10/7 土井さんの政治家稼業からの引退
土井たか子さんが選挙に出ないということで、少し寂しい気がする。政治家引退と言えるが、憲法関係の講演活動は続けるというので、政治家からの引退ということだろう。
私が土井さんを知ったのは、1983年ぐらいではないかと思う。石橋委員長のときの初の副委員長として、野球のユニフォームを2人で着ているポスターが張り出されていた。話せば和田あき子さんみたいな感じもあって、その頃から強い印象があった。
その後、ニュースステーションが始まったぐらいから次期委員長と盛り上げられるようになって、1986年衆参同時選挙での社会党の大敗の責任を取って委員長を辞任した石橋氏の後に委員長なられた。
直接接点があったのは1987年。友人が土井たか子を支える会が主催した、土井さんの憲法講義を聴きに行こうと、反共左翼の高校生友だちを引き連れて憲政記念館に行ったことと、その後の打ち上げか何かでお話をしたことがある。
議員インターンシップも、NPOもなく、新左翼が衰退したあの当時、政治に関心があって、もうダメだ未来がないなどと言われた社会党に近寄ってくる高校生なんて珍獣もいいところ。そんなことで一昨年、知人の葬儀で18年ぶりにお会いしたときに、土井さんはよく憶えておられて、こちらが恐縮した。
その後、めきめきとおたかさんブームに乗って社会党を大勝に導くが、一方で硬直した党幹部に取り囲まれて、政権交代にふさわしい党に脱皮するチャンスを失ったところもある。しかしあのおたかさんブームがあったからその後の政界の流動化があって、政権交代があったり、民主党の結成があったりしたのだと思う。そういう意味では社会党だけにとどまらない、歴史を作った政治家と言えるだろう。
西欧社民を基本とする私とは若干考え方が違うが、それでも演説の仕方、信念の強さなどは、よく学ばせてもらった。土井さんが育てた人脈にいるみなさんに、ときどきお世話になったりもする。
21世紀に入ってから、たまたま拉致被害者への陳情に対して社会党が対応をおろそかにしたツケで、さまざまな北朝鮮との関連があるというデマを流され、本当に苦労されていた。
今回のいよいよ政治家稼業からの引退に、年齢からして仕方がないという思いもありながら、本当に残念だと思う。
●ノーベル賞受賞のニュース。産学協同しない分野が強い。益川先生、奇才の様子がぷんぷん。ノーベル賞を世俗と言い切るところが偉い。
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