10/15 日経新聞の保育所制度観
国の財政制度等審議会で「保育園行政が少子化を促進」という報告を日本経済新聞の浅川澄一がしている(全労連系だが、保育労働運動をやっている方のブログで紹介されていた)。
子どもを産まないキャリアウーマンが自分を納得させるためにちょうどよい論調が日経新聞で、公立保育所や社会福祉法人の保育所を悪者にして、市場原理が働かないからいけないという落としどころである。しかし、そうした考え方が間違っているということをこのブログは再三再四指摘してきた。そういうやり方の改革を鵜呑みにして進めた介護や医療ではサービスの崩壊が始まっている。
大上段の少子化と保育園の民営化度が関連あるかのような設定自体にムリがある。その上で保育園の未整備が子育てを控える原因になっている部分を取り上げても、それが保育所そのものの主体的な努力が足りないことに問題があるのではない。そこが日経新聞の保育に関する議論の最も間違ったところである。
言っている内容も、民間企業立保育園が善、公立+社会福祉法人立の保育所は悪、という単純な善悪二元論から議論が組み立てられている。
少子化の原因が、株式会社であるか社会福祉法人であるか、という問題設定や、直接入所方式がいいのか今の制度がいいのか、そういうことは無関係である。こういういいがかりをするなら、その因果関係を証明してもらいたいものだ。それは形式や手法の問題でしかない。保育所に関する少子化との関連性では、ひとえに保育所がどれだけ整備されるか、保育所の時間拡大にどれだけ公費が使われるか、それだけのことである。それをせず市場化しても、大量のワーキングプアによって支えられる保育所ができるだけである。就労を支援すべき保育所が、貧困労働者を生産するというのでは、官製ワーキングプアのような問題が起きることになるだけである。
この日経の浅川氏の主張は、イデオロギー過剰、はじめに結論ありきの、論理的検証のない立場である。その上、新自由主義で発言力を得て政治家化している「民間人」と呼ばれる経済人(おそらく子育ても子どもの保育園の送り迎えもしたことのないような、子どもの病気や妻の仕事の都合で残業しない同僚を退職に何度も追い込んで出世した自称「経済人」のオヤジたち)にはこういう論調は受けるようで、論証不可能なこうした言いがかりをまじめに取り上げようとしている。
いくつか個別に間違っているところを指摘したい。
①社会福祉法人の保育所は税金で建設していて、民間企業は自前と書かれているが、社会福祉法人には事業失敗にあたって国が法人ごと没収する制度があるが、民間企業にはない。社会福祉法人の建てた保育所については、個人財産や企業財産にできないし売却もできない。社会福祉法人並みの制約を民間企業が受け入れるのだろうか。それなら民間企業に補助金を出すべきだ。
ただし、今でも、市役所が建設して所有権は市役所で、運営だけ民間企業というかたちが増えている。その場合、民間企業は最も楽な経営ができる。それでは問題だろうか。朝霞市でも10園の公立保育所のうち2園が株式会社が運営している。ただし、民間企業の運営している保育園は、従業員に過大に守秘義務だとか何だとか、箝口する締め付けが厳しすぎて、地域にとってブラックボックスのような保育園になっている弊害も指摘したい。
話を戻し、新築ならともかく、改築のための施設整備を一括で補助金で出すやり方がいいのかという疑問は持っているが、減価償却の考え方で損金として経費計算して運営費に加えて前渡しすることが考えられる。企業会計に慣れているとこちらの方が親しみやすいが、ただし、今の少ない保育所運営費補助金のもとでそれをやって流用されて、何十年後に「施設建て替えの資金がありません」などという問題が起きないのか、中小零細企業の倒産なんかで原価償却費に手をつける話を聞いたりすると、それもまたどうかと思ったりする。
②自治体立の保育所に問題があることは確かだが、それは財政構造や、本庁=出先という関係性から生じるマネジメントの問題で、市場原理で解決できる問題ではない。
③(首都圏の)保育園関係者が、自己満足な論理を展開しがちで、それが非社会化、反ワークライフバランス批判と結びつけるのは、言い得ているところもあるし、そういうところが浅川氏のような批判に結びついていることは共感している。
「親の因果は子に報いさせない」「因果のある親でも適切な支援があれば自ら立ち直っていく」という児童福祉でとってもいい理屈を勉強しながら、保育園に入ったとたんに、「親の因果は子に報い」みたいな価値観の保育をやらされる。関西のような人権教育が意識されない首都圏では、保護者に過大な義務を押しつける保育園が多い。憲法第11条~28条をふまえた保育をきちんとやってほしいという思いはある。
