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2009.11.30

11/30 「ビラ配布お断り」マンションのビラ配布に最高裁が有罪

ビラ配布禁止の札を掲げたマンションにビラを投函したことが、逮捕拘留までされる違法なことなのかどうかを争った裁判で、最高裁が有罪判決。

私は被告の側と同じで、こうしたことに逮捕をすることは違憲だと思っている。何度も書いたが、自由は尊重されるべきで、とりわけ政治的自由は、自由を取り締まる側の統治者を被治者の側がコントロールするために保障されなくてはならない権利である。自由権の根幹をなす自由である。

大上段に迷惑論をふりかざす人もいるが、ビラをマンションに投函されたからといって、どれだけの実害があるのだろうか。嫌ならごみ箱に棄てれば済む話である。政治的自由をかたちにする上で、選挙カーのように騒音を立てるわけでもなく、電話のように時間を拘束するわけでもなく、比較的、有権者も運動する側も自由でいられる関係性が保てるビラ配布が違法とはおかしい話だ。

これに続く逮捕で、集合ポストの投函も違法という判決もある。行政が配る広報も、警察の防犯のよびかけのビラも無許可配布として刑事告発できるということなのだろうか。もちろん鮨屋やピザ屋のちらし、マンション買いますという大手不動産販売会社のビラ、みんな迷惑ビラである。でも逮捕されたなんて話は聞かない。政治だけ標的にされるのは、あきらかに政治的自由に対する権力の挑戦か、でなければ今回共産党ということで共産党に対する弾圧だと思ってよい。今の共産党にビラ配布まで弾圧する意味なんか全くない。

●罪は罰金5万円。この程度の罪状のために、逮捕し、勾留し、社会生活をズタズタにするのが、政治絡みの取締りのやり方の良くないところ。微罪で終わるので、世の中もお金で済んで良かったねと、そもそもの違憲性などまじめに考えてくれないし怒ってもくれない。政治的なことに関わっているやつが悪いんだと総括されて終わり。
でも逮捕された方は、20日にわたって牢屋に入れられ、逮捕されたということで社会生活がうまくいかなくなり、政治家であれば有罪ということで失職し政治生命を失う。
司法権力はよくそのあたりを見ている。裁判官も微罪の判決を下すことで罪悪感にとらわれずに違憲性を見逃すことができる。

●今回のビラ配布に対する摘発と有罪にした一連の司法の判断は、国連で人権侵害として問題にされ、日本政府に勧告が行われている。

●朝霞近辺に建っているリゾン系マンションは、どこも建設された直後から「ビラ配布お断り、●●管理組合」と貼りだしてあるが、管理組合のメンバーで話し合わせて合意を取っているのだろうか。ビラ配布迷惑というのは、あくまでもほぼすべての住民合意があってのこと。十分な議論にもとづいて住民合意をせずに、マンション販売会社や管理会社が勝手に入居者をおもんぱかってやっているとすれば、善意にしろ悪意にしろ、政治的自由や、表現の自由(情報アクセスの権利)を侵害していることになる。
私がこれまで地方選挙にかかわったり、政治を考えてほしいという運動をしてきた経験から、有権者の多くは「候補者が何をやってきたのかよくわからない」「説明責任を果たしていない」という声をたくさん聞いてきた。ビラが迷惑だというクレーマーの声はでかいが、しかしまじめな市民は政治家の情報をほしがっており、選挙では候補者を比べて主体的に選択したがっている。政治的情報を入手する回路を遮断するのは、地域や社会を絶対に良くしない。

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11/30 週刊ダイヤモンドの謀略史観、今週の主役は労組

またまた週刊ダイヤモンド12月5日号が謀略史観記事。「民主党最大のアキレス腱」。
民主党がうまくいかなかったり、新自由主義者たちの都合のいいように動いていかないところを見ると、必ず出てくる陰謀史観。

書き方はネットウヨやSAPIOが中国・韓国を叩くのと同じ手法。そこらに転がっている断片的な事実をコピーペーストして貼り合わせて、ありもしない陰謀を労組がやっているかのように書き立てる。

厚生年金病院や社会保険病院が残ったのは「自治労の影がちらつく」などと書いているが、残念なことにこれらの病院に自治労組合員はほんとうに少なく、その多くは医労連の組合員か無所属。自治労は、地域医療を充実させるという立場で存続すべきだと考えているが、これらの病院の存続に組織的にはメリットもデメリットもない。抽象的な「地域医療を守ろう」というにとどまり、個々の厚生年金病院や社会保険病院の存廃の運動に関与した事例は少ないだろう。むしろこれらの病院の存続は外的要因による。医療崩壊を受けて、地域の中核的医療機関としてそれなりに機能していたため一律的な廃止はできなくなったということが正しい。ちゃんと調べろ、と言いたい。社会保険とか厚生年金という言葉が出たら、パブロフの犬みたいに、自治労とシナプスをつなげるなって。

42ページの「最強抵抗勢力自治労の闇」なんて笑ってしまう。
この記事の中で書かれている、微罪で処分を受けてねんきん機構に移れない社会保険庁職員の再雇用先の問題も、微罪であることを書かずに、巧妙に再雇用を求める連合や自治労の動きが政治的不正でも働いているかのように書いている。
今問題になっているのは年金記録を不必要に見た職員など微罪の職員だけである。顧客データののぞき見で解雇に至るなど経営者が好き勝手やっている相当のブラック企業である。普通は、始末書書いて、せいぜい降格か減給処分である。そのブラック企業みたいなことをやめるべきではないか、と言っているだけである。それの解決をしなければ法律的にも通らず、長く日本社会に尾を引く労働問題になる可能性が高い。
続く公務員制度改革の話も、自治労を悪者にするためにこじつけた不正確な理解である。自治労は公務員賃金の引き下げには反対しても公務員制度改革は賛成し推進してきた立場である。公務員制度改革は、①キャリア官僚の育成をどうするか、②西側諸国の通常の民主的な、契約的概念を基礎とした責任ある労使関係を構築するか、という改革の話である。したがって公務員制度改革は、賃金の引き下げとも引き上げとも中立な話である。

最後には、横ならび賃金を批判しているが、労働組合の機能は横並び賃金である。そこにパート労働者や派遣労働者、請負労働者が入っていないことが今の問題なのではないか。
経済誌を名乗る以上、アメリカの特殊な経営だけ見ないで、世界標準に近いヨーロッパの労使関係を見るべきではないか。そこでは、労働者の賃金は産業別労働組合と業界経営者団体が労使で職種別に賃金を決めている。労働力の価格は安いところがあればそこがいいように経営者に買いたたかれ、労働力価格がダンピングの対象になるからだ。そういう労務政策は不当なことだという社会共通の価値観があるからだ。だから労働者は労働組合に徒党を組んで経営者と交渉するし、組織を広げていくものなのだ。
そんなこともわからないで労働組合批判を書こうとすることがナンセンスなのだ。

まだ、労働組合なんかない方が社会が良くなる、と明確に言う一部のキワモノのエコノミストの方が正しい認識をしている。

●労働組合が陰謀をはりめぐらせるなどという虚構が成り立つには、労働組合に陰謀組織があるか、組合員に何でも命令ができる強力な支配力が前提でなければ話が成り立たない。労組の言うことを聞かないどころか、むしろ上から目線の組織内議員もいたりして、組合員に支援をお願いして嫌がられたりして手を焼いているこっちの身から思えば、まったく虚構の話である。

●労組専従を「3日やったらやめられない」などと書いているが、それなら労組専従のなり手探しなど苦労しない。貧しい地域ユニオンに比べたら連合系大産別の専従は条件はいいが、現職を棄てたり、中断したりしてやるほどの魅力はない。塩路一郎の話はいつの話だと思う。

●マンションに政治ビラを配布しただけで有罪という最高裁判決。こんな憲法も自由主義も理解できない裁判所は検察と癒着していると言われても仕方がないだろう。
ふつうに運動をやったら微罪で逮捕され社会的生命を失う。選挙に関われば公選法で逮捕されることを始終恐れながら運動しなければならない。国連も問題だと批判している。こんな社会で一人ひとりの市民が政治的発言力を持とうとして連帯することができない。だから労働組合の組織力と政治的関与が目立つだけであって、労組の足をひっぱったところで市民的自由は拡大するわけではない。

●週刊ダイヤモンドは、きちんと個々の記事に署名を入れるべきだ。無責任体制だからこんなでたらめな記事が書けるのだろう。

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2009.11.29

11/29 テレビ朝日「スクランブル」に朝霞の国家公務員宿舎建設が取り上げられる

12時からのテレビ朝日「スクランブル」で、事業仕分けの関連で朝霞の公務員宿舎建設の話題が取り上げられた。

今回よかったのは、推進派市民として南口商店会長が出てきたことだ。これまで市役所発の抽象的な推進論しか聞こえてこなかったので、実際に公務員宿舎が必要だという立場の市民の声が聞いてみたかったからだ。

しかし残念なことに、活性化のために国家公務員宿舎が必要、というコメントだけで、どうして誘致すれば商店街が活性化するのか、聞いていてもよくわからなかった。

朝霞の南口商店街の中で育ったから昔と比べてしまうが、衰退が激しい。半端に地価が高いので、商店をやり続けるより、貸マンションにしたり、賃貸テナントにしてチェーン店にした方が儲かるからだ。店の持ち主がやっている店はほんとうに限られている。
商店街のなかに、生活に根ざした商店はごく僅かしか残っていなくて、あとは趣味、娯楽、嗜好性の高い商店が少しあるだけである。
飲食店に至っては、数店を除き、すべて全国の居酒屋チェーンかファストフードの店ばかりである。
その中で、国家公務員とその家族が、どうやって商店街にお金を落とすのかまったく見えてこない。
公務員宿舎で商店街が活性化するという実感はない。

むしろ商店会長の発言は、公務員宿舎建設で仕事が得られる商工会の仲間を代弁したり、行政の顔を立てる立場としての声なのではないか。

●反対派はいろいろ数字を出して議論を挑んできた。無視されてますます論拠を明確にしていったと思う。一方、推進派は政治的主導権を握っているということに安住して、経済効果や商店街の活性化について簡単なシミュレーションすら出してこなかった。それでは今になってあれこれやってみても応援は得られないと思う。

●自分が育ったところなので、商店会長は、歯抜けでどんどんマンションや貸ビルになっていく商店街の状況を、どうしていいのかわからず本当に悩まれているのだと思う。
しかしこれは大型公共事業的なもので一発逆転のホームラン狙いをするのではなく、チーム全体で体力強化を地道にやるしかない。そういう努力と研究の結果として、商店街の整備のような公共事業がついてくるべきだろう。逆転の切り札のように言われてきた朝霞駅南口の駅ロータリーの整備も、ますます商店街が貧相になってしまったことを思い返すべきだ。小学校の教材に載っている、まだ舗装されていない時代の商店街の写真の方が活き活きしている。
みてくれを立派にする話よりも、高齢化や子育て支援という観点で、商売をどう展開するのか考えられないものか。統計的に出てくるものしか相手にしない大型スーパーでは真似できない小規模商店の良さというものがあると思う。

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2009.11.28

11/28 使用人にはやさしく

仕事に厳しい上司というのは、こういうことではないでしょう、という見本。

厳しくなった厚労相、省内は緊張・反発も(読売)

使用人に対する人権感覚のなさも垣間見る。公務員は特殊な任用制度、とりわけ高級官僚は特別な意識があるからパワーハラスメントが問題になりにくいだけであって、公務員制度改革で民間並みの雇用関係になったら、こんなことやってたらパワーハラスメントとして問題になっている。

部下に過大な仕事を要求して8時には帰宅しているらしいとか。残られても周辺が当たられるだけなので早く帰宅してもらった方がいいのか。不勉強なのか。

他人の不正がないと仕事に情熱が生まれない習性なんでしょうか。

人権感覚って厚生労働行政の基本でしょうに。

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11/29 スーパー発低価格競争の弊害

NHKAtoZ「安売り競争の裏で何が」を見る。

大手スーパーが低価格競争をする、そのしわ寄せの暗部を描いている。

大手スーパーが、メーカーが何とか利益がでるギリギリまで追いつめて、設備投資混みでプライベートブランドを作らせる。
次に大手スーパーはさらに低価格競争を進めて、そのツケをメーカーに一方的にまわす。番組では、一方的に販売促進費の請求書を送りつけるシーンが出てきた。すでにメーカーは設備投資をしているので、売らなければ設備と借金がそのまま残って倒産してしまうので、赤字になっても我慢して提供し続ける。テレビに出てきたメーカーの人が「深みにはまっている」と吐露するシーンは印象的。
しわ寄せは賃金、人員配置まで及び、貧乏になった労働者がさらにプライベートブランドを買って貧乏に耐えている。

キャスターが「勝者のない競争」と総括していた。

●前の職場が流通業だったので、大手スーパーと取引する部門がほんとうにひどい状況だったことを思い出す。その営業部は万年赤字。赤字幅が1億円を超えなかったからと喜ぶ営業部。営業マンと飲むと、他の営業部では考えられないようなひどい取引、ひどい働き方をしないとお客様に対応できない。「流通革命」とかそういう言葉が流行していたが、こんな革命はもたない、そんなことを考えたもの。
ところが古い小売店と取引している営業部は、顧客に大切にされ、かつ利益率も高かった。流通の構造改革が遅れていると未だにいうバカな評論家がいるが、ほんとうにそんな簡単な評論でいいのだろうか。

●近所の大きなスーパーの棚が、プライベートブランドだらけになってきている。いくつかの食材では品物が選べない。昔の社会主義国みたいに単一のブランドしかない社会で買い物しているみたいで、味気ない。プライベートブランド商品は、いつ、どんなメーカーで作られたのかという痕跡もなく、気味が悪い。

●デフレ経済を肯定的にしか捉えることのできない新自由主義者(正確には新古典派経済学派)は、低価格競争を企業努力として肯定的にしか評価できない。内需の掘り起こしについて無頓着である。
しかし、低価格競争を社会全体で繰り返すと、国際競争もあいまってやがては貧困国並みの経済水準に平準化されることになるのではないか。それはこの国が蓄積してきた技術力やノウハウを守る術を失う結果になるのではないか。

●大手スーパーを非難するようなことだけ書いたが、しかし、大手スーパーで働く人の長時間労働や余裕のない働き方なども深刻。結果として目先のことで手一杯の状況で、低価格競争を仕掛ける側にまわってしまうのだろう。

●こういう低価格競争で泣くハメに陥るのは、他の人より非効率に働かざるを得ない、ひとり親家庭の親、傷害労働者、高齢労働者など。カツカツの利益のもとで、彼らの座る場所はなくなっていく。

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11/28 八ッ場ダムと同じ構造の朝霞の公務員宿舎建設

国の事業仕分けで朝霞の国家公務員宿舎建設が凍結されたが、この予算が105億円となっている。財務省はキャンセル料60億円かかると強弁しているらしいが、そんなにかかっているわけがない。60億円といえば、宿舎の原材料価格や人件費原価に相当する。それがまるまる請求されるなんてバカな話はないだろう。

