4/5 五十嵐敬喜さんの講演
市内で開かれた法政大学教授で、民主党菅さんのブレーン、五十嵐敬喜さんの講演会を聴きに行く。75人が参加し、会場はほぼ満員の状態。
神奈川県真鶴町のまちづくりの「美の条例」を題材に、朝霞市のまちづくりに何が欠けているのか、何が課題なのか、浮き彫りにしていただいた。
朝霞市のまちづくり関連の「緑」「うるおい」「やすらぎ」「にぎわい」など美しくて抽象的な言葉が踊っていて、現実と遊離している、という話に、非常な説得力があって、会場から大きな失笑が漏れていた。その遊離したところを取り戻すことをしなければ、とおっしゃっていた。
真鶴町では、海外の美しい街を視察した住民に、真鶴のいいところを地図落とししてもらって、それを重ね合わせて、何がよいのか挙げてもらった資料を作っていた。そして、80~90%の人が同じところを挙げ、そういうところを守り、イキイキとさせていくためのセオリーをまとめていった。その基準を「場所」「格付け」「尺度」「調和」「材料」「装飾と芸術」「コミュニティー」「眺め」という8つの判断で、住民が共通の価値で議論し、会わない建築物については、審査会、町議会で審査していく、というもの。
「尺度」では「すべての物の基準は人間である。建築はまず、人間の大きさと調和した比率を持ち、次に周囲の建物を尊重しなければならない」としている。
「コミュニティー」では、「建築は人々のコミュニティーを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティーを守り育てる権利と義務を有する」としている。
法律的には抽象的な表現だが、書かれている中身は具体的そのものである。
そして具体的にまちの大切な場所のキーワードとして、「聖なる所」「静かな背戸(山を背景にした曲がりくねった細い道)」「お年寄り」「夜光虫」などの言葉が挙げられ、それらがどのような価値を持ち、どのように守るのか書かれている。
「〈キーワード〉お年寄り〈前提条件〉お年寄りはお年寄りを必要とするが、同時に若者も必要である。また、若者もお年寄りとの接触を必要としている。車通りが激しく、休む場のない長い道や坂は、体力のないお年寄りにとって外出するチャンスを奪ってしまう〈解決法〉お年寄りが散歩するための敷地内歩行路、小広場、それが不可能ならば、ぬれえん、ベンチ、雨宿り場又は木立の日影でも良い。建築の一部にお年寄りのためのシェルターを創ること」といった感覚でまちづくりのルールを決めている。
五十嵐さんが「コミュニティーがあっても公園ばかりあってもまちは死んでしまう。公園がなくてコミュニティーがあれば人間は何とか生きていける」という話にとても動かされたように思う。
全国の古い都市を守ろうとしている住民運動にとってとても参考になっていると思う。
●真鶴の活き活きとしたまちづくりの条例と、朝霞市の空虚な言葉にちりばめられた数々のまちづくり関連の計画を比べると、作る過程でヒアリングと行動観察のないまちづくり計画、福祉計画に全く意味がないということを改めて教わった。地域福祉計画のように市民発でヒアリングと議論の固まりで活き活きとした内容にして作った計画もあるのに、それがおざなりにされるのだから、それを咀嚼する側の問題なんだろうということは明白。
●地図にペインティングしていくような平板な都市計画のやり方が問題だろう。
●地域福祉計画では、そういう浮ついた美しいスローガンを作ることをやめて、方法論に徹した。これは私が強硬に主張したことで、14年前に札幌市で五十嵐さんや、その技術を担った野口和雄さんの話を聴き、交通評論家の岡並木さんの話を聴いていたからだ。
●コミュニティーというと、生活実態そっちのけで、町内会を軍事組織みたいな縦系統の組織にするか、行政の使いやすい連絡組織化することを求めるは間違っている。集い、そこに自然発生的に言葉を交わす関係性を創るための舞台装置づくりにコミュニティーの意義を求めなければ「うるおい」「やすらぎ」がありえない。町内会の強化だけではなくて、市内にあるいくつかの自然発生的な場を大切にしていくことが大切。そういう意味で10年以上前に公民館から一斉にベンチと丸テーブルを撤去したことは良くない。高校生がたむろするというのが問題だったようだが、たむろすることからコミュニティーが作られる。コンビニでのたむろがいつも問題になるが、それをどう積極的なものにしていくのか考えるべき。地域福祉計画づくりでそれを問題にして、公民館のロビーにテーブルを置き、自然発生的な市民の集いと横のつながりを創り出すべきと主張したが、生涯学習課は咀嚼できなかった。
もちろんコミュニティーづくりに、広告代理店的発想のイベント一発主義もダメだということ。
●市議会議員も何人かお見えになっていた。非常に大切な機会だったと思うし、すぐにどうこうとは思わないが、長い目で朝霞市をどうしていくのか、具体的な仕事をしている市議会議員にとって、非常に重要な知恵を得る場だったと思う。どういうわけか、最もこういう理論武装が必要な旧革新系市議が小山香市議以外全く来ていなかったことも言い添えておきたい。陳情型の共産党はちょっと考え方が違うかもと思うが、それ以外のところはどうしたんだと思う。市職員もお見えになっていなかったようだ。いい仕事をするためにタダで情報収集するチャンスだったのにもったいないと思う。税金使って芸能人に入れあげるような講演会はよくやるのに・・・。そんな中、中野区で区議に挑戦しようとしている石坂わたるさんと山口二郎ゼミの門下生のパートナーがお見えになったことは嬉しかった。
●苦言。会場でカンパを募っていたら、市職員が血相を変えて怒っていた。商業活動を排除するためにお金のやりとりは禁止している、ということなのだろうが、そういう「禁止」「禁止」に神経を使うことに、彼らの人件費を考えると、あほかと思う。
この街の公民館で、きちんとした講師を呼んで勉強しようとしたら、行政から補助金をもらうか、金持ちのパトロンをつけなければできない、ということだろう。カンパを禁止するということは市民の自主的な活動に資金的制約を加えて、愚民化することになる。自主的に小口のカンパを集めることを禁止することが、どういうことになるのか、市の職員として、生涯学習課としてどういうことになるのか、認識すべきだろう。
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コメント
最近、計画系の先生やコンサルの方とのお付き合いがあり、都市計画や景観のことも勉強したいと思っています。いろいろお話を伺っていると町並みを守ろうという住民の合意形成がきちんとできるかどうかだと思います。
最近、合併で自治体の規模が大きくなっていますが、本当は町村くらいの規模の方がそうした合意形成はしやすいと思います。
最近は自治基本条例の検討に公募委員で加わっていますが、ソフトとハードが調和したまちづくり、コミュニティ政策のヴィジョンを今描かないとこの人口減少社会を乗り切れないと危惧してます。
投稿: wacky | 2009.04.07 21:30