1/23 小渕優子少子化担当相のセンスと限界
小渕優子少子化担当相が、少子化対策を考える新たな政策チームを立ち上げる。その際「ベビーニューディール」という言葉を使った。
先日、某野党副党首クラスの秘書さんと飲み&意見交換したときに、雇用、介護、子育て、教育、医療をワンセットに雇用創出をし地域経済を活性化する「ヒューマン・ニューディール」をやったらいい(これは私のアイディアではなく神野直彦先生あたりが十年前から言っている)、という話をしたが、もたもたしているうちに、先取りされたような感じがしている。
父親の残業を問題にするとか。
ここまではプラス評価。
しかし、少子化対策という言葉、ニューディール政策の矛先がベビーにされているのが気に入らないが、ニューディールなのだからそれ相応のお金を突っ込む覚悟があるのだろうか。以下、マイナス評価。
雇用問題も似たようなところがあるが、子育て支援策も、社会にそんなにいない何チャラ紹介業やら、コーディネーター業みたいな仕事にばかりお金を流してしまう。実際に問題解決にダイレクトに結びつくことに、財政規律だモラルハザードだとお金を使わない。
その結果、切実に必要なニーズはいつまでも放置されるかものすごく劣悪なサービスのままおかれ、カネもヒマもあるような高所得の有閑マダムが求めるような支援策ばかりが充実されている(学童保育が未整備な現段階で、保育に欠けない家の子が入れるようになってどんなことになっているか、とか、あちこちにできている子育て支援センターが何をやっているんだかわからない施設だったり)。
あと、少子化という問題設定のおき方である。
失業があって労働力が余っているということは、(個々にではなく)社会全体として、たくさん子どもが生まれるても仕方がないのではないか。それより社会の生産性を上げたり、非効率を解消したり、教育の質を高めたりよい雇用を創出しながら労働力の質を高めたりすることが重要で、少子化というより、次世代育成、という観点でやるべきではないか。
委員の名前のトップに、勝間勝代の名前というのが、クラッとくる。
子育ての当事者だとは思うが、彼女のような「解雇しやすい社会が来れば、雇いやすい社会が来る」みたいな価値観を持っている人間たちが支配しているこの社会が、子育てをしにくくしているのではないか。不況になると出てくる、金融業界やコンサルタント業界を渡り歩いて立身出世してきたキャリアウーマンというのは、一方的で申し訳ないが、子育てとか雇用を語らせるに信用していない。余人に代え難いしゃかりきな努力をしていて、それをしないあんたたちが悪い、とどこかで思っている節があるからだ。
●父親の残業。できるものならきちんと規制してもらいたいものだ。
規制したところで、もう1つ考えなくてはいけないのは、ドイツのような残業時間のない国では、教会、地域、労働組合、政治参加などの活動が、勤務時間の後待っているということだ(日本でも自動車産業のQCなんかそんな位置づけか)。
日本はこうした活動を、昼間、労働に拘束されない地主と専業主婦と中間団体の専従者に依存してきたから、社会の利益配分がいびつになっている(人口構成と市議会議員の出身職業の構成比を比べるとよくわかる)。結果、労働者の発言力が低く、給与所得者が虐げられる結果となる。過去はそれでも雇用が守られていたからよかったが、規制緩和でひどくなると目も当てられない。
お父さんに家庭を守る役割しか与えないで、働いて、マイホームに帰るだけ、というライフスタイルだけではダメということも、労働者階級の社会参加という問題意識や、男性の生き方の閉塞感をかたちづくっている問題もあるんだ、とも言い添えたい。
●出産までに退職し、子どもを抱えた母親の再就職は至難の業である。
雇用の流動化が始まっても、パートアルバイト以下のよくわけのわらかない働き方が大手を振るようになって、地方の工場や中小企業が、意気に感じて子どもを抱えている母親を低賃金であっても月給のある事務員や工場労働者として雇ってきた状況が一変してしまった。
おまけに、雇用流動化論者は、どういう背後関係があるのか、キャリアウーマンではないそうした母親の就職紹介を唯一まじめにやるハローワークを、非効率、サービスが悪い、と、規制改革会議などの政府の審議会を使い、厚生労働省に禅問答を仕掛け、解体や民営化を求めて攻撃し続けた。
効果のない雇用の流動化、不安定化に加担した政府の委員の連中と、女が求める声のように演出したキャリアウーマン系文化人には、夢をふりまいてこんなになった結果について、中谷巌氏のように自己批判してもらいたいと思う(小泉政権下でちやほやされたキャリアウーマン系文化人はだいぶ最近見なくなったが)。
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