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2009.09.18

9/17 私の保育政策の考え方に対する多大な誤解

私が朝霞市の保育制度の充実がなっていないと何度も言ったり書いたりしていることに対して、仲間とも言える市議から、とんでもないレッテルのような批判を、某ブログでいただいていることがわかった。
その内容はあまりにも下品なので公開するのもはばかるが、共働き家庭に対して、シングルマザーの家庭を対置して、恵まれているのに何贅沢言っているんだ、というような理屈であった。

どうもこの朝霞市というところでは、共働き家庭というのは恵まれていて、保育料払えるから保育所をいいように利用できて、特権階級だという言説がはびこっているみたいだ。以前、専業主婦の人に言われたことがある。2人とも公務員、2人とも大企業正社員みたいなパターンを想像しているのだろう。それとて、批判されるような筋合いではない。仕事を辞めればいいのか。それもおかしな話だろう。
結婚した双方がどうして働いてはいけないのか。憲法は両性の合意で結婚することになっている。13条には自由権がある。25条には健康で文化的な生活を送る権利が保障されるべきと書いている。

私は夫婦とも正社員の家庭の利害を代表して保育所制度を充実せよ、などと言っているつもりはない。家庭と子どものあるべき姿のバランスからいうと、朝霞市が今子育て支援としてやっている施策はとんちんかんでアンバランスなんじゃないですか、ということを言っている。待機児童問題(無認可保育所任せ)、夜働いている人の家の保育問題(無認可保育所任せ、深夜になれば都内の無認可保育所任せ)、病児病後児の保育(お手上げ)、障害児の保育(サービスがあるが利用抑制)、学童保育(すし詰め保育)、子育てできない保護者の子の養育(県任せ)、児童虐待発生後の子どもの保護(県任せ)、そうしたことが、誰か任せで、市の主体的な施策として全く対応されていない。
児童福祉の理念にもとづき必要なセーフティーネットが整備されるべきなのに、ほとんど機能していない惨憺たる状況の児童福祉行政に対して、子育て支援センターと児童館だけが乱造されている状況を批判し続けている。専業主婦にそこまで施設を作ってやらなければ、彼らは絶対的に困るものなんですか、もっと深刻な事態を抱えている人たちがいるんではないですか、と。

私がそういうことを言い続けてきたことは、前掲の市議さんの「夜働いて」という人のことを考えていることと同じだと思うが、そういう最も貧困な状態で何とかやっている人たちよりたまたま私が恵まれている(といっても私がたまたま正社員的な賃金をもらっている程度、家族はみんな時間給)ため、そんな言説で敵視されたのでは、やっていられない。

私が保育を考える最も基本的なところは、子は親を選べない、そのもとでどうしたら子どもが不幸を抱えないでいける社会にしていくか、ということである。だからどんな親のもとに産まれた子どもでも、少しでも多くの時間幸せに過ごせるようになるべきだと思う。

個々の親に対して、しっかりしろ、という倫理を求めるのは構わないが、それが政策の基本的なスタンスになって、しっかりできない、しっかりしない親の子どもがひどいめにあっていることを放置しているような自治体であってはならないと思っている。
せめて保育所にいる時間、保育士に愛され自立に向けた支援を受けたら、何の希望もないよりいいだろう。
自分の親でなくても、近所や周囲のおとなたち、友だちに大切にされたなら、何も希望がないよりどんなにいいことだろう。
やがておとなになって自分で自分の生活を切り盛りできるようなったら、少なかったとしても受けられた愛情、保護されたところから人を恨まず生きていくことを見いだしていくことだろう。

そういうことを、私はいろんなところで「24時間365日子どもは誰かに愛されている社会」という言葉にしている。

だから延長保育が子どもにとってよくない、とか、夜間保育は子どもの脳をおかしくする、などという言葉は、私にはまゆつば、どうしようもないレッテルだと思っている。

残念ながら私も、そして世間の働いている多くの人は、夜開いているコンビニやスーパーを使ってしまう。同僚との意見交換が続いたり、来客の接待で帰宅が遅くなり深夜の東上線で帰宅することがある。もちろん毎日の東上線の帰宅時間は、普通の会社なら残業時間となっている時間である。こうした鉄道会社の従業員は深夜労働である。その家庭の子育てはどうなっているか、と考えてしまう。配偶者が看護師などの深夜労働が避けられない人だと、確実に今の保育ではショートするだろう。

その時間に使う自分があって、そこに働く人がいて、夜は子どものためにならないから働くな、などと言って、現実を考えようともしない姿勢はおよそ身勝手な論理だと思っている。

子育て政策の基本的な立場を全面展開してしまったが、そんなふうに考えて、政策に意見を言っている。その考え方を共有できて、必ず前進していれば、どんなに稚拙な政策展開であっても、暖かく見守ることができるだろう。

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コメント

今日、25日、読売新聞朝刊に、気鋭の目・民主政権⑥として、渡辺靖氏(慶應大教授・文化人類学)の「広義の文化政策 不可欠な軸」に繋がる意見だと思います。
日本の文化政策がお粗末なのは、前から周知の事。せっかく政権が交代したのだから、次世代の文化発信・交流や知的財産権のあり方にも言及してほしかったと。本当に広義の文化政策が無い限り、今の子どもたちの生活環境は改善されない。それは経済政策と同じレベルの話しであり、切っても切れない事である。人権意識の低さが、そこをクリアできない最大の課題だと言っている方もいます。学識経験者と政治家が、この課題について、語れる場が作れるだろうか?文化人の存在意義も大きいはずです。

投稿: 村瀬栄子 | 2009.09.25 20:49

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