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2009.05.27

5/27 選挙カーは連呼しなければならない公選法規定を保坂代議士が発見

社民党の保坂展人代議士がブログで、公職選挙法が、走行中の選挙カーで名前の連呼をしなければならないことにしていることを初めて発見したみたいで、驚いておられる。今さら、と思うが、もっと驚いてほしい。

保坂氏のブログで紹介している選挙カーの連呼に関するブログ記事

私は15年以上も前にそのことを知って、選挙をバカにしている法律だと思った。政治家になる人にバカみたいな作法を強い、自尊心の高い人には挑戦させないようにして優秀な人が政治家になりにくくしている日本の公職選挙法の本質を見たように記憶している。
後日、杣正夫の「日本選挙制度史」で、普通選挙の導入時に戦前の官僚が政治家の力が強くなることを警戒して、世論を誘導して厳しい選挙運動規制を始めたのがルーツだとわかった。そしてファシズムの進展とともに、選挙粛正同盟という団体が選挙規制をどんどん強化する。やがては選挙粛正同盟が大政翼賛会に化ける。

選挙規制が強ければ強いほど、選挙運動が綺麗になると誤解している人も多い。戦前の内務官僚はそこに目をつけた。表で自由な選挙ができないから、官僚が管理し政治家に割り当てる業界団体をベースにしないと選挙が当選できないことになった。そのための舞台装置が中選挙区制である。同じ政党どうしで競争させ、支持団体ごとに棲み分けをさせる。そのことで、政治家は業界団体に顔がきく官僚に頭が上がらないようにしつけられてきた。

選挙の規制で必要なことは公正な選挙が行われる最低限のものでよい。買収とか脅迫とか選挙妨害と、選挙資金の上限だけ定めればいいと思う。あとは、その中で最も有効で、できるだけ嫌われない方法を候補者は自然に選ぶようになる。
選挙になると、候補者名の連呼と電話ばっかりかかってくる、というのは、選挙規制でそれしかやってはならないからだ。アメリカのようにテレビCMにジャンジャンお金をかける社会もどうかとは思うが、選挙期間中に候補者の主張が入ったガリ版刷りのチラシすらまともに配布できない選挙制度というのはどうしたものかと思う。言論で選挙をできないようにしている。
この規制だらけの公職選挙法のひどくマニアックな運動に対する規制がよっぽど憲法の根幹にかかわる問題で、世襲禁止が憲法違反などと言葉遊びしている状況ではないのだ。

●政治家が自分たちの権利の主張をすることについてはばかられるような風潮があるが、良い仕事をする人のための権利は、お手盛りでもどんどん主張してもらいたい。政治家の質を高めるためには、選挙運動の不合理な規制を緩和することは重要なことだと思う。保坂代議士にはこうした気づきの後に、選挙規制の緩和に尽力していただいて、優秀な人がどんどん政治家になるような社会にしてくれることを期待する。人気取りが大切な二大政党の政治家ではなかなか言い出せないことだと思うから。

〈追記〉現在の公職選挙法は1950年制定になっているが、その原型は193325年に作られた普通選挙法。当初は買収防止という観点から戸別訪問などの禁止が盛り込まれる。やがて二大政党の対立をよく咀嚼できない国民相手に政党間の泥仕合がよろしくないという論点で選挙粛正運動が展開され1939年に改正され規制には、文書図画規制が大幅に入り今の内容とほぼ同じになる。1945年にGHQの戦後改革の一環として選挙運動規制は大幅緩和されるが、1950年に自治体の選挙も含めての選挙ルールとして公職選挙法が制定され、再び戦前の規制が復活した経緯をたどっている。

