10/28 障害者雇用と労働者保護
EU労働法政策雑記帳というブログに興味深い記事が掲載されていた。
障害者の小規模作業所が企業の下請け作業をバリバリ受注して障害者をローコストで働かせてうまくやっている作業所リーダーの告白に、あるブログが問題意識を感じていて、それを引用した「EU労働法政策雑記帳」の主が、形式的に違法な状態で働いている派遣や請負労働者を規制する話ばかりで、労働者保護の観点での法整備を誰も言わないことの愚かしさを指摘している。
この事例に引用された障害者の就労・社会参加というのが本当にややこしい。
下半身だけ動かない身体障害者の場合、職場環境を整備してデスクワークすれば人並みに働ける、ということがあるのだろう。そういうレベルでのバリアフリー、ノーマライゼーション、障害者就労の推進というのは全く正しい。そして厚生労働省が推進している障害者就労支援センターを各市に作らせていることも、その流れの中で正しい。そしてそうした就労については、少なくとも労働基準法が適用されることになる(という簡単な現実ではなくて、実際にはパワーハラスメントや、自殺などさまざまな問題が起きている)。
そういうパラダイス的バリアフリーで語られる障害者就労も、一皮めくると、地域社会で、知的障害者や、重度の身体障害者やその家族と関わると、簡単には障害者就労ということに直結できない現実の壁にぶつかり、困惑している現実に出会い、重苦しくのしかかる。
パン屋さんの「スワン」や、別府市の「太陽の家」のように、大企業が効率性の追求にある程度目をつぶり、根気よく雇用の機会を創出する努力も見られるが、やはり現実はそんなに簡単にことは運ばない。昔住んでいた北海道なんて、建設業と炭鉱以外製造業がほとんどないから、激しいノーマライゼーションの運動があり社会資本などは進歩的なのに、ほんとうに障害者の就労は厳しい。
しかし、だからと言って、それを与えられる福祉漬けにして何も能動的な力を引き出さないのも、人権問題である上、本人の能力の退化など、本人や家族をめぐる状況をさらに悪化させてしまう問題もあったりして、社会参加として位置づけリハビリ的観点で利用者やその家族などの共同運営で小規模作業所が作られ、就労とは別世界を形成してきている。最低賃金にはならない、そんなことをみんな百も諒解して、維持し見守っている。
しかしそれも、紹介されて元ネタのような話になってくると、月6万で障害者をこき使って、となれば、また労働を労働としないで労働基準法などを適用させずに労働力をうまく利用しようとする、一部のNPO労働や協同労働を推進する有名人たちの顔がちらちらしてくる。
また、地域福祉の委員会の席などで健常者の障害者運動家に「障害者就労には最低賃金を適用しないとか、労働基準法を適用しない仕組み」などと軽く言われたりすると、今の制度がまさにそうなっているのに障害者にあてこすって「労基法は労働者を保護し過ぎなんだ」と言いたい行間を読みとってしまって不愉快になる。また、障害者を働くということを何だと思っているんだ、と毒づきたくなる。
社会的に肩身の狭い思いをさせられている人たちは、ひどい労働でも我慢して続けてしまうし、声も挙げられなくさせられてしまうことが多い。そういうときにはポジティブな新しい概念をいろいろ持ち出されてやられる。期間工が「多様な就労が可能」な派遣に置き換えられて、ひどい扱いを受けているように。
そんなことをいろいろ思い返すところ。
●障害者就労というのはめざすべき方向なのだけども、しかし、労働者の人権という観点が全くないで推進されている障害者就労支援という施策に、少し危うさを感じている。生産性や効率性の壁から、障害者を雇ってやっている、という経営者たちの感覚はどうしてもぬぐえない。その中で、どこまで障害者の側に立って、就労した後の職場の問題をどうフォローし、どう解決していくのか、そういう理念を持って設立された自治体の就労支援センターは少ない。ノーマライゼーションや障害者の人権というものを地域で具現化していくような福祉施策を採ってきた自治体しかできないと思う。
就労した障害者の数や、嫌々我慢して働いている障害者が今の境遇の恵みに感謝し仕事さえしてくれればいい、という観点だけで運営されたら、下手すると奴隷売買に近い最悪のタイプの就労支援センターになりかねない。
