11/1 医療・福祉の負担増を言うときにはその経済効果も語るべき
経済財政諮問会議で、いくら消費税を上げる必要がある、という議論をすることが多い。何の意図をしてそういう議論をしているのかわからないが、隠された情報もあったりして、「税金払いたくなければ貧困な社会保障で我慢しろ」と言いたいのか「もっともっと増税に耐えなければならないんだ」と言いたいのか、いずれにしてもいつも不愉快な感じがしている。
第一に、基礎年金を全額税方式にすれば、さらに●%、という言い方がおかしい。全額税方式というのは、これまで私たちが払ってきた国民年金保険料か、厚生年金・共済年金の1階建て部分の保険料がタダになるのだから、その分の相殺があって、結果はプラスマイナスゼロである。消費税だけが増えるような宣伝はインチキではないかと思う。むしろ人頭税的な国民年金保険料の逆進性が緩和される効果すらある。
第二に、なぜ増税の対象が消費税だけなのか、問題である。基礎年金の全額税方式であれば、厚生年金や共済年金の加入者は所得割で払っているわけだから、一部所得税に置き換えることも考えるべきだろう。また企業負担分が軽減されるんだから、これは法人税に置き換えることも必要ではないか。企業の公租公課全体がどうなるのか議論すべきなのに、法人税の税率を抑えることばかり配慮がされ過ぎている。法人税の税率を抑えるために国民のポテンシャルの低い国にすべきなのか、そのあたりも議論が必要だ。
第三に、基礎年金の全額税方式に移行してどうして31兆円も必要なのか疑問であるし帳尻に合わない。今、国民が払っている基礎年金の保険料が14000円として、これに20歳~65歳の人口6000万人を掛ければ8.5兆円しか必要ないはず。最低の数字の15兆円という金額と合わない。高齢化が進んだとしてもせいぜい2倍ぐらいではないか。あと生活保護費やその事務費の減殺分が全く評価されていない。
第四に、医療・介護の14兆円は過大に見積もりすぎではないか。今日医療崩壊や介護崩壊が起きているのは毎年2200億円の社会保障費の切り下げを数年やったからで、そうであるなら桁が1桁多い感じがしている。介護労働者の待遇を倍増させるようなことでもしないと帳尻が合わないように思う。
第五に、少子化対策も同様で、2.5兆円もどうやって消化するのか。児童手当をばらまくか、保育園と学童保育を余るほど作る以外に、そんなにお金のかかる事業はあっただろうか。
以上の積算の考え方に対する疑問がある。私も社会保障をまともに機能させるためには一定の増税が必要だと思うが、あと13%も必要などとつきつけられると、どうも疑ってかかってしまう。
セメントやアスファルトで作る公共事業には、必ず事業効果や経済効果みたいな宣伝がされ、事業をやっては借金を増やされている。朝霞の国家公務員宿舎の建設もそうだ。通りもしない、使いもしない人を積み上げて効果があるように見せかけている。
しかし、なぜかみんなが必要だと認識しているはずの社会保障については経済効果を報告しない。社会保障費だって、それは医療労働者や福祉労働者の人件費として社会に払われ、彼らの生活費などで消費され経済効果を生む。また手厚い福祉によって、職を失ったり、貧困を我慢したりする人がいなくなることの経済効果もある。また、保育や介護、私的保険などでは税金に表れない私的費用負担をしている人も多い。その部分が減殺される効果も報告されない。そうした社会保障を充実させることによる景気への寄与が全然語られず、消費税だけが上がる悲しい未来ばかりが描かれる。そのことで社会保障制度がますます現在の帳尻の中で削ることばかり行われ、機能する社会保障制度にならなくなっていく。その悪循環を断ち切るべきだろう。
そういうプラス面の議論をしないでいるから、病人や子どもや子どもを抱えた人や老人や老人を抱えた人、それらを支える仕事をしている人が税金泥棒や給料泥棒のように肩身の狭い思いをして生きなければならないのだ。そういう未来でいいのだろうか。20歳から65歳、障害も家庭のしがらみもない人だけが生きやすい社会にして、この社会が持つと思うのだろうか。
私も増税論者ではあるが、消費税換算であと5%程度の増税で十分じゃないかと思う。逆に基礎年金の保険料か無くなる分だけ入れたり、社会保険料の法人負担分を税金化すること、医療や福祉労働者の所得や雇用増による内需拡大の効果、無認可保育所や民間医療・介護保険の個人負担、保育の充実による労働力の増大とそれにともなう税収増などで、実質的には、びっくりするほどの負担増をせずともやっていけるのではないかと思う。