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コメント

> 再び戦前の規制が復活した経緯をたどっている。

 ブログ主はこのように指摘しておられますし、規制当局の法解釈が恣意的であることについても危惧を感じていますが、「規制が復活した」と断言してしまうのには同意できません。木を見て森を見ない議論に思えますし、そのような解釈をしていくと自らの手足を過剰に自縄自縛することにもなり兼ねません。
 旧憲法下では「臣民の権利」は法律の留保により理論的にはいくらでも制約し得たのですが、減俸憲法下では基本的人権が公共の福祉に反しない限りにおいて保障されています。この基本的人権には、政治活動の自由も含まれることは云うまでもありません。
 選挙時の政治活動においても、この政治活動の自由が保障されます。実際、個人の政治活動は選挙時においても、選挙運動にわたらず、候補者名や類推事項の表示が無ければ、全くの自由であることは、各種解説書にも示されています。
 一般的な解釈としては、「政治活動」のうち「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」が「選挙運動」とされています。そして、「選挙運動」に関してのみ、「選挙の公正」と云う公共の福祉の実現のために公選法が規制の対象としています。
 公務員の場合、勤務時間中においては職務専念義務が課されますが、公職の候補者は選挙期間中、選挙運動に専念する義務は課されていません。当然、選挙運動に渡らない政治活動を候補者が行うことは禁じられてはいません。
 ブログ主の解釈は、選挙期間中に候補者・運動員・支持者により行われる政治活動を全て「選挙運動」と見做してしまっているのではないでしょうか。
 公選法201条の5以下にあるように、選挙期間中においても選挙運動にわたらない政治活動は存在します。かつ同条以下で規制された政治活動以外の政治活動は、候補者・運動員・支持者であっても自由に行えるとするのが、現行憲法に則った考え方なのではないでしょうか。

投稿: たかぎ | 2009.05.28 22:29

保坂さんのブログを読んでここに来ました。保坂さんのところは目下コメントできないのでここに書いておきます。
私は中途失聴の聴覚障害者で、つまり手話は不得手で文字に頼るほうですが(こみいった話だと聴覚障害者の8割程度がそう)、常に参政権を侵されています。まず政見放送に部分的だが手話通訳はあるが字幕は原則禁止。さらに、候補者の生の演説は手話通訳するのは自由ですが、筆記して聞こえない者に見せるのは禁止だそうです。これは保坂さんが書いたパワーポイントを禁止する条文にもかかわりがあるかもしれませんが、私の聞いたところでは「法定外文書の配布」に当たるということです。シュールという言葉が出ていましたが、メモして教えるのも禁止とはそれこそシュールというか、不条理な規制だと思われませんか?
裁判員制度でも手話による模擬裁判は十数回行われていますが、筆記によるものを最高裁はやっていません。手話を解さない聴覚障害者がもし裁判員候補になれば、裁判所が何のかのと言って辞退させるという危惧が大です(私のブログをお読みください)。

投稿: jsds001 | 2009.05.30 10:48

>>たかぎさま
規制が復活したというのが現実であるし、政治活動の自由と言ってもそれがきちんとした内実があるとは思えません。選挙期間中に、候補者名も政党名を挙げずに、いくら良いこと言っても、あまり意味がないのではないでしょうか。
憲法が変わったから法律も違う、と言っても、やはり内容は同じで、そこのところを憲法の理念に合わせて修正していくことが必要です。
刑法、民法、商法なども、戦前の法律のままです。これらの法律も、憲法が変わったから直ちに存在根拠も内実が変わったのではなくて、戦前の法律のままのものをGHQの指示や、自主的な改正、憲法判断にもとづく改正などを経て、現憲法の理念に少しずつ近づけてきたと考えるべきではないかと思います。
いずれにしても、ブログやホームページで応援したい政治家を素直に応援できるような世の中になってもらいたいものですね。

jsds001さま
視覚や聴覚、知的障害者に対して、選挙のバリアフリーがどの程度のものか、北海道で政治と関わりの深い障害者運動のみなさんと接して、見て聞いてきました。
手話通訳を入れているんだからいいだろ、みたいな話ですよね。私もそれがおかしいと思っています。
さらに会議で手話通訳を頼んだことがあるのですが、単に当日そこに来てやってくれでは済まず、事前に何が話されるのか予備情報を入れなければなりません。選挙の演説の通訳というのは、当日にならないと集まってこない弁士が何を話すか、全然予想もつかないわけで、手話通訳者にとって高度な業務ではないかと思うのです。
そういうことは、障害者も1人の有権者としての基本的人権があるという考え方をもって、単なる選挙規制を上回る価値があることだという認識が必要だと思うのです。そうすれば、文書図画規制だの、無意味な規制のもとでも、選管や警察は最低限、人権保障のためにやってよいことがあるとすることはできるはずですよね。
本当に、日本の選挙って、マッチョな人のためにしか制度ができていないことが嘆かわしいことですね。

投稿: 管理人 | 2009.05.30 16:15

ブログ主 殿

 コメントありがとうございます。

> 規制が復活したというのが現実であるし、政治活動の自由と言ってもそれがきちんとした内実があるとは思えません。選挙期間中に、候補者名も政党名を挙げずに、いくら良いこと言っても、あまり意味がないのではないでしょうか。

