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2008.10.29

10/28 入試を見かけで判断する高校だけが悪いのか

入試の合否を見かけで判断していたという高校が問題になっている。

しかしこれは高校も非難する側も同じ穴のむじなという問題ではないかと思っている。
というのも、学校に生徒指導なんかやらせるから、問題生徒は入れないようにしよう、ということになるし、私も生徒指導が学校にとって重要な業務だとするなら、最初からそのリスクを排除しようとするのは正しいことではないかと思う。

ただし、私は学校が生徒指導など本来すべきことではないと思っている。学校ができることは、施設の保全と、授業の進行管理のための秩序維持のための指導が限界で、それ以上の指導のために、教員がムダな労力を払うべきではないと考えている。学校が人間性まで育てようということがおこがしまいことだと思う。
そうなれば、何も眉毛が無かろうが、髪の毛の色がどうであろうが、入試で差別する必要はない。

ところがこの学校を批判している人たちは、そうした生徒に温情をかけて、愛情で育てろみたいな抽象的なことを求めているわけで、そうであるなら生徒指導は避けられない。生徒指導が必要になれば、そのリスクとなる生徒を排除しようとすることは当たり前ではないかと思う。生徒指導が必要な業務だとしている教員の立場になってみれば、高校生にもなっていないのに眉毛を剃ったりしている生徒なんて、恐ろしいと思うのは当然だろう。

ただし本分の知識の教育者として専念すれば、まだ授業を妨害されたりもしていないのに眉毛を剃っているだけで排除するということは職業倫理としてやってはいけないということになる。それが本来の学校の姿ではないかと思う。学校のやっていることは、いつまで明治維新のまんまなんだと思う。

入試合否「見かけ」で判断…神奈川・平塚の県立神田高
 神奈川県平塚市の県立神田高校(渕野辰雄校長)が2004、05、07年度に実施した入学試験で、学力テストなどの点数では合格圏内だったのに、服装や態度などから「生徒指導が困難」として、22人が不合格になっていたことがわかった。

 県教育委員会は、希望者を入学させるとし、他の県立高校についても調査する。

 県教委の発表によると、願書受付時や入試当日に、服装や髪形、態度を担当教員がメモにして提出。「つめが長い」「胸のボタンが開いている」「まゆをそっている」などの報告があった受験生の中から不合格者を決めていた。

 04年、05年度はいずれも6人、07年度は10人だった。07年度実施の前期試験では、内申書と面接の合計点が合格者57人中、16番だった受験生らが不合格となったという。

 同校は以前、中退者が年間100人を超えるなど、定員割れが続いていたが、04年度に近隣の高校と統合されることが発表されて以降、入試倍率が上昇。前任の校長が「新学校に生徒指導が難しい生徒を入学させたくない」と発案した。

 06年度にいったん中断したが、翌07年度に再開した。今年7月に県の内部通報窓口に情報提供があり、発覚した。

 記者会見した渕野校長は「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという気持ちがあった。大変申し訳ない」と陳謝した。(2008年10月28日22時02分 読売新聞)

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コメント

この問題、朝霞四中の校長が出した公民館使用禁止の通達を思い起こさせませんか?

 入学試験も一種の行政手続きでしょう。となれば合法性と合理性の確保は大前提です。公正さの確保にいたっては言うまでもありません。明示されている手続きや選考基準を勝手に改変したとみることができますから、行政機関の行動として許されるはずもない。
 地方行政の吏員にまま見受けられる法令上の根拠など考えもしない行動の一つでしょう。この点、生徒の公民館の使用を「禁止」した朝霞四中の校長と同じ次元の判断と見ました。ただ神田高校の方が被害が大きかったので問題になっただけ、と言えるでしょう。どうも学校の教員が法令のことなど考えもしないのは市役所よりもひどい印象ですがいかがでしょう。

 それと、学力と家庭環境と生活態度は別に扱うのは無理かと思います。どれをとっても学校が対処できる部分は多くはありませんが、分離して対処するのも難しいように思います。そこが難しいところで、てっとり早く排除して自分の職責の範囲から除いてしまおうという校長の判断は(当否は別だしはっきり不当ですが)さもありなんと思います。この点も四中の校長と同じような感覚だったんじゃないでしょうか.

 

投稿: バウアー | 2008.10.30 14:31

簡単な話で、こういう判断基準でやってます、と公表していれば済んだことだと思います。
そういう価値観の学校が嫌なら受験しなければいいし、逆に好感をもたれる可能性もあるでしょう。
その程度の判断をしても公立高校として許される範囲なのではないかと。

投稿: takeyan | 2008.10.31 02:22

>>バウアーさま
>>takeyanさま

学校運営に契約の考え方、合理性・合法性に関する考え方がほとんど未整理におかれ、むきだしの権力と、それへの対抗手段としての温情措置の力関係で運営されていることが問題なのでしょう。

takeyanさま

私立学校なら許されると思いますが、公立学校であれば税金を投入していることから、見てくれを判断材料にすることは最終的には難しいのかと思っています。


この問題は、校長や教員だけの責任か、という思いがあって投げかけてみました。

副次的に、誰もが行かなくてはならない中学校までと違い、自ら選んだという形になっているはずの高校の、その底辺校をどうするのか、どういう役割があるのか、ということも問われていると思います。
教育としてはどうにもこうにもならなくても、大学の底辺校と違って、中卒では仕事の見つからない社会でもあり、そんなところに行かなきゃいいとは思わないところもあって、もう少し考えてみたいと思います。

投稿: 管理人 | 2008.10.31 06:02

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