10/13 ソシウヨ・リベサヨ・ソシ・ソシサヨ
リベサヨ(9条護憲とか、フェミニズムと言いながら競争原理や官より民を無条件で信頼し、増税にアレルギー的に反応する新自由主義な人々のこと)に対して、最近、「ソシウヨ」という言葉が出てきたらしい。
民族主義的な価値観、愛国主義的な価値観を持ちながら、大きな政府を志向し、時には「社会民主主義」とか言う人たちのことである。平沼赳夫とか、亀井静香とか、佐藤優あたりの立ち位置を言うのだろう。
かつてはこのゾーンを民社党が占めていた(というより正統的な社会民主主義政党をめざしながら、共産党や社会党左派への反発から、労働組合の幹部出身の右翼的思想の持ち主なんかを活用しているうちに、どんどんソシウヨの立ち位置に行ってしまった、という感じなのだろう)。
しかしやりにくいのは、私のようなソシサヨである。
21世紀になって、民社が民主党に行って骨っぽい民族派社会主義が不必要になり(おかげでとても付き合いやすくなった)それをほとんど忘れてしまい、社会党左派も民主党に行って、横路派に留まっていればいいものを、一部は新自由主義の鳩山派やら、新保守主義の前原派に行ったりしている人まで出て、「ソシ」の世界からいなくなってくれたおかげで、本来的な社会党右派・社民連的立ち位置を固守している私のような立場はほんとうに自由になった。面倒なのは、ソシの立場に立ってもないのに社会民主を名乗る政党の踏ん切りの悪さである。ただの「サヨ」か、一部「リベサヨ」で、なかなか「ソシサヨ」の党員はいない。
そしてソシサヨの立場を独占して、明快に主義を主張できると思っていたら・・・
しかし隣にソシウヨという人たちが出てきて、社会民主主義という言葉を使うときには注意しなければならなくなるのか、と思うと、気が重い。ソシウヨは、保護主義に立ち、官僚肥大化や口利き、談合体質みたいなことに寛容である。ソシサヨはそういったものの必要性は認めるが、まずは憲法13条25条あたりが重要じゃないの、社会的弱者にとってもの個人の尊厳のために公は大きくあるべきじゃないの、という論に立つ。
ちなみに日本共産党は、リベサヨだと思っています。党運営はソシですが、税金が安ければいいというのですから、リベです。税金嫌いの人たちを焚きつけるような政策を中心に訴えるのですから、小さな政府論の土壌を耕していると言ってもいいでしょう。95年あたりに消費税増税反対で勢力を伸ばしましたが、その後、共産党の支持率が激減し、離れた支持者たちが誰を応援したのか、考えるとよくわかります。
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コメント
濱口桂一郎さんのブログにありましたね。
私はソシウヨですわ(笑)
リベだった学者さんたちがどんどんソーシャル側へこられているようです。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/08/11/081112nrs.pdf
風見鶏というかなんというか・・・
学者は政治にかかわらせてはいけません。
投稿: 一国民 | 2008.11.16 00:22