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2008.11.11

11/11 死を理解できない子どもにやってはならないこと

子どもの保育園のことで憤慨している。
今日、自衛隊に遠足に連れて行くことになったそうで、朝、見送りに行った家族がそういう話を聞いてきてえらい憤慨して報告してきた。

自衛隊のことを子どもが知ることが悪いとは思わないが、しかし、人に危害を加えたり、ときには殺す覚悟をしている仕事である。たんに私たちを守っているというおとなの観念で美化されるだけの仕事ではないと思う。

そういう複雑な事情を、小学校にも入っていない子どもたちがどういうふうに理解するのか。国を守る英雄で理解が止まってしまっていいのか、と思う。戦争に行って心も体も傷ついて帰ってきた人たちを知ると、戦争の影の部分を理解できないで憧憬するような子どもにしてはならないと思う。

今春死んだ子どもの祖父のことを、子どもはまだきちんと理解できないでいる。また会えるものだと思っている。そのような人が死ぬことをどう考えていいのかわからない子どもに、人を殺める可能性のある仕事を安易に紹介していいものなのだろうか。

実は昨年も同じようなことがあった。カーキ色の世界を怖がって、泣いて帰ってきた。夢でもうなされていた。
子どもの預かってもらっている保育園は、保守的な体質をもつ、市内の革新政党系の保育運動に敵視されている保育園で、その人たちにいろいろ大変なめにあってきたらしい。そういう環境から保育園の経営者は、自衛隊に協力的な地域の人たちと仲良くせざるを得ない環境にいるのだろう、と当時は納得せさた。こういうことは今回限りにしてほしい、と言い、保育園から謝罪の言葉と二度としないという言葉で水に流した。

ところが今回またこれである。ほんとうにがっかりするし、そういう保育園しか選択肢のない中で、この地域に暮らさなくてはならないことの不幸をまた恨んで、生きていくことにならざるを得ないのだろうか。

たまたま生まれ月の運が悪くて、認可保育園はハードルの高いゼロ歳児保育をやっているこの街では、認可保育園に受け入れてもらえなかった。そこでやむにやまれず消去法的に選んだ保育園。それでもそこのプラスの部分を評価して関わってきたが、もう本当、最近はがっかりすることばかりである。それには保育園だけの努力では限界がある部分があるということを思い知らさせるし、しかしだからといって開き直ってしまってよいことか悪いことか考えなくてはならないこともあるだろうと思う。

そして、でも、しか、という理由でしか保育園に子どもを託せない環境しかないということに悲しくなってくる。
この街で生きていくということは、日に日に呪詛みたいな言葉が染みついていくように思う。払った税金が市職員の給料と市の貯金にばかり使われて、市民を力づけるようなことにほとんど使われていないから、保育園でも学校でも学童保育でも高齢者介護でも教育でもこんなことばかりである。それは先日の首都圏最低の教育費でもその一端が見えてくる。

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