1/4 新年
日比谷公園の派遣村に行き、寄付をしてきた。
かたちには見えにくかった派遣労働者の存在を、どういう状態か見えるようにし、何かしなくては、ということをかたちにした今回の主催者の成功に敬意を表したい。
また、今回、厚生労働省が問題を直視し、第一歩であるが講堂を開放したことを喜びたい。厚生労働省の決断、大村副大臣と、舛添大臣と、国会での政争をひとまず横において厚生労働省に働きかけた菅民主党代表代行を高く評価したい。
講堂の開放は5日までなので、それ以降の生存のための対応が急がれる。
●民主党の議員だった永田寿康氏が自殺されました。このブログで何度か民主党の鉄砲玉議員の代表格として批判させていただきました。生前の非礼をお詫びし、ご冥福をお祈りします。
彼の生き様にはいろいろ考えさせられることがある。
1つには、若手議員でありながら、その中では年齢的に私と同じぐらいで、前原、野田、枝野という世代から1つ格下になる。2000年当選組には、彼と同世代の同期がまだ少ない。千葉というところは、活躍している若手議員が多い静岡や京都と違い、世代、派閥さまざまで地域で彼を支え守るような感じもあったのだろうか。そういう立場で彼は、どうしても「若手議員」の中での汚れ仕事をしなくてはならない立場にあったのではないか。
もう1つは、東大卒、大蔵省入省というキャリアから、野党議員になったことである。業者やノンキャリが尊敬してくれる立場のキャリア官僚から、公設秘書3人でどぶさらいみたいな仕事もする議員になって、普通であり続ける難しさがあるのではないか。議員は、カネも子分もないのに、支持者による「~するもんだ」の説教で、必要以上に無骨に振る舞い、庶民的に振る舞うことが求められる。
しかしまだまだ世代と地縁で固まる癖は政治の世界から抜けきれるとは思えず、議員に対する有権者の完全性やマッチョな姿への願望を希釈するにはまだまだ道遠い。日本の政治がまともになるためには、1つの職業として振る舞い続けることのできる議員像を求めたい。
●「サンデーモーニング」でキャスターが、「徳川時代より短い歴史しかないアメリカ」と言っていた。なかなかいい。
●新年が始まりました。今年もよろしくお願いします。少し何かを変えたいと思いますが、できるかな。昨春身内に不幸があったので、申しわけありませんが、欠礼します。
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コメント
永田氏が政界転身した頃って、兎角キャリア官僚が集中砲火を受けていて、官僚になる筈の優秀な学生はみな外資、ってご時世だったんですよね。苦労はあっても「名声」があれば、って幻想があったから政界転身が出来たと考えるのは下衆の勘繰りでしょうか?
それにしても、若くして政界入りして何か功績を残したってのは、意外に記憶にありませんなぁ。選挙権の年齢を引き下げろって意見が歩けど、少なくとも国政選挙では被選挙権を引き上げて一定の社会経験を積ませてから国政入りさせた方が宜しいのかしらん。
投稿: 杉山真大 | 2009.01.04 11:43