1/28 紅茶キーモン
傘を無くし、手袋を無くし、なくしものだらけの最近。
●紅茶キーモンを22年愛飲している。
高校生のときに、事務系のアルバイトしていたが、今よりもっと左脳偏重みたいな私を雇い主が心配してくれて、普通のアルバイトをせよ、と出向させられたのが、西新宿の紅茶専門店。
場所柄、朝一番で経済ヤクザさんたちがお見えになって、胃がただれた顔をして、お湯を注したコーヒーを頼まれる。
両手に料理を持ってデリバリーに行こうと、4車線道路を横断しようとして、トラックに轢かれそうになったことは、今でも鮮烈に覚えている。
皮肉ばっかり言う、先輩のお姉さんが、あるとき出身地の雪国の話をするな、と思ったら、ご家族に不幸があって、故郷に帰るといって、深々とお辞儀されたことも思い出。
店主がボランティア活動にのめり込んで、店をきちんと運営しなくなったので、みんなでシフトの自主管理を始めたり、ランチの技術伝授をしたりした。それを勝手に労働組合などと称したこともあった。きちんとやっていれば非正規労働運動、サービス業の中小労働運動の先駆けになったかも知れない。
バブル終盤戦、生命保険会社が銀座から移転してきて、朝から内勤のサラリーマンのおじさんたちに占拠されるようになった。朝10時に開店して、11時45分ごろ職場に戻る。そして、また14時頃表れて、16時30分頃職場に戻る。正面玄関が閉まった20時、晩ご飯の注文がある。遠回りする裏口から入り、届けに行く。残業している。昼間、お茶飲んでおしゃべりしていないで、働けば早く帰れるのに、と思ったものだ。
一日にいくらつぎ込んでくれるんだ、と思ったら、ごねにごねまくって、ツケ払いに。経理のお姉さんがいやいや払ってくれた。ガラのわるいヤクザさんでも現金払いだったのに、と思ったものだ。同僚の悪口ばかり朝から晩までしゃべり続けて、ヤクザさんが辟易して来なくなってしまった。恐るべし、男お局たち。10年後の金融危機に、その生命保険会社は外資に買い取られてしまった。
10年ぐらい前までお茶の水サーモピレーという銘店があって、その弟子が開いた店だっので、強めの味で紅茶を出し、最初の味を味わったら、牛乳をどばどば入れて飲むのが作法。素人は最初から入れてよし、という店。
そこで、最初に従業員がタダで飲まされる紅茶がキーモン。すっきりした飲み心地と、そこらにはない味に驚かされ、虜になった。
アールグレイもはまったが、とってつけたような強い味にすぐ飽きがきた。ダージリンは当たりはずれが激しい。ウバなどスリランカ系の紅茶はちょうどいい味を出すのが難しい。
残った好みが、ケニア産の紅茶と、キーモン。
3年ぐらい前まで、池袋の東武百貨店でも取り扱っていたが、リニューアルして、贔屓にしてくれた店員が結婚か何かで退職してから、扱わなくなってしまった。他のデパートでたまに見つけても、びっくりするぐらい高価。で、関西に出張があるときに、前後に大阪の紅茶専門店に立ち寄ってまとめ買いしていた。困った、困った、と言っていたら、友人がプレゼントしてくれることもあった。
ようやく最近、池袋の地下街で、安くはないが、気軽に買えないほど高いわけではない値段で売っているところを見つけた。
いろいろ思い出すキーモン。
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