障害者自立支援法のもとでの障害者就労支援という考え方は、既存の福祉を犠牲にして推進された政策だけに、いろいろ考えてしまうところが多い。
●「EU労働法政策雑記帳」で時々引用していただいて光栄でありがたいと思っているのですが、社名付の紹介はちょっとなぁと。
社の理念に共鳴して働いているものの、すべてが社の方針に照合してこのブログを書いているわけではなく私的な考え方のレベルなので。
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コメント
議論を展開していただきありがとうございます。
「社名付き」の件、わたくしがなにかにつけて「社名付き」で批判されているため(笑)、つい軽率に付けてしまいました。申し訳ありません。
ただ、某所で並べられていたように、黒川さんのブログが、「労働側」の個人ベースの一つの発信となっていることは間違いないと思いますし、その意味でもっと多くの人々に読んでもらいたいと思っておりますので、そういう文脈では引き続き積極的に引用させていただきたいなと思っております。
投稿: hamachan | 2009.10.29 08:25
あんまり恐縮なさらないでください。
おっしゃっていただいたこと、そのままだと思います。いつも注目していたただいてありがとうございます。
ただ、この9月から自治体の臨時・非常勤職員の担当から外れて、なかなか労働の話題をうまく書こうとする動機付けが生まれる機会が少なくなっている状況です。
投稿: 管理人 | 2009.10.30 00:13
逆に左翼系の団体だと、障害者がやりたい放題になって援助者バーンアウト、みたいな話も何度か聞いてます。
投稿: o-tsuka | 2009.10.30 10:18
本当にややこしいです。
これといった最終的な到達点が見えませんから。
自立支援法が「三障害一緒」を掲げたことから、例えば地方公共団体法定雇用率は車椅子の方や聴覚障害の方で知的には全く健常者と変わらない方を雇用して達成されています。
法定雇用率は、持っている手帳で、身体とそれ以外の障害とを分けて定めるべきだと思います。
一般企業への就職が進まないのは、働くこと以外の障害者に必要な全般的な生活支援が追いつかないからだと思います。
しかし、工賃アップの掛け声のもと「外に出る」という言い方で生産ラインを請け負うのは私も反対です。
授産施設や作業所の役割は、生産ラインで働ける技術や生活習慣や労働意欲を身に付けた人を、施設から企業にきちんとした労働条件で就職させることであり、ラインごと送りこんで「工賃アップしてよかったね」と言うのは違うと思います。
工賃アップの取りくみは最近多く聞かれますが、それは何の努力も工夫もない作業所に対しては有効ですが、健常者と障害者の作業効率に差があるのは事実。
そこのところを置いて数字ばかりの達成をめざすと、皆さまが書かれたように、追い詰められて鬱状態になったり在宅で引きこもってしまった例もたくさんあります。
商業ベースの話し合いの場で、私たちが言われることは「障害者といえども商売に甘えは許されない」「やるなら利益を出さなくてはならない」「店舗をだすなら営業時間はまわりの店と同じにしなくてはならない」等々。
もちろんその通りですが、健常者と同じ条件で同じ効率をあげて仕事をこなすことは不可能です。
施設運営と店舗経営との違いを甘えとしか理解されない現実に直面し、「福祉的」という言葉に甘えずなんとか双方の溝を埋めて、障がい者がその人らしい働き方が出来る場ができないものか・・と強く願っています。
投稿: m | 2009.10.30 16:42
何かよく分からないんですけど、就労【移行】支援事業所ってことみたいですよ
http://www.wam.go.jp/ca30/shuroshien/detail/c02/200906_02/200906_02.html
投稿: hihi | 2009.11.01 18:12
引用です
>現在の活動スタイルは、法律上の制約があるためミルボンの社員から仕事上の指示を受けたり、一緒に働いたりすることはありません。
>取材で訪れた日も、工場のラインでパート職員と利用者が一緒に作業をするのはもちろん、一緒に休憩をとり、楽しそうに会話しながら食事を取っていました。http://www.wam.go.jp/ca30/shuroshien/detail/c02/200906_02/200906_02.html
