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2009.11.23

11/22 保育関係者はエコノミストに「質が維持しよう」と言うよりも、それで待機児童が具体的に減るんですかと問い直すべき

新政権で待機児童対策をどうするかということで保育に意見したい人たちがいろいろ動き回り始めている。

保育園の送迎をやったことがあるのかも怪しげなエコノミストと称される新自由主義者(以下「エコノミスト」というときには評論したがる新自由主義の経済学者や評論家のことをいいます。本当のエコノミストには申しわけありません)と、保育関係者との意見の断層が大きく、議論にならないなかで、政治側が安易な選択をしたがっているところに恐れを抱いている。

保育所の質を下支えしてきた最低基準を下げなければ待機児童対策ができない、という仮定の理論をもって、保育所の規制を取っ払おうというのがエコノミストの陣営。それに対して保育の質を守れというのが保育業界関係者。どうもこの対立図式の中では、規制を取っ払えという側が勢いづかざるを得ない。

エコノミストは、何においても市場が決めるんだという。1つには市場原理という神の手で最適選択がされるというメカニズムの議論と、もう1つは個々の保護者がまるで選べる権利があるんだという非常に矮小化された議論をないまぜにして、質を問うことはしなくていいんだと迫ってくる。保育の財源や質のことなんか面倒くさくて考えたくもない一部の政治家たちはこれになびいていく。

保育の質ということの内実はいろいろあるのだろうが、質といっても、求める水準が死亡事故が起きないからはじまってエリート校に行かせる教育を求める水準までいろいろなレベルがあって、それをどこに設定するかということのコンセンサス(児童福祉法や厚生労働省は家庭の代替機能と位置づけているが)ができていない上、さらに仮にそれを決められたとしていも、どういう職員配置やどういう面積ならその質の水準が実現できるのか、ということは科学的な証明は不可能である。
もちろんし、実際に最低基準などが機能しているのは、さすがにそれを割り込んだらひどい保育環境だと経験則的に理解しているからで、エイヤッと決めたものだとしても、それはそれで大きな意味があったと言える。しかし科学的に証明せよというと、論立てがなかなか難しい。

だからお互い神学論争の中に安住していて、10年一日、待機児童対策に対しての有効な対策について結論が出ない。
ところが、一昨年ぐらいからの格差社会の問題、昨年末の反貧困運動の成果で、ようやく保育というのが若年者家庭の生存権につながる問題だと認識されて、予算出動してでも保育を充実させるベクトルが動き出したものの、それは民主党が野党の間だけだった。
概算要求をまとめて、子ども手当の財源すら用意されていないことが明らかになると、途端に先日の事業仕分けでも見られたように財務省発の保育料の値上げと、エコノミストたちによる規制緩和による安上がり保育を画策する動きが跳梁跋扈してきた。政治家側もそうした議論を支える学者と接触し始めているのだろう。経済雑誌などで規制緩和派の保育談義が掲載されている。

ところが、これに対する保育関係者の反論は、待機児童問題の解決のために質を下げてはならない、という言い方になりがちである。この議論の仕方は、待機児童問題の解決と質の維持を取引材料に出すものであり、完全にエコノミストたちの議論の術中にはまっているのである。
エコノミストたちに眼の前にいる認可保育所の子どもだけいい思いすればいいのか、と反撃されたら詰である。認可保育所を利用できなければ、若干規制が緩い自治体独自認可の保育所を利用し、それが不可能な質の担保のないらベビーホテル、親族による育児、育児放棄とどんどん低い方に選択が進んでいくだけである。保育所が見つからないからって職場を欠勤できないことを考えてもらいたい。保護者は保育の質のために、稼ぎや生活を犠牲にできない存在だからだ。したがって、待機児童問題があるということ自体、保育の質が維持されていないことの証明なのである。それを直視しないで、エコノミストどもに対抗できるわけがない。

だから、待機児童問題は重大な人権侵害であるという前提をきちんと呑み込んだ上で、エコノミストたちの挑戦に対して反論していくことが重要だと思う。そもそもの話の設定は大都市部と沖縄県においての待機児童問題の解消なのだから、それができるかどうかを突っ返して反論すべきだろう。