業者には事業の仮予約みたいな話が入っているようだが、まだきちんと固まった話ではなく、キャンセル料を払うような話ではない。いったい2年も3年も先に引き渡す商品を取引するのに、キャンセル料が6割なんて話があるのだろうか。

ところで、お金の話をもう1つ。国家公務員宿舎を建設しないで使わずに済むお金が105億だと伝えられているが、それでは済まない。
八ッ場ダムと同様、基地跡地利用計画として、抱き合わせの見返り事業が組み込まれている。
朝霞市が公務員宿舎の受け入れとバーターでコンサルタント会社を介在させて国にたかった事業があり、それが市役所から図書館まで、保育所と学校と公民館以外のありとあらゆる市の施設を基地跡地に集中させて建て直す計画になっている。この事業に、国のまちづくり交付金をはじめとした国交省などの目新しいまちづくり関連の補助金・交付金が動員される話もあった。
また、市長が市の係長時代に誘致したよさこい祭のために、50メートル幅の道路を建設する話もあって、こちらは道路特定財源から20億円動員される見込みになっていた。
市役所はこれらの建設の総額について公表を拒み続けているが、市民団体がマンションやオフィスビルの建設費を援用した試算では、あわせて基地跡地とは別に100~150億円の国費(市費も入れれば総額400億円)が使われることになっていた。

そして基地跡地の開発をやれば、補助事業の地元負担分の一部が地方交付税の支出側の算定に加えられることから、必要な支出に対して税収不足の自治体と評価され、地方交付税の交付団体になる可能性もあり、そうなれば他の市町村が得るべき地方交付税が減り、朝霞の基地跡地の開発・維持に地方交付税特別会計の財源が浪費されることになっていた。

仮にそれで朝霞市民が205億円以上の生産性を高めて、全国に貢献できればいいが、朝霞市の大半を占めるサラリーマン家庭にとってはほとんどメリットもデメリットもなく、ただ税金が浪費された終わっていたことだろう。

●マンション建設による人口増で都市としての社会資本、特に福祉・教育分野で歪みが生じている朝霞市は、これ以上人口増政策を採るべきではない。むしろ、今の人口のなかで質の高い生活をどのように実現していくのか、それを市役所は考えるべきである。

優先課題は、マンションの新規建築の抑制。これ以上増えたら、今までの一戸建てvsマンションの住環境の問題だけではなく、既存のマンションの供給過剰による価値下落まで引き起こし、投げ売りが行われ、朝霞はスラム街となる。ひいては固定資産税収入の下落まで引き起こしかねない。
社会政策では保育所、学童保育の整備と、学校間の定員格差の解消。ソフト面でのセーフティーネットを張り巡らせること。塾に行かなくてもやっていける学校の体制づくり。
勤労者家庭を受け入れて人口増と税収増を得てきた自治体なのだから、勤労者家庭が何があっても生活が維持できて家庭が壊れることがないよう、政策を全点検することが課題だろう。
また、マンション購入者にとって、マンション居住者どうしで共同で長期にわたって住まいを維持していくことが、朝霞市民が高齢になったときに貧困化しないために重要である。マンション住民向けに管理組合の自立と力づけをしていく政策も必要だが、マンション住民に対する政策は何もされていない。

今年の市議会で、母子家庭にしか支給されなかった児童扶養手当を、市独自で低所得の父子家庭にも支給することが決まったことは、社会政策を前進させる一歩。差別と偏見が入りがちなひとり親世帯に対する施策に市議会が合意できたことは高く評価している。

本当に困ったときに役に立つ地域、そしてそれをマネジメントしていく市役所にしていくことが、あの街に済めば一生困らない、がんばってやっていける、そういう評価ができあがって地域ブランドを高めていく。そのなかから変わった能力のある人、面白い人が住むようになり、また地域社会の価値が高まる。市長に意見する市民をあいつは意見が違うからと意思決定の場から排除し、市民参加を下請け事業化することばかりやっていては、住宅価格と都心への近さしかセールスポイントのない街にどんどんなっていくだろう。そんなこと続けている中で、一所懸命
市役所がお土産屋さんみたいなことやっても、ブランド力向上にはあまり効果はない。

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2009.11.27

11/27 国の事業仕分け・朝霞市の国家公務員宿舎の建設を無駄と判定

国の事業仕分けで、国家公務員宿舎の新規建設は凍結することが決まり、枝野幸男衆議院議員が朝霞市を名指しして、新規の公務員宿舎の建設を中止するよう求めた。

仕分け人の判定では凍結、基地跡地に国家公務員宿舎はしばらく着工はできないだろう。建設中止になれば抱き合わせのシビックコア計画も白紙に追い込まれる可能性が高い。

長く、基地跡地の国家公務員宿舎をテコにした朝霞市の乱開発計画に反対運動を続けてきた市民運動に勝機がめぐってきた。まだ勝負に決着はついていないが、これまで異議申し立てに対して、官僚的な論理で門前払いばかり喰らってきたところに光がさしてきたような気持ちである。

●財務省は、キャンセルしたら数十億かかると答弁しているが、まだ土地も掘っていない、半月も経たない前から工事の説明会しかしていないものにどうしてキャンセル料なんか発生するのかわからない。
キャンセル料の請求内訳を国民に公開してもらいたい。

●財務省は公務員宿舎が必要な理由として、緊急要員の確保ということを挙げていたが、それなら今までの職場に近い都内の古い公務員宿舎のままで良いのではないか。
はっきり言って、緊急要員を住まわせる地域として朝霞は遠すぎる。タクシー代が1万円以上かかり、大規模災害で公共交通機関し道路が機能しなくなれば、徒歩では4~5時間かかる。深夜残業をする省庁ではこんな遠くに宿舎があることは、交通費や人件費の浪費になる。

●気を付けなくてはならないのは、公務員宿舎の建設が無駄かもしれないと判定した事業仕分けの発想は無駄を切るということである。その文脈からは朝霞の基地跡地の現金化が求められる可能性がないわけではない。今の地方財政の状況を考えると、それを買い取るとかそういう話は難しくハードルが高い。万一誰かに売却されても自然が保たれるような社会的規制を作ることが、基地跡地の問題の取り組んできた市民運動の課題になるだろう。

●市民の意向を無視して、基地跡地に国家公務員宿舎を誘致することを前提に開発計画をまとめるため、朝霞市がコンサルタント会社に支払ってきた支出は無駄になった。市民合意を全く顧みず、議会も無視し、市長の権限だの一点張りで強引に支出を続けてきたわけで、損害賠償請求ができないものだろうか。

【追記】●まだまだ政治判断になっていないので気を緩めてはいけないが、枝野幸男衆議院議員がキャンセル料に関するやりとりで「自然は守られる」と一言加えた東京新聞の報道に勇気づけられる。国庫を守ることと自然を守ることが両立できる仕分け結果が何よりだ。

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2009.11.25

11/25 9億円のおこづかい

鳩山民主党党首のインタビューで、母からの資金提供「今もないと信じている」と。

親不孝なんだかマザコンなんだかよくわからないなぁ。

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11/24 計画経済と同じあやまちだ

選挙前から予測されていた民主党のハッタリ政策に、どう帳尻合わせしていくか、七転八倒している政権与党だが、今度は温室ガス25%削減についても、同じようなバタバタをやっているらしい。

温室ガス25%削減にともない、約束したはずの経済成長が思うようない数字にならないからと、その試算を行う専門家を入れ替えるらしい。
結果として、実際に科学的にシビアに数字を作ることよりも、政権の都合に合わせた数字作りをするようになることだろう。

政権は実行可能な見通しのあるプランしか出してはならないように思う。しかし、こうして実行不可能なことを帳尻だけ合わせようとすると、かつての共産主義国の計画経済のような間違いを起こすような気がしている。

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2009.11.24

11/24 バスのなけなしの補助金を切る前に高速道路無料化をやめるべきだ

国の事業仕分け、バスの補助金をカットするという結果。路線維持は継続するが、車両の買い換えは認めないということのようだ。

継続することと打ちきることの内容についていま一度検証しようと思うが、しかし、高速道路無料化のような滅茶苦茶なばらまき政策を事業仕分けにもかけずに、なけなしのバスの補助金を標的にすることもなかろうと思う。

ほとんどの国会議員やそのとりまき、有識者なんてマイカーかタクシーしか乗らないから、バスが切られる、バスが運営できない、なんてことは想像できないのだろう。

クルマを運転できない、タクシー代を払えないような人にとって、外出する権利そのものを奪うことになるかも知れない、という洞察力がなさすぎる。

●故岡並木さんは嘆くんだろうなぁ。

●エコポイントの継続なんかも納得いかないよ。あれ自民党政権が選挙対策で始めたって、民主党がさんざん罵倒していたものでしょう。

●新内閣がデフレを煽る政策をしまくっているときに、デフレ宣言をして対策が必要なことを打ち上げた菅直人氏の勇気を評価したい。と思うんだけども、タイミングも悪ければ、具体的なビジョンも無く、経済を冷え込ませる考え方を持っている連中とも喧嘩しないので、あんまり評価が良くないね。国家戦略会議って何やるところなんですか、なんて揶揄されるような状況。
官房長官から行政刷新会議から財務省から、政権で大きな顔しているところが自覚無きデフレ促進シフトで、国家戦略会議が、何か外されているような感じがしないでもない。
かつて菅氏と当時の周辺(今の前原派)が、横路孝弘氏のことを叩きまくって、時代が終わったから始まり、愚図だの利権だらけの旧社会党だの言っていてことがそのまま跳ね返ってきて、10年ぐらい前の横路さんのようにされているみたい。人を呪わば穴二つ。続いて、前原派も穴3つ。岡田や鳩山のような金持ちか、前原のようなパトロン持ちか、小沢のような強欲でないと、権力闘争に勝ち残れないのか。
景気に話を戻すと、2億円の現金持ちの福島瑞穂はデフレの怖さなんかわからなくて、何にも言わないことが不満。気炎を吐いているのは亀井静香だけ。でも上滑り。

●当面、小泉時代のような自助努力の国になるのだから、お金を使わずせっせと貯金することが得策。それで消費性向が下がり経済が冷え込んだら、なおさら現金を保有していることの価値が出てくる。たんす預金が何より。物を持つことより、現金を保有することが有利。

●中央政府に交渉(陳情)を申し入れると、「民主党に確認取ったか」と聞かれるらしい。連立与党は民主党だけではないだろうに。
かつて共産党推薦知事が7期28年も君臨した京都府では、府の補助や事業の恩恵にあずかろうと陳情に行くと、共産党系の団体を指名して、そこに確認取ったか聞かれるというルポルタージュを読んだことがある。それを思い出してしまった。

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2009.11.23

11/22 保育関係者はエコノミストに「質が維持しよう」と言うよりも、それで待機児童が具体的に減るんですかと問い直すべき

新政権で待機児童対策をどうするかということで保育に意見したい人たちがいろいろ動き回り始めている。

保育園の送迎をやったことがあるのかも怪しげなエコノミストと称される新自由主義者(以下「エコノミスト」というときには評論したがる新自由主義の経済学者や評論家のことをいいます。本当のエコノミストには申しわけありません)と、保育関係者との意見の断層が大きく、議論にならないなかで、政治側が安易な選択をしたがっているところに恐れを抱いている。

保育所の質を下支えしてきた最低基準を下げなければ待機児童対策ができない、という仮定の理論をもって、保育所の規制を取っ払おうというのがエコノミストの陣営。それに対して保育の質を守れというのが保育業界関係者。どうもこの対立図式の中では、規制を取っ払えという側が勢いづかざるを得ない。

エコノミストは、何においても市場が決めるんだという。1つには市場原理という神の手で最適選択がされるというメカニズムの議論と、もう1つは個々の保護者がまるで選べる権利があるんだという非常に矮小化された議論をないまぜにして、質を問うことはしなくていいんだと迫ってくる。保育の財源や質のことなんか面倒くさくて考えたくもない一部の政治家たちはこれになびいていく。

保育の質ということの内実はいろいろあるのだろうが、質といっても、求める水準が死亡事故が起きないからはじまってエリート校に行かせる教育を求める水準までいろいろなレベルがあって、それをどこに設定するかということのコンセンサス(児童福祉法や厚生労働省は家庭の代替機能と位置づけているが)ができていない上、さらに仮にそれを決められたとしていも、どういう職員配置やどういう面積ならその質の水準が実現できるのか、ということは科学的な証明は不可能である。
もちろんし、実際に最低基準などが機能しているのは、さすがにそれを割り込んだらひどい保育環境だと経験則的に理解しているからで、エイヤッと決めたものだとしても、それはそれで大きな意味があったと言える。しかし科学的に証明せよというと、論立てがなかなか難しい。

だからお互い神学論争の中に安住していて、10年一日、待機児童対策に対しての有効な対策について結論が出ない。
ところが、一昨年ぐらいからの格差社会の問題、昨年末の反貧困運動の成果で、ようやく保育というのが若年者家庭の生存権につながる問題だと認識されて、予算出動してでも保育を充実させるベクトルが動き出したものの、それは民主党が野党の間だけだった。
概算要求をまとめて、子ども手当の財源すら用意されていないことが明らかになると、途端に先日の事業仕分けでも見られたように財務省発の保育料の値上げと、エコノミストたちによる規制緩和による安上がり保育を画策する動きが跳梁跋扈してきた。政治家側もそうした議論を支える学者と接触し始めているのだろう。経済雑誌などで規制緩和派の保育談義が掲載されている。

ところが、これに対する保育関係者の反論は、待機児童問題の解決のために質を下げてはならない、という言い方になりがちである。この議論の仕方は、待機児童問題の解決と質の維持を取引材料に出すものであり、完全にエコノミストたちの議論の術中にはまっているのである。
エコノミストたちに眼の前にいる認可保育所の子どもだけいい思いすればいいのか、と反撃されたら詰である。認可保育所を利用できなければ、若干規制が緩い自治体独自認可の保育所を利用し、それが不可能な質の担保のないらベビーホテル、親族による育児、育児放棄とどんどん低い方に選択が進んでいくだけである。保育所が見つからないからって職場を欠勤できないことを考えてもらいたい。保護者は保育の質のために、稼ぎや生活を犠牲にできない存在だからだ。したがって、待機児童問題があるということ自体、保育の質が維持されていないことの証明なのである。それを直視しないで、エコノミストどもに対抗できるわけがない。

だから、待機児童問題は重大な人権侵害であるという前提をきちんと呑み込んだ上で、エコノミストたちの挑戦に対して反論していくことが重要だと思う。そもそもの話の設定は大都市部と沖縄県においての待機児童問題の解消なのだから、それができるかどうかを突っ返して反論すべきだろう。

私はエコノミストたちが言うような規制緩和で、数百人程度の限定的な待機児童の解消に効果を生むとは思うが、2万5千人、潜在的ニーズとしては10万人を超える保育ニーズを解消できるとは思わない。やはり一定の財政出動をともなう対策を講じなければ、絶対に保育所の収容人数は増えない。