●そういえばという話で、政府が経済対策で2万円の給付金をばらまく話が進められている。そしてそのことの積極的な面ばかりを明るく語る政治家や一部の経済評論家、ブロガーがいたりする。しかし忘れてならないのが、裏側で、総額2兆5千億円の給付金に比べればたかだか1000億にもいかない財源捻出のために、障害者福祉に多額の自己負担が入ったり、補助金切られた作業所が運営できなくなったり、母子家庭が貧困にあえぐようになったり、福祉の至らなさに苦しんでいる人がいるということである。この人たちには今回の経済政策で何かあるかといえば、元気はつらつの脳天気な人たちと同じ2万円の給付金をもらってそれっきりで、昔の福祉に戻るわけではないのだ。ちょっとの給付金をみんなが我慢すればいろいろな人が、しがらみから解き放たれるのに、という思いがしてならない。
「消費税6~13%上げ必要」…社会保障会議示す
社会保障国民会議の吉川洋座長(東大教授)は31日、自らが民間議員として参加する経済財政諮問会議で、2025年度に年金、医療・介護、少子化対策の費用を賄うために必要な消費税率の引き上げ幅を示した。
基礎年金で現行の社会保険方式を維持した場合は6%程度、全額税方式に切り替えた場合は9~13%程度の引き上げが必要だとした。
国民会議の試算によると、基礎年金で社会保険方式を維持し、医療や介護を充実させた場合、新たに必要とされる公費分は、基礎年金が約2・9兆円(消費税率換算1%程度)、医療・介護が約14兆円(同4%)、少子化対策が約1・6兆~2・5兆円(同0・4~0・6%)で、合計約19兆~20兆円(同5%)に。これに、基礎年金の国庫負担割合を2分の1へ引き上げるのに必要な1%を加え、計6%程度の引き上げが必要とした。
また、基礎年金を全額税方式に切り替えた場合、年金分は約15兆~31兆円(同3・5~8%)で、医療・介護、少子化対策と合わせると約31兆~48兆円(同8~12%)に。基礎年金の国庫負担引き上げ分(同1%)を加え、9~13%程度が必要だとした。(2008年11月1日02時09分 読売新聞)
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コメント
全く同感です。
学童保育クラブが区営から民営化され、運営する福祉法人は、いつも愚痴の如く保護者会で、区は全然必要費用を拠出してくれないと嘆いています。
マンション開発で更なる待機児童が発生する恐れがある中、広い物件を探してようやく見つかり学童が移転するのですが、移転先の改修費補助が十分でなく、ガラスの飛散防止シート費用、畳の張替え費用等も区に拒まれているそうです。
大卒の女性標準労働者が退職し、第2子出産6年後パート・アルバイトとして再就職する場合、逸失額が2億2,700万円という資料がありながら(国民生活白書 平成17年度版)、なぜ、職を維持するための費用を投資として考えてもらえないのか不思議です。
職(収入)が退職まで維持できれば、それだけ所得税等も確保でき、消費による経済効果も期待できるのに、共働き育児家庭が社会の厄介者扱いされ、なぜ一方の親が職をあきらめなければならない状況に追い込まれることが日常的なのか。
一人の待機児童を出すことにより母親等が仕事をあきらめると、区として、国としてどれだけの損失であるか、逆に、待機児童を出さなければどれだけの利益かを、真剣に考えてもらいたいのです。
しかも、収入が維持できれば、教育費用等、子供の未来に、つまり、国の未来に更に投資でき、GDP増加にも寄与できるはずなのです。
それを十分せずに、少子化対策、子育て支援と言って現金をばら撒くのは、勘違いか、子育て世代を馬鹿にしているのか、どちらかだと思います。
お金はもちろん大切ですが、失った機会は、いくらお金があっても帰ってきません。
機会を失うから、いくらお金を積まれても子供をつくりたがらないのではないでしょうか。
最大の少子化対策は、いかに得た機会を失わずに済むよう支援するか、ということかと思います。
それは、他の福祉も同様であり、福祉により、病人や、子どもを抱えた人や、老人や、老人を抱えた人が、機会を失わずに充実した生活ができるなら、福祉に係るお金は、費用ではなく投資であるはずです。
もしそれが科学的に証明され、社会に認知されれば、日本は大きく変わるに違いありません。
投稿: 共働き子育て中の父親 | 2009.03.12 23:37