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2009.12.28

12/28 補足・年金積立方式に対する違和感私史

羽田空港の軌道系交通の整備について、「三原則氏」と意見が合っているみたい。

喜んだらいいのか、不吉な予感。

●濱口桂一郎さんのブログで過日の記事の傍論が、トップに取り上げていただいた。

年金の積立方式に不信感を持つのは、私の祖父の体験があるからだ。
私の祖父は中国・青島でリベラル派経済人としてある程度成功したらしい。事業家でもあった祖母の実家の支援もあって、持ち前の堅実な感覚や経理の知識が生きたようだ。本当は事業家よりも教養人になりたかったみたいで、大学や東亜同文館に行きたかったようだが、大工の子には無理ということで、商業高校出てから、文学や漢文などに親しんでいた。本人は嫌々経営者をやっていたようだが、そうした姿勢が幸いしたのか、中国人に手ひどいことはしなかったみたいで、それでいろいろ助けられてきたようだ。
1937年、新聞懸賞論文で日華友好を書いて銀賞をもらい、当時大陸で野郎自大に増長してきた右翼に追いかけられるハメになり、数年、中国大陸を転々としていたようだ。
その後青島に戻ることができたが、戦争は負けるとみていたようで、大連港までの逃亡ルートを確保して隠れ家まで用意していたぐらい慎重な人であった。

流動資産は日本系の銀行や郵便局の貯金として残して持ち帰ったが、戦後の預金封鎖とインフレで事業資金として活用することができなかった。もちろん生活資金もカツカツで、やったこともない小作農をしなければならなかった。私自身、2回ほど、いとこたちとともに祖母に連れていかれて、その小作農をしたときに住んだ蚊だらけのあばら家に連れていかれたことがあった。当時の農民にはなんてことはないだろうが、商家の娘として育った祖母には、しんどい生活だったようだ。それでも、本土の親戚に冷たくされ、ようやく小作農として使ってくれたこの農家に恩義を感じていたようだし、いつかこういうこともあるんだ、ということで私たちを連れていったのだと思う。

終戦の混乱というものが、ドイツと比べてでさえ幸いな決着だったのだろうと思うが、それでも頼りにしていた預金はパァになるし、政治はもちろん全然変わってしまうし、契約なんて何の意味もなさなくなることが、非常事態には起こりうるんだ、ということが、大正デモクラシーの残影を残す中国植民地で育った当時30代後半の祖父母にとっては、相当なカルチャーショックだったことは想像に難くない。毎年夏休みに帰される大分県で、祖父母の会話からは、先の戦争と切っても切れない話が多かった。

そういう祖父母の話を聞いてきたところでは、歴史の流れに委ねることについて、個人責任を問うような制度を設計するのはよろしくないだろうという感覚が私にはある。
年金制度などという加入者1人の単位でみても60年~70年のスパーンで考えなくてはならないものを、今の社会のルールや常識が未来永劫続くことを前提に、たかだか10年程度流行した経済思想や、金融業者の営業活動のためのバイアスのかかった理屈で、「改革」しようとする積立方式論者の視野の狭さを感じてしまう。

●また積立方式が成立するには、年金の運用を自己管理できる金融リテラシーが必要。
この世には、そういう知識を獲得することができない人や、能力はあっても、例えばお金が入ればギャンブルにつぎ込んで次に育つお金の使い方ができない人が必ずいる。そういう人たちが無年金になっても構わないんだ、生活保護で面倒みてやるんだ、という割り切りが必要。
また、仕事をし、生活をし、休養をし、睡眠をする一日の生活の中から、年金の運用管理をし、年金を運用する金融業者に指示をしたり文句を言ったりする時間が必要ということだ。そんな時間があるなら、もっと生産的な活動をした方が老後のためにはよいと私は思う。

●積立方式に対する違和感に、労働問題として裏打ちしてくれたのが濱口桂一郎さん、社会保障財政の面から裏打ちしてくれたのが慶大の権丈善一教授。お二人ののホームページの記事ならびに著書によるところが大きい。さらに、貨幣や政府の歳入・支出に対する感覚は、阪大大学院教授小野善康教授の著書から得た。濱口さんにお礼を申し上げたい。

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