保育コストというのは、建物と運営コストに分かれ、運営コストは保育士や調理員など人に対するコストと、給食や教材費など日々の保育活動に対するコストに分かれる。これらの積み上げの内訳を削るしかコストは下げられない。運営コストの積み上げを入所した子どもの数で割返したのが「保育単価」で補助金の計算から保育料の計算までの算定根拠になっている。
一方、保育コストの原資は、保護者の保育料か、国の補助金や地方交付税か、自治体の持ち出し補助金か(あと社会保険を使うというのもあるが、これは国民から徴収して国民に返すのだから国や自治体を経由する支出と意味は変わらない)、どれかしかない。
このバランスの中でしか保育所の運営はできない。そして今の保育所運営費補助金は、この計算をそのまま表現した仕組みになっている。上記の計算式のどこにお金を入れたり、お金を差し引けば、どういう効果が起こるか、それが政策判断の話になっていく。
規制緩和や市場原理で、この今の収支の水準のままで2万5千人分も保育する余力は生まれるとは思わない。事実、2000年前後の規制緩和で、保育事業者が増えたんですか、と聞きたいところで、強力に規制緩和を求めたベネッセスタイルケアにしたところで、今現在、認可保育所は10園前後しか経営していない。人数にして1000人分程度の待機児童を解消したに過ぎない。

エコノミストは自らの信仰とまで化している経済学の一部の理屈、原理原則を、保育業界に機械的に適用して実験しようとしているだけであり、実際に待機児童が減るメカニズムについて十分な検討をしているとは思えないから、真剣に待機児童がどれだけ減るんですか、とつきつけたら、どこかで何も答えられなくなる。改革が足りないんだ、がんばっているところもあるんだ、という理屈にならない話になるのがオチである。
保育所の建設費を誰が払うんですか、1人あたりの金額が減る保育支出でどうやって保育やっていくんですか、ということに詳細の検討がされているとは思えない。追及していけば、「保育士の子どもの見る人数を増やせばいい」か「保育士の人件費を下げろ」という答えしか出てこない。そういう改革は、すでに2000年の段階でもやっていて見事に成果が上がらなかった。

そもそもの財源を担保しなくて、保育所は増えないし、エコノミストぎ期待する新規参入業者なんかも、ごく奇特な例外を除けば、いるわけがないのである。介護保険で、財政を締め始めた後には、新規事業者も介護士の新規就労も増えていないことがそれを証明している。

●たまに朝霞市の保育政策を褒めると、決して質を厳しく問うていないところが問題だが、1997年から、いち早く認可外保育所で質を維持しているところに自治体独自で公費の支出を行ってきた。その結果、最近まで待機児童問題は存在しても、ある程度のお金さえあって仕事も通常勤務の範囲であれば、実際に保育サービスが全く無くて行き詰まる、ということは回避できた。
しかし、やはり最近、こうも共働き率が高まると、その認可外保育所も不足しているらしくて、新規入園は4月までとりあえずストップしているところが多いという。自然な新規参入に期待するのも、共働き率3割から5割ぐらいに上げる分に対応するところが限界だろう。また補助を受けている保育事業者も、余裕のある経営をしているところはない。市内だけではメリットが薄くて認証保育所制度のある23区内に展開しはじめた業者もいる。
北陸のように7割、8割の共働き率になる水準までは、もはや思い切った財政出動なしに保育ニーズに対応できない状況というべきだろう。

●行政刷新会議のホームページの事業仕分けの保育所運営費補助金の議論の報告(第二WGの17日)から、。どうも実際に行われた議論の流れと違う、財務省の元々の問題提起に近い報告になっている。しかも議論の後半、5分以上は議論を費やしたはずの、保育士の賃金単価が低いんではないか、という仕分け人の意見が全く拾われていない。正確な議事録を公開すべきだ。
こういう意図的な改ざんをするから、事業仕分けってうさんくさいといろいろ言われるんではないか。事業仕分けの品質を高める努力をしてもらいたい。

●増税はしない、子ども手当は月2万6千円撒きます、そう言った時点で私は保育園が犠牲になるだろうと予測したが、どうも的中しそう。嫌な感じである。

●権丈善一氏のホームページから、11月20日付「勿凝学問46 歳出削減はいつまでつづくのか?――この国には新自由主義とか市場原理主義の政治家などいない」から
「医療、教育の荒廃、介護の後退、保育の未整備をまねいたのは、首相の個性ゆえではなく、増税をしようとすれば政治家を酷い目に遭わせる日本の有権者のせいであるというのがわたくしの診断でもある。」

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2009.11.22

11/21 国の制度をいじってもすでに財源の分権化は進んでいる

保育ネタをもう1つ。

先日の事業仕分けで、国が認可保育所の運営に使っているお金がごく僅かであることが明らかになった。費用徴収基準表で、3歳児未満で中の中の下ぐらいの所得階層、3歳児以上で最下層の所得階層の子ども以外は、設定した本人負担額が保育単価から割り戻した自己負担額を上回り、国が補助を出さない対象であるからだ。

したがって、認可保育所ということで、国が守っているのは認可保育所に入所している子どもの半分もいないという結果になっている。
で、認可保育所には、保護者が生活保護受給者で、求職活動や病気のために子どもを入所させている場合やすでに就労先のある母子家庭などが優先されて入所することになる。

したがって、以下のような議論は全くナンセンスと言ってよいことになる。
①保育財源の分権の推進または反対→結論は変わらない。認可保育所の入所児童に使っているお金があまりにも低すぎて、自治体は持ち出しをしている。結果として分権型の財政運営になる。
②保育士の給料が高すぎるから認可保育所は良くない→給料の妥当性はさておき、公立保育所の保育士の給料を決定したり監督しているのは自治体であり、保育制度ではない。
③認可保育所に使っているお金を待機児童対策に平等に回せ→国レベルの政策提言としては全くナンセンス。国が保育所運営に使っているお金は、貧困対策分+αしか出していないということから、待機児童対策として認可外保育所に国費を平等にならしても同じ結果分のお金しか出回らない。

など鈴木恒氏、週刊ダイヤモンドの記事の思いこみは待機児童対策に全く効果がないと言える。

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11/21 無駄探しの青い鳥は、自民党構造改革派と同じの続き

さてアクセス急増で、リンク元をたどるとこのブログについていろいろご意見をいただいていること、引用されて使われていることがわかる。

ところで「11/20 無駄探しの青い鳥は、自民党構造改革派と同じ」という記事に対するご批判をいただきました。

不況になると小さな政府を選ぶ、と批判した下りで、消費税反対法案で社会党を大勝させた1989年のおたかさんブームを列挙したことについて、kojitakenの日記 で、ご批判を受けている。
事実としてはその通りで、あのときは好況だから列挙したことは不適切だと感じる部分はある。
しかし一方で、日本人が初めて、増税にノーをする政治選択をした総選挙で、初めて小さな政府を公然と選んだ瞬間だったように思う。消費税の代替財源として節約と自然増収というチチンプイ神話を作ったのもこのときだ。
その前には消費税増税について、自社公民4党で「抜本的税制改革の推進」としてやむを得ないな、という判断をしていたし、西欧諸国を見る限り、消費税がいいのか所得税がいいのかは分かれるが、増税と社会保障制度の充実を抱き合わせでやってきた。消費税廃止法案は、社会保障制度の充実を訴えるべき日本社会党が小さな政府でもやむを得ないという選択肢をとった瞬間であった。
その後日本政治はバブル崩壊で増税という選択肢を取り得なかった。余談だが、のちに小泉構造改革系の学者として活躍する本間正明が、このときの消費税廃止法案の策定に関与する。私の過去記事がメモしているが、2006年12月に津島雄二氏がマスコミで証言している。
また、橋本龍太郎政権の改革については、そのまま実施されていたら批判の対象になっただろう。しかし、何度も軌道修正が図られ、バトンタッチした小渕、森内閣では積極財政を取ったことから評価が難しく列挙はしなかった。

もちろん批判されている方が言うように、私は好況時は財政を締めなければならないと思っている。

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11/21 保育園:業界団体と労働組合を政治的悪者にしてちゃっかり政治的発言力を作っている師匠はどうなの

最近アクセス数が急増していたので、リンク元をたどる。大口は保育関係。週刊ダイヤモンドの記事をこてんぱんに批判したことが、保育関係者の溜飲を下しているようだ。保育のプロでもないのに、いきがかり上、保育所の政策と財務についてある程度の知識を得てしまった私には、そういう役回りをすることが最適なのだろうと思っている。
保育関係者はどうもどぎつい政策判断について意見を言わないきらいがあって、労働組合と共産党と経営者団体以外は、子どもの最善の利益とか、良い保育とか抽象言語で対立する意見の価値判断を避ける。

●民主党の周囲を跳梁跋扈し、週刊ダイヤモンドの記事ネタを提供したと見られる学習院の鈴木恒氏が自身のブログで悪あがきをしている。鈴木氏と週刊ダイヤモンドはどうしても話を

ダイヤモンドの記事は、こうした利権に関連して、保育業界内では有名であるが政治的に絶対的タブーとなっていた話題(認可保育所の高コストぶり、私立認可保育所の一族経営の状況、その旨味と利権、東京都23区の「正規」保育士の高給ぶり、保育3団体の異常な政治活動と労働組合活動、それに対する厚労省と自治体の弱腰ぶり等)にも踏み込んでおり、やや不正確な記述や、若干の勇み足があるものの、全体として非常に勇気ある内容となっている。ダイヤモンドの記者には大いに敬意を表したい。

待機児童問題を、保育所経営者団体や保育関係労働組合の責任になすりつけてスケープゴートにしようというやり方が見え見えで、下品極まりない。先に言っておくと、小泉構造改革系の連中は、かつて年金改革がデッドロックに乗り上げたときに、メディアを利用し社会保険庁の職員労組をスケープゴートにすることで、年金改革を誤魔化した。しかし結果は年金制度がなにがしか良くなったかね、ということを問いたいところだ。
で話を戻して、上記の引用に対して、
①認可保育所が高コストなのか、東京23区が高コストなのか、学者なんだから正確に決めて言うべきだ。ここでは認可保育所が高コストなどと書いていながら、その後のところでは東京都市部が高コストで他は妥当というようなことを書いている。全く矛盾しているか二重基準で印象操作をしながら議論をしている。東京都市部以外が妥当なら、認可保育所制度そのものをコスト論で攻撃する鈴木氏の態度は的外れと言わざるを得ない。
何度も私は指摘しているが、富裕自治体の東京23区にとって保育所の運営コストがネックなのではなくて、土地や施設の確保と、保育所建設費が各自治体年1ヵ所みたいな予算支出の制限、保育所需要と供給を制御できる土地計画法制がないことが待機児童解消のネックだ。
②私立認可保育園の一族が利権化しているということについて具体的な事実や事例を示すべきだろう。私は社会福祉法人が厳しい会計制度のため、世襲を通じて土地を実効支配しながら免税を受けられることぐらいしかないと思っている。学校法人に比べたらオーナーの自由度などないに等しい。そんなにうまみのある話なら、もっとたくさんの土地持ちが保育所経営を始めているだろう。
③「保育3団体の異常な政治活動と労働組合活動、それに対する厚労省と自治体の弱腰ぶり」というのは過大評価ではないか。保育3団体には日本医師会のような国会代表も送っていなければ、政治資金団体も持っているかどうかですらあやしい。自治体が利用者の入所を決定するため、保育所が利用者に対して集票能力はないだろう。「保育3団体の異常な政治活動ぶり」というのはどういうことなのか挙げてもらいたい。労働組合にしてもそうで、自治体労組の代表は国会にいても、それがそのまま保育所政策を左右するなどと言うことは聞いたことがない。

それより鈴木氏の師匠の八代氏が、オリックスの宮内義彦氏の庇護のもと、盛んに規制改革会議などの政治的審議会を経由して、当事者の利害を無視して福祉政策を変更させていったことは、政治活動ではないのだろうか。21世紀に入ってから、保育3団体や労働組合より、八代師匠の方が好き勝手にやってきた。ベネッセやポピンズコーポレーションなどの新参保育業者とタッグを組んで。
八代師匠がよくやった、業界団体と労働組合が世の中歪めている、みたいな陳腐な勧善懲悪ドラマで視聴率を稼げる時代は終わったんです。違うやり方で、鈴木先生の立派なバウチャー制を普及させる宣伝活動をされるようおすすめしたいところです。

●読み進むと、矛盾だらけです。保育士の賃金が高いから待機児童が発生するなどと言いながら、一方で、保育士の賃金が福祉職給料表の導入で下がっている、などと書いている。

福祉職給料表(の是非について議論があるが、それはさておき、それで保育士の賃金が「妥当な水準」に下がり、さらには非正規労働者の保育士が増えて、公立保育所の運営コストがここ数年で大幅に低下していることは間違いない。コストが高いから待機児童が解決しないという鈴木恒氏の言い方なら、賃金水準の低下で待機児童問題は自動的にその分解消されるはずなのに、むしろ待機児童は増加している。小泉構造改革系の保育談義の待機児童問題の解消策は矛盾したことになっている。

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2009.11.21

11/21 労使関係と政治判断

非常に疲れている。休息権のありがたみを感じる日々。

●職場の集団的労使関係の維持に苦心する日々。

●当時の与党と野党が政局に利用し激突し続けた年金改革のはけ口に、社会保険庁の職員がスケープゴートにされ始めた頃の2年間、社会保険庁職員の労働組合の中央事務局を担った同僚が亡くなった。社会の誤解によるぬれぎぬ、必要以上の制裁など、社会保険庁の労組が叩かれまくったときに叩かれ役をやり、しかしいつも笑顔を絶やさず対応に努めていた。その辛抱とたたかいをともに見た同僚は、彼の死の報せに一同言葉を失った。
やがて見るべき夜明けをこの世で見ることなく召されたことは、本当に残念に思います。ご冥福をお祈りします。

●世の中無理筋をごり押しする話も、長い時間をかければ淘汰され、行くべきところに落ち着く、ということを常日頃考えているが、やはり世の中には時間との勝負を迫られている人がいる。

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2009.11.20

11/20 無駄探しの青い鳥は、自民党構造改革派と同じ

新しい政治をやろうとしたら増税は避けられない、と3~4年前に書いたが、やはり予想は的中しつつあり、無駄ゼロ、事業仕分け、歳出削減で、結局は自民党政権と同じような陳腐な改革しかできない政権になりつつある。
無駄さがしの青い鳥、しかしそれは本のすきま、タンスの奥に仕舞われている数枚のお札を探している作業で、我が家は今、何百万もかかるガン治療をしなければならない状態。ガンの治療費を稼いでこなくてはならない。

農業所得補償は値切り、子ども手当は見通し立たないまま扶養手当のカットが先行し、一方で配偶者控除はカットされずにいる。

保護される話といえば、実績のある輸出産業を伸ばすしかないとばかりに、エコポイントや高速道路無料化が温存されている。で、中国やインドと同じレベルでの競争を強いられている。そして輸出産業は税の優遇やら雇用の流動化など、自分たちの儲かる仕組みばっかり求めて、社会が歪む。