そういうことの苛立ちに、確かに市場化をちらつかせるのは意味がないわけではないが、それは本題の少子化とは関係ない。サービスの内容と評価、苦情解決制度の未整備の問題である。子どもを産むときに保育園のそうした内情なんか意識して産む親はいないから、少子化とは関係ない。保護者は入ってみて「何だこりゃ」と思うか「親の因果は子に報い」思想に染まるかどちらかである。
④貧民救済事業を否定することは妥当なのか。子どもを産めずに働いているのはキャリアウーマンばかりではないだろう。大多数はシングルマザーだったり、パートの女性ではないか。キャリアウーマンこそ、公的な保育でなくても何とかなるだろうし、保育園に余裕のある自治体を選んで引っ越すこともできないわけではない。保育園問題は、今どきのワーキングプアの切実な問題ではないか。しかも就労証明を書きたい放題の自営業や経営者階層のほぼ専業主婦のいる家庭が定員枠を横から取っていってしまうような話もあるし。
⑤介護保険的な保育をめざしているようだが、「介護保険で施設が充実」と主張しているが、特別養護老人ホームなど、保育所以上の待機問題があることが無視されている。そもそも前提に施設整備がなければどんな制度にしても破綻するのだ。好き勝手に中抜けや休める職場か専業主婦なしには介護保険のもとで介護はできないのが実態だ。結果として、利用者に過大な負担を強い、有料老人ホームの蔓延を許してきた。それが成功といえるのか、今の保育所制度より良いと言えるのか、自己選択権のない子どもの福祉に適用できるのか。冷静な検証が必要だろう。
そのなかで、介護の世界で企業参入の効果があったと言えるのは在宅介護だけだが、それも8年経過した現在、日経的価値観のもとで介護保険制度改革を繰り返した結果、ヘルパーの確保が難しくなっている。不景気の下でのビジネスモデルでしかなかったし、参入した業者も人件費をピンハネすることに何の痛みも罪悪感もないような業者が多かった。そうした業者に子どもの保育に託せるのか不安である。
したがって育児保険のナンセンス。待機児童問題の解消なくして、保険などありえない。さらには劣悪業者の排除システムはほとんど無く、人が死んだり虐待でもなければ市場から淘汰もされない。
⑥制度いじりをするにも、認証保育所制度をある程度追認し基準を引き上げていくことが限界。待機児童問題を抱えているのは富裕自治体に多く、そこが真剣に独自財源を使っても保育を推進させることが重要だが、そういう政治的インセンティブはない。
そのためには保育財源をどの程度自治体に渡すか、という問題につながる。民間保育園に対する補助金を、市区町村が出すというしかけになるのかどうか。それが良いのかどうなのか。
●政治的インセンティブで言うと、保育所がちょっと整備したりない、という状況が市議会議員たちにとって口利きなどの仕事の機会を与えているみたいで、どこのまちにも保育関係であの人に頼めばという議員がいたりする。市場原理にすればそれが市役所ではなくて施設と議員と直接結びつくわけで、そういう面倒さも考えたことがあるのだろうか。
●産経新聞が言うように、日経新聞も、もっときちんとした市場原理にさらされたらどうだろうか。新聞の価格カルテルの上に安住している。電車で日経を読んでいる人を見ると、半分の人は、手持ちぶさたそうに、1面と政治欄と社会面と文化面しか読んでいない。
日経って会社も読者も何かずうずうしくなっていると思う。
子どもの頃は、日経を読んでいると、投機に手を出しているような恥ずかしい感覚があったように思う。株をやっている親戚も恥ずかしそうにしていた。いつからこんなに開き直る新聞になったのか。必要な経済紙だと思うけれども。
●日本保険医協会がまとめた、医療の問題を提起するパンフレットを入手。内容の精査のない医師不足を解消せよという主張(今の医療制度のままで医師を増やしても、きつい診療科目からの医師の逃避はなくならず、ザルに水を入れていくようなことになるのではないか)だけは我田引水だが、それも自分たちの集団がそういう立場なら仕方のないこと。労組も業界団体も最低限のそうした主張はしなくてはならないだろう。それ以外の問題の認識はきちんと整理されていてわかりやすいしまともである。小泉構造改革による医療制度改革の批判はきわめて的確である。日経の浅川氏も読んだ方がいいと思う。
| 固定リンク
コメント