私はエコノミストたちが言うような規制緩和で、数百人程度の限定的な待機児童の解消に効果を生むとは思うが、2万5千人、潜在的ニーズとしては10万人を超える保育ニーズを解消できるとは思わない。やはり一定の財政出動をともなう対策を講じなければ、絶対に保育所の収容人数は増えない。

保育コストというのは、建物と運営コストに分かれ、運営コストは保育士や調理員など人に対するコストと、給食や教材費など日々の保育活動に対するコストに分かれる。これらの積み上げの内訳を削るしかコストは下げられない。運営コストの積み上げを入所した子どもの数で割返したのが「保育単価」で補助金の計算から保育料の計算までの算定根拠になっている。
一方、保育コストの原資は、保護者の保育料か、国の補助金や地方交付税か、自治体の持ち出し補助金か(あと社会保険を使うというのもあるが、これは国民から徴収して国民に返すのだから国や自治体を経由する支出と意味は変わらない)、どれかしかない。
このバランスの中でしか保育所の運営はできない。そして今の保育所運営費補助金は、この計算をそのまま表現した仕組みになっている。上記の計算式のどこにお金を入れたり、お金を差し引けば、どういう効果が起こるか、それが政策判断の話になっていく。
規制緩和や市場原理で、この今の収支の水準のままで2万5千人分も保育する余力は生まれるとは思わない。事実、2000年前後の規制緩和で、保育事業者が増えたんですか、と聞きたいところで、強力に規制緩和を求めたベネッセスタイルケアにしたところで、今現在、認可保育所は10園前後しか経営していない。人数にして1000人分程度の待機児童を解消したに過ぎない。

エコノミストは自らの信仰とまで化している経済学の一部の理屈、原理原則を、保育業界に機械的に適用して実験しようとしているだけであり、実際に待機児童が減るメカニズムについて十分な検討をしているとは思えないから、真剣に待機児童がどれだけ減るんですか、とつきつけたら、どこかで何も答えられなくなる。改革が足りないんだ、がんばっているところもあるんだ、という理屈にならない話になるのがオチである。
保育所の建設費を誰が払うんですか、1人あたりの金額が減る保育支出でどうやって保育やっていくんですか、ということに詳細の検討がされているとは思えない。追及していけば、「保育士の子どもの見る人数を増やせばいい」か「保育士の人件費を下げろ」という答えしか出てこない。そういう改革は、すでに2000年の段階でもやっていて見事に成果が上がらなかった。

そもそもの財源を担保しなくて、保育所は増えないし、エコノミストぎ期待する新規参入業者なんかも、ごく奇特な例外を除けば、いるわけがないのである。介護保険で、財政を締め始めた後には、新規事業者も介護士の新規就労も増えていないことがそれを証明している。

●たまに朝霞市の保育政策を褒めると、決して質を厳しく問うていないところが問題だが、1997年から、いち早く認可外保育所で質を維持しているところに自治体独自で公費の支出を行ってきた。その結果、最近まで待機児童問題は存在しても、ある程度のお金さえあって仕事も通常勤務の範囲であれば、実際に保育サービスが全く無くて行き詰まる、ということは回避できた。
しかし、やはり最近、こうも共働き率が高まると、その認可外保育所も不足しているらしくて、新規入園は4月までとりあえずストップしているところが多いという。自然な新規参入に期待するのも、共働き率3割から5割ぐらいに上げる分に対応するところが限界だろう。また補助を受けている保育事業者も、余裕のある経営をしているところはない。市内だけではメリットが薄くて認証保育所制度のある23区内に展開しはじめた業者もいる。
北陸のように7割、8割の共働き率になる水準までは、もはや思い切った財政出動なしに保育ニーズに対応できない状況というべきだろう。