そうした政策になってしまう背景は、まさに価値観で、その価値観は、自民党の古いものと大差ない。コンクリートから人へと言ったところで、内実など何もない。

国民に嫌われる増税をしてでもやりたい政策なんか何一つない、ということなのかも知れない。

●どういうわけか日本人は、不景気でどうしようもないときほど、小さな政府を希求する政権を熱烈に支持し、不況をさらに悪化させる悪癖があるようだ。最初は1986年の中曽根圧勝。円高不況のさなかである。次は1989年おたかさんブーム。社会党は消費税廃止という小さな政府路線で圧勝。次は1993年の細川連立内閣。金融の壊滅が始まったこのときに今日的な改革が始まる。次は不況のどん底が見えてきた2001年の小泉ブーム。雇用がなくなった2005年の郵政解散。サブプライムローンの破綻での世界的不況の直後の2009年の政権交代。

●権丈善一先生のホームページを見るのが面白い。
彼の論点が私の言いたいことに近い。
大きな政府にするんだ、という覚悟がない限り、満足な医療、満足な介護、満足な保育など実現できないということ。その大きな政府で使われる税金は社会的弱者が費やしてしまうのではなく、それを支える人の雇用になり、そこから消費や内需が生まれるということ。医療、保育、介護、教育で力を得た国民は、自信をもって次の成長に寄与できるということ。
さらに私から付け加えれば、保育、介護については、ワーキングプアが支えている。消費性向が100%近く、少しでも雇用を創り、待遇改善をすればそれがそのまま社会に還元される。

●親しくしている高橋亮平さんが市川市長選挙に出ることになった。29日投票。
民主党が党利党略で候補者を擁立しようとしたりして、混乱状態にあるようで、権力集中が進む中央政党とは一線を画し、地域政党などの支援を受けている。
中央集権型の政党の推薦は無くてもよい。まじめにまちのことを考えている人が市長になってほしい。政治家になったときから、政治業界での出世話より、市川市で何をするかだけをきちんと考えてきた高橋さんには折り紙をつけて推薦したい。

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2009.11.19

11/19 著作権の延長は著作権の利権化だ

鳩山首相が、著作権を70年に延長することに意欲を示しているらしい。

著作権は著作者本人とそれを支えた(正確に言えばその犠牲になった)一親等の親族までに限られるべきであり、70年ともなれば、著作権はそうした本人の努力の報酬の範囲を超え、著作権ビジネスの取引の対象となり、利権化したり投機の対象になる。それがどういうことか冷静に考えるべきだろう。

ネット社会になって著作権そのものがナンセンスという議論もある。私はそこまで思わないが、配偶者と子どもまでが著作権で報われる対象である、とすべきで、著作もしたこともなければ、著作者の近くで苦労を知っているわけでもない人や企業が、いつまでも著作権を持って手放さない仕組みがあれば、著作物が出版されて出回ることが難しくなっていくだろう。投機の対象となれば、当然価格はつり上がり、おいそれと再販などできなくなる。
そうなれば、文化の価値を逆に貶めてしまうのではないかと思っている。

著作権の延長には反対である。

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11/19 民主党が朝霞基地跡地の国家公務員宿舎建設の凍結の陳情を受付へ

これまで朝霞の基地跡地の国家公務員宿舎建設推進派寄りであった民主党が、建設凍結の陳情を受け付け、これまでの反対運動に冷ややだった態度を改めはじめている。基地跡地利用市民連絡会のブログから。

すでに行田邦子参議院議員が現地見学をし、反対運動が求める建設中止に理解を示しはじめていたところの動き。

ようやく民主党が朝霞基地跡地利用に関して、民主党らしいまともな判断をしたように思う。これまでは基地跡地に国家公務員宿舎を誘致し建設を推進してきた上田党人脈に怖じ気づいて、取り合いもしなかった。とくに神風代議士の態度が悪かった。また地元の民主系市議グループは、反対運動や、立ち止まって考え直そうとする人たちの請願などにもっとも厳しい態度を取っていた。

政治の世界は1~2年ではむごたらしい結論を下すことがあっても、長い時間の流れのなかではまともな方向に向かっていくと思っているが、今回もそれを感じている。

もちろんこうなったのは基地跡地の自然を守ろうとねばり強い運動をしてきた背景があったからだ。運動がなかった小金井市や府中市では早々に高層の国家公務員宿舎が建設されている。

●お金がないのだから、開発でも、公園化でもなく、開発規制で今の自然をそのまま守る方向を模索してほしい。推進派も市役所も反対運動も、土地を国から買い取るという前提そのものを改めるべきだろう。何もしなければお金が動かないだけで、今のままが守られるのだから。

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11/19 介護人材を確保するのは紹介事業・説明会だけでなく賃上げだ

就職難なのに介護職員が足りないというニュースはいつも「雇用のミスマッチ」という言葉で括られる。

雇用のミスマッチという言葉は、摩擦的失業と自発的失業しかありえないとする新自由主義者の思想がちらちらして嫌な言葉である。介護に人が集まらないのはミスマッチではないだろう。

やはり集まらないものは集まらない。介護事業者はせっせせっせと就職説明会をやるが、高校生のアルバイト並みの賃金で、四大卒の資格を要求され、ガテン系労働者並みの重労働と、感情労働もさせられるのでは、そろばんに合わなすぎる。この社会にいるわずかな善意に溢れている人しか就職しないのは当たり前。

介護事業者が就職説明会を重ねるのもいいが、少し効率のよいことすべきではないか。何かといえば、そこの職員に労働組合を作らせ、全国組織に加入させ、デモや抗議行動を盛んにやらせることではないか。それで待遇が上がっていくことがわかれば、介護現場から無力感が一掃され、人が集まりだすのではないか。

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11/19 痴漢防止っていうJR東日本の間引きダイヤが助犯だろう

痴漢の助犯はJRだろって思うこともある。

埼京線が痴漢が多いというが、埼京線を冷遇し、池袋も新宿も渋谷も、特定の乗車位置に乗客が偏らざるを得ない駅のつくりをし、日中は一時間に4本、朝のラッシュ時間も3分以上間隔があき、夕方になれば10分あくことも珍しくない。そんなことだから、混雑するに決まっている。混雑すれば痴漢が出てくる。混雑しなければ、ひどい変質者以外、痴漢などできない。

元公営の鉄道会社は今、私鉄を凌駕する莫大な利益を上げているが、乗客の利便性や安心を度外視するような減量経営をやっているからである。その犠牲者の1つが痴漢被害者であるし、痴漢冤罪の被害者である。

JRには、儲かっているんだから、変なセクトみたいなボランティア活動もいいけど、本数増やして、雇用を増やして、社会貢献してもらいたい。

●毎日夜の帰宅時間、東京メトロが遅れに遅れる。これも本数が少ないからだ。
混雑する→遅れる→さらに混雑する→急病人の発生(ここで東京メトロは混雑やダイヤ乱れの責任を急病人に転嫁)→ダイヤの混乱→定時運行の崩壊→ダイヤ整理の判断ミスの続発→目的地に着くころには10分近く遅延
ということの繰り返し。うんざり。

●昨日、日本の新幹線を海外が受注してくれないというニュースを見た。
いろいろ条件があるのだろうが、3人+2人がけの新幹線の座席を見た外国人は、こんなもの乗りたくないと思うのではないか。
1960年代の日本人の体格にあわせて作られた3人がけ席は、今やナンセンス。通常のときは中席はほとんど使われておらず、中席が埋まるときには、もはや新幹線そのものの輸送力が不足する繁忙期であり、年に何回かのないよりましのときのために、ふだんから乗客に窮屈な思いをさせるのは良くない。すでにJR九州の新幹線は3人席をなくしている。

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2009.11.18

11/18 子ども手当も地方負担金大動員か

子ども手当の財源のめどが立たないらしくて、所得制限や、地方負担、果ては企業負担まで求める話まで出ている。

地方主権などとスローガンに掲げている政党が、子ども手当の支給に、地方負担を求めるのはどうなのだろうか。逆に言うと、地方負担の拠出が嫌だからと、子ども手当を支給しない、という自治体が出てきたらどう対応するのだろうか。

国策としてやるのだったら、地方負担を求めるべきではない、というのが地方主権の政党の言うことではないか。

ちなみに地方負担を設けると、大多数の自治体では裏側で地方交付税が増額されるので、問題は残るが、まだ救済される。
(※地方交付税財源は限られていて、全ての自治体の標準的な需要額で按分するので、結果としてはすべての自治体で、子ども手当の地方負担分だけ、実際に配られる地方交付税が少なくなる。また、地方交付税の性格からして、補助金まがいな使い道をすることは問題が多い。)

しかし、大都市部、とくに子どもの多い大都市周縁部の自治体(江東区、葛飾区、江戸川区、練馬区、さいたま市、市川市、横浜市、川崎市、和光市、朝霞市など)では、大幅に持ち出しが増えるだけの結果になる。その結果、しつこいが、保育所補助、幼稚園の独自補助、学童保育の運営費などにしわ寄せがいくことは容易に予想できる。

阪大の小野善康先生が、現代のエスプリ10月号に書いているが、そもそもこういう家計補助はプラスマイナスまったく景気に意味を持たないと言う。消費性向の低い(裕福な)家庭から消費性向の高い(貧困)家庭に所得移転をするような補助金にしない限り、景気対策としては中立という。
小野先生は雇用のための政府支出が重要ということなので、さらに加えれて批判すれば、万一自治体が子ども手当の負担のために、保育園や幼稚園、子どもの障害者のための福祉などがカットして、そこで働く人たちがリストラされたり、賃下げされるようなことがあれば、雇用は減るし、劣化するし、その上、そこで働く消費性向の高い家庭が所得を得る術を失い、失業給付や生活保護にまわり、あるいは転職できても、本来、福祉以外の人が座るべき雇用を奪い、景気を冷え込ませる。

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2009.11.17

11/17 国の事業仕分け:保育所運営費補助金が安すぎる、保育士の待遇改善をせよという展開に

国の事業仕分けの「保育所運営費補助金」で何がやり玉にあがるのかと聴いた。

民主党の議員がタイトルを読み上げ、続く、財務省の役人が何かを言い出すのかと言えば、保育サービスの拡充の財源のために保護者は保育料をもっと負担せよ、とりわけ世帯年収932万以上の世帯の保育料基準の月8万円は少なすぎて、もっと負担せよ、というもの。

夫婦で年収932万と言えば、夫婦ともに年収480万円程度、あるいは夫が650万円と妻が300万円でこの水準に達する。そういう家庭が1人月8万円を超える保育料を払えば、2人、3人となればどういうことになるのか、財務官僚はわかっていないらしい。元々共働きの人たちがいなさそうな職種。わからないのだろう。

さすがにこれが暴論であると仕分け人たちも気づいたみたいで、前高島市長がまともな指摘をしたところから、財務省の問題提起や、そもそもの保育料負担額が高すぎるという話が出された。

財務省の役人が押しつけようとしたことは、子育て税そのもの。子育て共働き世帯を狙い撃ちにした増税策にほかならない。それを保育サービスをあまねく供給するためなどと美しい言葉を使っているに過ぎない。

厚生労働省が提出した「保育単価と費用徴収基準額」という資料に驚いた。これは国が自治体に、保育料をこれだけ取りなさい、という基準額で、保育単価がコスト算出に使われ、この徴収基準額が保護者負担額の算出に使われ、その差額を国が自治体に保育の補助金として支払われることになる。
この財務省の役人が少なすぎるという徴収基準額表で示された保育料を見ると、あまりにも金額が高すぎて、2歳児以下は世帯年収932万円以上、3~5歳児で世帯年収334万円以上から国の費用が使われていないという事実が示されている(保育単価限度という言葉で書かれる)。
保育はお金がかかる、お金がかかるのは規制業種だからだ、といういい加減な言説がまかり通ってきたが、国に関して言えば、保育費用を国が負担しているのは、2歳以下の子どもの中の中から下ぐらいの所得層の家庭の子と、3歳児からは貧困家庭の子のみ、ということのようだ。したがって全国で215万人の子どもが保育所を利用しているが、国の予算は3621億円しか使っていない。
これは私も気づかずうかつだったと思う。確か2000年頃の保育料基準額はもっともっと低くて、最高ランクですら国費が使われていたように思う。

さすがに財務省役人の暴論は斥けられ、子育てにお金を使うことをバカにしてきた財務省の姿勢が問題視された。おまけに所得税の捕捉というサラリーマン差別の話まで出てきて、やぶ蛇だったようである。

最後に、厚生労働省が示した保育単価の内訳の保育士人件費を見て、「金額が低すぎる」と口をつく仕分け人が多く、ようやく小泉構造改革系の有識者たちが保育コストに対する正しい認識ができたようである。「財団の何もしない幹部たちが1600万もらう一方で、保育士の人件費が月19万円だけですか?現場で汗して働いている人を大切にしてもらいたいものです!」という発言や保育士の待遇改善を求める意見まで出てきた。構造改革系の文化人に高コスト体質と叩かれ続ける保育所に同情し、何年もそういうデマはデマだとブログに書き続けた私としては、涙が出るほど嬉しい展開となった。

ずっと事業仕分けをこきおろしてきたが、今日は大きく見直した。今日仕分けされたのは財務省の役人であった。

●構造改革系の経済学者たちは、保育所が規制業種で子ども1人あたり月50万かかっているというようなデマを流し続けた。215万人もの子どもに月50万円を配っていたら、年間12兆円、話半分でも6兆円を超える保育予算になるはずだが、そんな話はない。たった3600億円、子ども一人あたり年30万円も使っていない。

●もちろん保育費用の国費負担をそれだけ低い水準においてあれば、しわ寄せは自治体に来るわけで、自治体が新たに保育所を作りたがらなくなるような構造ができている。朝霞市のようにマンション売りまくって固定資産税をガバガバ集めておきながら、保育所の整備を率先してすることもなく、基地跡地の自然破壊や地主たちが働かずに食べるために政治的圧力で土地を買うために税金を使おうというのがいちばんひどい例。
分権で保育所のことを何もかも自治体に権限持たせる危険はここにあると言ってよい。事実、公立保育所は、財源の地方移譲をしてから、臨時やパートの保育士ばかりになった、延長保育を新たにやるところがなくなった、などの弊害が出ている。

●厚生労働省の児童家庭局長、21世紀職業財団から今回まで見ていて、悪い人ではなさそうだが、不勉強なところが目立つ感じがしている。今の保育料体系についてうまく説明できなかった。1997年の児童福祉法の大改正による保護者負担の増加をもって形成されたもので、ここ数年保育政策に関わっている人には調べるまでもない話だと思う。まぁ、仕分け人みたいにだからダメ官僚みたいなレッテルを貼るつもりはない。

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11/16 週刊ダイヤモンドの書き散らし保育談義

経済誌・週刊ダイヤモンドが「新規参入は断固阻止!! 保育園業界に巣くう利権の闇」(週刊ダイヤモンド編集部 清水量介)といった記事を掲載している。

記事として問題なのは、取材した内容がなく、論評しかないことである。それなのに客観的事実のように装って、一方的な断定で、特定のイデオロギーに偏った書き方を進めていく。

