出の不足に起因して人不足の業種、お金さえつぎ込めば人を雇うような介護や、施設を整備すれば需要と供給の両方を掘り起こせる保育所、病院医の待遇改善などにお金を使い、質の高い雇用を増やすことが必要。
失業しているのは介護士や保育士、医師ではない、と言う人もいる。しかし介護士や保育士の有資格者が、割に合わないからとスーパーのレジ打ちやっていたり、OLやっていたりするのであれば、介護士や保育士が本業回帰することによって、その雇用は他の人に明け渡される。

●保育所については今の待機児童2万5000人。仮に児童1人年100万円使ったとしても、運営費補助金、地方交付税あわせて年250億円。施設整備費は、1園5億円としても、2万5000人÷平均的保育所定員90人=278施設を建設すれば、1385億円で当座の待機児童問題は解決される。真水4兆円のごく一部で当面解決される。
これで保育士他関連職員約5000人~6000人の真水の雇用を生み出す。待機児童で困って仕事ができない人が仕事ができるようになる。

●濱口桂一郎さんが労働問題に真摯に向き合っているとしてSPAを評価している。21世紀に入るぐらいまでは扶桑社だからと敬遠していた私も、愛読する家族のおかげで時折読んでいるが、全く同感。どうしようもないウヨ雑誌やウヨ新聞を持ちながらも、大手メディアが書かなかった左派的な論調でも商売にしてきたフジサンケイグループの良さを感じる。
小泉構造改革の真っ盛りに、小泉構造改革の暗部を恒常的に取り上げて書き続けたのはSPAぐらいではないか。小泉構造改革を批判した左派系雑誌はあるけども、グローバリゼーションがどうのこうの、経済イデオロギーの問題ばかりで、生活や労働の問題を直に取り上げたのは2006年以降。それも継続性はない。労働に関してめざすべき理念もないのに労働組合叩きを特集する某経済誌より数段まし、というところも同感。

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2009.12.02

12/1 閣僚の福島氏を党首からおろして意味あるのか

社民党、旧社会党のお家芸とも言える、政権与党下での党所属閣僚を党から切り離す動きが勃発している。福島党首を引きずりおろしたり、党首としての権限を無力化する動きが出ているようだ。福島氏にいろいろ思いはあっても、内閣に送った党首を党首でなくすることがいいのか、という基本的な責任感が社民党にはないのだろうか。

こうしたことは、古くは片山内閣のもとでの、左派・鈴木茂三郎派の党内野党宣言、最近では、細川連立内閣下での党首選で内閣にいた山花党首、赤松書記長をひきずりおろして村山党首、久保書記長の体制に入れ替わったこと。そうなったときのその後の流れは、下野、総選挙での壊滅的惨敗、3~4年の崩壊的な混乱状態となる。

民主党の圧倒的な議席数のもとでの社民党の生き残りのためには、民主党を中心とした連立政権の中で、小沢一郎や藤井裕久などに嫌がられながらも、わがままをいいながら、一塁打をうち続け、得点を入れていくことだろう。民主党だけに好き勝手にさせていない、という姿勢を作りながら、一塁打の中から、党の支持基盤を作っていくことしかない。

そういう中で難しいのはやはり沖縄問題。結論を出すことが迫られているからだ。しかし社民党としては安易な妥協はできないし、先送りも難しいとなれば、何か運動やまともな妥協策を探らなければならないが、そんなこともせずに、誰がやってもこのような状況に陥るという冷静な視点も持たずに、福島氏が民主党に流されて、テレビに出てチャラチャラやっているから問題なんだ、という理屈の立て方が、旧社会党らしい内ゲバ体質の発想。

保育所問題を中心に福島氏には厳しいこと書き続けたが、ことこの問題に関しては本当に同情したい。

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2009.12.01

12/1 川田龍平&渡辺喜美

年末、政党助成金の計算を前に、離合集散の動きがささやかれる。

川田龍平氏がみんなの党に入党。なんか違和感がある。

彼が当選した2年前の参議院議員選挙で応援した市民派地方議員や環境系市民運動と毛色の違う世界に行くなぁと。しかし、散発的に、市民派の政治家が、小さな政府系の保守に流れることもあるので、そういうことではありうる話ではある。

入党の記者会見で民主党に誘われたけれども断った理由として、自由な政治活動ができない、ということを理由に挙げた。ここはまったく同感。

●市川市長選挙に挑戦した友人の高橋亮平さん残念。もっとも幅の広い支援の枠組みができたのに、やっぱり同世代で競合したことと、出遅れが痛かったように思う。シニア世代の現市長の施策の評価が高かったため、古いタイプの候補者にマイナスイメージが働かなかったこともあるだろう。

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