3/30 知事選って必要なのだろうか
千葉県知事選挙で森田健作が勝つ。首都圏マッチョ4知事ダメ比べという感じになるのだろうか。
政府の論理が通じる順に、松沢、石原、森田、上田という感じ。
野蛮っぽい順には、森田、石原、上田、松沢という感じ。
抵抗勢力には松沢以外は、甘い。松沢以外は偽装新自由主義の改革派気取り。
どう比べてみてもため息しか出ませんが。
市町村なら、目の前の行政サービスであり、自治体の財政は自分たちのお財布の延長のように感じることができないでもないが、都道府県は、警察、学校、パスポートぐらいで、学校も市町村教育委員会を通じて運営されるから、ほとんど普通の人の前に姿を顕さない。その人が知事になったからと、政策効果が見えにくい。
したがって、有権者もこの人に任せてまずいとか何が良くなるかとか考える前に、イメージで投票してしまう。そして知事になろうとする人は、イデオロギー色の強いメッセージばっかり発信したがる。昔は革新知事がそうした役割をしていたが、今は、右翼タレントか、異色政治家ばっかり。
結果として、有名人の名誉双六の上がりだったり、国会議員の休憩場所だったり、国会議員志望者の踏み台としてのポストに成り下がっているように思う。
知事選挙というのは本当に必要なのだろうか。議会の互選か、官選知事を信任投票するので十分ではないか。首都圏も大阪もパーソナリティーが似たような人ばっかり選ばれている結果を見ると、今の制度がいいと言い切ることは控えたい。
県職員が公務員の中でも優秀な人がなることからも、知事がオッペケペーでも行政が回るということもある。
●脱藩官僚で、私がかつて国賊として呼んだ高橋洋一が、時計をこそ泥しようとして書類送検。
埋蔵金にしても風呂場の時計にしても、人の物も自分の物も区別のつかない体質。近代人ではない。
今日、電車で目の前の人が必死に呼んでいた住宅雑誌に、マンションを買うのに借金を増やしても、貯金を使い果たしてはいけない、という教えが書いてあったなぁ。
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コメント
でも田中康夫や嘉田由紀子・浅野史郎の例もある様に、知事を直接選挙で選んだことで県政の停滞が一変したという例もあるんですよね。「知事がオッペケペーでも行政が回る」ってのも、実は利益団体や地域ボスとエリート官僚の談合と寡頭政治だったりする訳だし。そういうことを考えれば、単純に知事選不要論に与することはできないのですが。
言い換えるなら、「イデオロギー色の強いメッセージ」をリベラルとか社民の側が出せないという状況に問題があるんじゃないかと。
投稿: 杉山真大 | 2009.04.02 17:11
個々人にそれぞれ功績はありますが。
田中康夫は寡頭制そのものだし、浅野史郎はエリート官僚そのもの。
大田昌秀や嘉田由紀子はシングルイシューでの当選。
学者すら説得力のある政策を提示できないのに、政治家にそれを求めても無理です。
投稿: o-tsuka | 2009.04.03 17:16
>o-tsuka氏
つか、エリート官僚や地域ボスが説得力のある政策を提示出来るっていう前提が崩れているのですけど。
投稿: 杉山真大 | 2009.04.03 20:25