この記事のタイトルにあるように、保育所に利権なんかあるんだったら、ありあまるぐらい認可保育所が増えているだろう。保育所を建設する土建屋以外と、保育所の入所あっせんを請け負う悪徳地方議員以外に利権なんかほとんど発生しようがないところに、保育所問題が市場原理で解決できない難しさがある。

記者なんだから保育所の財務分析ぐらいしてみたらどうよ、と言いたい。
記事中に私腹を肥やす認可保育園などという言葉が出てくるが、何を裏取ってそんな記事を書いているのだろうか。営利企業にこんなこと書いたら訴訟になりかねない。人の善なる部分を見いだそうとして反論や訴訟を起こさない福祉関係者につけいるようなやり方だ。
儲からないわ、財産寄附して成立した社会福祉法人からお金を引き出すこともできないわ、というのが、私立認可保育園の経営実態。副業として教材販売会社とか、写真現像なんかやって、しこしこ保護者からお金を引き出すしか、私腹を肥やせない。

後継者を指名して二世、三世と引き継ぐのは、土地持ちが社会福祉法人に財産寄附した土地への実効支配を維持するため。社会福祉法人にしておくことのメリットは、土地を維持するための税金軽減ぐらいだからだ。その代わり、革命でも起きない限り、土地を寄附した地主にとって土地を処分して現金化することは永久に不可能になる。

30歳で退職させるというくだりもあるが、国の保育所補助金の算定基準の人件費が、25歳賃金を前提にしているからだ。平均賃金25歳なら、短大や専門学校出た20歳の保育士であれば30歳で退職しなければ赤字経営になるからだ。早期退職を促して儲けをピンハネしているというこの記事はデマであり、記事に裏を取ったのか確認してもらいたいところ。

過去にも書いたが、都内の公立保育所の保育士の賃金が高いと書くが、その問題は認可保育所制度ではなくて、公務員制度の問題である。また都内の保育所の問題は、税金が余りがちな23区内の独特の問題であり、地方に行けば状況は、公立も厳しい。

筆者は株式会社が参入しないことをもって規制緩和を骨抜きにしたと言うが、保育は、国民から強制的に取った税金(こういう言い方、規制緩和派や小泉構造改革派、新自由主義者は大好きなはず)を注入しなければできない事業だから、利潤まで保障することは難しい。供給過多ならともかく、供給不足で利潤まで保障する余裕はない。
保育にかかるコストから、人件費をピンハネして不必要な内部留保や、グループ内企業への流用、配当金などでの流失など簡単に認めたら、それこそおかしな話にならないか。そういうことを禁止したら株式会社が参入しにくいということだけである。株式会社が保育所を経営することは何のおとがめもない。自治体が株式会社に委託をすれば、参入障壁なんか何もない。

こういう認可保育所=抵抗勢力言説は、小泉構造改革のときに、政商・宮内義彦の後ろ盾を得た八代尚宏などの学者たちが繰り返し水虫のようにしつこくやってきたやり方。日保協、私保連、共産党、自治労、自治労連がそれぞれ何を主張し、何を改革せよと言い、何を改革するなと言い、そういうことを検証せず、団体名を並べて陰謀渦巻く既得権益・抵抗勢力のように演出し、断定するやり方もひどいやり方である。しかもしたたかに保育園を考える親の会だけは外している。八代尚宏大先生が公式の席で既得権益と断定した保護者団体である。保育所で苦労している保護者を敵にまわさない政治的策略であろう。

社会福祉法人の経営者で、社会福祉法人からの上がりで裕福に暮らしている人を見てみたい。多くの保育園、幼稚園経営者は清貧で、清貧であるからこそ、労働者にもひどいことをしてしまう問題の方が大きい。

実際に認可でも認可外でも保育所を使ってみたら、こんな単純な論調で記事を書くことはできないだろう。

最後に民主党はしがらみが無いんだからなどと書く。しがらみがないことと、因果関係がない話を信じ込まされることとは全然違うことで、日々子育てと仕事に追われている家庭の立場に寄り添い、こんなあほな言説をまともに取り合わないよう切に願うばかりだ。

●こういういい加減な記事を書いているマスコミの苦情処理機関はないのだろうか。共働き家庭はこういう記事に文句言ったり、反論したりする場もなく、こういう記事に影響された有識者や政治家による、事業仕分けだとか、行革ツールを使って必要なインフラが一刀両断にされていくことが続いている。煮えくりかえる思いである。これまでよく生命線を守ったと思っている。
規制緩和しないから待機児童問題が解決しない、などと事実関係のない報道をするテレビがあったら、それは校閲能力の問題だろう。テレビであればBPOにでも訴えてみようかと思う。

●保育所の改革というときに、規制緩和が進んだか、株式会社の参入が進んだか、それだけで計測するようなアホな改革談義はもうやめてもらいたい。国民に有効なサービスが提供されたかどうかという評価をきちんと確立してもらいたいものだ。今どき延長保育を抵抗する愚は、ぬるま湯体質、あるいは閉鎖的体質として叩いてもらった方がいいと思うが、どんな経営体であるかどうかは、目的と手段が入れ替わってしまった議論である。

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2009.11.16

11/16 国民楽派新党、社民党は孤立しないのか

国民新党が、平沼グループと田中康夫と新党を結成するという話をぶち上げた。国民楽派新党とでも呼んだらいいか。亀井静香氏は、健全な保守などと言うが、亀井亜紀子氏など社民主義政党だとインタビューで答えたりしていて、そんなイデオロギーで定義してしまえるものなのだろうか。

国民楽派新党、与党内の民主党に対抗する勢力が糾合して存在感を示すことが大事なように思う。政治的生き残りのために第三勢力を構築するというなら、社会民主党も思想をかなぐり棄てて実利をめざし、大きくて暖かい政府、反構造改革、非自民の背骨を貫き、合流した方がいいと思う。今までのように座して民主党に吸収されるぞされるぞと言われながら我慢して社会に居場所がなくなるのがいいのか、と思ったりもする。

しかし名称。これら4勢力の中和点であり、重なるイメージとしては、「国民社会党」か?日本語なら、国民政党の社会党ぐらいであまり違和感ないが、英訳するととんでもない政党名になる。Social Nationalist Partyか、National Social Partyか。

悩ましいのは緑の政治勢力だろう。昨年、「緑と未来」として地方議員レベルの組織が合流して、都市部なら各自治体1人ぐらいの社民党ぐらいの力を持っている。川田龍平氏と田中康夫氏に近いところで国政のパイプを確保していただけに、国民楽派新党となったときに、民主党以上に親しくつきあえるのだろうか。

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11/16 事業仕分け「延長保育事業」を聴く

1時間分の書類のチェックの仕事があったので、国の事業仕分けの「延長保育事業」を片耳で聴きながら仕事をする。

何で延長保育事業が仕分けの対象になったのかと思ったら、延長保育を実施する自治体への交付金の出所をどうするかというテーマ。延長保育そのものは否定されずによかった。最初このテーマを聴いたときに、妻が専業主婦ばかりの民主党議員が、共働き家庭を虐待する話かと思ったものだ。

一般会計から出すのがいいのか、児童手当の出所になっている年金特別会計児童手当勘定から出すのがいいのか、それが論点だった。要は、財務省として、一般会計から出すより、土曜日曜保育の補助金と同じように事業主負担のある児童手当勘定から出すのが筋、と言いたいのだろう。それに民主党議員などが「仕事のための延長保育なんだから事業者拠出金のある社会保険料から出すのがいいのだ」と上塗りしたということのよう。

どっちでもいいじゃんかそんなもの。人民裁判みたいな政治ショーまでやるテーマかと思う。
一般会計で出せば働くためでなくて、特別会計から出せば働くため、という区別もよくわからない。保育に欠ければ保育じゃないのか。6時以降が、特別会計から出すなどわけがかわらない。
それと、特別会計の整理を言う民主党が、保育事業の原資を特別会計にせよ、と言っているのが滑稽であった。

厚生労働省が、特別会計の残金をあてにして延長保育をやっていいんですか、としきりに抗戦していたが、正論。フローのための使途はフローの金で、民間の常識がこういうところでは通用しない。利益を食いつぶしてお客様第一主義を貫いたら民間だったら倒産してしまうでしょう。

この議論の中で、延長保育を実施しない自由が自治体にあるのか、というメンバーの質問があった。そんな基礎的なことがわかっていない。保育は自治事務だから国が事業を強制できない。保育政策を語る最初の一歩がわかっていない。朝霞市なんか通常保育の範囲の保育を延長保育なんて称して、仕事に追われて声も挙げられない市民を騙しているんだから。そういう分権を楯に保育をさぼっている自治体見てきたの?と聞きたいぐらい。

キャリアウーマン社長らしき人が「不況で仕事が減っているんだから延長保育って公的にやる必要あるんですか」という愚問もあった。じゃあ、デパートやスーパーで5時過ぎて働いている人って何だっての。

あとは本題と関係のない委員たちによる厚生労働省へのクイズ乱発合戦。厚生労働省が数字を即答できないような質問ばかりをぶつけて、答えに窮してつるつる言い訳はじめると「そんなこと聞いていない」と怒鳴り散らす。ちょっとでも大衆の期待に答えができないと自己批判を迫る人民裁判そのもの。参院議員の尾立がほんとうにひどかった。

それでも時間が余って、保育所の規制緩和論をぶつバカもいれば、論点が支離滅裂。

そんな状況をみて、さすがに仕分け人の中からも冷静なたしなめとも思える発言が。佐賀市長を経験した木下さんが意見をした。「延長保育事業をこのまま継続して、保護者に安心を与えてほしい。現場は安い補助金で、安い賃金で保育士が延長保育を担っている。厚生労働省にはいっそう努力してほしい」と仕分け人たちの先入観と偏見の固まりの議論を、さりげなくくさして混ぜっ返す発言があってナイス。多くの基礎自治体の首長経験者は、政策いじりやっていいことと、慎重に改革をしなければいけないところの区別がよくわかっている。

●うちの若い女の子たちは残業しないと発言したキャリアウーマンって、13日に能なし発言をしていたのか。天下り役員が非民主的な運営をしている21世紀職業財団で、組織を支えてきた非正規職員たちはたまらんだろうなぁ。しかしいろいろな人が暴言吐いて謝罪しているらしいが、その謝罪文が行政刷新会議のHPなどに掲載されているの?マスコミが騒がなければ、暴言吐いたっきりということなんでしょうね。

●事業仕分けの結果、研究者たちは二度と民主党なんかに入れない、と言い合っているという話を聞いた。後世、映画を作られたり、ジョーク集を出されたり、恥をかかない政権運営に注意した方がいいように思う。
まぁ、インテリを大事にしたソ連と、インテリを虐待した中国と、どちらが強い体制だったか考えると、今のやっていることは正しいのかも知れないが。

大竹文雄阪大教授のブログでも国の事業仕分けのやり方に憂慮が示される。玄田有史も批判しているらしい(玄田氏は問題の焦点を正面切って議論せず、巧妙に避けて、ちゃっかり思想を押し込むところが良くない)。前にも書いたが、事業仕分けは必要というのは私も感じている。
しかし国で行われているやり方を見ていると、自治体でまじめにやっている事業仕分けのイメージがどんどん悪くなるように思う。国のやり方をまねする自治体も出てきて、法の精神も理解できないような、勝ち組のまま引退し、大企業の豊かな退職年金や引退した自分の会社の顧問料などで恵まれた老後を送っているヒマで行革好き市民が乗り込んできてヒステリーにやられたら、事業仕分けが歪んでしまう。そして社会的弱者は痛めつけられていくことだろう。憂慮することばかりだ。

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2009.11.14

11/13 対話と参加と協調の自治のためには地域政党の復権を

ここのところ忙しくて首が回らなくなって、気分転換に、午前中、生活クラブの学習会に出て、生活クラブの推進する(厳密に書くと違うが)代理人運動初の男性議員、越谷市議の辻こうじさんのお話を聴く。

政治って議会と選挙だけでないでしょ、いい物だから高くても買うという行為にしても、環境に負荷のかからない物を買おうというのも政治的行動でしょ、という政治のとらえ方がいい。

プロ化した政治家が、私財をなげうって政治活動をするから、見返りを求めたり、利権構造ができてくるというのも同感。

うるさい市民をどれだけ増やすかが、よい地域になるカギだ、というのも同感。

彼の初出馬の際、母体になった地域政党の越谷ネットがプレゼンで使ったパワーポイントのプレゼンテーションが面白かった。

●社会・さきがけの一部に、地域政党の連合体として発足した民主党が、気がついたら中央集権の権化のような党組織を持つようになって、息苦しい。
旧民主のときには、若手は右も左も一晩酒を飲み続けたくなるような面白い人が多かったが、最近は卒がなくて均質化していて面白くない。日々、若手地方議員どうしの出世競争に晒されているのも見ていてあまりうらやましく感じない。
地方議員が、何のために議員をやっているのか、何で議員をやりたいのか、有権者に向かった日々の仕事の緊張感を保ち続けるのに地域政党というものが、もう一度評価され定着することを望みたい。

●10代後半に共産国の崩壊と、そこから次から次に出てくるその息苦しい社会の実態を聞き続けた私には、今回の国の事業仕分けのような人民裁判的なノリには、どうしても拒否反応を示してしまう。

●事業仕分けで、子ども関連のNPOに対する、さまざまな財団の支出がカットの対象になっている。
この間、保育所の規制改革に見合うだけの保育予算がつかず、保育所は高コストだ何だと罵倒され続け、その横目で、子ども関連のNPOにはジャンジャン政府予算がついて、財団をくぐって配分されていたことを見てきた経験から。
子ども関連のNPOに公金が支出されるのは、貧困な公共サービスの穴埋めとして、公務員の代替としての役割を求められてきたからだろう。そういう本質にどこかで目を瞑り、一丁前に公務員=性悪説だけでNPOの能力高さを高らかにうたい、思うように公務員数を増やせない公務員側の事情に迎合するようなことをしてきたことのツケではないかと思うところがある。
そうした財団がお金をもらう裏側で、定数外雇用の公務員たちが、ハンコをつくだけで上級公務員並みの賃金を貰えるポストが用意されて、子ども未来財団のような、使途の3分の1が管理コストというざまになってしまっていた。
もちろん個々の子ども関連NPOが一所懸命工夫して運営し、並々ならぬ努力をしていることは百も承知しているが。

●ほんとうの行政改革のためには、公務員数の抑制をやめてみたらいいのかも知れない。公務員数を抑制しなければならないから、財団などを通じて補助金をばらまいて管理コストが不透明化する。その上提供される公共サービスは地域的偏在も著しい。公務員削減ばかり至上命題になって、最終的な効率性が追求されていないように思う。

