12/26 学校がらみの子どもの死亡事故は謎だらけ
モンスターペアレントが話題になることがある。事実認識ができない保護者による学校に対するハラスメントに至っている事例はともかく、最近は学校に対する異議申し立て、苦情がすべてモンスターペアレントと解釈されているようだ。
学校に苦情や異議申し立てしている人の話を聞くと、最近の学校というところは全く人の話を聞かないところらしい。企業も市役所も苦情に敏感になって、取り入れるべき苦情は対応していこうという時代なのに、学校だけは昔より利用者・ステークホルダーとのコミュニケーションが全然できていないらしい。
苦情申立や異議申し立て→無視・却下・政治的処理(いずれも黙らせる)→さらに大きなところに苦情・異議申し立て→問題がこじれはじめる→苦情や異議申し立てがさらに強くなる→モンスターペアレントというレッテル貼りになっていくようだ。
ひどいのは昨日、地裁判決があった名古屋市の小学校での子どもの死亡事故。学校は事実と違うことを言い張って、子どもが勝手に死んだことになっている。
学校での子どもの死亡事故について、学校当局から正確な情報が出てくるということはなく、子どもが勝手に死んだんです、ということで処理されていくことが多いようだ。この近所の新座市のある中学校での子どもの自殺事件でも、背後に教員によるハラスメントがあったようだが、そのことは隠蔽され、市議会にまで持ち出されたものの真相は学校にフィードバックされることがないまま、政治的問題として尾を引きずっている。
●閉鎖された環境、人質商法、そういう学校の体質が、北朝鮮のこと笑えるかと思ったりもするものだ。官僚支配を打破するという新政権にここのところを改める方法を考えてもらいたいもの。学校内権力闘争としか思えない、生徒指導にばかり血道をあげて、学力低下を続けている公教育は、その資源配分が絶対に間違っているし、それについては外科手術が必要だと感じている。
●先日、仕事の知識習得で、経営者として社員をどう教育すべきか、ということも学ぶセミナーに出席した。日本企業にはまだパワハラなどの悪習が残っていてるところもあるが、社員教育というと、あの学校教育のような、統制、統治を手法とするものはなくなっている。役所にも、研修の必要性が認められ、研修をやっている自治体では、企業での社員教育を行っているようなところに研修を外注していることもあって、最初から統制、統治ではないやり方での研修が行われている。残るは学校教育だけという感じがしている。
もちろん、学校教育は知識を子どもに持たせることに最大の目的があるから、社員教育とやり方は違うが、しかし統治、統制にあまりにも労力と目的がおかれている今の学校教育のあり方はムダが多い。単純比較できないが学習塾と比較するとそれがよくわかる。生徒指導をせず、短時間で効果を上げている。
なぜ統制、統治が重んじられるのか。教室の秩序を維持するということには、教育関係者の誰もが反対できない。その上、いわゆる「問題児」は必ずいるため、教室の秩序を維持すると言えば、誰もプライオリティーを下げられなくなるからである。監視カメラみたいなものである。そこに権力欲の強いだけの教員が統治、統制ができれば偉そうにできるしかけがあるのではないか。
「学校側がウソの主張」体操事故で責任認定
運動会で行う組み体操の練習でけがをした名古屋市中村区の市立柳小学校6年生の男子児童(当時)が、同市に約190万円の支払いを求めた訴訟の判決が25日、名古屋地裁であった。
長谷川恭弘裁判長は、学校側の責任を認めた上で、「学校側が、保身のため虚偽の主張をして、児童に精神的な苦痛を与えた」と述べ、同市に慰謝料など計約110万円の支払いを命じた。
判決によると、男児は2007年9月、学校の運動場で、「4段ピラミッド」と呼ばれる組み体操の練習をしていて、高さ約2メートルの最上段から落下。左腕を骨折した。児童は「下段が不安定だった」と訴えたが、学校側は「突然、跳躍した。事故は予見できなかった。過失はない」などと反論した。
判決は、学校側が報告書に「3段」と虚偽の記載をしていることや、教頭が別の児童の回答を誘導したことなどを認定。「学校の責任を軽くするように工作していることがうかがわれる。教諭の証言は信用できない」と判断した。
安藤伸二・同小教頭の話「学校として考え得る限りの指導、対策をしている。児童に精神的苦痛を与えたという判決は残念だ」
(2009年12月26日03時11分 読売新聞)
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