10/30 財政出動のないアイディアで2万5000人もの待機児童問題は解決しない
27日の長妻厚生労働大臣の記者会見が公表されている。保育所の規制緩和含みの分権については、逡巡する動きがあるようで、規制緩和含みの分権には慎重なコメントをされていた。とくに人員配置と、面積については、慎重にするようだ。
この会見で少しだけよかったと思うが、民主党政権では地方分権を推進する、そのやり玉として保育所の規制として挙げられているので、厚生労働省だけで何かするのは厳しいかもわからない。
●「空き教室の利用」「保育ママ」などの活用が待機児童問題に全然役に立っていないという会見の内容と、28日19時30分からの特報首都圏の待機児童問題の報道には、もっと耳を傾けるべきだろう。
特報首都圏では、「空き教室」が必要なところには無く保育所が増えていない、「保育ママ」も思うように確保できないどころか辞めていく人の対応すらできていない、という問題を取り上げていた。
中央区がマンションを建設する業者に保育所併設を求める条例を作ったことが紹介されていたが、本筋はこういうことでしか解決できない。
「空き教室の利用」は、東京の都心部のように都心回帰現象で小学生は少ないが保育所入所児童が増えているところではうまくいくのだろうが、江東区や朝霞市、和光市、さいたま市のような元から新住民が流入してさらに加速しているようなところでは、小学校も不足気味、幼稚園や保育園、学童保育に関しては完全に不足していて、空き教室の利用など夢のまた夢。
保育ママも担い手の不足が報道されていた。
保育ママに何もかも解決できる幻想を持つのは、自宅内での子育ての大変さをわからない人だろう。もちろん家庭的保育をやりたいという人を排除する必要はないが、それで2万5000人(認可外保育所に入っている人はカウントされていない)にも及ぶ待機児童問題を解決できることではない。
腹立つのは行政が保育士より低賃金でやらせようという魂胆が見え見えで、その発想が、やがてはアメリカのように外国人ベビーシッターにまで行くことは、介護労働者の確保の議論などにも見られる傾向だ。
保育ママは保育所とは全然別のニーズがそこにはあると捉えるべき。
いずれも目新しいツールに目を奪われて、起きている事態のそのものの姿を直視できていない。
待機児童問題の解決のためには、①退職して保育士をしていない有資格者を職場に呼び戻すこと、②そのための場所を用意すること、③そこに運営資金をきちんと流すことである。
具体的には認可外保育所すら入れない待機児童数2万5000人を、5人に1人の保育士で保育し、標準的な90人規模の保育所で整備していくとすれば、5000人の保育士の人件費を確保し、278施設を作ることになる。
この10年で増えた保育所の数が260施設というから、それ以上のものをわずか数年で確保しなければならない。
大都市部で1施設2億~3億の開設費用×278施設で550億~800億円、保育士の人件費400万円×5000人で毎年200億円を確保できるかどうかである。
●いろいろな面で東京23区の保育事情が特殊すぎるのに、しかし世の評論家みたいな人は東京23区に住んでそこの保育事情を一般的なものだと思って全国の制度をいじりたがるので、困った現象が起きてくる。
空き教室なんかもそうで、千代田区や港区、渋谷区にはいっぱいあるのだろうが、東京の周辺部の自治体のように、大量の待機児童問題に悩んでいる自治体にはそもそもない。
●空き教室の利用というのは素晴らしいことだが、それが全ての改革を推し進めるように思うのは、前川リポート・細川政権的行政改革の発想から一歩も出ていないように感じる。
●保育所のための財政出動が、経済の発展のために必要だ、ということをもっと認識してもらいたいところだ。
しかし財政悪化が人口流出となってしまう自治体と違って、思い切った財政出動は、国でしかできない。
保護者の人生の僅か数年を保育所がきちんとカバーすることで、夫婦の一方の離職、再就職による賃金低下と消費の抑制が回避できる。またひとり親家庭の生活保護からの自立も保育所のサービスがきちんと提供されることから始まる。
●家族の自立的責任を強調する自民党政権下で、厚生労働省もしんどかったのだろうが、やはり保育所の予算をきちんと確保する取り組みをせず、「自助・共助・公助」などと観念的な言葉で、福祉を必要とするのは自己責任であるかのような議論をふっかけて煙に巻いてきたことの弊害は大きい。
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