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2009.11.12

11/12 有識者が国の事業仕分けにもの言いが続く

国が進めている事業仕分けに対する評価は様々だが、やっばり人民裁判的に進めている今のありようについては、問題を感じている人が少なくないようだ。

公共事業の暴走に警鐘を鳴らし続けた法政大学五十嵐敬喜教授も、事業仕分けの必要と断言しながら、議論の時間が足りない、対象事業の選定が不透明、本来必要な事前調査もなされていない、など問題点を読売新聞で指摘している。

また、映画「選挙」の主役、山内和彦さんも、田中康夫の言葉を引用して、もっとやりようがあるのではないかと疑義を呈している。

意外なところでは、支出削減至上主義の最先端・池田信夫氏も。もっとも彼は公務員賃金を削る方が最優先だろ、といいたいようだが、今のやり方では人民裁判を通じて財務官僚がのさばるだけだと強く批判している。

●行政刷新会議のHP見て、議事要録や仕分け人の名簿すら出ていない。行政改革に反する態度だと思う。

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2009.11.10

11/10 事業仕分け人に幸福実現党支持者

本来の事業仕分けと違い、人選も、事業選定も不透明で、恣意的な目的で進められている、今の政権の事業仕分けは事業仕分けにあらず、単なる人民裁判政策版でしかない、ということを指摘してきたが、その厚生労働省の担当の仕分け人に福井秀夫がいてびっくり。あと土居丈郎とか、小泉時代と何が違うんだと思うところ。湯浅誠のような現場で泥まみれになった人は決して選ばれない。

さきの総選挙で、小泉構造改革を支持し、北朝鮮を先制攻撃しても何しても構わないという幸福実現党の支持を表明した人物。少なくとも先の総選挙、昨年の参院選の「生活が第一。」という政党とはどう考えても有権者が期待したことが違うように思うのだが、エコノミストというだけで仕分け人にされて、利害関係で悲喜こもごもの人たちを頭越しに、政策をごみ箱に入れていくらしい。

濱口桂一郎さんも同様の危惧を示されています。

事業仕分けは、仕分け人の人選にイデオロギーが発生することをつくづく感じている。

●どうでもいいことだが、事業仕分けで会った推進グループのリーダーがよかったので名刺交換を求めたところ「名刺を切らしておりまして」と言われたことが、今になって思い返す。
実は私との名刺交換を拒否したことだったんだと。事業仕分けに関心を持つ人間とのコンタクトを、フィルタリングしていたのだろう。事業仕分けが中立的な価値を持つなら、一介の官公労の職員だからと言っても、名刺交換を拒否することはあるまい。事業仕分けに対する評価を変えなくてはならないかも知れない。

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11/10 罰当たりが。

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11/10 奈良県のこと笑えない埼玉県の自治体

バックナンバーで書店にない雑誌で申し訳ないが、職場に置いてあった中央公論10月号の「大阪と共に地盤沈下した新興住宅地の奈良県」を読む。

実に問題意識が、今の埼玉県の県南自治体と共通することに愕然とする。

ベッドタウンとして、労働力を大都市に提供し、住宅地としてうまくいっていたみたいだが、結局、自治体はその楽な状況に安住していて、住民のQOLみたいなことを上げることしないで来たら、大阪の企業が元気になくなってきてしまったら、ゴーストタウン化しているというルポルタージュ。

住宅が広いとか、緑が多いとか、そんな観念的な指標をもとに、県庁の福祉部長が脳天気に「私の生活実感から言うと子育てしやすいし、居住環境もよい。」などと楽天的なことを言っている間抜けさは、埼玉県の県南の自治体の職員の、マンションバブルぼけと変わらない。

この記事の結論は、女性に働きやすい社会サービスを提供しきれなかった奈良県の自治体は、貧困や共働きの問題を直視し続けた大阪や兵庫の自治体に比べて見劣りがし、住民の流失が避けられない、と言う。

著者は「ベッドタウンという理由だけなら、首都圏の埼玉県や千葉県ても同じ傾向が出てくると思われますが」と、大阪の沈没が東京の沈没に波及したら埼玉や千葉が同じ状況になってもおかしくない前提を指摘している。最後に著者は関西圏の経済力の向上が奈良県の救いになるように言うが、私はそんなに楽天的に思わない。

東京圏であっても、埼玉県南部の自治体の社会サービスは見劣りがするし、利用するにしても、つまらないスティグマを植え付けられる。身分保障に守られた公務員たちに、自己責任みたいなことばかり言われる。東京の富を東京都の人だけで満たすことができるようになったときに、埼玉県も見捨てられる。

そういう時代に備えた社会サービスの整備について、このあたりの自治体は無頓着であり、心配である。
地域ブランドとか、そんな精神論ばかりにお金を使ってる状況ではない。

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11/10 先生からのお電話

私の尊敬する大先生から、わざわざ職場にお電話をいただき、恐縮する。

支持団体にとって民主党はどんな状況なのか、確認され、近日、民主党の某大幹部にこれでいいのかと厳しい記事ばかり書き続けたことに対して、もっと暖かく見守ってやってほしいと言われた。

私は江田派なので、その大幹部を暖かく見守っていきたい。干されたり失脚したりすれば、心の中が荒むし、ヒットを飛ばせば嬉しい気持ちだ。
しかし理系出身者の悪い癖で、細かい技術論にこだわり、ちまちました努力論に眼を奪われて若手議員たちの俗論にふりまわされてしまうきらいがあって、残念な気持ちがあるから、厳しく書いている。

財務省出身者と精神論に弱い人たちにふりまわされている民主党の今の流れにストッパーになるべき幹部は、何人かいるが、最大の幹部は党務に専念して政策に口だしせず、他の2人は三権の長にまつりあげられ、政府内にいるのは彼一人、本当にがんばってもらいたいと感じている。

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11/9 国家戦略室ともあろうところが空き教室がどうだ細かいこと言うんでない

国家戦略室が年内に経済成長戦略を発表するという。

「投資効果のないところに財政出動し、赤字だけが増えて成長しなかった、同じ間違いはしない」という総括はいいが、同じ間違いはしない、ということは、投資効果のあるところに財政出動するという結論になるのか、だから財政出動は無駄だという結論になるのか、後者になりそうで非常にあやうい。小泉構造改革のときにも、そんな言葉が使われていたように思う。税金が投入されるところほど非効率になる、とまことしやかに。

こういうときに限って保育所問題が動員されるが、本当は保育所のことなんかどうでもよくて、困っている人をエサに、空き教室の活用とか縦割り行政とを壊すとか、手段が目的化した政治的成果にはやるのもご免蒙りたい。ずっと待機児童を抱えた家庭はそういうノリにつきあわされて迷惑している。
そもそも関係のない空き教室の活用とか幼保一元化などの目標を、待機児童問題と絡める議論は、成果が上がらず恥かくからおやめなさい。

保育所の問題は、行政の手続きの改良で何とかなる問題(延長保育の実施や、低年齢保育の実施、空き教室の活用や幼保一元化なども)と、財政出動しなければ解決しない問題(そもそもの容量確保)と両方あり、待機児童問題は後者の問題なのに、政治家は、行政手続きの改良でちちんぷいとしたがり、そうした結論ばかり追い求めていつまでたったも問題解決しなくて困る。

空き教室の活用による待機児童の解決は、先日、担当の長妻厚生労働大臣が、保育所不足のところに空き教室が無くて効果が上がらない、と認めている。幼保一元化も問題は同じ。子どもの多いところは幼稚園が空いていない。子どもの育ちを分断するなという幼保一元化の議論と、単なる行政の不作為でしかない待機児童問題を同列に扱うのもあまりにもひどい話である。

国家戦略室が考えるべきは戦略なんだから、保育に関しては、人々や家庭がどのように豊かさを実感し、社会生活と私的生活のバランスを保ち、子どもどうしの育ちをどう作り上げて満足度の高い社会を形成していくか、という目的を語り、そのために取り組むべき政策メニューやマニフェストの中での優先順位を提示してほしいところだ。
待機児童問題で悩む自治体担当者の話も聴きもしないで、思いつきのような保育所を増やす些末で技術的なことは考えるべきでなく、行政改革の技術みたいな話は、業瀬刷新会議にでもやらせておけばいいのだ。

●市内の自称市民派議員の会派が、市の財政支出先の上位ランキングをリストにして配布している。いかにもな公共工事に混じって、上位に保育園への補助金がランクインされる。説明もなしに、こうした表をただ垂れ流すのはどうなのだろうか。
保育所の補助金は、市役所が保護者の払う保育料をいったん受け取って、その必要な単価の差額を、国や県のお金などを混ぜて支払うもの。運営経費の総額を市役所が直接渡していると言ってよい。そのうち純然たる市の負担金はその4分の1もない。
一方、介護施設は、市の支出が特別会計から社会保険報酬支払基金や国保連合会を経由して支払われるため、保育所以上にお金がかかっているのにこのランキングに載らない。本来公営であるべき地域包括支援センターへの補助金だけである。
そういったバイアスがかかっていることを説明せずに、保育所がさもお金がかかっているような印象を与えることに憤りを感じている。事実、以前、このランク表の作成者の一人である市議に、保育所って金もらいすぎだよなぁ、などと暴言を吐かれたことがある。
市のまともな監督も委託に対するビジョンもない状態で、低賃金で働いているこれら民営保育園の保育士が聞いたら、激怒するだろう。

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2009.11.09

11/9 遅延を車内大演説会のもと拡大する東京メトロ

朝、濃霧で東上線が遅延。

それでも4分遅れ程度で和光市を出た直通電車が、小竹向原で7分、池袋で13分、下車駅についたときには16分もの遅れになっていた。
(小竹向原から池袋まで6分かかり、6分遅延したので、12分かかったことになる。この距離は3キロ程度。時速15キロということで、自転車よりずっと遅い。)
地下鉄は東上線のせいだといわんばかりのアナウンスを続けていたが、遅れを4倍にも拡大しているのは地下鉄会社の方だろう。
東京メトロには、ダイヤ混乱を収束させる能力がないものかといつも思う。
遅れてもないときにわざと遅らせてでも運転間隔の調整ばかり気遣っているのに、混乱すると例の小竹向原の平面交差でつっかかって間隔が空いたりして、どうしていいかわからずに混乱に任せているのだろう。

しかも今日は和光市から地下鉄に入って小竹向原までの車掌が許したくない。
ひと駅ひと駅止まって、ドアを開けっ放しで、東上線のせいで遅れているという大音響で大演説をしている。お前が電車を遅らせているんだろう、と。自分の会社が原因で遅延しているときには、「お客様混雑のため」などとしらばっくれているくせに。
さっさとドア閉めて前に進んでもらいたいものだよ。ドア閉めも昔の地下鉄のようなしまりがない。一ヵ所でもドアがひっかかったら、全部のドアを開けて間をおかなくてはならないルールがあるのか、混雑すると、開けて、数秒呼吸をおいて、閉めて、閉まらず、また開けてを延々繰り返す。
そして電車が走り出せば勢いよすぎて、前に進むと思えば突然急ブレーキ、その繰り返しで、職場についたら足が痛い。最初から徐行でやさしい運転できないのか。労災申請でも出そうか。

急いでいく用事があって、早々に家を出たのに、元の木阿弥。

●東京メトロは東上線のことを「東武線」というのはどうかと思う。日光に行く電車か川越に行く電車かわかりゃしない。
東武東上線について、利用者も沿線住民もJRも「東上線」と呼んでいる。同じ東武でも線路がつながっていない北千住から日光に行くもともとの東武電車と混乱しないため。また、そもそも昔は別会社という歴史的背景もある。
池袋や上野で東武線と言っても間違えないが、両路線が乗り入れてくる地下鉄で、利用者も使わない「東武線」という言葉を使うのは、お客様の立場に立っていない。

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2009.11.08

11/8 雇用も創出しないで

面白いニュース。
勝間和代氏は、個々人の意識の持ち方ばかりを問題にするようなところがあって、あんまり好きなタイプではないが、具体的なことでは時々考え方が合う。

エコノミストとしての勝間和代氏が、菅副総理へのレクチャーで、国債発行してデフレ退治を求めたことに対して、「国債の発行は投資というが、これまでそうなってこなかった。官僚主導の権力構造を変え、財政の中身を根本から変えることが必要」と同意しなかった。

私は日銀に無制限に国債を引き取らせよというような勝間和代まで勢いのいいことは言わないが、しかし、民主党のマニフェストの少なくない部分が、自民党型ではない景気対策の内容や、次の景気のための準備となる社会投資となる政策が含まれていること、税収の拡大で返ってくる部分も少なくないことから、95兆円という財政規模にびびることなく、マニフェストの範囲で一時的にでも財政を拡大せよと思う。

7年ほど前、菅直人が、小泉構造改革の対抗戦略として、小野善康阪大教授のケインズ政策に傾倒していたことがある。右手で新自由主義の若手議員を煽りながら、左手でケインズ経済学を再学習している、その態度に非常に期待をしたものである。小野氏の説明では、デフレは投資(株ではなく実物投資)より現金など流動性資産への保有志向を高め、物は作られず、雇用はなくなり、よりデフレを悪化させる悪循環に陥る、それを止めるのは財政出動しかないが、従来型の公共事業では雇用を創出せずダメだというものである。

今回、菅氏の回答では、雇用より財政なのである。彼のマッチョ的体質から言うと、瀬戸際で財政出動により国民を守る政策を採るのか、元気な国民がどこから出てくることを期待するのか、という選択肢でいうと、国民を守る政策なんて、という話になることは読めるが、小野教授との接点があり傾倒しながら、今回の対応は残念な気がしている。

●民主党が財務省官僚とそのOB議員たちにマインドコントロールされて、手先のように動いていることに、何のために彼らを選んだのかと思うところもある。政権交代直後では、自民党が政策決定にあたってタブーとして考えていた諸々の前提から自由に考えるようになったが、95兆円の概算要求という数字が出てから、すっかり財政という枠ばっかり考えるようになって、自民党時代と大して変わらないような、ちびちびちまちま、国民の観念ばかりを刺激しようとする政策ばかりが出てくるようになった。思想も理念も明確に違うわけではない二大政党の弱点がこういうときに出てくる。何に価値をおいたらいいのかわからないのだろう。
緊急雇用対策の、雇用創出の部分など、その典型である。良質な雇用を創る経済政策から、劣化した雇用を数多く創ろうとする観念的運動に堕落したように思う。状況は「希望は戦争。」のままである。
こうした閉塞感は、大きな政治の流れでは反作用を呼び、あんまりいい結果にならないような危機感もある。

●雇用を創出しないで財政をけちっていけば、小さな政府になっても、それ以上に経済規模が小さくなる。しかし発行した国債の額面金額は小さくならないで残り続ける。

●エコノミストという人たちが、マクロ経済政策だけでなく、当事者や専門家をさしおいて社会保障や教育政策の細部の政策決定にまで口を挟んでくるのは、政治家の側の問題ではないか。政治家が未来を描けない苛立っているところ、経済学を予知科学のように見たてて、何でもかんでもエコノミストにご意見を聴きたがるのだろう。お金もないのに景気対策をしたい、賃金も払わないのに介護の質を良くしたい、などと、都合が良すぎる。度がすぎればそれは信仰にもとづく願掛けの類である。
さらに質の悪いことに利用される経済学者が経済学の限界を知っていればいいのだが、社会のありとあらゆることを説明できる錯覚に陥っていること。大学の経済学教員の志望動機や学問の魅力についてのコメントに顕著に見られる。その伝統はマルクス経済学から始まっており、最近でも10年ほど前、ある労組のかんだサヨク集会を見学せさてもらったときに、高名な労農派教授が自らの学説を若者に信じこませるために「女に振られるのも資本の論理なんです」と言い切ってびっくりしたこともあった。