 「あまり意味がない」とは、思えません。
 例えば、政令市以外の市議選の場合、候補者が後援団体以外の政党・政治団体のビラを街頭で配付することは可能です。さらに、無所属の候補者が「私の政策」と云う題名のビラを同様に配布することも可能です。(いずれも東京都選管に確認済み)
 なぜなら、政令市以外の市議選では、投票依頼に及ばない政治活動は全く規制されていないためです。

 「選挙カーの走行中に許されているのは連呼だけ」と云う当初の問題ですが、公選法第141条の3は「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。」としており、政治活動については言及していません。また、選挙期間中の政治活動について規制する同法第201条の5以下でも、選挙カーについて明示して規制の対象にしていません。
 そうだとするならば、選挙カーの上で行われる選挙運動にわたらない政治活動については、憲法の政治活動の自由に立ち返って解釈すべきなのではないでしょうか。
 具体的に書くならば、
「私は、○○法に賛成しました。」
「私は、○○政策を推進します。」
と訴えるだけならば、間接的にも投票依頼に及んでいません。政治活動の領域にある発言です。仮にこの種の発言まで選挙運動の領域に含まれるとするならば、選挙期間前にこの種の発言をしたら、事前運動となってしまいます。

 ブログ主殿に比べれば不勉強な点は多々あるかも知れません。その点は、是非ご指摘ください。
 ただ、私は上述のような解釈により選挙に携わってきましたし、ウグイス原稿を作成してきました。仮に違反であるとするならば、共犯になるでしょう。
 もちろん、公選法についてはきちんと有権解釈を踏まえていかないと思わぬところで摘発や警告を受けてしまいますが、だからと云って有権解釈を絶対視したり、有権解釈しか解釈が成り立たないような言い方をしてしまうと、結果的に行き過ぎた自縄自縛をしてしまうのではないでしょうか?
 今までやってきたことと、有権解釈が矛盾していたとしたら、前者だけでなく後者も疑ってみることが大切だと考えます。

投稿: たかぎ | 2009.05.31 23:07

たかぎさま

ありがとうございます。おっしゃる通りだと思いますが、政治活動の自由の原則がありながら、特別法として上から規制だらけで縛る公選法の本質を指摘することに余りはないと思います。ソマ正夫さんの著書でも解明されていることです。
政治活動の自由といいう権利を主張しても天井はあるわけでしょ。ビラで言えば、公選法のマニアックな規制をくぐりぬけたビラを作ったって、配布したって、原則自由の選挙に比べて、国民主権の目的が果たせるのですか、ということです。有権者はどうして素直に名前が出ていないんだろう、と思いうところでしょう。

やれる方法があるからやれるということは、現場の、法律の利害関係者の技術論であるし、選挙に慣れた人はそうすればいいと思いますが、一般の運動員によく咀嚼できない考え方でできるできないを教えてはとても危険です。
そしてできるできないということと、そもそもの法律のつくりに問題があるということとは別問題だと思います。歴史の流れから、戦前の規制だらけの議員選挙法とほぼ同内容のものを出してきて、憲法が違うんだからいいんだ、という話にはならないと思います。

法律が複雑すぎて、たかぎさんのように詳細に理解していないと選挙に参加するのも塀の上を歩くようなおっかない状態であるということ自体が、政治業界人の妙なかたちでのプロ化をもたらし、私は問題だと考えています。選挙規制の内容なんか、一般市民との共通言語にならないでしょう。
インターネットにしても、徒歩街宣にしても、これいいな、と思う運動をやろうとすると全て公選法の壁が立ちはだかって、結局、うぐいすを雇って、電話線を引いてというステロタイプの選挙をやらなければ、禁止行為に抵触するかできる手段を制限されて不利になるようにできています。

本来的に規制されているものを、あまりにも現実離れした規制だから警察等にずっとお目こぼしをしてもらいながら、最近、再び裁量で再規制されていることもあります。
近年で言えば候補者名ののぼり旗が実質解禁されていたものが、規制され始めていることも気になります。あれは選挙カーを使わない街頭宣伝をする人に不利になりました。

国民主権を貫徹させるためには、政治活動の自由という憲法の原則をきちんと保障する公選法でなければならず、それは選挙のやり方について公選法制定以前の戦後つかの間の選挙ルールに戻すことから始まるんじゃないかと思います。

投稿: 管理人 | 2009.06.01 00:26

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