6/24 都会の限界集落
今朝のニュースで、都会の限界集落が取り上げられる。限界集落とは、集落として存在することが難しくなってきている集落。よく取り上げられるのは東北の雪深い山奥。それが都会にあるという話である。具体的には、池袋本町(北池袋駅付近)に住む高齢者の大変な生活をルポルタージュしていた。都会=便利=福祉イラね、というステロタイプな理解がされているが、ところがどっこい、今は都会も限界集落になりやすい状況がある。
どうして都会に限界集落があるのか。
1つは地域のつながりがないこと。地方都市なら、数少なく残った若者が、誰かの子で、地域社会を背負ってくれるけども、池袋本町に住む若者はどこからかやってきた若者ばかり。元から住む高齢者に関わることはないし、その意欲があっても信用されるようなツテすらつくりにくい。高齢者も若者も孤立しがちだということ。
1つは、そんな中で高齢者が社会につながる買い物となるが、近所の商店の閉鎖で、わざわざバスで、池袋駅周辺にあるデパート(若者だったら10分で歩いて行けてしまうような距離)に行かざるを得ない。体が弱ったらそれっきりである。
私も札幌にいたときに同様の体験をした。札幌を離れる3年前、家から200メートルのところにある旧国鉄共済会が経営していたスーパーが閉鎖になり、仕方がなく家から500メートル離れた札幌駅のデパートで食料品を調達していた。駅裏の住宅地なので、外食するところも少ない。都心で外食でもしなければ生活は大変だった。
池袋本町の高齢者と社会をつないでいるのが、診療所の往診や在宅介護であった。これは東京都23区だからやっているのだろうけど、埼玉県に入ったら、介護は全国標準サービスしかないし、往診などしてくれる奇特な医師はいない。介護予防とか言って、スポーツインストラクターの食い扶持を増やすような口と肛門が直結したような政策対応は取るが、一方で本当の介護予防や早期発見につながるような福祉は切った結果は偉いことになるという感じがした。
地域福祉をやっていると、何でも住民参加と住民のボランティアで物事が解決するような議論を誘導されがちである。もちろんそれは理想である。しかし、公的な制度、公的なサービスが適切に入らないと、深刻な事態になっていくという現実もある。福祉系学者以外でそのバランスをうまく理解している人は少なくて、とても混乱する。
そして朝霞市だが、池袋本町同様に、孤立した高齢者がこれからどんどん増えていく。地域福祉計画の策定の予備調査で、50%以上の市民が市内にいる友だちの数が1人以下であった。
池袋から15分という地の利で、池袋よりは定住志向があるものの大量の若者も大量に流れ込んでくる。朝霞市に住みついた元サラリーマン家庭の子どもたちはどんどん外に出ていく。その接点はほとんどないまま、池袋本町のようになっていくのは時間の問題だと思う。それに輪をかけて、基地跡地開発でも出てきたが、地域の経済団体は大型商業施設を欲しがって、さらに商店街や地域のスーパーの崩壊を加速させようとしている。
しかもバス路線が未整備な地区が多い。自転車やマイカーを運転できなくなったときのまちづくりが全然なっていない。
池袋本町の高齢者は、昭和ヒトケタの人たちである。軍人になることを夢見て、軍国の母になることを夢見て破れ、戦後の高度成長の中で猛烈に働いたサラリーマンの第一号でもある。そして私が子どもの頃には、過労による在職中のぽっくり死が問題にされた世代である。怒鳴ってばかりいたうちのオヤジでさえ、力で抑えて働かせていた世代である。あの脂ぎったサラリーマンが、都会で寝たきりになって、自分の無力さを嘆いて生きているさまを見せられて、考えることたくさんだった。
●軽度の診察を切ろうとしている厚生労働省(その背後に財務省がいる)に対して、日本医師会は日本の質の高さと長寿化は、軽度の診察をフリーアクセスをできるようにして、病気の早期対応をしてきたからだ、と批判してきた。その批判は最もだと思うが、地域社会に往診してくれる医師が1人もいなくてその主張は認められるかということである。開業医が地域社会で往診できる体制をつくってことではないか。今のように診療所に行ける高齢者だけがローコストで医療を受診でき、移動の自由のない高齢者が自宅で寝たきりになったり、病気を放置していたりという現実が残る限りは、医師会の主張はなかなか認めてもらいにくいと思う。
●市役所で働く派遣労働者の話し合ってくれという要求をはねつけて人間を入札にかけた白井文尼崎市長が、ウヨマスコミの論客・勝谷政彦(親分は花田紀凱。最近知人が嫁いでしまったよ)に週刊現代の特集、郷土の誇りという内容で褒めちぎられている。褒めている内容はスチュワーデス出身市長が、労働組合をはじめ既得権益団体の談合で壟断する尼崎市の体質をばっさばっさと切っているというもの。こんに人に褒められて、あ~あという感じだ。
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コメント
地域福祉というと、住民参加とボランティアばかりいわれますね。それができる住民がどれだけいるでしょうか。お金と時間の余裕があってはじめてできるかと思います。だから、両方ある人たちが活躍していますが、地域で忘れられていく人はそのままです。今「地域福祉」が流行りだということですが、やり方にはいつも疑問ばかりです。結局、安上がりなことばかり考えていると疑っています。と怒っている最中だったので、ついコメントしました。
ときどき、読ませていただいています。
投稿: meme | 2008.06.25 06:11
地域福祉が地域経済とリンクしなければ意味がないんでしょうね。そうなると、福祉は善意だけではなく取引としての労働市場が成立しなければならないはずです。
そのあたりの認識がなくて、相変わらずボランティアはタダで、タダより安いものはない、という認識にあぐらをかいた人が地域福祉の設計をやってしまうと、ひどい話になっていくんだと思います。
それでも田舎はまだ地域社会があるし、仕事中にちょっと自宅に戻って介護をやったり、昼飯食べさせたりできるからいいけど、埼玉県や東京都の場合、介護をきちんと仕事として根付かせることに成功しなければ、その家族はほんとうに悲惨なことになってしまいます。
投稿: 管理人 | 2008.06.25 19:52