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11/8 国の事業仕分けは事業仕分けでないかも知れない

新政権がやろうとしている事業仕分けについて、地方自治体で進められているものとは違うなぁ、と違和感を感じている。

先日、和光市で実施されたものについて見学したが、それには違和感がなかった。しかし民主党を中心とする政権が進めようとしている事業仕分けについて、違和感を感じるし、事業仕分けそのものに対するアレルギーやネガティブな印象まで起きるのではないかと心配している。

地方自治体の場合、事業の多くが、さしたる思想、さしたる分析にもとづかず、実施している事業が多い。住民や地域団体との利害関係が近すぎて、役人が官僚的に仕事をできない環境があるからだろう。
国がやれというから、県がやれというから、アイディア市長がやれというから、何となく市民感情で、効果よりも政治的合意を優先してスタートした事業があり、その効果が検証される前に感情論で継続し続けてきた事業が多い。そこに市民や外部の目で仕事を叩く、市民の傍聴している前でやることに意味が見える。
またそもそも地方自治体の運営については、イデオロギーの違いがあっても、やらなければいけないことの目標や価値の大半を共有できる(その個々に反対や賛成はあっても)ことが多い。個人的な経験からだが、まじめに自治体の現状や将来をみつめて意見交換する相手は、新自由主義者であっても共産主義者であっても、そんなに感覚が違うということはなかった。結論は政策選択で何を優先していくか、という違いだけだったように思う。

民主党を中心とする政権がやろうとしている国の事業仕分けは、仕分け人と呼ばれる人たちの選定で、政治家を絞り「民間有識者」を大量に起用することになってしまったために客観性が見えないこと(民間有識者のリストは全然公表もされていない。党利党略、あるいは一部の議員の趣味と言われかねない)、直接的な市民ではなくマスコミが観客であること、官僚が官僚的に判断して作り上げてきた政策を叩くため、「官僚的」「分権」「税金の無駄づかい」など、頭ごなしに語る言葉で結論を抑え込んでいくことが容易に想定され政治ショーになる可能性が排除されていないこと、などが、私には大きな違和感につながっている。
実際に、最初にやり玉に挙がった事業には、いくつか今までどおりやった方がいい事業もある。ところがそうであっても、無駄でない、今までどおりでよい、と判断できるのだろうか。おそらく、今の政治状況では何とか無駄とか、民営化とか、「改革」っぽく判断しないと、事業仕分けチームの存在意義が問われてしまう状況にあって、こじつけでもやらなくてはならない。

そうして判断された結論が、実行段階になって不勉強な人たちの勝手な判断だった、なんてことになったら、地方自治体で事業仕分けを推進していくべきだと思う私にとって、憂慮する状況ではないかと思っている。

●民間有識者の名前に川本裕子の名前が出てきたときに、感覚が小泉構造改革のまんまだと思ったし、それ以下の有識者の名前がどこ探しても出てこないので、どうしても人選の不透明感がぬぐえない。やっぱり、観念的な経済学にふりまわされていない若手議員の方が仕分け人としてはよかったように思う。選挙でいろいろな国民に直接接しているだろうし。
もはや来週に始まろうとするのに、こんなひどい手続きで事業仕分けが始まっていいのだろうか。地方自治体で実施する場合は、このあたりの手続きは、相当丁寧にやっているように思う。

●最終的に、新政権の事業仕分けが単なる政治ショーになってしまうかどうかは、保育所運営費の扱いや、教育費国庫補助金の扱いの結論と、国家公務員宿舎の新規建設の扱いを対比して判断したいと思う。

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2009.11.07

11/7 地方主権にふさわしい地方議員教育をしてください

地方分権を地方主権と言ってもいいんだけども、こういう言葉で政策を飾る話が出てくると、だったら御党の地方議員をちゃんと教育してほしいと思ったりする。

うちのまちの民主党公認・推薦の市議会議員・県議会議員は、市内で無駄の骨頂のような大規模な公共事業を推進しようとし、そのお仲間(元同じ会派)の市長の片棒を担いでいる。民主党のイメージやマニフェストの精神をふみにじるものである。
当然、うちのまちの民主党県議会議員は、八ッ場ダム建設推進派である。

羊頭狗肉で政党ブランドを利用して有権者を騙すようなことをしておきながら、その中央がそういうことが地方主権で仕方ありませんね、という話なら、失望ひとしおである。

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11/7 キャリア教育に感じるズレ

キャリア教育が離職率の改善につながらないという毎日新聞の記事。

離職が労働者の個人的な資質の問題だけで片づけられているから良くないのだろう。

キャリア教育を支援しているNPOが、クリエイティブな仕事に憧れを持たせる実践を紹介しているけれども、何か違うような感じがしている。

いつまでも学生でぬくぬくみたいなことよりは、仕事に夢をもって社会に飛び込む勇気を持ってもらいたいと思うが、しかし実際に仕事を始めるということは、少数派の成功者以外は、夢からすれば実につまらない日常が続く仕事が待っており、しかしそこで働いてもらっているということは社会のためにはとっても大事な存在であるということは紛れもない事実で、夢から離れたその成り行きを自分の生きがいを見いだして折り合うということが試されていくのではないか。

その折り合ったときに、折り合うに納得できる人生が待っているかどうかが問われていて、キャリア教育もいいのだが、労働組合をネガティブに捉えるこの社会のあり方や、労働者の基本的権利をきちんと伝えていかなれば、いけないと思う。とくに最近の厳しい労働環境と雇用環境からは、折り合ってまじめに働こうとしている人にあまりにも酷い仕打ちが待っていて、そんなことを改善しないと、離職率ばかり問題にして若者の資質ばかり問うても、何だか居酒屋談義の域を抜けないように思う。

●こういうことを考えるときに、札幌にいたときに、夢はあれども今よりさらに根無し草、失敗すれば文無し失業者になるかもしれない仕事に転職しようか悩んでいたときに、その道に詳しい知り合いのおばちゃんが「人がひとり食べていくことはとても大変なことで、それができている今は立派なんだから大事にしなさい」と諭された。その言葉を働くということはどういうことか考えるときに、いつも思い出す。

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11/5 非正規労働者の待遇改善が先行しても、組合員にしていくことは必要

私の勤務先の組合の、組合員教育の講座の間に、応援で来ていただいたファシリテーターの方と雑談をする。

その中で、連合の、組合員でない非正規労働者の待遇改善を運動課題にしていく春闘方針が話題になり、ここ1~2年の緊急避難的な意味での対応ではいいが、本当にそれでいいのか、という話になる。

社会全体としては、連合の問題意識の設定に全く異論はなく、組合に入っていない非正規労働者の底上げをきちんと求め、労働分配率を上げたり、生活できない賃金で労働力を安売りせざるを得ない人をなくしていくことが必要であるし、労働組合として、正社員やすでに組合に入っている非正規労働者にとっても、労働力を安売りされる人たちに労働力市場の競争力を奪われることを回避できる。

ただし、これで労働組合が組合員でない非正規労働者の待遇改善をして、残るものは何だろうか、と考えてしまう。

職場における正規・非正規の差別は、賃金や労働条件などともに、同じ仕事を支えていく仲間としてのメンバーシップも問われていくのではないか。連合に多くあるユニオンショップ協定にもとづく全従業員組合や、多数派組合にとって、それは組合員に加入できるか、できないか、ということも差別解消の課題になり、「非正規労働者」という言葉を最後になくしていくためのハードルになっていくのではないか。

非正規労働者の賃金が改善されました、労務管理の都合だけの無意味な雇いどめもなくなりました、休暇制度も整えられました、ときには権限のある職務にも就くことができます、そうなっていったときに、しかし労働組合は入れません、だからといって個人加盟のユニオンにも駆け込まれてはこまります、社内レクもダメです、となってくると、精神的にとても大きな断層を作ってしまうのではないかと思う。

もちろん、非正規労働者の待遇改善は当事者主権で進められるべきという理想論もあるし、非正規労働者も組合を通じて意思決定の場に加わるということが必要なことは言うまでもないだろう。

当座は今の方針でいいと思うが、長期的にはねばり強く、既存の組合の組合員にする、あるいは兄弟組合として非正規労働者の労働組合を結成してもらってでも、非正規労働者を労働組合に組織化していくことをきちんとメッセージとして伝えていくことは続けてなくてはならない。

●先日、ある地方の職場の労働組合の同世代の活動家と意見交換した。彼の地元は、労働組合の力が地域社会全体で弱く(そうなるとどんどん運動がマイノリティー化していく悪循環におちいっていく)、その中で、なんとか弱体化の悪循環を断ち切ろうとして奮闘している方である。

話題は非正規労働者の組織化。私が半年前にけしかけてしまったことが、実を結びつつある。彼が職場の非正規労働者に組合に入る意欲はあるか、と声かけてみたら半分以上が即座に入りたい意思を示してくれたという。
さらには、彼にとって総選挙に取り組んだことが今年の大きな課題であり、いわく「非正規労働者も同じ1票ですから、組合に入れるか入れないかなんて議論していて陣地を狭めるのはばからしいこと」と言ってくださった。
そう、同じ1票を持つ人権がある、対等平等の人間が、いろいろな人生のめぐりあわせで正社員になったり、非正規労働者になったりしているんだ、そういう考え方がきちんと行動にあらわれていて、いい人に組織化の種をまいたと、嬉しくて少しだけ涙がでてきた。

●労働組合が選挙に関わることをとやかく言うひともいる。組織力が落ちている中で民主党や社民党を支援する最大の支持団体として大きな顔されるので、労組以外の人は何か言いたくなる気持ちもわからないではない。
しかし、労働組合が自分たちのエゴを押し通すだけの存在ではなく、いろいろ難はあったとしても社会が求める課題と折り合おうとするのは、選挙に関わり、他の労組、他の団体、選挙運動の支援で出会う様々な人々と共同作業をし、まっさらな有権者たちと直接的にふれることを通じて養われている部分は少なくないと思う。職場では組合に入っていない、非正規労働者や委託業務で働く人たちに声かけることもある。選挙運動で言葉と手と足を駆使する中で、社会のさまざまな利害を考えざるを得ない。

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2009.11.05

11/3 八代尚宏先生の弟子の論調

八代尚宏が小泉純一郎や宮内義彦とともに沈没したかと思ったら、その教え子の鈴木亘という研究者が活躍して保育所の規制緩和を民主党周辺に働きかけているらしい。

フォーサイトという雑誌に書いたその記事の書き出しがインターネット上にでているが、人の僻み、妬み根性を刺激するどうしようもないものだ。
東京都の0歳児保育が月50万円もかかっているから、規制緩和すべきだ、というもの。東京都はじゃぶじゃぶの財源があるから、保育に関して独特な手厚い仕組みが用意されていて、最低基準どころではない環境が用意されている。これこそ「地方分権」のたまものというべきもの。

東京都の23区から一歩出れば、厚生労働省の標準的保育が基準となって、それはこの手の規制緩和論者が50万もかかっているんですぅ、なんて水準には遠く及ばない。新自由主義経済のおかげで恵まれすぎた東京23区の例を挙げて、認可保育所にすべてが問題あるかのように言うのは間違いだろう。その他の地域で0歳児にいくら使っているのか、書かないでお金がかかりすぎる印象操作をしているのは研究者として不公正な態度だろう。
ちなみに、23区以外のほとんどの自治体が用いている厚生労働省水準の保育費用では、4~5歳児にでもなれば1人月3万円も公費は使われない。

さらに保育士が1200万円もらってけしからん、局長クラスの給料だ、というようなことを書いている。園長は厳格な任用制度を使っている東京23区であれば、課長補佐クラス。出先機関の運営について責任があって、このくらいのポストは問題とは言い難いだろう。
課長補佐がそれ相応の給料をもらうことは問題と言えるのか。たとえ、課長補佐が局長級の給料をもらえる仕組みがあるなら、保育園制度の問題ではなく、公務員の給与の運用の課題なのだろう。

新自由主義者は、高所得者が出ることはすばらしい、と常日頃言っている。でなければ、格差が出ても彼らが消費や投資を牽引するから将来的に国富になる、というロジックが説明つかないからだ。しかし、ことほど福祉労働者に関しては、全く逆のことばかり言う。福祉で世間のサラリーマン並に順当に努力した人が、一流企業のサラリーマンのそこそこの給料程度もらって、「もらいすぎじゃないの」と言う自由はあっても、絶対的な悪と決めつけることはできないだろう。もっと楽して2000万とか稼げる仕事があるからだ(コネとか原資がないと就職できないような仕事だったりしますが)。それをだめと言ったら、新自由主義者が否定したはずの社会主義、それもかなり窮屈な社会主義と同じようなことになる。

全く不思議な世論操作である。

●規制緩和論者の見落としているところは、保育の規制緩和で需給調整が自動的に行われ参入業者が増えるということ。
ところが保育事業は、公費による社会再分配を行わなければ利用に耐える価格のではない。もっとも市場的な福祉サービスといわれる介護保険制度でも、公定価格を決めて、公費の支出基準を決めるしかない。でなければ、私学でやっているような不公平、不平等といわれている傾斜配分、究極の裁量行政になりかねない。
その上で、利益が発生する必要があるが、これは保育料の保護者負担を増やすか、公費に利潤を加えるか、人件費を搾取するか、どれかしかない。そうでなければ、保育業者はどんなに保育需要があっても、採算割れすれば撤退せざるを得ない。倒産するということだってある。そうなったら待機児童問題の蒸し返しなのである。

まぁ、こんなこと言っても、経済学の需給曲線を使って、だから「福祉関係の人たちは世に疎い無知蒙昧」と言い放たれるだけなんでしょうけどもね。

しかし契約制度をうたいあげながら、財源をケチった結果としての、介護保険制度の惨憺たる現状をみると、結局やっぱり財政をきちんと出さないと福祉は成り立たないということ。

●ただし保育のことでは青い鳥の八代先生の弟子さんの鈴木亘さん、ホームレスをカモにする医療機関の問題点について、非常にまともな見識を持っていることも併せて言っておかなければいけない。
以前、仕事で生活保護のレセプト点検員のヒアリングをしたことがあるが、医療機関の医療保護費の請求をチェックするとほんとうにひどいことを医療機関に言われるらしい。

