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2009.10.13

10/13 浅沼稲次郎氏の語られ方

9日は浅沼稲次郎の命日。
刺殺されたリーダーというのは、相当に英雄となって祀られることになる。それ自体はいい。

浅沼氏を持ち上げる人たちが、本当に浅沼氏のことを理解しているのか、疑問に感じることがある。中国訪問での米帝は日中共同の敵という発言と、その後の右翼少年による刺殺された歴史だけを持ち上げて平和のシンボルのように語られているきらいがある。

浅沼氏が所属した河上派というのは、戦前から1950年代にかけては、西欧社民と、マルキストの中間に位置した社会主義運動の中間派。モデルとする社会主義像がなかったために、その独特な立ち位置から、民族主義と労働者や農民の救済を結びつけるようになった。1930年代末になると近衛文麿や軍部と結びつき、新体制運動を推進し、大政翼賛会に最も最初になだれこんだグループである。
彼ら河上派のグループは、理想と思想で新体制運動に合流したが、現実は官憲の選挙干渉を恐れる俗物保守政治家がなだれをうって入党し、聖戦だの神国だの民族主義をがなり立てているだけの大政翼賛会の現実の姿や、労働者農民の解放を信じて推進した第二次世界大戦が思うように展開しない現実に苦悩し、戦後を反省で過ごしたが、しかし新体制運動などに溶け込んだところに、社会党左派的な、原理原則的な平和もクソもあるか、と思うところもある。

一方、最右派だった西尾派は、理想は日本型社会主義とかわけのわからないものではなくて西欧社民。大政翼賛会に参加せず、官憲の選挙干渉を乗り越えて議員として生き残り、戦後の民主化に照準をあわせて力を蓄えたり、非翼賛議員との交流を進めて東郷内閣打倒への運動を密かに進めていた歴史はもっと知られていない。
80年代、日本共産党が全国各地で配布されるビラ(中学生のみぎりたまたま大分県の某市に帰省していたときの市議選で配られたビラにまで)で、社会党は戦前の戦争協力者が作った政党だと、半分の事実を隠して口汚く罵っていたことなんかもあって、ちょっとかじった人にはもっと誤解されている現実もある。

社会党右派や中間派に関する歴史が口伝で継承されていった結果朽ち果てつつあり、きちんと検証されておらず(Wikipediaなんかはこのあたり本当に思いこみや誤解、先入観が多く入っておりお粗末)、礼賛されるべきでない人が礼賛されていたり、もっと評価されるべき過去がまったく無視されていたりすることに悲しくなる。

●もちろん、調べれば調べるほど、浅沼稲次郎氏の人格は高潔であり、世のため人のために尽くした人であることは間違いないということを言い添えておきたい。米帝がどうだ、平和主義がどうだ、そういうことではなくて、私はそうした面で浅沼氏をとてもとても尊敬している。

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