10/11 社会民主主義と環境問題の不親和
環境問題に続いて。
●日本では環境・人権・フェミニズム・多文化共生=社民党の土井・福島・辻元みたいなイメージが作られているので何の疑問も生じないが、本来の社会民主主義にとって、環境問題は不得手な分野である。
(福祉なのか土木建築なのかはお国柄だが)ケインズ主義などの経済政策を採用し、安定した中間層を厚くして有効需要を創出し、その税収確保によって、手厚い福祉を施策化し、社会主義のめざす価値を実現していくというもの。
自民党田中派は保守勢力に依拠していたために、同様の施策を採っても土建業を通じて有効需要を発生させ、土建業をはじめとした企業への優遇措置を通じて福祉を実現するという歪んだ形をとったが、無産者(労働者)、労働組合を基盤とすれば、これが貧困対策や資産家ではない者にとっての福祉政策となる(もちろん汚職体質などは政策の受益者の支払能力の関係から田中派と社民主義では雲泥の違いがある)。
したがって、社会民主主義は今日日本社会で問題になっている貧困や福祉は得意分野になるが、環境問題については、むしろその社民主義システムの阻害要因になりかねないところもある。その本質に気づいて、左派なり社民党支持をやっている人は少ない。
●広く社会主義と捉えると、環境問題もやりようがあるようだ。
右翼(社会主義者の一派)の故・赤尾敏みたいに不動産業者を否定して公地公民制に戻せ、という主張まですれば、社会主義でも環境問題にアグレッシブに関われるという面もある。農本主義的社会主義思想の強さはそこにある。
朝霞基地跡地の利用計画の問題にしても、そもそもすべての土地に販売する価値があり、不動産業者が多すぎて儲かる仕組みがあるために、空いている土地は利用しなければならないという脅迫観念に取り憑かれていることにも問題がある。
南方熊楠ではないが、大昔のように、神聖な土地である、侵すべきではない土地である、などという価値を持つことが有益なこともあるのかも知れない。東京都内で環境がきちんと守られ、開発される心配が最もない場所が江戸城・皇居であるように。
しかし皇居の論理を、一般の市民社会にまで広げると、これはこれで相当窮屈な社会になるということも考えておかなければならない。
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