3/14 教養のあるおじいさんの古書店
仕事の合間に神保町に立ち寄る機会があったので、月刊社会党の編集長だった元職員が開いた古書店に立ち寄った。政治関係の本はほんのごくわずかで大半は、演劇や文芸など。
店主は、おたかさんブームが一息つきはじめた頃、社会党担当の政治部記者を集めて座談会を記事にし、そのタイトルを「酷評、妄評、社会党」として月刊社会党に掲載した経歴を持つ方。私はこの記事になかなかの本質を突いたことが指摘されていると感じたし、記者のしゃべっていることに誠実に対応すれば、社会党はずっとずっと良くなる、と当時思った。社会党員で不愉快に思う人もいたのだろうが、それは社会党に関わった人の一意見として聞き流せばよかった。運動体には意思統一も大切だが、そういう懐の広さも組織の生存力だと思う。
しかし当時の社会党内はこれを過大に問題視し、この編集長は更迭されてしまった。もったいないと思ったものである。
その書店で江田三郎さんの「日本の社会主義」という1967年の本を見つけ、迷わず買う。
もともと社会党左派出身の江田さんが、1960年に市場経済と議会主義を認めその中での改良を永続的な社会主義革命と位置づけたイタリア共産党(現イタリア民主党)の構造改革(小泉さんのではない!)をひっさげて党内で議論を提起するが、旧来の左派のボスたちが自らの主導権を切り崩されるものと警戒して、社会党内のソ連東独派を育てて江田氏の挑戦をことごとく妨害していく。ちょうどそのさなかの時期に書かれたものである。
70年代半ばからは、江田派というのは社会党で右派で、最も現実的な派閥である、と理解されてきたが、江田三郎氏は一貫して社会主義者であることに誇りを持っていたこともわかる。
このあと、社会党はソ連東独派が大勢力になって、10年後に江田氏に対して除名寸前までいって、結果、離党することになる。
書かれていることは、このときに社会党が江田氏の言い分を認めて改革をやっていれば、今日的な状況にとてもよく対応できたということ。セーフティーネットについて、的確に問題を把握しているし、貧困問題にも正確な理解をしている。やっぱり私は江田派なのかと改めて確認する。
それはともかく、江田氏の主張を資本主義に対する敗北主義のように扱って、社会党から追い出してしまったことに、今日の左派あるいは社会民主主義者の敗退があるのだと思う。
●以前、政治関係者との飲み会で「この中で社会主義者だ、と思う人」と聞かれて、私と友人の2人が挙手して、びっくりされた。私自身、日本の一般的な平和主義者、(9条のみ)護憲主義者に比べて、旧社会党関係者の中では、「右派」と見られる考え方をしていると思う。そういう私より「左派」の人がおしなべて社会主義者であることをかなぐり棄てていることに、何だか面白くなく思っている。
市場経済や議会主義を大いに肯定しながら、社会的に起こりうるリスクを共有したり、社会的規制でコントロールすべきと考える私は、社会民主主義者である。その社会民主主義はどう申し開きしようとも社会主義の大きな枠内にある。社会民主主義者が社会主義者かと聞かれて、違うなどと言うのは、イエスの弟子ペトロがイエスを知らないと言うような感じを持たざるを得ない。
一方、日本共産党のように、自分たちは社会主義者だと認めながらも、失敗したソ連や東欧の共産主義に「あれは本物の社会主義ではない」などと罵倒しているのもどうかとは思うが(現実政治の中で社会主義の価値が認められなくなったせいなのか、宮本顕治がいなくなったせいなのか、最近はそういうことを言う話を聞くことが少なくなったが)。社会主義の中でのやり方の違いがあり、その失敗例と言うべきことである。
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