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2009.11.03

11/3 今度は保育所のコストが高いんだ、と

国の事業仕分けでチームに入ったメンバーが、認可保育所の補助金単価がコスト高だとして真っ先にやり玉に挙げている。
分権による規制緩和にしても、民主党は認可保育所にとても敵意をお持ちのようだ。あるいは若手議員が事業仕分けから追い出された穴を、エコノミストや新自由主義の文化人たちが穴埋めしているらしいので、彼らの主観的な価値観によるものなのだろうか。しかし、それでも事業仕分けの最初の10大標的に選ばれ、無駄削減のかけ声の試金石にされたということで、ジャッジした民主党国会議員の責任は大きい。

保育所の経営分析、コスト分析というものをきちんとやってもらいたい。そういう努力を怠って、感覚的に高い安いを議論していることは、政治の危機としか思えない。掴み金方式の補助金でコストも低い学童保育がどんな状態にあるのか、実際に見てもらいたい。
それも、潤沢な自治体の財政投入で質をかさ上げしている東京都のものではなくて、富裕自治体に隣接しながらその恩恵にあずからない埼玉県や、奈良県などの施設を見に行くべきだろう。東京都のものばかり見ていると、コストが高いと思わされても仕方がないが、国がやっている保育政策は東京都では判断できない。
また、保育所をめぐる利害関係者の絡まり方も特殊で、全国水準(首都圏に限定したとしても)の改革をしていくのに参考にはならない。

保育所運営費は、1人年収400万円余の人件費で必要な保育士数などを積み上げて、定員数で割返して、児童1人当たりの補助金額を決定している。しかもこれは、8時間を超える保育時間について、サービス残業を前提した単価である。
この内容の補助額がコスト高というのなら、いったい保育士たちはいくらで働けということなのだろうか。月150万近くもらっている国会議員に言われたくないように思う。10年前に小泉純一郎や宮内義彦、八代尚宏らが認可保育所に浴びせかけた罵詈雑言と同じロジックを、生活再建などと主張して掌握した政権が言うべきことなのだろうか。

年収1500万を超える国会議員や、講演稼業でそれより年収のあるとりまき文化人たちが、朝から晩まで肉体労働をしている年収400万円の保育士の給料をもらいすぎで、もっと低賃金労働者を使えというなら、そういう国づくりをなさるんですね、という評価でしかない。小泉政権下のように著しくモラルが低下することだろう。介護の場合と言っていることが違いすぎて、民主党のジジ・ババの危機は理解できても、子どもたちがどうなるか、わからないのだろう。

民主党が政権を握ってから、保育所に対して、社会的規制は実質無くす、費用負担はけちられる、そんな仕打ちみたいな話ばかりである。
民主党政権の下で働きながら子どもを育てることはリスクが高すぎると思う。

保育所運営費の地方移管でことが落ちるところが、民主党政権的な落としどころだと思うが、少しは目を覚ましてもらたいたいところだ。

●無認可保育所と認可保育所を比べると、認可保育所が贅沢過ぎるという議論が背景にあるのだろうが、認可保育所の質が保障されているからこそ、無認可保育所はそこをめざして努力をしている。保育所にコスト競争なんかさせたら、人を削るか、人件費単価を削るか、子育てにかかる直接的な経費を削るか、どれかしかない。
人を妬ませて、足を引っ張り合うような醜い社会をめざすのではなく、上に向かって改革するようなことを考えてもらいたいものだ。少しは共働き家庭に、この社会にいてよかったと思わせてくれることしてくれよ。本当に。

●認可保育所を守れ、と言っている人たちの主張を、わざと「彼らは公立保育所を守れと言っている」と議論をすり替えてイメージを張り付ける人がいて困っている。私がこの間、言っているのは、公立・私立共通の保育所に対する規制や財源問題について、切り下げることについてどうなんですか、ということ。公立保育所に限定した問題は、別にある。

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11/2 東洋経済、既得権益特集号が面白い・保育所と城繁幸

東洋経済既得権益特集号が面白い。
通俗的な既得権益批判、規制緩和万々歳ではなくて、既得権益を批判して太っている業界(エコをネタに芸能人総動員して役所からお金を引っ張り出している広告代理店とか)まで批判していて面白い。

その中で、「なぜ増えない保育所待機児童対策は適切か」のできがよい。

これまで経済誌の保育所に関する論調は、待機児童問題が大変だ!→保育所はお金がかかりすぎ→それは規制に守られすぎているからだ→もっと競争原理が働けばコストダウンができる→そうすれば保育所は増やせる→だから規制緩和、と論じてきた。そして、そうしたエコノミストの提言が、政府中枢のさまざまな会議や審議会でまことしやかに論議され、社民党の福島みずほまで一部信じこまされ、規制緩和と民営化→資格職の低賃金化→自治体による買いたたき委託→新規参入のストップ→やっぱり保育所は増えずに待機児童問題がさらに悪化する、という悪循環を描いてきた。

保育所の経営分析やコスト分析もしたこともないようなエコノミストがしたり顔で新古典派経済学やミクロ経済学の理屈にこじつけて改革処方を書いてきたからだ。経済原理は採算ぐらいしか考えず保守的体質が強く専門家ばかりの福祉業界に、そうした論調は刺激的な存在で、まともに反論する能力すらないままにいた。政治力をちらつかせる新古典派経済学のエコノミストの改革処方に、業界関係者は面倒くさいから厚生労働省の官僚+保育園を考える親の会を使って反論させてきた、というのが業界の側の問題。厚生労働省も積極的にその役割を買って出ていた。
だから、官僚vs民(といっても経営者)という構図で政治的に攻撃されると、官僚の側がどんなに根拠を持ったことを言っても、かなり厳しい場面に追い込まれる。

話を戻して、今回の東洋経済では、保育所について、初めて規制緩和で本当に待機児童問題が解決できるのか疑問を呈し、やはり質を維持しながら待機児童問題を解決しようとすれば財源確保は避けられない、と結論づけている。

経済誌ではそうした論調は初めてで、スウェーデンなど北欧の例を引くことなく、規制緩和チチンプイ神話、新自由主義チチンプイ神話で保育所や介護の問題は解決しない可能性もあることを初めて認めたことで、高く評価したいと思っている。

欲を言えば、保育所の採算構造や経営分析もまじえた記事になればもっといいなぁと思ったりする。

●同じ雑誌の中で、城繁幸と湯浅誠が対談(というより闘論)をしており、非常に面白い。

城繁幸は労働ビックバンをもっと進めて、すべての労働者がプロ野球選手みたいな労働契約になるべきと言っている。それに対して、そんな不安定なものでいいんですかと湯浅誠は主張して、能力がうまく評価されない人は雇用が守られず福祉の世界に行ってしまいますがいいんですか、と反論。
城はゴリッとしたリアリストみたいな装いをしながら、言っていることは、非現実的なレッセフェールの青い鳥を追い求めているだけの話。昔のサヨク青年がマルクス主義の社会になれば、同性愛だった治ると暴言を吐いていたに近いようなノリ。
社会がどんなコストで成り立っているのかはもちろん、安定雇用して確保しておきたい労働者が一定数必要な企業事情すら考慮していない。あと、そうしたプロ野球選手式の労働契約を礼拝するのは、能力評価が公正に行われるという前提を信じているわけだけども、そんな会社は人事屋だらけで間接コストがかかりすぎて倒産してしまうってば。仕事する人に対して秘密警察員の割合が多いかつてあった国のように、社風も暗黒体質になるだろう。
生産性と賃金のアンバランスをどこかで割り切って、グチを言いながら納得して、お互い様と思わざるを得ないんじゃないの?会社で助け合ったりするもんでしょ、賃金労働者は。

企業が社会貢献するのは税金ではなくて雇用だけでいい、と言い切るのもえらい話しだと思った。城の生まれた時代、同い年の赤ん坊たちが苦しんだ公害問題とか全く関心ないんだろうなぁ。

●でこんなのを講師に、社会経験のほとんどない政治改革系の若者たちが勉強会を開いていたりするから、そのなれの果ての若手政治家たちがとんちんかんな改革を、薩長気取りでぶち上げるんだろうなぁ。それが政治主導ですか、はいはい。
江戸のしきたりを守らなかったり、昭南島のホテルのビデにウ●コしてしまった、元●摩武士たちを見ているみたいです。

●ウ●コで思い出したけど、社会人ってこんなこともあるよなという話。
最初の職場で、私が入る前年、ある中間管理職の方が社員旅行で酔っぱらって前後不覚になってしまって、ブランドのあるホテルのロビーでトイレと間違えてう●こをしてしまったわけです。
それを一年先輩が処理してホテルにお詫びして出入り禁止を撤回してもらったわけですが、こうした仕事の評価というのは、城先生にはどういう評価になるんでしょうかね。
プロ野球選手のような契約になったら、その功労を人事考課で言い立てるべきなのか、人事考課になじまないこととして現場でドライに上司をうち捨てておけばいいのか、悩むところです。
あっ、ひょっとすると、社員旅行というものが終身雇用制の弊害そのものでしたっけ。

●話を戻して、同じ記事の中に、財務省とべったりの民主党の問題が指摘されている。いつかウィークポイントになるんだろうなぁ。先日、菅直人が官僚はバカ発言して物議をかもしたが、さんざん面倒に見てきたのに財務官僚と結びついて自分を干し、マニフェストにもある国家戦略会議を空洞化させるのに手を貸しているOB議員たちへの反発が出たと見るのは穿ちすぎか。

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2009.11.02

11/2 福島氏の保育所規制緩和のコメントに

昨日、福島みずほ少子化対策担当大臣が保育所を見学に行ったあとの記者会見で、保育所の質は守らなくてはならないが規制緩和も必要だ、というわけのわからない会見をしたことが職場で問題になっていた。

そんなことは今にはじまったことではないと私は指摘し、党としてどういう態度を取るのか確認すべき、と助言した。少なくとも社民党は、政治主導なんて一部の国会議員だけで政策決定をするようなところではなく、党の政策審議会が存在し、合議で政策決定している党なんだから、党首のスタンドプレーかどうか整理させるのは有効だからだ。

2001年まで、社民党は保育所の規制緩和なんかすべきでない、という立場で取り組んでおられた。しかし、2001年参院選の社民党の保育政策では、一通り不合理な規制は緩和した後の実態も知らずに、保育所に関する規制緩和が必要、という言葉が出てくる。幹事長の福島氏が実権を握り始めた時期である。(このときの公約がインターネット上に跡形もないのがくやしい)。

当時の政審の担当者も関心は、八代尚宏氏が主張していた保育バウチャー制になりかねない、子ども手当の創設。悲しくなって、この問題は公明党か共産党と橋本派しか頼るところがないのか、と絶望したし、やはりマイナーな子どもの権利条約をきちんとさせようと運動に取り組む人たちも、同様の感覚になっていたことが記憶にある。

もはや社会民主主義を看板に掲げる政党が、社会民主主義にあまり見識も何もないことは百も承知していたが、しかし、彼らが理想を仮託するスウェーデンやノルウェーやデンマークをちょっと見学すればわかりそうなことすらわかっていないことに愕然としたものだ。

●同じことが民主党にも言えて、この頃の民主党は、前川リポート的な改革をできない自民党を批判する、というスタンスで新自由主義、規制緩和推進の権化のようなところがあった。そこに新保守主義の連中まで尻馬に乗って統一協会の差し金のような変てこりんな議連を作ったりしていた。小泉構造改革の毒と対決せざるを得なくなった04年参院選後ぐらいから、今の方向転換をする。

●こういうときに規制緩和派が引き合いに出す没論理に、NPOやボランティア団体が善意で保育を始めたときに、規制が厳しくていいのかという理屈。もちろんそうしたところに入ってもらいたいが、しかし最初は基準割れの保育環境であっても、徐々に軌道に乗ったり、行政の支援を得たところでも、保育所の最低基準をいつまでも守らないでやり続けようとすることはどうなのか、と思う。行政のお金を安全基準以下で事業して得るとするなら、悪徳委託業者との違いはわかりにくく、線引きは難しい。質の規制ではなく、事業者をカテゴリーわけして管理(同じ質の事業をしてもNPOは思い切り甘やかして、既得権益に守られた社会福祉法人は厳しくするような)するギョーカイ規制みたいなことをするしかなくなる。
また、具体的には、NPOやボランティアで問題解決を図れるのは、ゆとりある専業主婦が一定層いて、行政などが合理的に話せば通じるような一部の地域の話である。足立区や荒川区のような、そうでないところは、宗教的家父長制の中間組織による慈善事業の救いによる。代表的なものでは創価学会、九州ではカトリック頼みとなる。それも抜本的な待機児童問題の解決にはならない。
多様な保育の提供と、待機児童問題は別問題で、接着点は質の高い保育を保障するということでしかないように思う。

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11/2 いいことで賛成するけども、いま一歩

yahooが「選挙に関する情報源の拡大を求める署名」を集めている。

純民間が公共のとりわけ政治的なことに署名集めをしていることは画期的である。14年前にニフティーを使い始めたときには、政治的なことをしないこと、と規約にあり、政治的な話題をメールで送っただけで、信頼しているはずの友人から批判をくらった時代と隔世の感がある。

しかし、この署名も、どこかインターネット選挙だけ解禁してほしい、というニオイがプンプンしていて、ギョーカイ規制的発想というか、限界あるなぁと感じるところ。インターネットだけ解禁されたら、解禁したインターネットが適正に使われているか、選挙運動の表現の自由がインターネットの枠内におさまっているか、監視したくなるのが権力ってもの。

「インターネットがビラと同じ!?」というような質問や新聞記事のリンクが多くて、インターネットはビラ(のような穢れたもの)とは違います、と言いたげな感じが漂っていて、インターネットを解禁するかわりにビラなんかもっと規制しちゃって、なんて世論ができたりして、警察や保守勢力が泣いて喜びそうな結果にもなりかねない。
ツールをめぐって規制したり、緩和したりするのは、政治的自由に関する限り、ほんとうによろしくない。

ずっとここに書いているけども、政治活動の自由、とりわれ選挙運動の自由というのは、国民が権力を監視・規制するために必要なもので、規制してはいけないし、むしろ保護してもいいぐらいのもの。今みたいに何も言えない選挙で不信感丸出しで有権者が何も決定できず、困ったら行政訴訟頼みという政治構造は明らかにまずい。本当に困った人が問題解決されないのに、なりふり構わない訴訟魔みたいなのがオンブズマンとか言って大手を振って歩いている。

選挙運動の規制を取り払え、というのが民主主義の成熟のためにやるべきことだろう。
俗悪な選挙は、選挙運動の自由が徐々に選挙運動を洗練させていくことだろう。
お金のかかりすぎる選挙は、選挙運動資金や政治資金の規制でタガをはめるべきで、選挙運動の方法でタガをはめても、あのやり方は良くてあのやり方はダメということは、あまりにも煩瑣で、民主主義を歪めることになる。

とりあえず、何も解禁されないよりましなので賛成するけども、本当の自由のために、もっと、という気持ちがあることをyahooは忘れないでほしい。でないと、インターネット献金の手数料とか、インターネット選挙をめぐる広告料収入のためにやってんだと抵抗勢力扱いされても仕方がない。

●この点、戸別訪問やビラの規制まで取っ払えと言う小沢一郎の方がきちんとしている。選挙制度をきちんと学習している。

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