11/2 福島氏の保育所規制緩和のコメントに
昨日、福島みずほ少子化対策担当大臣が保育所を見学に行ったあとの記者会見で、保育所の質は守らなくてはならないが規制緩和も必要だ、というわけのわからない会見をしたことが職場で問題になっていた。
そんなことは今にはじまったことではないと私は指摘し、党としてどういう態度を取るのか確認すべき、と助言した。少なくとも社民党は、政治主導なんて一部の国会議員だけで政策決定をするようなところではなく、党の政策審議会が存在し、合議で政策決定している党なんだから、党首のスタンドプレーかどうか整理させるのは有効だからだ。
2001年まで、社民党は保育所の規制緩和なんかすべきでない、という立場で取り組んでおられた。しかし、2001年参院選の社民党の保育政策では、一通り不合理な規制は緩和した後の実態も知らずに、保育所に関する規制緩和が必要、という言葉が出てくる。幹事長の福島氏が実権を握り始めた時期である。(このときの公約がインターネット上に跡形もないのがくやしい)。
当時の政審の担当者も関心は、八代尚宏氏が主張していた保育バウチャー制になりかねない、子ども手当の創設。悲しくなって、この問題は公明党か共産党と橋本派しか頼るところがないのか、と絶望したし、やはりマイナーな子どもの権利条約をきちんとさせようと運動に取り組む人たちも、同様の感覚になっていたことが記憶にある。
もはや社会民主主義を看板に掲げる政党が、社会民主主義にあまり見識も何もないことは百も承知していたが、しかし、彼らが理想を仮託するスウェーデンやノルウェーやデンマークをちょっと見学すればわかりそうなことすらわかっていないことに愕然としたものだ。
●同じことが民主党にも言えて、この頃の民主党は、前川リポート的な改革をできない自民党を批判する、というスタンスで新自由主義、規制緩和推進の権化のようなところがあった。そこに新保守主義の連中まで尻馬に乗って統一協会の差し金のような変てこりんな議連を作ったりしていた。小泉構造改革の毒と対決せざるを得なくなった04年参院選後ぐらいから、今の方向転換をする。
●こういうときに規制緩和派が引き合いに出す没論理に、NPOやボランティア団体が善意で保育を始めたときに、規制が厳しくていいのかという理屈。もちろんそうしたところに入ってもらいたいが、しかし最初は基準割れの保育環境であっても、徐々に軌道に乗ったり、行政の支援を得たところでも、保育所の最低基準をいつまでも守らないでやり続けようとすることはどうなのか、と思う。行政のお金を安全基準以下で事業して得るとするなら、悪徳委託業者との違いはわかりにくく、線引きは難しい。質の規制ではなく、事業者をカテゴリーわけして管理(同じ質の事業をしてもNPOは思い切り甘やかして、既得権益に守られた社会福祉法人は厳しくするような)するギョーカイ規制みたいなことをするしかなくなる。
また、具体的には、NPOやボランティアで問題解決を図れるのは、ゆとりある専業主婦が一定層いて、行政などが合理的に話せば通じるような一部の地域の話である。足立区や荒川区のような、そうでないところは、宗教的家父長制の中間組織による慈善事業の救いによる。代表的なものでは創価学会、九州ではカトリック頼みとなる。それも抜本的な待機児童問題の解決にはならない。
多様な保育の提供と、待機児童問題は別問題で、接着点は質の高い保育を保障するということでしかないように思う。
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コメント
ボランティアは搾取の一形態。
フェミニズム方面では90年代半ばに既に看破されていたのだが。
投稿: o-tsuka | 2009.11.03 00:37