投稿: hihi | 2009.11.01 21:55
o-tsukaさま
「障害者がやりたい放題」という言葉にひっかかりを感じます。差別をなくしていく果てには、障害者が障害のない人と同等にやりたい放題の自由な社会を作る必要があります。
問題は、支える側にそれを保障するだけの人材もカネもないことです。憲法第13条、25条の具現化は道通しです。
mさま
mさまがチャレンジし続けては、壁にぶつかっていることがいつも頭に離れません。そのことで、知人のブログに反応して書きました。
また、自分が労働基本権なしに働けと言われたらどんな気持ちだろうかと思うとぞっとします。同様の境遇のもとやっと救ってくれた場所だと精神的従属した人たちに囲まれて、多少の人権侵害が職場で起こっても何も言えない、監督官庁に相談に行っても取り合ってもらえない(と思いこまされる)、就労支援センターに行けば、甘えているんじゃないですか、とやんわり言われたりする、そんな環境におかれて、働かなければ社会や家族のお荷物なんだと思っていたら、しんどいことです。
三障害については若干意見が異なりますが(身体障害であれ重度は重度であろうということと、今のように種別や級数だけで分類してサービスを決めるようなおおざっぱなやり方ではなくて、個々の機能障害にあわせたケアやサポートをマネジメントする仕組みが必要という意味で)、結論は一緒です。
hihiさま
実態が労働者なのに、タテマエの話や身分をもってきて労働者と扱わずに権利を認めないということは自由な社会のルールにない、と言っていることに何か問題がありますか。
作業所の個々の努力の事例が悪いとかいいとかではありません。ノーマライゼーションのために、厳密に労働か福祉かを線引きすることは不可能ですし、不毛ですから、こうした努力は利用者の人権が保障されている範囲でおおいにされたらいいと思うのです。
しかし、障害者でない人並みの生産性に追いつく働き方を「利用者」に求めているなら、福祉の世界で「利用者」だったとしても、休日を守らせたり、中間搾取を禁止したりする労基法が適用されるのは当たり前なんじゃないですか、ということです。もちろんその場合の雇用主とみなされるのは福祉作業所になります。
※また、請負は請負でも意味が違うことについては、元ネタのhamachan氏が指摘されておられます。
投稿: 管理人 | 2009.11.02 00:54
障害者の作業所や継続就労施設での労働の労働者性については、ぼくも自分用のメモを残しています。
http://tu-ta.at.webry.info/200810/article_11.html
引用ばかりでわかりにくいと思いますが、結語部分は明快なはずです。
ここにも引用させてもらいます。
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作業所であれ、B型であれ、働いているのに、労働者として認められず、労働者としての権利が保障されないことが大きな問題なのだ。
そこでは失業保険も労働災害補償も基本的にはない。労働者の団結権も団体交渉権もない。
彼女や彼を労働者として認てしまえば、このように逆転した話は起こらない。
そう、彼らの労働で作業所が生活するに足る賃金を払えないとすれば、その不足分を公的に保障すればいい。そこで、生活できる賃金が支給されるのであれば、年金制度のほうを見直すことも可能なのではないか。
そのことで解消できる問題は少なくない思う
働いているのだから、労働者として認めること!
そこから始めるべきだという主張はぼくにはあたりまえのことだと思われる。
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投稿: tu-ta | 2009.11.03 15:07
一部の悪質な障害者が活動家のナイーブさにつけこんで障害のない人なら到底許されないやりたい放題をしている現実を言っています。
具体的には賃金未払い、セクハラ、暴言妄言等々。
こんな潰し合いは実に不毛であり、家族や一部の活動家の行動ではなく、障害者福祉の社会化が望まれます。
「作業所であれ、B型であれ、働いているのに、労働者として認められず、労働者としての権利が保障されないことが大きな問題なのだ」、まったく同感です。
投稿: o-tsuka | 2009.11.06 12:14