8/8 夏休みと原爆被害者追悼
ほんとうに暑い。9年間も札幌にいたので、35℃以上の気温に滅法弱い。夜も30℃を割らないと、寝苦しい。頭がぼーっとしていて、せっかく修理に出して取り戻した掃除機のホースを、職場に置き忘れてしまう。
この暑いさなか、市議選と市長選をダブルでやっている自治体があるという。ご苦労さまです。
●原爆が投下されて62年も経つ。この時期、20歳ぐらいまで、毎年九州の父の実家で過ごしてきたが、西日本では8月6日と9日の原爆の投下時刻には街にサイレンが鳴り、学校は登校日として原爆被害者を悼む行事を行い、全市民的に被害者を追悼していた。自民党田中派の代議士を支援していた祖父も、集まった子や孫に黙祷をさせてきた。
人類史を塗り替えたこの2つの日はきちんと記憶に刻み込まなくてはならないと思う。しかし東京周辺では平和運動に熱心な人だけが記憶に刻んでいるだけで、何があったか全くもって忘れられようとしている。
●一方で、平和運動の映像を見ていて、その運動スタイルは、文学者や舞台芸術家中心だったのだと改めて認識する。平和運動が前進しているときは、私の物語として語られる効果も大きいが、運動が退潮局面に入ったり、体験者が高齢化して語り続けられなくなってくると、科学が不足していた弱みが出てきているのではないかと思う。もっともっと社会科学として核兵器はもっと分析され、自然科学として被害が解明される必要がある。
原爆投下後に広島や長崎に入った放射線の被害者、入市被爆者の被害状況は、原爆を題材にした書き物には必ずといってぐらい出てくるが、科学と結びつけられて被害と認められたのはつい昨年のことだった。
今、広島市が原爆被害についての科学的な調査を行っているが、このことのもつ意味は大きい。
●昔、左派色を前面に出した選挙で、平和を祈ることをネタに自己啓発セミナーを行っている団体に出会ったことがある。びっくりした。これも文学的な平和運動の副産物なんだろう。
●全国保育集会から、夏休みに入る。いろいろあったような、だらだら過ごしたような。とにかく乗り物は良く乗ったと思う。
●ジャーナリストの友人から、保育集会のぞこうかと思った、とありがたいメールをいただいたら、ライバルの保育合研のことだった。現実に起きている事実を知るには、情報収集力のある合研の報告って役に立つのだろうけども、問題に対する処方箋については、合研系の運動は、家父長制的な恩恵の福祉制度からどうしても自由ではない、という感じがしている。
●夏休みの間、文庫になった馳星周「長恨歌」を読む。偽装中国残留孤児2世の主人公の本籍が朝霞市になっていて、どきっとする。また、抗争の舞台に志木市が出てくる。
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コメント
ごめんなさいー。ジャーナリストの友人です(笑)。たまたま、保育関係の知り合いつてに知っただけなので、そんなに深い意味はないんです。。。次回、また黒川さんのところで何か会がある時には是非、参加させてください。
投稿: ミッキー | 2008.08.09 10:27
いやいや、すみません。保育関係者では知名度があちらの方が上だなぁ、ということはわかっていますので、そういうこともよくあります。
障害児との分離保育や、マニュアル保育を導きだしがちな発達段階論への評価で分かれています。合研は発達段階論を科学的なものとして評価し、うちの保育集会は人権の観点から発達段階論に対する批判的なスタンスから始まっています。
投稿: 管理人 | 2008.08.09 10:37