●行政刷新会議のホームページの事業仕分けの保育所運営費補助金の議論の報告(第二WGの17日)から、。どうも実際に行われた議論の流れと違う、財務省の元々の問題提起に近い報告になっている。しかも議論の後半、5分以上は議論を費やしたはずの、保育士の賃金単価が低いんではないか、という仕分け人の意見が全く拾われていない。正確な議事録を公開すべきだ。
こういう意図的な改ざんをするから、事業仕分けってうさんくさいといろいろ言われるんではないか。事業仕分けの品質を高める努力をしてもらいたい。

●増税はしない、子ども手当は月2万6千円撒きます、そう言った時点で私は保育園が犠牲になるだろうと予測したが、どうも的中しそう。嫌な感じである。

●権丈善一氏のホームページから、11月20日付「勿凝学問46 歳出削減はいつまでつづくのか?――この国には新自由主義とか市場原理主義の政治家などいない」から
「医療、教育の荒廃、介護の後退、保育の未整備をまねいたのは、首相の個性ゆえではなく、増税をしようとすれば政治家を酷い目に遭わせる日本の有権者のせいであるというのがわたくしの診断でもある。」

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コメント

さて、所謂エコノミスト連中から次のように攻撃されたらどのように反論するか?

・「保育所の規制緩和に反対するのは保育所利権があるからだ」
・「認可保育所の民営化反対は自治労利権があるからだ」
・「保育士の待遇改善要求は、自治労利権があるからだ」
・「認可保育所を増やせというのは保育所建設に絡む土建屋利権があるからだ」

「保育所」を「公共工事」「道路」「ダム」「原子力発電」と言い換えてもいいでしょう。

「○○利権」があるからその事業はダメ、といったレッテル張り批判が多く見受けられましたがもうおやめになった方がいいでしょう。
予算削減と競争激化で上記ほかどの業界も痛めつけられていますが、彼らから保育業界を守ってやれという言葉が聞けるでしょうか。

投稿: 一国民 | 2009.11.23 22:03

保育園の質、というのが専ら生命に係る事はご理解いただけてますか?
認可保育園に通わせてる子だけがいい思い、と言われてますが、怪我や落命の危険を上昇させて平等とするならば、そもそも保育園の必要性はないのではないですか?それとも、100人入れて99人卒園できればOKとするのでしょうか

投稿: 通りすがり | 2009.12.17 17:32

一国民さま
利権があるものはあるしないものはないわけで、それはそれぞれ指摘する必要があると思います。反構造改革だからすべての利権に目をつぶれというゼロかイチかだけの思考はよろしくないと思います。

通りすがりさま
保育の質が生命にも、子どもの豊かな人生にも必要だということは百も承知だということは、わかっています。条件反射的にとらえず文章からお読み取りください。
保育の質が重要だということは経験則や常識的な知からは全くそういう言葉が保育関係業界や一般社会で通じるのですが、政府や政党にまとわりついている規制緩和派の経済学者を論破するのにそういう証明不可能な言説は通じないのです。そういう保育園について専門外にいるのに保育政策に生殺与奪の権利を握っている、前提条件から意見の違う人説得したことありますか。

彼らは、すべて数学的な議論に展開します。認可保育園が100人を99人にしないというなら、認可保育所で1人も子どもは死んでないんですか、とか、絶対に人の死なない保育なんてできるんですか、という議論が展開されるわけです。そういわれたら認可保育所が絶対安全で質の高い保育をやっているんだ、とエコノミストたちが納得する論理で説明できますか?安全とか質というのは、数値化できないので、エコノミストは簡単に納得しないのですよ。選ぶ保護者の権利が徹底していないからだ、規制緩和を徹底され足りないなんて言われかねません。彼らにとって証明不可能なことは市場に委ねるべきということなのです。

規制緩和派のエコノミストは錦の御旗は待機児童問題なのです。しかしその規制緩和の論理では待機児童問題をわずかに緩和できても、解決することはできません。質という業界内でしかわからない話ばかりするのではなく、そのことを保育関係業界にいる人たちはきちんと指摘してほしいのです。

投稿: 管理人 | 2009.12.17 18:36

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